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平成22年3月16日
古今建物集 …美しい建物を訪ねて…(46)

護国寺
重要文化財の本堂と月光殿
井出昭一
1.プロローグ
 私が初めて護国寺を訪れたのは、大学に入った昭和35年に関東大学茶道連盟の茶会が開かれたときのことでした。大きな本堂と数多くの茶室を備えていたということだけが記憶に残っていました。その後、たびたび訪れていますが、その都度新しい発見や巡り合いがあるため、ますます親しみを感じています。
 今回はその護国寺の伽藍の建物、境内に点在する多くの茶室、有名人の墓所などを訪ねてみます。
 この原稿をチェックするために、さる3月14日に訪ねたところ、境内のカンザクラ(?)が満開で一足早く花見をしてきました。


2.徳川幕府と親密な大寺院
 東京メトロの有楽町線で、池袋から2つ目の「護国寺」駅の池袋寄り(1番出口)を地上に出て振り向けばそこが護国寺で、「大本山 護国寺」の大きな石柱と仁王門が迎えてくれます。
 護国寺は関東大震災と戦争の被害の多かった首都・東京の都心にあって火災を免れ、数多くの文化財を有する大寺院です。正式な名称は神齢山悉地院護国寺(しんれいざん しっちいん ごこくじ)で、真義真言宗豊山派の別格本山です。徳川三代将軍の家光の側室・桂昌院の発願によって天和元年(1681年)に開山した寺ということで、桂昌院は30数回、五代将軍綱吉は16回も護国寺に参詣し、徳川幕府とは深い関係にありました。
 「神齢山」の扁額が掲げられた丹塗の仁王門の正面には金剛力士像、背画には増長天と広目天が安置されています。仁王門を過ぎて階段を上って行くと不老門と呼ばれる中門に至り、門を抜けると正面に本堂(観音堂)の雄姿が現れます。奈良の東大寺や京都の西本願寺ほどの規模ではないとはいえ都内最大級の木造建築といわれるだけあって堂々たる姿です。
 東都最大の寺院であった上野の寛永寺は上野戦争で焼失し、関東大震災と戦災で多くの寺院建築が消えた現在、元禄時代の建築の粋を結集した堂宇は都内では希少な存在で、移築された月光殿(がっこうでん)と共に国の重要文化財に指定されています。
 境内には、江戸時代中期に建立されたという格式の高い袴腰付きで重層入母屋造りの鐘楼、寄棟造りで装飾が少なく素朴で荘重な大師堂、宝形造りで屋根に青銅製の宝珠を乗せる薬師堂などが立ち並んでいますが、本堂に次いで目を惹くのは多宝塔です。これは滋賀県の石山寺の多宝塔を模範とし、高橋箒庵<そうあん>(本名:義雄)の働きかけにより、建築は仰木魯堂、装飾は田中親美という当時の最高の技術を結集して昭和13年に完成されたものです。
 本坊に通じるための惣門は、徳川将軍と桂昌院の御成りのために造られたため大名屋敷の表門と同様に格式の高いもので、その柱や冠木は太くて重厚なものです。掲げられている扁額「護国寺」の書体も独特で重厚なものです。
3.由緒ある茶室が点在
 護国寺がほかの都内の寺院と異なる特色は、境内に由緒ある茶室を数多く有し、東京で大寄せの茶会が開催できるのは護国寺をおいてないといわれるほどです。これは明治から昭和にかけて茶の湯の世界で活躍した数寄者・高橋箒庵の多大な尽力によるものといわれています。益田孝(鈍翁)の御殿山から原富太郎 (三溪)の三溪園へと続けられてきた歴史ある茶会「大師会」は、箒庵の肝いりで護国寺にて開催され、昭和49年からは根津美術館に引き継がれています。
 茶室として使われている最も大きい建物は月光殿(がっこうでん:重文)です。この建物はもと大津の園城寺(三井寺)の塔頭・日光院客殿を明治時代に原六郎が品川御殿山の自邸内に移築し「慶長館」と称したもので、昭和3年に茶道本山の中心にふさわしい建物として、高橋箒庵が現在地に移築し「月光殿」と改称しました。桃山期の書院様式を伝える代表的建築で、上段の床の間には狩野永徳の筆になる絵があり、昭和32年には国の重要文化財に指定されています。

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 茶席はこのほかに、月窓軒(げっそうけん)、化生庵(けしょうあん)、草蕾庵(そうらいあん)、不昧軒(ふまいけん)、圓成庵(えんじょうあん)、宗澄庵(そうちょうあん)、羅装庵(らそうあん)と多種多様の茶席が備わっています。これらは貸出席ですが、高橋箒庵の名前を取った非公開の茶室「箒庵」もあります。
 護国寺は都心にあって足の便が良く、それぞれの茶室の路地の風情が異なっていることから、大寄せの茶会を開催する最適の条件を備えているため、年間を通じて頻繁に茶会が開かれています。
スライドショー 護国寺境内にある茶室 .
 毎年12月には、翌年の茶席の席割が決められますので、春秋の気候の良い週末に急に茶会を開こうとしても、割り込みは難しいようです。
そうした中にあって、毎年12月第2日曜日には茶道各流派の家元(表千家・裏千家・遠州流・江戸千家・大日本茶道学会)と有志による「護国寺慈善茶会」が歳末助け合い運動の一環として開催され続けていることは特筆すべきことです。
4.高橋箒庵は護国寺中興の祖
 護国寺にとって、高橋箒庵はまさに中興の祖ではないかと思います。箒庵は、京都における大徳寺のような茶の湯の本山を東都の護国寺に造ろうという遠大な計画を持っていました。そのために、茶道本山にふさわしいシンボルとして、松江に移転しようとしていた松平不昧の墓地を護国寺の三条実美の墓の隣地に移して、これを茶道本山の“本尊”としたわけです。
 月光殿の移築にも尽力されたほか、奈良の高市にあった安部仲麿塚を移して仲麿堂を建て小間の茶室「箒庵」を造って、大正14年5月には茶室開きをしています。
不昧の墓の移転に伴って、松平家から墓門、蹲踞石(つくばいいし)、石灯籠も護国寺に寄進されたことを受けて茶室の建設を企画し、茶道具商に働きかけて大正15年に完成したのが圓成庵です。
 このように、護国寺の建物のうち、高橋箒庵がその建築や移築に関わったものは、月光殿、多宝塔、圓成庵、不昧軒、艸蕾庵、仲麿堂、茶室「箒庵」など多数にのぼり、そのうえ大正11年11月には20基の名物石灯籠も寄贈しています。これら石灯籠は南都の寺院の中から特に美しい形のものを選んで模造したもので、「除闇遍明」の記念碑とともに鐘楼の脇に並んでいます。
 護国寺中興の祖で近代における“大”数寄者・高橋箒庵が亡くなったのは昭和12年12月12日、77歳で、多宝塔の完成を見ることなくこの世を去りました。箒庵は護国寺の鐘楼脇に生前自ら墓地を求め、自然石の下に眠っています。なお、艸蕾庵に隣接している立礼席の正面には箒庵像が置かれ、今でも護国寺の茶席を静かに見守っています。
 箒庵がなくなった翌13年には益田孝 (鈍翁)、14年には原富太郎(三溪)、15年には初代根津嘉一郎(青山)と、明治以降の数寄の世界をリードしてきた大御所が次々に世を去って、ここに近代数寄者の時代は終焉を告げることになりました。

5.著名人が数多く眠る墓所
 護国寺の墓所には、明治の元勲、政治家をはじめ、華族、軍人、財閥の関係者、文化人など有名な人が数多く眠っています。江戸時代の護国寺には、開山の亮賢僧正など歴代住職以外の墓はなかったようですが、東隣が宮家の陵墓「豊島ヶ岡御陵」となったことから、墓所として脚光を浴びるようになりました。明治の元勲で公爵の三条実美が墓所を造って以後、華族、軍人、政財界人が続々と墓所を定めるようになりました。
 明治の華族、元勲では、山縣有朋、大隈重信、田中光顕、久邇邦久、財閥の創設者、関係者としては、安田善次郎(松翁)、大倉喜八郎、益田孝(鈍翁)、高橋義雄(箒庵)、団琢磨(狸山)、岩原謙三(謙庵)、池田成彬、戦後の政治家では、松村謙三、水田三喜男、小笠原三九郎、その他文化人としてはジョサイア・コンドル、岡田信一郎、野間清治、下田歌子などの墓碑が立ち並んでいます。
 江戸時代の人物の墓で護国寺住職以外では、出雲松江藩七代藩主松平治郷(不昧)のみですが、これは前述のとおり、高橋箒庵が移設したものです。
なお、三条実美の墓は、東京都旧跡に指定され、開山の亮賢僧正の墓は文京区の史跡に指定されています。
 鐘楼のすぐ先の安田善次郎の広い墓所は周りをすっかり塀で囲み、入口も閉ざされていますから、わずかな隙間から垣間見るしかありません。本堂の北側、墓地のほぼ中央に並んでいる山縣有朋と大倉喜八郎の墓は、規模も大きく威厳あふれるばかりですが、施錠されているため横から見学するだけです。このように、正面から直接見学できないところがありますが、有名な人物の墓がこれ程集中し整然と並んでいるところは例がありません。それだけに、グループで墓地を巡りながら、それぞれの功績や交流関係などを語り合うのも相互の勉強になります。
スライドショー 著名人が眠る墓所
以上
 展覧会トピックス 2010..16 
美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。
1.「没後400年 特別展・長谷川等伯」
会 期:2010.2.233.22
会 場:上野公園 東京国立博物館・平成館
入場料:一般 1500
電 話:03-5777-8600(ハローダイヤル)
休館日:月曜日(3/22は開館)
 http://www.tnm.go.jp
 水墨画の最高峰 「松林図屏風」、金碧障壁画の至宝「楓図壁貼付」を描いた桃山絵画の巨匠・長谷川等伯の全貌を網羅する大回顧展で、国宝3件、重要文化財約30件、重要美術品1件を含む約80件の作品が展示されています。

2.「生誕120年 小野竹喬展」
会 期:2010.3.24.11
会 場:北の丸公園 東京国立近代美術館
入場料:一般 1300
電 話:03-5777-8600(ハローダイヤル)
 休館日:月曜日(3/2229は開館)3/23
 http://www.momat.go.jp
1999年以来、10年ぶりの大回顧展です。本画119点、スケッチ52点の出品は過去最大で、この10年の間に確認された作品11点の新出作品も紹介します。


3.「開館記念特別展V 大観と栖鳳…東西の日本画…」
会 期:2010.2.63.28
会 場:広尾 山種美術館
入場料:一般 1200
電 話:03-5777-8600(ハローダイヤル)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)
 http://www.yamatane-museum.or.jp/
 横山大観と竹内栖鳳は「東の大観、西の栖鳳」と称せられ、明治以降の日本画壇をリードしてきました。その周辺の画家たち、東京画壇では、大観の師である橋本雅邦、下村観山、菱田春草、小林古径、安田靫彦、前田青邨らの作品。京都画壇では、菊池契月、上村松園、西村五雲、村上華岳、福田平八郎らの作品が展示されています。人気の高い栖鳳の「班猫」(重文)も2年ぶりに展示されます。

4.「胸中の山水・魂の書…山水画の名品と禅林の墨跡…」
会 期:2010.3.134.18
会 場:南青山 根津美術館
入場料:一般 1200
電 話:03-3400-2536
 休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)
 http://www.nezu-muse.or.jp/
足利将軍家に伝来した中国南宋の名品・牧谿筆「漁村夕照図」や中国元時代の作品で筆者の現存唯一の遺墨「龍巌徳真墨蹟」などが展示され、墨の微妙な表現がケース内でも再現できるよう新しい照明設備が工夫されているそうです。
以 上

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