平成24年10月16日
「シニアの東都見聞録」番外編

            佐久市川村吾蔵記念館
        …日本よりアメリカで有名な彫刻家の作品を展示…
井出昭一
1.プロローグ
 前回の「第一生命館のマッカーサー記念室」で、室内に置かれている胸像の制作者・川村吾蔵について紹介しました。長野県が生んだ彫刻家としてはロダンの弟子である荻原碌山が有名ですが、同じ信州出身で同時代にアメリカ彫刻界で活躍していた川村吾蔵について、アメリカでは有名のようですが、日本国内ではあまり知られていません。その吾蔵の作品を展示する「佐久市川村吾蔵記念館」が平成22年3月、生地である長野県佐久市にオープンしました。本文は昨年の夏、同館を訪ねた際にまとめたものです。佐久市は”東都”ではないので”東都見聞録”のテーマにふさわしくありませんが、参考までに紹介させていただきます。前回と重複する記述もありますがご容赦ください。
2.“忘れられた彫塑の巨匠”川村吾蔵  
 私が初めて川村吾蔵の名前を目にしたのは、1995年の正月、今から15年以上も前のことです。八十二文化財団の季刊誌「地域文化」のコラム“信州人物意外史8”で、川村吾蔵(1884〜1950)がアメリカでは「牛の吾蔵」として広く知られ、国際的な彫刻家であることがわずか1ページの紙面に紹介されていました。吾蔵がフランス滞在中、近代彫刻の巨匠オーギュスト・ロダンから助手になるよう要請されたにもかかわらず断ったというエピソードにも興味がありましたが、さらに驚いたことは、川村吾蔵が明治17年(1884年)に臼田町で生まれたという記述でした。現在、佐久市となっている旧臼田町は千曲川のほとりの小さな町です。私もこの町で生まれ、高校を卒業するまでの思い出の多い時期を過ごした故郷ですが、彫刻家川村吾蔵の名前はわが家でも学校でも一度も耳にしたことがなかったからです。
 また、大学を経て会社生活を東京で続ける間、私は趣味として展覧会・美術館巡りをしてきましたが、同世代に活躍した荻原碌山(1879〜1910)や高村光太郎(1883〜1956)の作品はしばしば目にしているにもかかわらず、同郷の彫塑の巨匠・川村吾蔵の作品には出会ったことはありませんでした。
 前述のコラムに掲載されていた作品は『太陽の賛歌』というモノクロの写真1点のみでした。わが故郷の大先輩で日本よりアメリカで名前が通っているという川村吾蔵の彫刻作品を、写真ではなく実物を見たいという思いが募っていましたが、幸いにもその年末に実現しました。
3.川村吾蔵の作品との初対面はマッカーサー記念室
 その川村吾蔵の作品群と私が初めて対面したのは、第一生命南ギャラリーで開催された企画展「正統なる造形…GOZO…20世紀アメリカに生きた彫刻家川村吾蔵」(1995.11.22〜12.22)でした。
 このギャラリーは、第一生命の本社ビルと農林中央金庫の共同ビルとして完成した「DNタワー21」の1階に新設されたもので、川村吾蔵展は第一生命南ギャラリーとしで最初の企画展でした。当時、勤務していた明治生命の本社からも近かったので展覧会が開かれると直ちに訪ねた次第です。
 念願がかなって、初めて目にする川村吾蔵に私は感動しました。40年海外で制作活動を続けたため、川村吾蔵の作品はアメリカには大きなモニュメントが数多く残されていますが、日本に現存するのは胸像や小品のみということで、展示作品の多くは遺族から郷里に寄贈され、臼田町文化センター(当時)で保管されてきたとのことでした。しかし、小品とはいえ川村吾蔵がアメリカの美術界で認められる契機となった作品『太陽の賛歌』(1917年)をはじめ、『野口英世博士』(1939年)、『島崎藤村』(1943年)、『マッカーサー元帥』(1949年)、『ヘレン・ケラー女史』(1950年)など展示中の“現物”の作品を拝見すると「そのどれもが威儀を正し、対象をリアルにとらえた」という評価のとおり、誠実さがにじみ出た作品ばかりでした。
 戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が置かれていた日比谷の第一生命本社ビルの6階には、マッカーサー総司令官が使用した部屋が当時のまま記念室として保存されています。かつては1階の受付で記念室の見学を申し出ると、バッジを渡され自由に見学できたので私はたびたび訪ねました。部屋の壁際にはマッカーサーの毅然とした表情の胸像と座右の銘として愛誦していたサミュエル・ウルマンの「青春」の詩が本を見開いた状態のレリーフとして展示されていました。私は長い間、『マッカーサー元帥』の胸像の制作者が川村吾蔵だと知らずにいたわけです。同時多発テロ以来、記念室は閉鎖されていて見ることができないのは残念です。 
4.懐かしい肖像彫刻群と再会
 彫刻家の個人の作品を展示する美術館としては、安曇野の碌山美術館(荻原碌山)、台東区の朝倉彫塑館(朝倉文夫)、小平市の平櫛田中彫刻記念館、井の頭自然文化園・彫刻園(北村西望)などが“全国区”として広く知られていますが、この川村吾蔵記念館は、一部の特定の人のみが知る”地方区”の美術館です。
 () ダイヤネット・メルマガ『…My Museum Walk…わたしの美術館散策』の(1)「小平市平櫛田中彫刻美術館」と(29)「井の頭自然文化園・彫刻園」、明和会分会ホームページの『古今建物集…美しい建物を訪ねて…』(22)「朝倉文夫のアトリエと自宅…朝倉彫塑館…」も併せてご覧ください。
 佐久市の田口に川村吾蔵記念館が開館したということは既に承知していましたが、初めて訪ねたのは残暑が厳しい昨年8月29日でした。当日、訪れたのはわが家の3人のみ。来館を知った三石敏政館長が丁寧に説明してくださいましたが、別の予定が控えていたため、短時間で切り上げなければならず残念でした。
 展示室では、かつて第一生命南ギャラリーで出会ったマッカーサーをはじめ、野口英世、島崎藤村、尾崎咢堂など懐かしい肖像の一群に再会できました。またアメリカで“牛の吾蔵”と愛称される発端になった“牛”も何点か展示されていました。吾蔵の制作した牛は彩色が施され理想的体型乳牛模型(ツルータイプ)としてアメリカ全土に配付されたとのことです。




 川村吾蔵の彫刻の真髄はこうした小品よりも大規模な公共彫刻(モニュメント)であるとされ、その代表作は合衆国最高裁判所入口の左右に置かれている「正義」「権威」だといわれています。川村吾蔵記念館の展示室入口の壁面には、プリンストン大学校庭に設置されている「ジョージ・ワシントン戦勝記念碑」の大きな写真が掲げられていました。この実物は高さ12m、幅8m、さぞ迫力あるものだと想像されます。これを見るにはやはり現地に行くしかありませんが、小品の肖像彫刻であれば、日本でも吾蔵の生地・佐久市臼田の佐久総合病院の野口英世、小諸の藤村記念館の島崎藤村などで目にすることができます。


 
一昨年9月に“パソコン達人”の友人と諏訪湖畔の美術館・建物巡りをした際に、最後に片倉館を訪ねました。有名な千人風呂のある浴場棟の入口左側に鉢植えの観葉植物に隠れて堂々とした大理石の胸像が眼に止まりました。で近づいてみると、この胸像は片倉館を造った「二代片倉兼太郎翁之像」で、驚いたことにこの制作者は川村吾蔵でした。今まで出会った吾蔵の彫刻はブロンズばかりでしたので、大理石像は初めて眼にするもので、思いの外の収穫をした気分になりました。
 (注)片倉館は、片倉財閥の二代目社長片倉兼太郎が当時としては珍しい複合文化福祉施設として設計を森山松之助に依頼し1928年(昭和3年)に竣工した建物です。2011年4月に温泉大浴場のある浴場棟、娯楽・文化交流を目的とした会館、それを繋ぐ渡り廊下の3棟が国の重要文化財に指定されました。
5.エピローグ…もうひとつの五稜郭と新海三社神社
 川村吾蔵記念館の建物は“龍岡城五稜郭”に隣接して整備された五稜郭公園の一角に建設されています。五稜郭といえば函館の五稜郭があまりに有名なため、佐久市田口の五稜郭は影が薄い存在ですが、この龍岡城五稜郭は函館の五稜郭とともに日本に二つしかない星の形をした洋式築城として国の史跡にも指定されています。
 佐久の五稜郭は慶應3年(1867年)松平乗謨(のりかた、後の大給恒<おぎゅう ゆずる>伯爵・賞勲局総裁)によって築城されました。函館に比べて規模も小さく、完成寸前に明治を迎えたために未完の状態で、現在は御殿の一部の御台所(おだいどころ)と濠が遺構として残っています。近くでは単なる角がとがった濠としか見えませんが、航空写真では五角形の星の姿がはっきりと判ります。私は小学校時代に恩師の家を訪ねるために、この龍岡城五稜郭の濠の横道をたびたび通り過ぎていたのですが、当時は全く関心がなく五稜郭に興味を持って改めて訪ね直したのは信州を離れてからのことです。
 また、近くにある新海三社神社は佐久の総社として室町時代に建てられたという歴史を有する神社で、境内の東本社と三重塔は国の重要文化財に指定されています。幸いなことに、宮司を務めるのは高校時代の友人です。旧交を温めるためにも、屋根の反りが美しい三重塔に再会するためにも機会を見つけて訪ねたいと思っているところです。
(注) 龍岡城五稜郭と新海三社神社については、“明和会分会”のホームページ、『古今建物集…美しい建物を訪ねて…』(13)「信州・佐久の重文建物」(平成19年8月)で既に紹介していますので併せて高覧いただければ幸いです。




以上
[川村吾蔵に関する参考資料]
1.「信州人物意外史8 川村吾蔵(1884−1950)」
   『地域文化』<季刊・通巻31号>(財団法人八十二文化財団、1955年1月)
2.『彫刻家川村吾蔵−その作品と生涯−』 川村洋一郎著
   (臼田町文化センター、1995年3月)
3.「特集:アメリカン・ドリームに賭けた日本人画家たち」
   −日本の近代彫刻はアメリカ生まれ!?川村吾蔵は「乳牛の理想体形を求めた−
   『芸術新潮』(1955年10月号)  
4.『正統なる造形−GOZO−20世紀アメリカに生きた彫刻家川村吾蔵』
   第一生命南ギャラリー(1955.11.22〜12.22)
   (第一生命 社会文化事業室、1955年11月)
5.『彫刻家・川村吾蔵の生涯…牛も彫れば大統領も彫った男の物語…』
   飯沼信子著(舞字社、2000年2月)
6.ぽっかり ふんわり−川村吾蔵物語−』
   新海輝雄著(株式会社櫟 2008年4月)
 末筆ながら、本稿を書くにあたり丸山正俊氏(臼田町文化センター元館長)、三石敏政氏(佐久市川村吾蔵記念館長)の暖かいご指導賜りましたことに感謝申しあげます。

佐久市川村吾蔵記念館の概要
 所在地 :〒384−0412 長野県佐久市田口3112番地
              (五稜郭公園内)
 TEL   :0267−81−5353
 FAX   : 0267−81−5355
 WEB  : http://www.city.saku.nagano.jp/cms/html/entry/1679/349.html
 休館日 :毎週火曜日(祝日の場合は開館)、年末年始
 開館時間:9:00〜17:00
 観覧料 :一般300円


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