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平成22年11月15日
古今建物集 …美しい建物を訪ねて…(54)
   
旧日向別邸(きゅう ひゅうがべってい)
  …日本に現存するブル・タウト設計の唯一の建物…
井出昭一
場  所:〒413-0005 静岡県熱海市春日町8-37
電  話:0557-81-2747 熱海市文化交流課(開館日のみ)
交  通:「熱海駅」から徒歩10分
入 館 料:一般 300円
開 館 日:毎週土・日および祝祭日(見学は予約制)
開館時間:午前9:00~16:00
見学条件:1日6回(所要時間約1時間)定員は1回当たり10名
受付期間:見学希望日の3カ月前の1日(6月見学の場合は3月1日に申し込む)
予約方法:往復はがき、ファックス、Eメール、熱海市ホ-ムページの電子申請
申 請 先:熱海市役所文化交流課「旧日向別邸見学係」
(電話)0557-86-6232
http://www.city.atami.shizuoka.jp/ (熱海市役所)
写真撮影:地下室の撮影は禁止です。
1.プロローグ

 旧日向別邸は、日向利兵衛が熱海市に建てた別邸で昭和11年(1936年)竣工しました。日向氏の死後、建物は民間企業の保養所として利用されてきましたが、平成16年(2004年)11月に熱海市の所有となって、翌年秋から一般公開されています。ただ、開館日は毎週土・日および祝祭日に限られていて、見学するには予約が必要です。

2.日本に現存する
  ブルーノ・タウト設計の唯一の建物


 旧日向別邸は、熱海駅から徒歩で10分ほどの相模湾を見下ろす高台に建っています。曲がりくねった狭い坂道を登ると海を望める住宅となり、ポールの先に掲げられた[旧日向邸]の標識に従って海の方に向かう石段を降りて行くと、右の日本家屋が目指す建物です。駅から遠くないのですが、途中の案内の標識が少なく、初めて訪ねる人にとっては判りにくいところです。



 この日向別邸を建てたのはアジアで貿易を手広く展開していた日向利兵衛(注)で、昭和8年(1933年)に熱海の春日町の温泉付分譲地を手に入れ、翌9年から昭和11年(1936年)にかけて木造2階建ての母屋(上屋)を建てました。この建物を設計したのは、上野の東京国立博物館本館、銀座の和光、日比谷の第一生命館、横浜のホテルニューグランド、名古屋の愛知県庁などの設計で知られる渡辺仁によるものです。

 敷地が傾斜地であったため、土留めを兼ねて鉄筋コンクリートの地下室を造ってその屋上を龍安寺の石庭を模した庭園にしました。この地下室を設計したのがドイツの建築家ブルーノ・タウトです。なお、庭園は日向利兵衛の娘婿にあたる造園学者で“国立公園の父”と呼ばれる田村剛が関与したといわれています。
 ナチスの迫害を逃れて日本に亡命したタウトは来日後、和紙や竹や漆を用いたシンプルな工芸品を作って、自ら設計した銀座の店「ミラテス」で販売していました。そこで日向利兵衛はタウトがデザインしたスタンドに魅了されて購入したことが、別邸地下室の設計をタウトに依頼する契機だといわれています。
 タウトが日本で設計した建物は、麻布の大倉邸と「ミラテス」とこの日向邸の3作品ですが、現存するのはこの日向別邸の地下室のみで極めて貴重な存在です。熱海市民の熱心な保存運動により、2006年7月には重要文化財に指定されました。
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(注)日向利兵衛(ひゅうが りへい)とは、
 明治7年 (1874年)1月、大阪で紫檀や黒檀など南方の銘木を輸入して家具を製造販売する「唐木屋」の一人息子として誕生。幼名は利三郎。15歳でイギリスを目指して香港に渡り、日本人商会に勤めたが、日本領事に諭され帰国。その後、第三高等学校(現・京都大学)、東京高等商業学校(現・一橋大学)に学び、明治28年(1895年)卒業、同年家督を相続して利兵衛を襲名。海外貿易の仕事を開始。当時日本の重要な輸出品であったマッチの原料リンの輸入を基盤として、得意の語学と幅広い人脈を生かし、アジア全域の貿易商として活躍。また、海上火災保険のほかアジア関係の会社経営にも関与。熱海別邸完成の3年後、昭和14年(1939年)9月、65歳で逝去。

3.特色ある3室で構成

 タウトが設計した地下室を見学するには、木造二階建ての母屋の玄関から入り、居間の入口左側の階段を降りて行きます。地下室は鉄筋コンクリート造1階建て、床面積は130㎡(約39坪)です。ピンポン室(社交室)、居間(洋室)、和風居間(和室)の3室が一列だ細長い空間となっていて、タウト自身はこの3室をベートーベン、モーツァルト、バッハと名付けていました。



 竹の手摺りのあるカーブした階段を降りたところがピンポン室“ベートーベンの部屋”で、竹や桐をふんだんに用いた床や天井の木組みが美しく華やかな感じの部屋です。天井から吊下げられている二列の煤竹には小さな電球がリズミカルに連なっています。近寄って見ると、この電球を吊り下げている鎖は竹を曲げて連結されていることが判ります。天井の白っぽい桐の板には、面取りが施されていて、光が当たると影が暗いストライプ状になる工夫もなされています。
 次の洋風の居間“モーツァルトの部屋”は、濃いえんじ色の壁が目を惹きます。上下の部屋をつなぐ幅広い階段が部屋の一部として扱われ観覧席となり、この階段に座れば大きな窓から相模湾を一望することができます。窓は屏風のように折り畳み式となっていて蝶番もそれなりに工夫され、窓枠には丈夫なチーク材が使われています。



 その奥の和室“バッハの部屋”の壁は鶯色の土壁で、柱や鴨居はベンガラ色に塗られていて、居間と同じように部屋は上下2段に分かれています。下の12畳の畳は日本では忌み嫌われる敷き方で、床の間を畳の縁が二分する刺し床となっていることが注目されます。上段の4畳の和室にはライティングデスクが組み込まれ、左奥には5畳半の和室も造られています。木曽檜の四方柾目の床柱をはじめ、階段に使われている500年物の台湾檜など厳選した材料、さらには階段の端の細工など、説明を聴いて初めて判ることが多く、タウトの細やかな配慮には驚くばかりです。
 西側のベランダの床は板瓦敷きです。サワラ材で造られた木製のルーバーは西洋的で、それが蔀戸のように開閉するのは日本的です。桂離宮や伊勢神宮などで自然と調和した日本建築の美しさや伝統文化のすばらしさに感銘を受けたタウトは、この日向邸で彼の感性がとらえた日本的なものと西洋的な要素を巧みに組み合わせて具現化したともいえます。タウトはその日記に「私はこの建築を、釣り合いについてはもとより、細部、材料及び色彩に至るまで成功したと信じている。」(1936年9月21日)と記しています。
 しかし、この部屋の天井の建材に関してはタウトと日向利兵衛の考えは全く対立し、建築家の吉田哲郎(東京中央郵便局の設計者)と棟梁の佐々木嘉平が何度も意見を交換し協力した結果でき上がったともいわれています。
 なお、渡辺仁が設計した母屋の1階部分も見学することができます。一見すると変哲もない普通の住宅に見えますが、浴室の浴槽や床は伊豆石でつくられ、壁は手作りの味のある色調のタイルが貼られているなど、使われている内外の建材がいかに厳選されているか判ります。
 また、居間として使われていた部屋では、ブルノー・タウトの生涯や作品について20分ほどDVDで紹介しています。これを見てボランティアの熱のこもった説明を一度でも聴けば、誰でもタウトの虜になってしまいます。



4.日本文化を愛したブルーノ・タウト

 ブルーノ・タウトは『日本文化史観』『日本美の再発見』などを著し、持ち前の鋭い感性で日本文化の質の高さを世界に知らしめた評論家として名前が通っていますが本業は建築家です。しかも、20世紀初頭のドイツを代表する世界的な建築家・工芸家です。
 1880年、哲学者カントを輩出した旧東プロシャの首都ケーニッヒスブルグで生まれたタウトは、1933年、ナチスから逃れて日本に亡命し3年半滞在しました。その間、モダニズム建築家の上野伊三郎や吉田哲郎、大丸の下村正太郎の配慮により、タウトは桂離宮、伊勢神宮、平泉の中尊寺、白川郷の民家などをつぶさに検分し、日本には高床式や白木造りの伝統建築と仏教や茶の湯の文化が融合し合った“永遠の美”が沢山あることを”再発見”して次々に紹介しました。とくに桂離宮についてはパルテノン神殿とともに世界の二大建築だとまで絶賛しています。




 日本において自分が思うような建築の仕事ができなかったタウトは、高崎にある達磨寺の洗心亭にこもって文筆活動に専念しました。昭和11年(1936年)日向別邸が完成後まもなく「我、日本の文化を愛す」(ICH LIEBE DIE JAPANISCHE KULTUR)とのことばを日本に残してトルコに移住し、イスタンブールに自邸を建てた後、昭和13年(1938年)に58歳の若さでこの世を去りました。


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5.タウトの「日本美の再發見」を“再発見”

 現在、わが家は内装を改修中です。書籍や収集した資料を選別している際に『日本美の再發見…建築学的考察…』ブルーノ・タウト著、篠田英雄譯(岩波新書39)を偶然にも“再発見”しました。この名著が最初に発行されたのは昭和14年6月で、奥付を見るとわが家の蔵書は、昭和34年6月第17刷発行で定価は100円となっていました。思い起こして見ますと、大学に入った昭和35年にデパートで開催された「桂離宮展」を見たことに刺激されて購入したような気がします。
「桂離宮は、伊勢の下宮と同じく、日本の建築術が生んだ世界的標準の作品と称して差支へない。・・・(中略)・・・まことに桂離宮は、文化を有する全世界に冠絶せる唯一の奇蹟である。パルテノンに於けるよりも、ゴチックの大伽藍或いは伊勢神宮に於けるよりも、ここでははるかに著しく“永遠の美”が開顕せられてゐる。」(24~25ページ)
本の表紙は色褪せてしまっていますが、内容は今でも燦然と輝いていて、改めて読み直して見ても惹きつけられることばかりでした。
わずか3年半で、日本人よりも日本文化を深く理解したタウトは、こと酒に関しても“我、ビールよりも日本酒を遥かに好む”とのことです。

展覧会トピックス 2010.11.15
美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。
今回の展覧会トピックスは絵画編です。
1.「バルビゾンからの贈りもの…至高なる風景の輝き…」
   (開館10周年記念展)
会 期:20109.1711.23
会 場:府中市浅間町 府中市美術館
観覧料:一般 800
電 話:03-5777-8600(ハローダイヤル)
休館日:月曜日(祝日は開館)・祝日の翌日
http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/

 大型の企画展を次々に開催して注目されている市立美術館が、開館10周年を記念して開くバルビゾン派に焦点を絞った風景画の大展覧会です。

2.「ドガ展」
会 期:2010.9.1812.31
会 場:横浜市西区みなとみらい 横浜美術館
観覧料:一般 1500電 話:03-5777-8600(ハローダイヤル)
 休館日:木曜日(12/23・30は開館)
http://www.degas2010.com/

 ドガの名作120点が集められた大回顧展。代表的傑作「エトワール」は日本で初公開です。



3.「没後120年 ゴッホ展
   …こうして私はゴッホになった。…」

会 期:2010.10.112.20
会 場:六本木 国立新美術館
観覧料:一般 1500
電 話:03-5777-8600(ハローダイヤル)
 休館日:火曜日(祝日の場合は翌日)
http://www.gogh-ten.jp/tokyo/

 ゴッホの名作「アルルの寝室」「アイリス」など油彩画約30点が展示され、会場内には「アルルの寝室」が再現されています。



4.「円山応挙…空間の創造…」
   (開館5周年記念特別展)

会 期:2010.10.911.28
会 場:日本橋室町 三井記念美術館
          (三井本館7階) 

観覧料:一般 1200円(70歳以上 900円)
電 話:03-5777-8600(ハローダイヤル)
 休館日:月曜日(11/22は開館)
http://www.mitsui-museum.jp/

 応挙水墨画二大傑作の国宝「雪松図屏風」と重文「松に孔雀図襖」が同じ展示室に並んで鑑賞できるという豪華版です。

  以 上

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