ドクター塚本
「白衣を着ない医者のひとり言」
       「白衣を着ない医者」ってどんな医者?


 明和会の皆さん、こんにちは。

 「白衣を着ない医者」とは、もちろん私のことです。

 このHPを開いて読んでいただいている方々は、生命保険会社に白衣を着ない医者が大勢いることを先刻ご承知のはずです。

 そうです。私は、1960(昭和35)年に明治生命に入社以来継続して医務部に勤務したあと、厚生事業団、社会保険審査会を経て古希を過ぎた直後の昨年末にリタイアするまで終始一貫白衣を着ない医者を通してきました。

 ちょうどこの間、わが国の医療が経済以上に長く高度成長を続けていた時期だったこともあり、ご一緒に仕事をした一部の方からは、なぜもっと高収入の医療の現場で働かないのかと不思議がられた経験もあります。

 「白衣」は、もともとドイツ語のシュルツの翻訳ですが、言葉の意味は、防御するということで、汚染、感染から医者を守るために着たものです。アメリカではホワイト・コートと呼んでいるようですが、世界中が大騒ぎした先だってのSARSを例にあげるまでもなく、ウイルスの感染防止に何の役にも立っていないことから、いまでは汚染はともかく白衣の効能を信じている人はまったくいません。

 つまり、白衣は医者のシンボルなのです。なかでも日本の臨床医は、先生呼称とともに白衣大好き人間だそうです。たしかに診察の際に医者と患者の坐る椅子の大きさ、形と同じように、白衣を着ると患者さんに接したときにある種の上下関係が生れ、患者に対して優位に立てると言われています。臨床医のなかにもごく僅かですが白衣を着ない医者もいて、私の存じ上げている元・国立病院長F先生がそうです。この方は白衣を着ないでいる一番の利点は院内で患者さんに呼び止められてモノを尋ねられないことだと冗談を言っておられました。

 さて、私は医者か医者でないかを決めるモノサシとして、次の2つのことをあげています。

1つは、医学校で「人体解剖」を経験しているかどうか、2つ目には、自分が診療した患者の死に立ち会ったことがあるかないかです。私は、これら2つをクリアしていますし、もちろん、医師免許証も所持していますのでれっきとした医者のつもりです。

 世間で「○○であって○○でないもの」という珍問答があります。私の場合、○○というのに、@医者、Aサラリーマン、B経営者、C研究者、D統計家、E役人、F裁判官を当てはめることができるのではとひとりで面白がっております。

 少し注釈をつけますと、こうです。
 
@  は患者を診る臨床医ではないからです。

A は本社勤務に
なってから係長、副長、課長、次長、部長を歴任させてもらったのでサラリーマンと変わらないのですが、心の隅では俺の本籍は医者だといつも思っておりました。

B は取締役、理事長という肩書きはつきましたが、本当の経営者になりきれませんでした。

CとD は医事調査課に長くいて研究的な仕事
をやりましたので、保険医学会はもとより公衆衛生学会、疫学会、循環器管理学会、肥満学会などに席をおき、会長、理事、評議員などを務めましたが、中途半端な研究者で終りました。

E、F の役人、裁判官というのは、社会保険審査会で準司法の仕事をしましたがもちろん「本チャン」でないことは明らかです。

 では、お前は何者かと問われれば、強いて言うなら「予防あるいは予防医学」屋とでも申しておきましょうか。

 「予防は治療に勝る」という格言があります。最初に言ったのは、
ローマ人のセネカだそうですが、世界中に同じような言葉が残っているので、永遠の真理であることに間違いありません。

 若気の至りでしょうか、もう少し格好をつけると理想主義者だったのでしょうか。医学校を卒業するとき、迷わず公衆衛生学講座に入って勉強することにしました。ところが、進路を歩みはじめた直後から予防がいかに難しい仕事かということに直面しました。学問的には予測と同次元の分野ですから、天気予報に似たところがあり、きわめて確率的で、当るも八卦、当らぬも八卦の世界です。研究の手法に数学の実力が問われるので直ぐ壁に突き当たりました。もっと困ったのは、平たく言うと、当時、予防医学専門では食っていけなかったのです。

 これで私の明治生命入社の経緯が少しはおわかり
いただけたでしょうか。

 「白衣を着ない医者」の下手な自己紹介は以上のとおりです。これから、ときどき掲載させていただくことになる「ひとり言」では「医者らしくない」切り口で、自由気ままに、しかもちょっと無責任に、現今の医療、健康問題を取り上げてみることにします。

 よろしくお付き合いのほど願っておきます。