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『さわらび閑話』第2回 | |
和楽備の一閑人(井出昭一) | |
春爛漫…“春”大特集… | |
(1)文学の春……文字の世界・モノトーンの世界 | |
②和歌(下)(明治以降の近代短歌) | |
明治以降の近代短歌の中にも春を詠んだ数多くの秀歌があります。“和楽備一閑人”が独断で選んだ“近代十歌人”の春の歌と“閑人好み”の歌を順不同で列挙してみます。 | |
今回は、モノトーンではありますが、歌人の写真を挿入しました。 | |
1.正岡子規(1867-1902) | |
*春の歌 | |
くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る | |
いちはつの花咲きいでて我が目には今年ばかりの春行かんとす | |
*代表歌、閑人好みの歌 | |
瓶にさす藤の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり | |
満34歳という若さで没したにも拘わらず、日本の近代文学に絶大な影響を与え、特に短歌と俳句の分野では革新運動を成し遂げたことは高く評価されています。歌人、俳人としても病床から創作活動をつづけ、「写生・写実」を首唱しました。 | |
「いちはつの…」は子規が、死を予期した心情が表れていて、つい感傷的になりそうです。 | |
2.伊藤左千夫(1864-1913) | |
*春の歌 | |
日のめぐりいくたび春は返るともいにしへ人に又も逢はめやも | |
春の葉のわかやぐ森に浮く煙わが恋ふる人や朝かしぎする | |
春浅き南上総(みなみかずさ)の旅やどり梅をたずねて磯に出にけり | |
朝起きてまだ飯前のしばらくを小庭(さにわ)に出て春の土踏む | |
*代表歌・閑人好みの歌 | |
牛飼いが歌よむ時に世の中の新しき歌大いにおこる | |
天雲のおほえる下の陸(くが)ひろら海ひろらなる涯に立つ吾は | |
おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落葉深く | |
正岡子規の『歌よみに与ふる書』に感化され年下の子規に師事し、短歌雑誌『馬酔木』『アララギ』の中核として、斎藤茂吉、土屋文明などを育成しました。 | |
3.佐佐木信綱(1872-1963) | |
*春の歌 | |
ちらばれる耳成山や香久山や菜の花黄なる春の大和に | |
春ここに生るる朝の日を受けてすきとほる葉の青きかがやき | |
*代表歌・閑人好みの歌 | |
ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲 | |
佐佐木信綱の父・弘綱も歌人で信綱はその長男です。父の教えを受けて歌の道に進みました。信綱は帝国学士院会員で文化勲章を受章し、歌会始の撰者を務められました。 | |
4.島木赤彦(1876-1926) | |
*春の歌 | |
信濃路はいつ春にならん夕づく日入てしまらく黄なる空の色 | |
高槻のこずゑにありて頬白(ほおじろ)のさえずる春になりにけるかも | |
はる雨の雲のあひたより現るゝ山の頂は雪真白なり | |
*代表歌・閑人好みの歌 | |
みづうみの氷は解けてなは寒し三日月の影波にうつろふ | |
霧ヶ峰のぼりつくせば眼の前に草野ひらけて花さきつづく | |
アララギ派の伊藤左千夫に師事し、写生主義に立脚した歌を詠みました。諏訪湖に伊藤豊雄が設計した「赤彦記念館」があります。和楽備一閑人と同郷の信州人のため、親しみを覚える歌人です。 | |
5.長塚節(1879-1915) | |
*春の歌 | |
ほろほろと落葉こぼるるゆずり葉の赤き木ぬれに春雨ぞふる | |
おのずから満ち來る春は野に出でゝ我が此の立てる肩にもあるべし | |
菜の花の乏しきみれば春はまだかそけく土にのこりてありけり | |
やはらかに茂き林が梢よりほがらほがらと春は去(い)ぬらむ | |
春雨の露おきむすぶ梅の木に日のさすほどの面白き朝 | |
*代表歌・閑人好みの歌 | |
垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をすがしといねつたるみたれども | |
白埴の瓶こそよけれ霧ながら朝はつめたき水くみにけり | |
万葉集をこよなく心酔し、正岡子規を師と仰ぐ長塚節の春の歌です。 | |
6.會津八一(1881-1956) | |
*春の歌 | |
はるきぬと いまかもろびと ゆきかへり ほとけのにはに 花さくらしも | |
浄るりの 名をなつかしみ みゆきふる はるのやまべを ひとりゆくなり | |
ひさしくも つかざるかねは はるのひに ぬくもりてあり ねむれるがごと | |
はるされば むらのわかびと ふえふきて ししかぶりこし はたのほそみち | |
はるすぎて なつきたれども しろたえの ひとえころも もあらぬわれかも | |
*代表歌・閑人好みの歌 | |
すいえんの あまつをとめが ころもでの ひまにもすめる あきのそらかな | |
おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ | |
おほらかに もろてのゆびを ひらかせて おほきほとけは あまたらしたり | |
ちかづきて あふぎみれども みほとけの みそなはすとも あらぬさびしさ | |
わぎもこが きぬかけやなぎ みまくほり いけをめぐりぬ かささしながら | |
かすがのに おしてるつきの ほがらかに あきのゆふべと なりにけるかも | |
秋艸同人(しゅうそうどうじん)と号した會津八一は、歌人・書家・美術史家で万葉風を近代化した独自の歌風を確立しました。歌はひらがなで読み易すく、奈良をこよなく愛した歌人で、和楽備一閑人も大好きなひとりです。 | |
ひらがなが続いて読みにくいので、閑人が勝手に区切りました。 | |
7.斎藤茂吉(1882-1953) | |
*春の歌 | |
行く春の部屋かたづけてひとり居り追儺(ついな)の豆をわれはひろひぬ | |
かぎろひの春なりければ木の芽みな吹き出づる山べ行きゆくわれよ | |
逝く春の朝靄こむる最上川岸べの道を少し歩めり | |
*代表歌・閑人好みの歌 | |
最上川逆白波の立つまでに吹雪く夕べとなりにけるかも | |
最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片 | |
のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根の母は死にたまふなり | |
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる | |
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり | |
歌人と精神科医と二つの顔を持つ斎藤茂吉、歌は伊藤左千夫に師事しました。故郷の最上川を詠んだ名歌が数多くあります。 | |
8.若山牧水(1885-1928) | |
*春の歌 | |
山ねむる山のふもとに海ねむるかなしき春の国を旅ゆく | |
春の日のひかりのなかにつぎつぎに散りまふ桜かがやきて散る | |
暁の春の月夜の寒けきに出でて歩めば蛙なくなり | |
梅のはな枝にしらじら咲きそむるつめたき春となりにけるかも | |
ゆきずりに日日見て通る椎の樹の梢あからみ春はきにけり | |
かすみあふ四方のひかりの春の日にはるけき崎に浪の寄る見ゆ | |
*代表歌・閑人好みの歌 | |
幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく | |
白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり | |
かたはらに秋くさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな | |
秋風のそら晴れぬれば千曲川白き河原に出てあそぶかな | |
若竹の伸びゆくごとく子ども等よ真直ぐに伸ばせ身をたましひを | |
白鳥はかなしからずや空の青海の青にも染まずただよう | |
平易で純情な作風で酒と旅の歌が多い中にあって、春の歌も数多く詠んだ牧水です。 | |
9.石川啄木(1886-1912) | |
*春の歌 | |
春の雪 | |
銀座の裏の三階の煉瓦造に | |
やはらかに降る | |
よごれたる | |
煉瓦の壁に | |
降りて融け降りては融くる | |
春の雪かな | |
*代表歌・閑人好みの歌 | |
東海の小島の磯の白砂に | |
われ泣きぬれて | |
蟹とたはむる | |
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて | |
空に吸はれし | |
十五の心 | |
何となく、 | |
今年はよい事あるごとし。 | |
元日の朝晴れて風無し。 | |
ふるさとの山に向かひて | |
言うことなし | |
ふるさとの山はありがたきかな | |
啄木の歌は“三行書き”で読み易く、平易で親しみが持てます。生活感情の歌、季節としては秋の歌が圧倒的に多く、春が詠まれている歌はほんのわずかでした。「一握の砂」から春の歌2首です。 | |
10.釈迢空(しゃくちょうくう:折口信夫 おりくちしのぶ)(1887-1953) | |
*春の歌 | |
『春のことぶれ』 | |
桜の花 ちりぢりにしも | |
わかれ行く 遠きひとり | |
と 君もなりなむ | |
年暮れて 山あたゝかし。 | |
をちこちに、 | |
山さくらばな | |
白くゆれつつ | |
*代表歌・閑人好みの歌 | |
葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。 | |
この山道を行きし人あり | |
民俗学者、国文学者、国語学者の折口信夫は、釈迢空(しゃくちょうくう)と号して、句読点入りの歌を詠んだ歌人でもあります。 | |
なお、以上の“近代十歌人”のほか土屋文明、与謝野晶子、北原白秋、吉井勇なども春の秀歌を詠んでいますが省略します。 | |
文学の春 ①和歌(下) 以上 |
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