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平成23年7月29日
「シニアの東都見聞録(4)」

年一日の公開建物の見聞録(その3)
日本水準原点標庫…わが国の標高の基準点…

井出昭一

1.見学の契機
 「年一日の公開建物の見聞録」(その3)は日本水準原点標庫で、今年の
一般公開日は5月27日でした。
 昭和24年6月3日、測量法が公布されたことに基づいて、この日が「測量の日」と制定され、今年で23回目となりました。多くの人が地図に親しんだり、測量の重要性を周知徹底するために6月3日を中心にイベントがいくつか企画され、そのひとつが日本水準原点標庫の一般公開ですが、私はこの情報を偶然知ることができました。
 さる5月18日は霞が関ビルで夕刻から真向法協会の記念講演会に参加することになっていました。霞が関・永田町界隈は、江戸時代は大名屋敷が並んでいた土地で、現在でも国会議事堂を筆頭に日本水準原点標庫、旧法務省本館、旧文部省庁舎など歴史的な建物が集まっているところですから、講演会の事前にいくつかの建物を散策してから会場の霞が関ビルへ行くことに決め早めに家を出ました。
 最初に訪ねた憲政記念館で眼に止まったのが、日本水準原点標庫の一般公開日を知らせる1枚のチラシでした。この建物の外観写真は何回も撮っていますが、内部は一度も見たことがないので、どのような状態か確認したいと思って5月27日の一般公開に再訪することにした次第です。


2.日本水準原点標庫…日本の標高の基準点…
 日本水準原点とは日本の標高の基準となる原点です。標高は平均海面を基準に測られますが、実用的には地上のどこかに基準となる点を表示しておく必要があり、この基準点を保護する石造りの建物が標庫です。標庫が設置されている場所は、東京都千代田区永田町一丁目1番2、判り易く云えば、国会議事堂前の洋式庭園内にある憲政記念館の南の一角です。ここは地盤沈下の影響が少ない古くからの台地で、江戸時代は井伊直弼の屋敷のあった跡です。標庫の基礎は、地下10メートルの強固な地層から築いてあり、内部には目盛りが付られた水晶板が設置されていて、赤いゼロ目盛りの高さが東京湾平均海面上24.4140メートルです。現在では、神奈川県三崎の油壺験潮場で定期的に潮位の観測が行われ、水準原点と油壺間の水準測量によって水準原点の高さを点検しているとのことです。


 原点の高さは決して不変ではなく、明治24年5月に水準原点が造られたときは、東京湾平均海面上24.500mと決められました。24年5月と24.5mと同じ数字が並んでいますが偶然の一致でしょうか。
 大正12年(1923年)の関東大震災による地殻変動で地盤沈下して、現在原点の高さは東京湾平均海面上24.4140mが使われています。今年3月の東日本大震災でも地盤沈下がみられたといわれ、この数字も再測量のうえ近く見直されるとのことです。 関東大震災で0.0860m地盤が沈下し、今回さらに沈下しているということは、狭い日本の国土がさらに狭くなってしまうのではないかというのは杞憂でしょうか。





 標庫の内部を年に1日だけ一般公開するというので期待していました。実際は前面の扉が開かれたところには目盛りの付いた水晶板が見えるだけ、裏に周っても開けられた扉から八角形の台石とどっしりとした船形台石があるのみで、彫刻や彩色の施されたものがあるわけでなく、はっきりいって芸術性は皆無でした。しかし、標庫を管理している国土交通省の国土地理院の職員の丁寧な説明や展示されていたパネルで、測量に関する貴重な事実を見聞できたのはありがたいことでした。
3.標庫の建物はローマ風神殿建築
 建物は石造の平屋建て、建築面積は14.93u、軒高3.75m、総高4.3mと極めて小規模のものです。小さいながらもローマ風神殿建築の要素が多数取り込まれていて高く評価されている建物です。正面にはドーリア式の2本の円柱、その上部には帯状の装飾、ペディメントと呼ばれる三角形状の妻壁を持つという明治期に建てられた日本で初めての本格的様式建築です。帯状の装飾部分には右から「大日本帝國」と刻まれ、正面の扉の上部の壁面には建物銘として「水準原点」と、判読が難しい篆書体で表記されています。公開日には扉が開けられていて表面をみることができませんでしたが、その中央には菊の御紋章が印されていて、いかにも明治期の日本が現存しているといった感じです。



 設計したのは佐立七次郎。1856年(安政3年)讃岐藩士の子として高松市に生まれ、工科大学校造家科学科(東京大学建築学科の前身)でジョサイア・コンドルの薫陶を受けた第一期生4人のひとりです。この一期生では、東京駅、日本銀行本店を手掛けた辰野金吾、赤坂離宮、東京国立博物館表慶館、京都と奈良の国立博物館の片山東熊、慶應義塾五十周年記念図書館、三菱二号館の曾根達蔵など、国宝・重要文化財クラスの建築を設計した名建築家の三人が広く知られていますが、佐立七次郎はその内向的性格のためか知名度が最も低く影が薄い存在です。
 卒業後、佐立は工部省、会計検査院、海軍省を渡り歩き、逓信省を辞した後、1891年(明治24年)日本で初めて建築設計事務所を開設しています。佐立が設計した建築作品としては会計検査院(1885年)、名古屋郵便局(1890年)、大阪中央郵便局(1892年)など少数でそれらは既に取り壊されていて、現存しているのは、この日本水準原点標庫と旧日本郵船小樽支店(1906年)のわずか2件のみです。

 旧日本郵船小樽支店は、日露戦争後、1906年(明治39年)11月に開催された日露樺太国境画定会議の舞台となった歴史的建物で重要文化財に指定されています。明治24年に建てられた日本水準原点標庫はコンドル門下の4人組の建築作品としては国内最古のもので建築史上価値ある建物として東京都指定の有形文化財(建造物)となっています。
一期生4人の作品で、これより古い建物としては、片山東熊が設計し明治19年に完成した旧日本公使館が中国の北京に現存しているとのことです。
4.エピローグ
(1)憲政記念館は”縁起がいいところ”
 永田町・霞が関界隈は、日本水準原点標庫のほか憲政記念館、国立国会図書館、赤レンガの旧法務省本館、スクラッチタイルの旧文部省庁舎など訪ねてみたい新旧・歴史的な建物が数多く集まっているところです。その中心に位するのは国会議事堂です。





 
平成19年5月3〜4日に憲法施行60周年記念行事として国会議事堂の衆議院の特別参観が、続く5月19〜20日には参議院開設60周年記念で参議院の特別参観が実施されました。私はその直前の4月30日に憲政記念館を訪ねた際に、受付の係りの方からこの情報を知りました。いずれも無料で、事前申し込みの必要もなく、早い時間帯が空いているという親切な教示に従って、平常は固く閉じられている正門前に9時の開門前に行き、衆議院は5月3日に、参議院は5月19日に、いずれも思う存分に見学することができました。
 このように憲政記念館は、今回の日本水準原点標庫の内部公開と国会議事堂の特別参観と2度も貴重な情報を得ている私にとって“縁起のいいところ”だといえます。2度あることは3度あるといわれます。果たして3度目はどのような吉報を得られるのか楽しみで、いつか突然思い立って憲政記念館を訪ねようと思っています。
(2)もう一つの基準点…日本経緯度原点…
 日本水準原点は日本の土地の高さの基準となる原点ですが、これに対して日本における地理学的に経度と緯度を決めるための基準点は“日本経緯度原点”として別の場所に設置されています。その場所は、東京都港区麻布台2−18−1です。飯倉交差点近くのロシア大使館の東側の道を南に進み、突き当たり右側です。因みに、左側の奥はアフガニスタン大使館です。

 建物はなく芝生の中に石の台が置かれ、日本経緯度原点は石に埋め込まれた丸い金属の中央の十字の交点です。その数値は表示板によると下記のとおりです。
   経度 東経 139°44′28″.8759
   緯度 北緯  35°39′29″.1572
   方位角    32°20′44″.756
 これらは、最新の宇宙技術を用いて定めらたといわれています。水準原点は上屋に覆われていますが、経緯度原点は上屋がなく、同じような基準点でありながら両者にはかなりの格差がありますが、これも明治期と現代の時代・考え方の相違なのでしょうか。
以上

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