. 平成23年5月30日
『シニアの東都見聞録』
序文
井出昭一

 東日本を急襲した3月11日の超巨大地震から
早くも3カ月になります。地震発生の瞬間、私は神田明神の境内で写真を撮っていて、地面が波打ち重量級の石灯籠が倒壊せんばかりに大きく揺れ動く姿を目の当たりにするという生涯初めての恐怖の体験をしました。
 震災後、予定していた会合や行事がことごとく中止あるいは延期となって久しぶりに1カ月近くにわたって“自宅謹慎”の日が続きました。住み慣れたわが老屋は給排水管にコレステロールがこびり付いていて地震発生の前から改修工事中でしたので、自宅謹慎とはいうものの想定外の雑事に追われる毎日でした。
 そこで思い付いたのがパソコン内の資料と写真の整理です。これまでも何度も挑戦しながら、まとまった時間が取れないために棚上げにしていた課題を実践できる又とない機会だと判断したからです。
 腰を落ち着けて満を持してパソコンに向かったところが、原発事故と同様にここでも想定外に直面しました。何とわが愛用のパソコンは持ち主の指示を冷たく拒否したり、受け入れる場合でも熟慮に熟慮を重ねたうえに重い腰を上げて不請不請対応するといったありさまでした。酷使して過重に堪えかねたパソコンがストに突入したのです。“ストレスの多かった”会社生活を卒業した定年後、最もストレスを感じるのは、快適に稼動していたパソコンが動かなくなったときです。云うことを聞き入れてくれないパソコンを前に私は久しぶりに胃の痛むようなストレスを体験しました。
 本来なら夕焼け空をねぐらに帰る鳥を眺めながら、老妻の作った酒肴で独酌を愉しむというような陶淵明の境地に浸かることができたはずです。ところが、現実は厳しく原発同様に的確な解決策を見いだせないまま高度のストレスを感じつつ自宅待機を続ける毎日になってしまいました。反抗するパソコンをなんとかなだめすかし、重い荷物を別棟の倉庫に移したりしているうちに、パソコンも多少従順になり、主の指示に従うようになってきました。
 しかし、わがパソコンの高齢化現象は否めず、腫れものに触るような心境でキーボードやマウスを操作しているのが現状です。そのため、当初予定していたパソコン内の資料と写真の整理はまたしても棚上げになり、その上、自己流の交通整理が災いして大切な写真の一群が行方不明となり、相変わらずストレスが続いています。
 巨大地震の数日後、私は古稀を迎えました。「人生七十古来稀なり」の杜甫の時代とは異なり、平均寿命80歳以上の近来の日本では70歳はザラにいるとのことから70歳はもはや「古稀」ではなく「キンザラ」などともいわれる時代ですが、やはり70歳は人生の節目の年に変わりはありません。
(注)をご参照ください。…
 古稀を契機として、私はパソコン・ストレスの中で改めて「古今建物集…美しい建物を訪ねて…」を振り返ってみました。今までは、テーマとして取り上げる建物について手持ちの書物・資料で調べたり、インターネットで検索したり、写真を撮り直すために再度訪れたりして、乏しい知恵を絞りながら時間をかけて書き続けてきたと云うのが実態です。
 去る5月14日に開催された明和会分会の懇親会では、何人もの方から『古今建物集』について“想定外”の評価をいただき、改めて責任と緊張感を覚えました。そこで、これまで原則として毎月1回連載してきた『古今建物集…美しい建物を訪ねて…』を一旦終了し、新しいシリーズの名を『シニアの東都見聞録』と改題することにしました。これからは原稿の締め切りの制約にとらわれず、美術館巡りや建物探訪の記録を数多くの写真を取り込み感想なども加えて日記形式とし、「トピックス」欄に独断と偏見で紹介してきた展覧会は本文の中に取り込むことにいたします。明和会分会ホームページ編集ご担当の皆様にはお手数を掛けることになりますが、古稀のわがままをご容赦いただきたくお願い申し上げる次第です。
 地震から3カ月近く経過して東京や関東では平静に戻りつつあります。自宅謹慎から解放されて私の美術館・建物徘徊症も全開し『シニアの東都見聞録』の話材となるデジカメ写真もかなり蓄積してしまいました。これらの徘徊記録を題材に近々、再スタートの予定です。引き続きご愛顧のうえご意見・ご感想などをお寄せいただければ幸いです。
(注)東日本大震災の後の自宅謹慎中に戯れに作ったものです。
     「古稀の齢」 …北原白秋「落葉松」の戯詩…           
南山翠春
 (平成23年3月16日古稀を迎えた“藁火の一閑人” 井出昭一)
 ひむがしの都の戌亥の方、武州の國に藁火と云ふ大和の国一いと小さき里あり。そこに住める一閑人、東日本大震災ののち古稀を迎へしが覗き込む井戸無き故、当世流行のパソコンとやらに向ひ、残り僅かの知恵を絞り尽くして戯れに作りし詩が、この「古稀の齢」なり。
 本詩の「落葉松」は、北原白秋とか云ふ筑後の國柳川生れの優れし歌詠みが、みすずかる信濃の國、浅間嶺の麓、軽井澤に遊びし時作りし名詩なり。この詩は、かの長谷川等伯の描ける松林図と云ふ屏風にも似通ふところある詩なり。薄墨を重ね合わせた如き清らかな詩なり。静謐を感じさせる詩なり。
 信濃なる千曲の川のほとり佐久に生れし藁火の一閑人も若きより甚く好む詩なり。北原白秋の如き才無き故、藁火の一閑人、北原白秋と対をなす四文字を連ねて「南山翠春」と自称せり。
 なお、住友家十五代当主の住友吉左衛門友純の号は「翠春」に非ず「春翠」なり。
佐久の名刹“洞源山貞祥寺”から見る浅間嶺
長谷川等伯「松林図屏風」
       「落葉松」     「古稀の齢」
北原白秋 
南山翠春 
     一
 からまつの林を過ぎて、
 からまつをしみじみと見き。
 からまつはさびしかりけり。
 たびゆくはさびしかりけり。
 古稀の齢を過ぎて、
 古稀をしみじみと省き。
 古稀は愉しかりけり。
 年ふるは愉しかりけり。
     二
 からまつの林を出でて、  古稀の齢を過ぎて、
 からまつの林に入りぬ。  いま喜寿に向はむとする。
 からまつの林に入りて、  古稀の齢を経た後も
 また細く道はつづけり。  また愉しい道は続けり。
     三
 からまつの林の奥も  古稀の齢の後も
 わが通る道はありけり。  わが求む愉楽ありけり。
 霧雨のかかる道なり。  パソコンに向ふ時なり。
 山風のかよふ道なり。  美術館に通ふ時なり。
     四
 からまつの林の道は、    古稀への道は、
 われのみか、ひともかよひぬ。  われのみか、ひとも通ひぬ。
 ほそぼそと通ふ道なり。  いきいきと通ふ道なり。
 さびさびといそぐ道なり。  幸いのひそむ道なり。
     五
 からまつの林を過ぎて、  古稀の齢を過ぎるも、
 ゆゑしらず歩みひそめつ。  ゆゑしらず愉しみ多く、
 からまつはさびしかりけり、  ストレスとは離別するなり。
 からまつとささやきにけり。  古稀とは愉しかりけり。
     六
 からまつの林を出でて、  古稀の齢を過ぎて、
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。  また喜寿に近づかむとす。
 浅間嶺にけぶり立つ見つ。  傘寿米寿にも近づくなり。
 からまつのまたそのうへに。  喜寿のまたその後に。
     七
 からまつの林の雨は  古稀の齢のあとも
 さびしけどいよよしづけし。  愉しみはいよよ増すなり。
 かんこ鳥鳴けるのみなる。  パソコンに向かふときなり。
 からまつの濡るるのみなる。  良き友と集ふときなり。
     八
 世の中よ、あはれなりけり。  今の世も、あはれなりけり。
 常なけどうれしかりけり。  常なけど愉しかりけり。
 山川に山がはの音、  山川に山がはの音、
 からまつにからまつのかぜ。  古稀には古稀の道。
以上

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