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『さわらび閑話』 | ||
和楽備の一閑人(井出昭一) | ||
序 文 | ||
しばらく中断していたエッセイを再開することにしました。中断したのは、他でもない“和楽備の一閑人”がエッセイの材料を集めたものの、取りまとめを怠けていたためです。また、昨年は3回の入院と隔週の通院で閑人とはいえ生活のリズムが乱されたことも中断の理由のひとつです。 | ||
ことしも年初の1月8日に入院し、3月5日まで57日間の入院生活を送りました。治療や検査がなく体調の良い時に『さわらび閑話』の材料を病室に持ち込んだパソコンに入力してきました。 | ||
退院した現在も自宅静養中の身ですが、ただ家の中で横たわっているよりは、集めた材料を元にエッセイの執筆に取り組んだほうがガンの痛さも紛れ、自ら目標を課した方が生活に緊張感と潤いを与えるのではないかと考え、再開することにした次第です。 | ||
エッセイの表題は、蕨に住む閑人が書くので『蕨閑話』とも考えましたが、音感が良く当たりが柔らかい『さわらび閑話』としました。「さわらび」ということばは、万葉集の中で私の好きな志貴皇子の歌「石激る垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも」に登場することばで、しかもこの秀歌以外には万葉集のどこにも出てこないという稀少価値のあることばでもあるからです。 | ||
取り上げるテーマや対象は美術、建物に限定せず、自由に幅広くするつもりです。“和楽備の一閑人”は専門の研究者でなく、古希を越えて頭も身体もコチコチの閑人が取りまとめるものです。したがって、文章の誤りや思い違いも多々あろうかと存じますがご容赦いただきたくお願い申し上げます。また、ご要望、ご感想などお寄せいただければ幸いです。 | ||
2015年3月16日 74歳の誕生日 | ||
第1部 春爛漫 …“春”大特集… | ||
四季の中で私が一番好きなのは春です。それは私が3月生まれだからかもしれません。寒かった冬が過ぎて日差しが温かくなる。草木が一斉に新しい芽を膨らませる。そんな中に身を置くだけで気持ちも弾んで晴れやかになります。 | ||
この“春爛漫”では、和楽備の一閑人が好む古今東西の“春”の名作を分野毎に寄せ集めてみました。体系的でなく順序も不同です。思い浮かんだものを羅列して簡単なコメントを付記しただけです。 | ||
1.文学の春 … 文字の世界・モノトーンの世界 | ||
文学に登場する様々な春を集めてみました。文学は活字で表現するため、モノトーンの世界です。 | ||
閑人が独断的に、和歌、俳句、随筆、小説、近代詩、漢詩の分野に分け、“春”を拾い集めてみました。 | ||
(1) 和歌(上) | ||
……“春”の文字が詠み込まれている名歌で、内容は春の状況を詠っていても“春”が入っていない歌は . 除外しました。 |
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私の好きな『万葉集』には、名歌が山積していますが春を詠った歌も沢山あります。その中でも頂点に立つのが、このエッセイの表題の出典ともなっている志貴皇子の歌です。 | ||
石激る垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも | 志貴皇子(巻八1422) | |
心が洗われるような清々しい歌です。また「垂水の上のさ蕨の」と“の”が3回続くこの音感が好きです。斎藤茂吉は「万葉集中の傑作の一つだ」と高く評価しています。志貴皇子の歌は万葉集に6首ありますが、春の歌はこの一首のみです。 | ||
後の世の藤原定家も同じ状況を詠んでいますがやはり二番煎じです。 | ||
いはそそぐ清水も春のこゑたててうちやいでつる谷の早蕨 | ||
むしろ、アララギ派の歌人島木赤彦の歌のほうが“閑人好み”です。 | ||
高槻のこずゑにありて頬白(ほおじろ)のさえずる春になりにけるかも | ||
万葉集巻十九の冒頭に春の喜びを詠った大伴家持の15首が並んでいますが、その最初の歌です。 | ||
. | 春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ乙女 | 大伴家持(巻十九4163) |
家持の春の歌は感傷的で、時代を超えた清新な詩情を表した傑作だと評されていますが、その代表作は次の2首です。 | ||
. | 春の野に霞たなびきうら悲しこの夕影に鶯鳴くも | 大伴家持(巻十九4290) |
. | うらうらに照れる春日に雲雀あがり情悲しも独し思へば | 大伴家持(巻十九4316) |
ちょっと変わったところでは、尾張連(おわりのむらじ・生没年未詳)の歌は万葉集巻八に2首のみですが、いずれも春の歌です。 | ||
. | 春山の岬(さき)の撓(たを)りに春菜摘む妹が白紐見らくしよしも | 尾張連(巻八1425) |
. | うちなびく春来たるらし山の際(ま)の遠き木末(こぬれ)の咲きゆく見れば | 尾張連(巻八1425) |
ところで、万葉集4500余首を訓読と原文で、インターネットで検索してみたところ意外な結果でした。というのは、私は四季の中で春の歌が圧倒的に多いと思っていたのですが、秋のほうが数多く詠まれていることが判ったからです。参考までに、四季別の歌の数は、春235首(うち長歌48首)、夏46首、秋257首、冬27首となっています。 | ||
『万葉集』と比べるとほかの歌集は“閑人好み”ではありませんが、参考までに『古今和歌集』と『新古今和歌集』から、代表的な春の歌3首を選んでみました。 | ||
『古今和歌集』 | ||
. | 世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし | 在原業平(巻一0053) |
. | 見渡せば柳桜をこきまぜてみやこぞ春の錦なりける | 素性法師(巻一0056) |
. | 久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ | 紀友則(巻二0084) |
『新古今和歌集』 | ||
. | ほのぼのと春こそ空に來にけらし天の香具山霞たなびく | 後鳥羽院(巻一0002) |
. | 願はくは花のもとにて春死なむその如月(きさらぎ)の望月のころ | 西行法師(巻十六1845) |
. | 春の夜の夢の浮橋とだえして峯に別かるる横雲の空 | 藤原定家(巻一0038) |
ところで、『新古今和歌集』の巻四には「秋の夕暮れ」を詠んだ名歌が3首並んでいます。 | ||
. | 寂しさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮れ | 寂連法師(巻四361) |
. | 心なき身にもあはれはしられけりしぎ立つ澤の秋の夕ぐれ | 西行法師(巻四362) |
. | 見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ | 藤原定家(巻四363) |
いずれも新古今調の特色である三句切れ、体言止めとなっていて、秋を詠んだ新古今和歌集の代表的名歌として、古来「三夕(さんせき)の和歌」と広くいわれてきました。和楽備の一閑人が好むのは『新古今和歌集』ではなく『万葉集』です。そこで、『万葉集』の中で春を詠んだ短歌・長歌の中から独断で三首を選んでみました。 | ||
「万葉集三春(さんしゅん)の秀歌」とは、 | ||
. | 石激る垂水の上のさ蕨の萌え出づる春になりにけるかも | 志貴皇子(巻八1422) |
. | 春の野に菫摘みにと来し吾ぞ野をなつかしみ一夜宿にける | 山部赤人(巻八1428) |
. | うらうらに照れる春日に雲雀あがり情悲しも独しおもへば | 大伴家持(巻十九4316) |
以上の3首の解説は岩波新書の斎藤茂吉の名著『万葉秀歌』(上下2巻)の下巻に詳しく記載されています。この『万葉秀歌』は昭和13年に第1刷が発行されて以来、4度も紙型を起こして版を重ねているという、この種の本の中では異例とみられるほど息の長いべストセラーです。私も手元に置いてときどきひも解いています。 | ||
以上、1.文学の春 (1)和歌(上) |
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