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平成23年6月19日
「シニアの東都見聞録(2)」

年一日の公開建物の見聞録(その1)
…重要文化財 慶應義塾「三田演説館」…

井出昭一

1.プロローグ
 毎年秋の“文化財ウィーク”の期間には、平常は非公開のいくつかの建物が日時を限定して特別に公開されるため、私はここ数年、それを楽しみに見歩いています。ところが今年の5月は“文化財ウィーク”でもないのに1年間でただ1日のみ公開される建物を幸いなことに3カ所も見学することができました。その3カ所とは次の通りで、見聞録を3回に分けて紹介します。
 (その1)三田 慶應義塾「三田演説館」  5月16日見学
 (その2)大磯 安田善次郎別邸      5月22日見学
 (その3)永田町 日本水準原点標庫    5月27日見学



 5月16日には、慶應義塾大学三田キャンパスの三田演説館で年1回開催される講演会に参加しました。なお、三田演説館については、前回のシリーズ『古今建物集…美しい建物を訪ねて…』の(27)「慶應義塾三田キャンパスの建物…三田演説館・図書館旧館・萬來舎…」でも取り上げましたので、一部重複するところもあります。

2.「福澤先生ウェーランド経済書講述記念講演会」とは ?
 長い名前が付けられたこの講演会の名称の由来は次の通りです。
 安政5年(1858年)、福澤諭吉は築地鉄砲洲で蘭学塾を創立しました。それから10年後の慶應4年(1868年)、塾を芝新銭座へ移し、その時の年号をとって「慶應義塾」と命名しました。
 慶應4年5月15日(1868年7月4日)、江戸の市中は上野戦争のため混乱極みの状態で芝居、寄席は中止となり、塾や学校でもすべて授業を取りやめるほどでした。このように周囲が騒然とする中で、福澤諭吉はいつもと変わらず土曜日の日課となっていたウェーランド経済書(Francis Wayland: The elements of political economy,1866)の講義を平然と続け、「世の中にいかなる変動があっても、慶應義塾の存する限り、わが国の学問の命脈は絶えることはない」と塾生を励まし、それを大きな誇りとされました。
 “学問教育の尊重を他の何よりも優先させる”福澤精神を長く伝え残そうと慶應義塾は5月15日を「福澤先生ウェーランド経済書講述記念日」と定め、昭和31年からこの日に記念講演会を開催し今日に至っています。(今年は5月15日が日曜日のため、翌16日に開催されました。)
 官軍と彰義隊の激しい戦闘で砲煙が立ちのぼる中で、塾生たちにウェーランド経済書の講義をする福澤諭吉の姿を描いた安田靫彦の初期の日本画の傑作を慶應義塾は所蔵し、今回も記念講演会の案内リーフレットに掲載しています。



 リーフレットに記載のとおり、今年の演題は「福澤諭吉の経済論」、講師は慶應義塾大学経済学部長の小室正紀教授でした。記載された要項を見ると「小室正紀」となっていますが、これはミスプリントではなく、“先生と尊称されるのは福澤先生のみ”で、福澤先生以外はすべて“君付け”で呼称するという塾の慣例によるものです。慶應義塾で今でも使われている塾生(学生)、塾員(卒業生)、塾長(学長)、塾監局(事務局)、塾歌(校歌)、社中(塾員・塾生・教職員)なども“塾”の伝統を重視している名残といえます。
[注]記念講演の内容は、毎年「三田評論」に詳細な講演録が掲載されますのでご覧ください。

3.三田演説館…福澤諭吉が建てた演説発祥の館…
 講演会の会場となっているのは福澤諭吉が建てた三田演説館です。三田キャンパスの南西の小高い丘「稲荷山」に建つ小館は、周囲を樹木に囲まれているため目立たない存在で、木造の瓦葺きの90坪弱(約290u)、外壁は日本独特のナマコ壁ですが、内部は西洋式で左右両脇は2階席が設けられています。諭吉は自ら「其規模こそ小なれ、日本開闢以来最第一着の建築、国民の記憶に存す可きもの」と評しています。
 明治8年(1875)5月、に建てられたこの演説館は日本で最初の演説会堂です。建設に際して福澤諭吉は、当時外交官として米国に滞在中の富田鉄之助(福澤門下生で、後の日本銀行総裁)に命じて数多くの会堂(ホール)の図面を集めそれを参考としました。



 三田演説館は、「福澤先生ウェーランド経済書講述記念講演会」(年一回、5月開催)、「三田演説会」(年2回、春〈5月〜7月〉・秋〈10月〜12月開催)、「名誉博士号授与式」という限られた用途にのみ使用され、それ以外の日は閉館されていて入館できません。したがって、一般の人が中に入れるのは限られていますので、5月の記念講演会は年に一度の楽しみです。
 演壇正面には腕組みをしている福澤諭吉の和服の立像が掛けられていますが、「記念講演会」の当日は、その左側にはウェーランドの肖像画も掲げられていました。歴史を体感できる館内には、背もたれにペンのマークが透かし彫りされている椅子が並べられ、壇上の三色旗もひときわ鮮やかに映って慶應カラーが満ち溢れていました。



 三田演説館は、東京に残る最古の擬洋風建築として重要文化財に指定されています。このように歴史的に貴重な文化遺産を動態保存して一般に開放するのは、主催者側にとっては勇気のいる決断ですが、聴衆側にとってはありがたいことです。リーフレットに“入場無料(申込不要)”と明記されているのも「来るものは拒まず 去る者は留めず 興あらば居れ」という福澤精神の反映なのでしょう。
 なお記念講演会と同様、三田演説会も、明治7年から現在まで綿々と続いている慶應義塾の伝統行事です。取り上げられるテーマも教育・文化・芸術から政治・経済・科学技術まで広範な分野に及んでいます。
 なお、近日開催の三田演説会の要項は下記のとおりです。

第692回 三田演説会
 日時:2011年7月13日(水)14:45〜16:15
 会場:三田演説館
 講師:山崎元君(慶應義塾大学名誉教授)
 演題:「慶應義塾のスポーツ医学…社会を先導する役割…」
 申込不要(聴講無料)
 問合せ先 :慶應義塾総務部総務担当
 電話:03−5427−1517

4.エピローグ…今回の新発見は「社中交歡 萬來舎」…
 三田キャンパスは、私にとって魅力的なスポットです。それは建物、彫刻、記念碑、文学碑など訪ねる度に必ず何か新しい発見があるからです。
 建物では慶應義塾のシンボルとなっている曾禰中條設計事務所の傑作・図書館旧館(重文)と塾監局をはじめ、イサムノグチと谷口吉郎のコラボレーションの萬來舎、槇文彦の図書館新館、さらには今年の3月完成したばかりの南校舎など、歴史的建物から最新の建築に至るまで様々な建築を見学することができます。





 またイサムノグチのほか、北村四海、朝倉文夫、菊池一雄、飯田善國などの彫刻作品がさりげなく置かれ、「福澤諭吉終焉之地」の記念碑や佐藤春夫の詩碑などの文学碑なども数多く点在するところです。





 今回の新発見は、新しい南校舎の3階に設けられた「社中交歡 萬來舎」でした。ここでは63席のラウンジのほか、少人数の個室(有料)も3室併設されていて、塾員(卒業生)・教職員が会合、勉強会など交流の場として利用できるとのことです。記念講演会の終了後、同席した知人に誘われて初めて訪れてみましたが、落ち着いた雰囲気の新名所は“お気に入り”となってしまいした。
 福澤諭吉の住居や塾があった明治初期には余裕充分の三田の敷地も、今や大学のキャンパスとして手狭になっています。それでも青い空が広がる三田の“丘の上”には、“涯(はてし)なき”学問の道を究めようとする真摯な塾生が集い、随所に歴史と文化の香りが漂う“気品と知徳”のキャンパスです。
以上

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