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平成23年8月11日
「シニアの東都見聞録(5)」

重要文化財に指定された明治神宮の建物
…外苑のシンボル・聖徳記念絵画館…

井出昭一

1.プロローグ
 明治神宮の内苑の宝物殿と外苑の聖徳記念絵画館が今年の6月に同時に国の重要文化財に指定されました。
 宝物殿は明治神宮内苑の北辺に位置し、明治天皇ゆかりの御物を収蔵・展示する施設として大正10年(1921年)に竣工しました。日本における最初期の鉄筋コンクリート造の和風建築として建築技術史上高く評価されています。設計したのは明治神宮造営局の大江新太郎で、わが国伝統的な建築様式の校倉造りや寝殿造りを取り入れて左右対称に配置されています。重要文化財に指定されたのは、中央の高床の中倉、東西倉(2棟)、東西廊(2棟)、東西橋廊(2棟)、東西渡廊(2棟)、北廊、車寄、事務所、正門の合計13棟の整然と並ぶ建物群団です。
 この宝物館については『古今建物集…美しい建物を訪ねて…』(43)「明治神宮宝物殿…コンクリート造りの校倉風建築…」(平成21年11月23日)で、詳しく紹介していますので、今回は“聖徳(せいとく)記念絵画館”(以下、“絵画館”と略します)と外苑の樹木を取り上げます。
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2.聖徳記念絵画館は外苑のシンボル
 絵画館に行くにはJR中央線・総武線「信濃町駅」が最も近く徒歩3分ですが、都営大江戸線「国立競技場駅」からも徒歩5分程度で便利なところです。宝物館が内苑の深い杜の中にひっそりと建っているのに対し、重厚で鳥が羽を広げたような外観を持つ絵画館は外苑のシンボル的な存在で、青山通りから整備された長いイチョウ並木の先に見える雄姿は、皇居の二重橋、国会議事堂、迎賓館赤坂離宮などとともに東京を代表する都市景観のひとつに挙げられています。外苑の国立競技場、神宮球場、秩父宮ラグビー場などへスポーツ観戦に行って絵画館の近くを通っても、その中まで足を踏み入れる人が少ないのは意外なことです。
 明治神宮外苑は、国民からの寄付や献木によって造られた絵画館を中心に憲法記念館(現:明治記念館)、陸上競技場(現:国立競技場)、神宮球場などが旧青山練兵場の跡地に造成され、大正15年10月に完成して明治神宮に奉納されました。創建から終戦までは国の施設でしたが、戦後は国の管理を離れ宗教法人明治神宮のもとに管理運営されています。
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3.明治天皇の事績絵画を常設展示する美術館
 絵画館は幕末から明治にかけての明治天皇と昭憲皇太后の事績を後世に伝えるため造営され、館内には絵画館の名前の通り縦3m、横2.7mの同じサイズの大きな日本画40点、洋画40点合計80点が年代順に常設展示されています。絵画は日本画「御降誕」(高橋秋華・1番)から洋画の「大葬」(和田三造・80番)まで、明治天皇の生涯が昭憲皇太后の遺徳を含めて当時の一流の画家76人によって描かれています。
 撮影禁止のため写真で紹介できないのは残念です。日本画では、小堀鞆音が「二条城太政宮代行幸」(9番)、「東京御着輦(ちゃくれん)」(17番)、「廃藩置県」(20番)の3点を描き、2点を描いたのは結城素明と近藤樵仙です。結城素明は「江戸開城談判」(13番)と「内国勧業博覧会行幸啓」(38番)、近藤樵仙は「皇后宮田植御覧」(32番)、「西南役熊本籠城」(37番)です。
 そのほかの川崎小虎「践祚(せんそ)」(4番)、松林桂月「伏見鳥羽戦」(7番)、山口蓬春「岩倉大使欧米派遣」(21番)、前田青邨「大嘗祭(だいじょうさい)」(22番)、荒井寛方「富岡製糸場行啓」(28番)、木村武山「徳川邸行幸」(31番)、鏑木清方「初雁の御歌」(40番)などは各1点ずつ描いています。
 一方、洋画は40点全て別々の画家で、和田英作「憲法発布式」(51番)、山下新太郎「歌御会始」(53番)、金山平三「日清役平壌戦」(58番)、石井柏亭「広島予備病院行啓」(61番)、中村不折「日露役日本海海戦」(71番)、辻永「日韓合邦」(77番)、藤島武二「東京帝国大学行幸」(78番)です。日本画と洋画の両刀使いの小杉未醒の「帝国議会開院臨御」(56番)は日本画の部に登場し、洋画家と思っていた岡田三郎助は日本画で「大阪行幸諸藩軍艦御覧」(14番)でした。
 揮毫を依頼する画家は大正14年に決まりましたが、制作に当たって現地を取材したり詳細な下図を描いたり、下図持寄会に提出された際に構図や人物の描き方に大幅な変更がなされ、依頼を受けながら未完のまま逝去された画家が7人にものぼり、80点全てが完成したのは10年後の昭和11年でした。
 これらの絵画は、芸術作品であると同時に、史実に基づいて建物や家具をはじめ衣装・装飾などが忠実に描写されているため、カラー写真の存在しなかった明治時代の状況を知るうえで希少な歴史資料ともいえます。年代順に展示されているので、“明治天皇一代記”が大画面のスライドショーとして展開されていると同じで、一点一点見てゆくと日本史の書籍などに掲載されていてなじみの深い絵画が何点も登場するので時間の過ぎるのを忘れてしまうほどです。一点ごとに画題、内容、画家、時代背景、奉納した個人・団体などの説明があるので助かります。奉納者の前には公爵とか男爵などと爵位が表記されていたり、着輦(ちゃくれん)、践祚(せんそ)、大嘗祭(だいじょうさい)など難読の画題が登場するところに明治の時代を感じます。
4.絵画館は「無口で変電所のように見える建物」?
 絵画館の建物の設計は大正7年(1918年)一般公募による応募案156点のなかから1等に選ばれた小林正紹(まさつぐ)(1890〜1980)の原図をもとに明治神宮造営局において耐震構造の大家・佐野利器(としかた)の指導下で高橋貞太郎(<重文>高島屋東京店、前田侯爵邸、学士会館を設計)、小林政一が修正を加えて設計図案が完成しました。
 小林正紹は、工学院大学の前身の工手学校を明治42年に卒業して大蔵省に入り、明治を代表する官僚建築家・矢橋賢吉のもとで枢密院庁舎(大正10年、現:皇宮警察本部)、北海道拓殖銀行小樽支店(大正12年)、国会議事堂(昭和11年)などの設計に参画しました。
 青山練兵場の跡地に建設が決まり、着工したのは1919年(大正8年)3月ですが、関東大震災で工事が一時中断され、竣工は1926年(大正15年)10月のことでした。


スライドショー“聖徳記念絵画館”

 近代建築を軽妙に語る藤森照信東大名誉教授(現:工学院大学教授)は、この絵画館の建物を「無口な建物で、変電所にも見えるし、あやしい研究所にも見える」(『東京人』290号、2010年12月)と面白く表現しています。建物は鉄筋コンクリート造で地階と主階の2階構造です。中央の32mの高さのドームを中心に左右対称で、横幅112m、奥行34m。花崗岩に覆われた外観は威厳ある堂々とした雄姿です。
 正面の大階段を登ると表広場といわれる3連アーチの玄関です。1歩中に足を踏み入れると中央大広間となり、天井ドームの高さは27.5m。柱や床は国産大理石やモザイクタイルをふんだんに使用し、重厚な大空間を造っています。大広間の奥は裏広間となっていてステンドグラスが豪華な美しさを演出しています。裏広間に展示されている剥製の馬は明治天皇の愛馬“金華山号”です。主階となっているのは地上2階の展示フロアーで、大広間の東側が日本画室、西側が洋画室でいずれも採光のためガラス天井が採用されています。
 表広場の左側の階段室から地階に降りますが、この階段室の空間も見どころのひとつです。柱や壁面には色の異なる大理石が使われ、ステンドグラスと合わせて豪華な雰囲気を醸し出しているスペースです。階段の大理石の壁面に化石が見つかって、その部分は白いテープで囲まれてマーチソニアとかフズリナなどと表記されています。
 地階とは地上1階のことで外苑事務所と絵画館学園が使用しています。絵画館学園は日本文化の普及のため茶道、生花、書道、陶芸の教室が一般向けに昭和43年4月から開かれています。
 神宮内苑には隔雲亭と桃林荘に旧一條家の華山亭が移築されていますが、この石の塊のような外苑の絵画館の中にも茶室として延寿軒と仰徳庵が設けられています。茶室を借りて茶会を開催することも可能で、その場合は建物東側に地階専用の入口があってここから出入りします。


5.話題の樹木4種
 絵画館は建物と展示されている絵画以外にも、その周辺には注目すべきところが数多くあります。その中で話題となる樹木4種を紹介します
 そのひとつは「なんじゃもんじゃ」という面白い名前の木です。名前の由来は諸説あるようですが、奇妙な名前は俗称であって「ヒトツバタゴ」という立派な名前があります。絵画館に向かって前庭の右側の角にありますが、渋沢榮一の女婿で明治神宮の造営に尽力された阪谷芳郎(東京市長、琴子夫人は渋沢榮一の二女)が揮毫した立派な碑と説明板が植え込みに立っているのですぐ判ります。

 信濃町駅から絵画館を訪ねる際には、この「なんじゃもんじゃ」の木に気を取られて絵画館に足を進めてしまいますが、絵画館前の池の両側に3本ずつ合計6本植えられ綺麗に刈り込まれている「シロマツ」こそ、珍しい“松”です。説明板には「中国名:白皮松。日本では比較的珍しく、中国では王宮寺院などに多く植えられています」と記されています。老木は樹皮が薄く剥げて灰白色になることから和名がつけられ、「ハクショウ」という別名でも呼ばれています。日本で多く見られる赤松や黒松の針葉は2枚ですが白松の針葉は3枚です。空海が中国で投げた三鈷鉦が日本に飛んできて掛ったという伝説のシロマツが高野山金剛峯寺の金堂と御影堂の間にあり、これは「サンコノマツ(三鈷の松)」と呼ばれ、神聖な松として丁重に扱われています。

 3番目の樹木は、葬場殿趾のクスノキの大樹です。大正元年9月13日、明治天皇の御大葬が旧青山練兵場で執り行われた際、棺の車が安置されたことを記念して建立され、石段の中央には楠が植えられました。これは絵画館の北側にあります。

 4番目はあまりにも有名なイチョウです。青山通りから絵画館に向かう直線通りの両側に2列づつ、146本のイチョウの大木が演出する並木は美しい景観です。秋の黄葉はもちろんのこと、春の新緑、冬の裸木など四季折々の美しさを鑑賞できる実に素晴らしい並木路です。その美しさが維持されて今日に至っているのは、明治期の種の採取から始まり、苗木の育成、並木として適するものを厳選し、遠近法を活用して青山通りから樹高順に植えて、それを長年にわたって管理して端正な樹形を整えてきたという並々ならぬ手入れの賜物であることを忘れてはなりません。イチョウは“東京の木”ですが、この明治神宮外苑のイチョウ並木はその頂点といえるものです。金色に輝くイチョウの陰に隠れていますが、外苑には真っ赤に燃えるモミジも楽しめます。

 これらの樹木以外で見落としてはならないのは、池の前にある国旗掲揚塔です。大きな台座の上に2頭の一角獣が躍動し、その中央に高くそびえたつ国旗掲揚塔は迫力ある姿です。また、絵画館の南側には樺太日露国境天測標もあります。日露戦争後、樺太の北緯50°以南が日本領となった天測標のレプリカのひとつです。
 以上のように、絵画館周辺は見るべき対象が多く、四季を通じて楽しめるシニアにとって最適の都心散策コースのひとつです。

6.エピローグ…重文指定記念イベント…
 宝物殿と絵画館が国の重要文化財に指定されことを記念して明治神宮ではイベントを企画しています。
 私が参加したかったのは、7月10日に開催された『宝物殿・聖徳記念絵画館をめぐる建築探訪の旅』でした。講師は内田祥哉(東京大学名誉教授)と藤岡洋保(東京工業大学大学院教授)という近代建築の権威二人の豪華メンバーであり、しかも参加費は無料でしたので早速メールで申し込みました。真夏の日中ですから吉報を期待していたのですが、残念ながら80名の定員枠に入れず抽選漏れとなってしまいました。
 しかし、2時30分からのギャラリートークには予約なしで参加できるとのことで、炎天下にもかかわらず宝物殿へ出掛けました。ギャラリートークというのは、藤岡先生の解説会のことで、思いがけずこのイベントの前半に当たる“宝物館の部”に加わることができました。また、中倉の入口の東橋廊には、宝物館の経緯や図面などの解説パネルが掲示されていて参考になりました。当日は猛暑日でキャンセルもあった様子でしたので、後半の“絵画館の部”への参加をお願いしてみましたが丁重に断られ、寂しく帰宅の途に着きました。
 イベントのひとつとして絵画館の大広間で、7月2日から12月11日まで特別記念展「重要文化財指定へ…わが国初期の美術館建築の軌跡…」が開かれていること知り、7月下旬に絵画館を訪ねました。平常時は何も置かれていない大広間に宝物館と絵画館の建設に関する写真、図面など貴重な資料がパネルにして展示されていたので、解説冊子を求めようと受付の係りの方に尋ねたところ、今回作成しなかったと聞いてがっかり。しかし、カメラを持っているなら、パネルを撮影することはできるといわれ、デジカメに貴重な資料を数多く収めることができました。
 今回、宝物館と絵画館のことで不可能だと思い込んでいたことが、ちょっとした努力と勇気でいくつも実現しました。まさに、有志竟成(ゆうしきょうせい)「志ある者は事竟(ついに)に成る」を実感した次第です。


以上

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