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平成21年8月17日
古今建物集 …美しい建物を訪ねて…(40)

大倉山記念館(旧大倉精神文化研究所)
      …末広がりの柱を持つ奇妙な建物

井出昭一

  
  
所在地 : 〒222-0037 横浜市港北区大倉山二丁目10番1号
  電 話 : 045-544-1881
  交 通 : 東急東横線 大倉山駅下車 徒歩7分
  URL : http://o-kurayama.jp/

                           

1.プロローグ
 東横線の大倉山駅の近くに異様なスタイルの建物があることを知って急に行きたくなりました。一般の常識として建物の柱は、上から下まで同じ太さか、あるいは下部が太いのですが、大倉山には世界にも例がないという上部の方が太い柱、日本流にいえば末広がりの柱を持つ奇妙な建物があるというのです。
 その建物とは横浜市大倉山記念館です。そこに行くのには、東急東横線の大倉山駅改札口右側のケンタッキーフライドチキンの前の線路沿いの道を日吉・渋谷方面に進みます。道は息が切れてしまうほどの急斜面ですが、ゆっくり足を進めて行くと大倉山公園に至り大倉山記念館の標識が立つ石段を登ってゆくと林の先に目指す建物が現れてきます。
2.大倉山記念館とは
 大倉山記念館は、施主である大倉邦彦が、建築家の長野宇平治に依頼して、大倉精神文化研究所本館として昭和7年(1932年)4月に竣工した建物です。大倉邦彦は「形式は信念の具象である」などと難しい表現をしていますが、東西文化の融合という独特の考えが建物の随所に反映されているかのような建物です。
 建物は中央館(現在のエントランスホール)と、殿堂(ホール)、回廊(ギャラリー)、東館、西館の五棟から成り立ち、全体で人間を表しているといわれています。
 大倉山記念館の建築様式は、西洋古典建築の研究家の長野宇平治自身が“プレ・ヘレニック様式”と名付けたものです。プレ・ヘレニック様式とはギリシャ以前にクレタやミケーネで栄えた文明で使われていた建築様式でいくつかの特徴がありますが、最も明解なのは円柱が上の方が太く下部が細くなっていることです。
 そういわれて詳しく観察してみますと最上部の東西の列柱、外壁の柱、ホール内の木の柱から始まり階段の手摺りにいたるまで裾細り、逆にいうと末広がりになっています。このほかにもプレ・ヘレニック様式の特徴といわれる連続した螺旋・円盤・山形の文様、三角型空間などがいたるところに使われています(次の写真2葉のほか、 スライドショウ も参照ください)。


 興味が湧いて調べたところ、西欧でも古典主義建築は、古代ギリシャ・ローマが基本で、それ以前に遡ることはなかったようです。したがって、
大倉山記念館はギリシャ以前のプレ・ヘレニック様式の近代建築として再現された世界で唯一の建物で希少価値のあるものだということです。
 建物の東館は図書館の書庫で、アメリカから輸入した当時最新式の書架が5層に組まれ、25万冊の収蔵能力があるといわれています。竣工時には地階から書庫の五層まで、書籍運搬用のリフトが設けられ、夏期の湿気防止のため地下の送風機室からは、ボイラーで乾燥空気を書庫内に送る設備も備えられていたと知って驚くばかりでした。
 西館の1階には、読書室・談話室・食堂などが、2階には所長室があり、3階には暖炉風の飾りや豪華なシャンデリアを持つ貴賓室、北側には講義室がありました。中央館と東館・西館の連結部の2階部分や1階の回廊入り口設けられていた10室の研究室は、研究に専念できるように簡素な造りになっていたといわれています。これらの部屋は現在では市民が活用できるよう集会室として開放されています。
 ギリシャ神殿風のピロティ、昭和初期の雰囲気を伝える貴賓室(現在の第5集会室)、神社建築の木組みを取り入れているホールなどは、珍しい造作ゆえテレビや映画のロケにも活用されているようです。

3.長野宇平治とは
 設計者の長野宇平治(1867〜1937)は1867年(慶応3年)に越後の高田(現在の新潟県上越市)に生まれ、第一高等学校から東京帝国大学造家学科(後の建築科)へ進みました。第一高等学校の同級生に夏目漱石がいました。東京帝大では、コンドル門下の辰野金吾の下で学び、銀行建築の設計を数多く手がけています。代表作には日本銀行の京都、小樽、広島、岡山の各支店、旧六十八銀行奈良支店 (現南都銀行本店)などがあります。広島支店は非常に堅牢につくられていたため、爆心地からわずか400m弱という至近距離にありながら「被爆建築」の中では保存状態が良く、建築当時の外観をとどめているため広島市では今年から内部を被爆以前の状態に復元する工事を進めています。
 長野宇平治が設計した多くの建物の装飾は水谷鐵也が担当しています。水谷鐵也は森川杜園に師事して彫刻を学び、高村光太郎と藝大同期です。この大倉山記念館の正面ペディメントの彫刻、中央の吹き抜け空間の獅子と鷲の彫刻、留魂碑などが水谷鐵也の作です。特に吹き抜けは見所の一つで私が訪れた時には夏の西日を受けて素晴らしい空間を演出していました。

 長野宇平治は、建築家であると同時に日本建築士会初代会長を務め、優れたた文化人でもあり、歌人の佐佐木信綱とも親交がありました。和歌にも堪能で大倉山記念館を詠んだ歌として次の歌が長野宇平治の作として残されています。

   アテネより伊勢にと至る道にして 神々に出あひ我名なのりぬ

4.大倉邦彦とは
 戦前、これほどの規模で手の込んだ特異な建物を山の中に建てるのは相当の資産家でなければできないことです。私は“大倉”という名前を聞いた時、戦前の5大財閥の一つの大倉財閥が建てたものと直感しました。しかし、それは全くの思い違いで、大倉財閥の大倉喜八郎と大倉精神文化研究所の大倉邦彦は全く関係ないとのことです。
 大倉邦彦は日本橋の紙問屋・大倉洋紙店のオーナーです。この会社は邦彦の義理の祖父・大倉孫兵衛の創業によるもので、孫兵衛は夏目漱石の処女作『吾輩ハ猫デアル』を初めて単行本として出版した大倉書店の創業者であることでも知られています。
 邦彦は明治39年(1906年)上海の東亜同文書院を卒業後、大倉洋紙店に入社。明治45年(1912年)、社長大倉文二の婿養子となり、大正9年(1920年)に社長に就任しました。わが国の教育界・思想界の乱れを憂えた邦彦は、私財を投入して昭和7年(1932年)に大倉精神文化研究所を開設し、所長として各分野の研究者を集めて学術研究を進めるとともに、精神文化に関する内外の図書を収集して附属図書館も開設したわけです。また、東洋大学学長も務めるなど幅広い活動をされています。
5.現在の大倉山記念館とは
 昭和56年、横浜市はこの大倉精神文化研究所の建物の寄贈を受け、大改修を経て昭和59年(1984年)大倉山記念館として生まれ変わりました。横浜市の文化施設として10室の会議室、80席のホール、回廊のギャラリーを備えていて市民のサークル活動、文化活動にも活用されています。開館以来、年間50回以上開かれる「大倉山水曜コンサート」、美術の展示をはじめ様々なイベントも開催されてきています。また、財団法人大蔵精神文化研究所の図書館は、哲学、宗教、歴史、文学などの分野を中心に9万冊を有する図書館です。
 今年は横浜開港150周年記念で、横浜市では各種イベントが開催されています。この大倉山記念館でも「大倉山記念館の建築様式と思想」というテーマで5月から7月まで3回の講演会が開催されました。事前にこの情報を知っていたら参加したのですが残念でした。
 横浜の三溪園では横浜開港150周年記念として全建物をはじめて一挙に特別公開されていましたので、その最終日(8月16日)に見学してきました。夏の強い日差しの中、17棟の建物すべてを巡り疲れていましたが、帰路、この原稿の再確認の目的もあって、汗をかきながら坂道を登って大倉山記念館に辿りつきました。雲ひとつない夏空を背景の人の気配のない建物は実に見事でした。誰もいないと思っていましたが、ホールの二重のドアを恐る恐る押しあけて入ったところ、コンサートが開かれていました。
 幸いにも最後部の席が空いていましたので腰を下ろしました。さらに幸いなことは、曲目が私の大好きなモーツアルトのクラリネット五重奏曲(K581)だったことです。美しいクラリネットの調べに聞き入っているうちに疲れや汗はどこへやら。ホールの4隅に2本対になった木の太い円柱、天井の木組み、3連の窓、円盤列の模様などプレ・ヘレニック様式の建築をモーツアルトの調べの中で確認できたことは私にとって最高の贅沢でした。
 横浜市の指定有形文化財で世界唯一の建物のホールでコンサートを聴くことができるということは幸せなことです。“建物は使ってこそ活きる”といわれますが、こうしたコンサートが長く続いてほしいものです。
 展覧会トピックス 2009.8.17

 美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1.「ゴーギャン展」
会 期:2009.7.3〜9.23
会 場:竹橋 東京国立近代美術館
入場料:一般 1500円
休 館:月曜日(8/17、24、9/21は開館)
電 話:03-5777-8600(ハローダイヤル)
 http://www.gauguin2009.jp/

 ゴーギャンの最高傑作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が日本で初公開されることで話題を集めている展覧会です。このゴーギャンが残した最大の作品は、ボストン美術館の所蔵でアメリカ以外で公開されるのは今回で3例目ということです。

2.「高島屋史料館所蔵名品展」
会 期:前期 2009.7.18〜8.23
    後期 2009.8.26〜9.27
会 場:六本木 泉屋博古館分館
入場料:一般 800円
休 館:月曜日(8/17、9/21は開館)
電 話:03-5777-8600(ハローダイヤル)
 http://www.sen-oku.or.jp/tokyo/

 島屋史料館は、昭和45年、株式会社島屋設立50周年記念事業として、大阪の島屋東別館に設置されました。近代日本画、洋画、図案、能装束、工芸品など多分野の優れた名品を数多く所蔵しています。この展覧会では、所蔵品のうち近代日本画、洋画に的を絞り、名品を一堂に集めて展示するものです。

3.「館蔵品展 花・華
    …日本・東洋美術に咲いた花…」

会 期:2009.8.4〜9.27
会 場:虎ノ門 大倉集古館
入場料:一般 800円(65歳以上500円)
休 館:月曜日(8/17、24は開館)
電 話:03-3583-0781

 花は図案化されて陶磁器や漆器、染織品などの装飾にも幅広く用いられています。本展では大倉集古館の所蔵品の中から、日本・東洋美術で花の諸相を梅、桜、牡丹、蘭、菊など、花ごとのテーマで紹介しています。
 http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/shukokan/hana.html
4.「白洲正子と細川護立
    …最後の目利きから学んだもの…」

会 期:2009.6.27〜9.13
会 場:目白台 永青文庫
入場料:一般 600円
休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
電 話:03-3941-0850
http://www.eiseibunko.com/

 白洲正子は細川邸(現・永青文庫)に通い、細川護立に一級の美術品を見せてもらいながら美意識を養い、その後、骨董や書など独自の美の世界を展開していきました。本展では、白洲正子が鑑賞した「金銀錯狩猟文鏡」(国宝)や「三彩宝相華文三足盤」(重要文化財)などの護立コレクションの名品約50点に加え、旧白洲邸の武相荘が所蔵する白洲正子コレクション約20点が展示され、ふたりの交流を辿ることができます。
以 上

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