2012.09.14「シニアの東都見聞録(8)
第一生命館のマッカーサー記念室
                           井出昭一
1.プロローグ
 前回、本年1月「シニアの東都見聞録」で、津田塾小平キャンパスを取り上げてから随分間が空いてしまいました。
 この間、別に怠けていたわけではありません。素材となる建物の写真を“熱心に”撮り歩いてかなりの建物の写真をデジカメに収めることができました。今では写真専用にしている250GBと500GBの2つの外付けハードディスクが満杯になるほどで、“執筆”まで頭が廻らなかっただけです。
 そのうちの1件。去る7月20日、第一生命館(現:DNタワー21)の「マッカーサー記念室」を見学してきました。記憶が薄れないうちに、記録しておかなければと思って“筆を執った”(正確にはパソコンに向かっている)次第です。以下、その記録です。


2.見学のキッカケ
 7月18日、朝食時のテレビのニュースで、第一生命館の「マッカーサー記念室」が一般公開されていることを偶然知りました。詳細はすでに放映された後だったため、早速、インターネットで検索してみました。
 そこで判ったことは、第一生命が創立110周年記念の特別企画として、2012年7月7日が連合国軍総司令部(GHQ)による第一生命館の接収解除・返還されてちょうど60年の節目の当たるため「マッカーサー記念室」を一般に公開するとのことです。期間は7月17日から22日までの6日間、見学時間は10時30分から15時30分、しかも見学できる人数は1日先着200人限度、しかも、見学希望者は第一生命館(現:DNタワー21)の1階の見学者受付で1回につき20人ずつ配付する整理券を受け取り、指定された時刻の5分前に集合しなければならないという厳しい条件でした。しかしありがたいと思ったのは内部の写真撮影ができるということでした。
 第一生命館がDNタワー21として生まれ変わった当初、マッカーサー記念室は、1階の受付で見学を申し出るとバッジを渡されあとは自由に見学することができました。当時、明治生命本社勤務で第一生命館とも近かったため私はたびたび訪ねました。いつかはデジカメで撮ろうと思っていましたが、2001年9月の同時多発テロ以来、記念室の公開は中止。内部撮影の望みが達成できないままになっていたところに飛び込んできたのがこの朗報です。この機会を逃したらチャンスは無いのだと思い、万難を排して訪ねることにしました。
 7月20日の午前中、新宿の朝日カルチャーセンターでの真向法体操教室に参加し、終了後直ちに第一生命館に駆けつけました。12時過ぎに到着し、受付に10名ほどの人が待機されている様子なので、これなら整理券を受け取ってすぐに入場できると思ったら大きな誤算。並んでいた方はすでに整理券を受け取って指定時間に待機していたのでした。
 「整理券の無い方はこちらへ」と案内されて受け取った整理券の指定時間は「4時30分」。別の日に再度挑戦とも考えましたが、初志貫徹。難病で入院中の友人のお見舞いに行くなど時間を有効に使って、早めに戻って1階のエントランスに展示されていた第一生命本社の建物の歴史などのパネルを見学できました。“4時30分”組の20人は2列に並び荷物検査を経て、エレベーターで6階のマッカーサー記念室へと向かいました。

3.マッカーサー記念室・・・机ひとつで簡素そのもの
 第一生命は、1995年(平成7年)隣接する農林中央金庫と共同の再開発事業としてDNタワー21(第一・農中ビル)を建設しましたが、旧第一生命館の外観と6階のマッカーサー元帥の執務室などの一部以外はすべて取り壊したとされています。したがって、今回公開されたマッカーサー記念室となっているところは、当時の状態がそのまま保存されているため貴重なものです。
 重厚な応接セットが置かれている貴賓室、マッカーサー元帥の執務室、第一生命の創設時の歴史的史料の展示室と、公開された6階の3室とは久しぶりの再会でした。


 マッカーサー元帥の執務室は、かつて第3代社長石坂泰三が使用していた社長室で広さは54u(16坪)と決して広いとは云えません。部屋の中央には、華美を嫌い簡素を旨とした主の机と椅子がポツンと置かれていました。机には引き出しがなく、4本の脚に平らな1枚の板が乗っているという質素そのものですが、即断即決をするためにマッカーサーはこの机を愛用したといわれています。見学者のほとんどはこの机と椅子に注目されていました。
 私が今回特に関心を持っていたのはこの机でも椅子でもなく、執務室内に置かれているマッカーサーの銅像とサミュエル・ウルマンの「青春」のレリーフでした。
4.マッカーサー像の制作者は信州出身の川村吾蔵
 マッカーサー元帥の胸像の再会を楽しみにしていたのは、像を制作した川村吾蔵が、私が生まれ育った信州の小さな町(旧臼田町、現:佐久市)の出身の彫刻家だったからです。
 私が初めて川村吾蔵の作品群と対面したのは「DNタワー21」が竣工し、その1階に新設された第一生命南ギャラリーでの最初の企画展「正統なる造形…GOZO…20世紀アメリカに生きた彫刻家川村吾蔵」(1995.11.22〜12.22)のときです。当時、勤務していた明治生命本社からも近かったので展覧会が開かれると直ちに訪ね、初めて目にする川村吾蔵に感動しました。


 佐久市に昨年(平成23年)3月、川村吾蔵記念館が開館したことを知ったので、昨年8月久しぶりの帰省を機会に訪ねてみました。
 日本に現存する川村吾蔵の作品は、胸像や小品のみといわれていますが、吾蔵がアメリカの美術界で認められる契機となった作品『太陽の賛歌』(1917年)をはじめ、『野口英世博士』(1939年)、『島崎藤村』(1943年)、『マッカーサー元帥』(1949年)、『ヘレン・ケラー女史』(1950年)など「そのどれもが威儀を正し、対象をリアルにとらえた」という評価のとおり、誠実さがにじみ出た作品が数多く展示されていました。
 記念館の建物は、”龍岡城五稜郭”に隣接して整備された五稜郭公園の一角に建っています。五稜郭といえば、函館の五稜郭が余りにも有名ですが、佐久に存在するもう一つの五稜郭は影が薄い存在で、一般にはあまり知られていないのは残念なことです。
 (注)”龍岡城五稜郭”については、『古今建物集』(13)平成19年8月20日の「信州・佐久の重文建築…旧中込学校と新海三社神社…」でも紹介しています。
5.サミュエル・ウルマンの「青春」
 マッカーサー執務室には、毅然とした表情のマッカーサー元帥の胸像と、マッカーサーが座右の銘として愛誦していたサミュエル・ウルマンの「青春」レリーフも置かれていました。


 「青春の詩」は、東洋紡会長の宇野収氏が昭和57年7月、日本経済新聞のコラムで
紹介したことが契機となって日本国内で急速に広まりました。今でも年齢を問わず多くの人々に勇気と希望を与えて続けている散文詩です。日本語訳はいくつか紹介されていますが「青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。」で始まる最も有名な邦訳は埼玉県蕨市出身の岡田義夫によるもので、その生家はわが家の数軒先のところに位置しています。

 また、和楽備神社の東側の蕨城址公園内には「青春の碑」があります。高さ1.5メートルほどの御影石に、サミュエル・ウルマンの散文詩 の英語の原文“YOUTH” と日本語訳の「青春」が細かい字で刻まれています。わが家から京浜東北線の蕨駅に行くには10数分かかりますが、この青春の碑の前を通って行くのが最も近道です。したがって「青春」は朝な夕なに私を勇気付けてきた記念碑でもあります。
 このように、マッカーサーの執務室は私にとって縁あるところだけに、今回の一般開放はありがたい企画でした。重要文化財に指定されている明治生命館が毎週土曜と日曜に無料で一般公開しているのですから、第一生命も同様に公開していただければ、相乗効果で両者を合わせての見学が増えるのではないでしょうか。
6.洋画家・脇田和と明治生命
 第一生命では、1995年9月に1階に「第一生命ギャラリー」として北ギャラリーと南ギャラリーを開設しました。このうち北ギャラリーは洋画家で”色彩の詩人”といわれる脇田和の常設展示場として、所蔵作品が展示されてきましたので、私は機会ある毎に訪ねて、ほのぼのとした温和な”脇田カラー”を楽しんできました。


 今回のマッカーサー記念室の再訪問と同時にこの脇田和の常設展を見学することも目的のひとつでした。幸いにも、マッカーサー記念室の受付の直ぐ近くにありましたので、私は迷わず飛び込んで、”脇田カラー”とも再会することができました。見終わって入口の写真を撮っておこうと思って案内表示板の下の張り紙を見て愕然としました。なんと7月20日をもって閉鎖するとの掲示でした。偶然にも、最終日に訪ねることができたのは幸いなことですが、これが見収めかと複雑な気持ちになって、再度入場して名残りを惜しんできました。
 脇田和を私に教えていただいたのは元副社長の水澤四郎さんでした。戦後、社内誌「社窓」のカットを脇田画伯にお願いし、年末になると貯めてあったカットを”日月会”(絵画の社内同好会)の仲間で抽選で分け合ったなどという、佳き時代のお話を伺ったのが契機です。その後、銀座の和光のPR誌の表紙に毎月登場するのを楽しみにしたり、軽井沢にある脇田美術館には何度も足を運びました。脇田和の作品は、いずれも力んだところがなく、静かで温和な色合いはいつも和みを与えてくれます。第一生命の90周年(?)記念の保険証券のデザインを脇田和に依頼されたと知ったとき、明治生命が懇意にしていた画家を一歩先取りされて残念に感じた古い記憶も蘇ってきました。
 第一生命が脇田和の数多くの作品を所蔵していることから、親密な関係があったと想像されますが、マッカサー記念室の早期に一般開放とともに脇田和の常設展示室の復活も期待しているところです。
     人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる。
     人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる。
     希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。
               (原作:サミュエル・ウルマン  邦訳:岡田義夫)
以 上

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