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プロローグ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
これまでに大学のキャンパスの建物については、国立大学では東京大学(本郷)、私立大学では同志社大学(今出川)、東京女子大学(善福寺)、立教大学(池袋)、慶應義塾大学(三田)を取り上げてきました。また大学の講堂については安田講堂(東京大学)、兼松講堂(一橋大学)、大隈講堂(早稲田大学)、成瀬記念講堂(日本女子大学)、明日館講堂(自由学園)を紹介してきました。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大隈講堂については、『古今建物集』(17)「大学の講堂建築(2)私立大学編」(平成19年11月20日)で取り上げましたので、今回は大隈講堂以外の早稲田キャンパス内の名建築を紹介します。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1.日本で唯一の演劇専門博物館…坪内博士記念演劇博物館 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
早稲田大学の校歌「都の西北」に詠われているように、どこからも集まり散んじることができる解放的な早稲田キャンパスにあって、ことさら眼を惹く建物は坪内博士記念演劇博物館です。この建物は大学内では他の校舎と並んで「5号館」として扱われていますが、略して「演劇博物館」とか「演博(えんぱく)」とも呼ばれ親しまれています。カンヒザクラ咲く春先でも、日差しの強い真夏でも格好の写生対象として人気のある建物でもあります。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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演劇博物館は、1928年(昭和3年)10月、坪内逍遥の古希とその半生を傾倒して翻訳した「シェークスピヤ全集」全40巻が完成したのを記念して建てられました。![]() 演劇博物館は坪内逍遥の発案で、16世紀イギリスの劇場「フォーチュン座」を模して早稲田大学出身の今井兼次らにより設計されました。建物は木の構造体を外部に装飾的に見せる木造に見えますが実際は鉄筋コンクリート造です。説明書によると、正面は張り出し舞台になっていて、入口はその左右に配され、1階の図書閲覧室は楽屋となり、舞台を囲む両翼は桟敷席、建物前の広場は一般席で、演劇博物館の建物自体がひとつの劇場資料となっていることは興味深いことです。 |
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![]() 近代日本文学の先駆者の坪内逍遥は早稲田大学文学部の設立者でもあり、演劇博物館の正面左側には長谷川栄作の作になる胸像が置かれていて、その台座には会津八一(秋艸道人)が恩師の逍遥を偲んで詠んだ自筆の歌が刻まれています。 むかしひと こゑも ほからに たくうちて とかしし 於もわ みえ きたる かも 秋艸道人 |
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2.會津八一の執念の結晶・・・會津八一記念博物館 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
早稲田大学には創立以来、学術研究のために膨大な資料が収集されてきましたが、これらを一同に集め公開するために、平成10年(1998年)5月に開館した総合博物館が會津八一記念博物館です。ここでは東洋古代美術の「會津八一コレクション」、独特の書風で多くのファンを魅了している會津八一の書をはじめ、東洋古美術の「富岡重憲コレクション」、考古資料、アイヌ民族関係資料、現代美術などが収蔵され学術資料として常設公開されています。![]() この會津八一記念博物館の建物は早稲田大学内では2号館とも呼ばれ、大正14年(1925年)に図書館として建てられた平成2年まで図書館として使われてきました。キャンパスに残る最古の建物で、大隈講堂、演劇博物館と並んで早稲田大学を代表する建物でもあります。設計は今井兼次が担当し、建築様式にについて“質実、豪放、端正なる現代の様式に東洋の印象を加味したもの”とされています。 |
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所蔵品や資料が展示されているのは図書館時代の大閲覧室で、高い天井の下で會津八一の個性あふれる独特の書や歌に巡りあうことができます。特に會津八一が自宅に下宿していた学生に人生の指針として与えたという「学規」の書と内容は私の最も好きな一つです。![]() 学 規 一 ふかくこの生を 愛すへし 一 かへりみて己を 知るべし 一 学藝を以って 性を養うへし 一 日々新面目 あるへし 秋艸道人 |
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玄関ホールの柱頭部の石膏の彫刻は見所の一つです。大階段室の正面には、近代日本画の二人の巨匠・横山大観と下村観山が、無償で描いた大作「明暗」(昭和2年)が展示されています。一見したのでは分かりませんが驚くことに、この絵は1辺が5.4mで世界最大級の手すき和紙に描かれているとのことです。 |
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なお、會津八一記念博物館の案内チラシの表紙になっている前田青邨の「羅馬使節」(1927年)を原画とするタペスリーは大隈会館の1階ホールに掲げられています。 |
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3.早稲田に関係する二人の建築家…佐藤功一と今井兼次… | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
早稲田大学のシンボル・大隈講堂を設計したのは東大出身の佐藤功一(1878−1941)で早稲田大学に建築科を創設したことでも広く知られています。東大での3年後輩の岡田信一郎とは同僚として早稲田の教壇に立つ一方、東京女子高等師範学校、日本女子大学などでも女性建築教育の草分けとして後進の指導にも当たりました。建築作品としては1920年代後半から30年代にかけて群馬、岩手、栃木、滋賀の県庁舎などの公共建築を数多く手がけ、現在、都心に残されている代表的作品は昭和4年(1929年)に竣工した日比谷公会堂・市政会館です。 |
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もうひとりの建築家今井兼次(1895−1987)は早稲田大学の理工学部建築学科を卒業した後、1937年以降母校の早稲田大学の教授を長く勤め、その門下から優れた建築家、研究者を多数輩出しています。作品数は多くありませんが、建築に職人の手の技を残す作品を世に送り出しました。大学構内の演劇博物館、旧図書館(現:会津八一記念博物館)のほかでは、1966年に香淳皇后の還暦を祝って皇居の東御苑に建てられた桃華楽堂、長崎二十六聖人記念館、信州穂高町の碌山美術館などが知られています。 |
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エピローグ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() 大学創立125年を契機として建物の整備が進められて、工事現場の囲い塀には焼失したり取り壊されて現存しない大学の設立以来の数多くの建物が描かれていてこれを順に眺めるだけでも結構楽しめます。 |
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