平成20年11月18日
古今建物集 …美しい建物を訪ねて…(31)
   
“東京文化財ウィーク”での建物探訪記(前編)
井出昭一
プロローグ

 今年も、11月1日から9日までの“東京文化財ウィーク”で東京都内の文化財が一斉に公開されました。これは都内にある文化財のうち平常は非公開のものを特定の日時に公開するというものです。近年知れ渡ってきた秋の人気イベントです。公開される文化財は約430件で、その詳細は都内の図書館、資料館、博物館などで無料配布の小冊子「東京文化財ウィーク2008」で知ることができます。これは都内にある国指定と都指定の文化財の概要や地図がコンパクトにまとめられていて持ち歩くのに大変便利な冊子です。
 今回は、期間中に訪ね歩いた美しい建物を列挙して紹介してみます。
[ ]内は訪問した日です。

1.晩香盧と青淵文庫(ともに重要文化財) [11/1、11/8、11/15]
   …大正期を代表する名建築家・田辺淳吉の珠玉作品…
 渋沢史料館の晩香盧と青淵文庫は、いずれも「曖依村荘(あいいそんそう)」と呼ばれた飛鳥山の旧渋沢栄一邸宅に建てられたものです。晩香盧は渋沢栄一の喜寿(77歳)を記念して清水組(現:清水建設株式会社)の4代目当主清水満之助が栄一に贈った和風洋風の調和のとれた木造の小亭です。
 一方、青淵文庫は栄一の傘寿(80歳)と男爵から子爵への昇格を祝って竜門社(現:渋沢栄一記念財団)会員が贈った建物で、2階は書庫、1階は閲覧室となっています。装飾タイル、ステンドグラス、シャンデリア、螺旋階段など見どころの多い建物です。
 いずれも大正時代を代表する建築家・田辺淳吉の設計によるもので、随所に田辺の趣味の豊かさと行き届いた配慮を感じさせる建物です。渋沢栄一はこよなく愛用し、インドの詩人ダゴールや蒋介石(中国国民党総裁)など内外の賓客接待の場として頻繁に使われました。
 東京文化財ウィークの企画として、青淵文庫の1室で「建築写真家・増田彰久が捉えた晩香盧と青淵文庫」と題する写真展を10月11日から11月29日までの毎週土曜日(12時30分から15時45分まで)開催しています。写真家の目が捉えた両建物の詳細部分の写真が数多く展示され、改めてその美しさを再認識することができました。
(注)渋沢史料館は、東京文化財ウィーク期間中に限らず、毎週土曜日の12時30分から15時45分まで晩香盧と青淵文庫の内部を公開し、私はその手伝いをしています。


2.国際基督教大学「泰山荘」 [11/2]
  …建設から現在までの知られざる移転の歴史…
 一見の価値があるといわれている国際基督教大学(ICU)の泰山荘は11月1日と2日の2日間のみ公開されることを知りましたが、1日は渋沢史料館に行かねばなりませんでしたので、2日に初めてここを訪ねました。
 当日は大学祭(ICU祭)で賑やかでしたが、キャンパスの奥まった一角の武蔵野の面影の残る雑木林の中に泰山荘はひっそりと佇んでいました。学生による泰山荘ガイドツアーにタイミング良く参加して解かり易い説明を聞き、配布された資料などから今日に至る複雑な移転の経緯を初めて知ることができました。


 泰山荘は高風居、書院、待合、蔵、車庫、表門の6棟の建物からなり、これらは国の登録文化財となっています。この中で注目すべき建物は、畳一畳の小さな書斎と六畳の茶室と水屋からなる萱葺き入母屋造りの高風居です。

 この一畳敷きの書斎を神田五軒町に建てたのは探検家で「北海道」の名付け親の松浦武四郎(1818?-1888)です。松浦武四郎は、旅先で親しくなった人々から寄進された古材を使って終の棲家として一畳敷きの書斎を建てましたが世間から忘れ去られていました。没後20年を経てこれを再発見したのは紀州徳川家の当主だった徳川頼倫(よりみち)(1872-1925)で、頼倫は松浦家から譲りうけ麻布の私設図書館「南葵文庫」に移築しました。関東大震災で奇跡的に難を逃れた一畳敷きが次に移されたのは代々木上原の紀州家庭園「静和園」でした。
 一畳敷きには、法隆寺、伊勢神宮、熊野本宮など白鳳時代から奈良・平安時代の神社仏閣の古材が使われていましたので、頼倫も一畳敷きの書斎に加えて奈良の薬師寺や和歌山の長保寺などの古材を使って6畳の茶室、3畳の水屋、土間を建てたのが「高風居」です。しかし、頼倫はその完成を見ることなくその生涯を閉じてしまいました。

 次に「高風居」を引き取って三鷹の別荘内に移築したのは旧日産財閥の役員の山田敬亮(けいすけ)です。これが「泰山荘」で、完成したのは昭和14年(1939年)のことです。山田敬亮は泰山荘を建てる時に、日野のあった庄屋を移築して台所と書院を新たに付け加えて母屋としました。

 その翌年、民間で初の飛行機製造会社の中島飛行機株式会社(現:富士重工業株式会社の前身)が山田家から泰山荘と土地を購入し、創始者の中島知久平が亡くなる昭和23年(1948年)までここを住まいとして使用していました。

 さらに、昭和25年(1950年)開校前の国際基督教大学(ICU)がこれを購入し、大学の教職員の住宅として利用されてきましたが、昭和41年(1966年)母屋は焼失し書院だけが残りました。

 その後、改修・補修がなされて、現在に至っているというかなり複雑な経緯があることが判りました。

3.旧三河島汚水処分場喞筒場(ポンプじょう)施設(重要文化財)[11/6]
  …「汚水処分場」の名前から程遠いセセッション様式のモダンな建物…
 赤レンガ造りの「旧三河島汚水処分場喞筒場施設」(長い名称で読み方も難しいですネ?)は東京に残る歴史的価値の高い貴重な近代化資産として、昨年12月4日に下水道施設として初めて国の重要文化財に指定されました。11月5日と6日の2日間のみ公開されることを知り6日に見学してきました。
 都電荒川線の荒川二丁目駅に降りるとホームから大きな赤レンガの建物が見え、これが目指す建物でしたが、広い敷地の周りを回るため案内表示の通り正門までは徒歩で3分かかりました。
 わが国最初の近代的下水処理施設として東京市技師・米元晋一を中心に隅田川中流に建設が進められ大正11年(1922年)から稼働し、平成11年(1999年)老朽化のため引退するまで77年間使用され続けてきました。
 重要文化財に指定されている建物は、東・西阻水扉室、ろ格機室、門衛所など6棟の建物と沈砂池などの施設ですが、もっとも大きくデザイン的に優れているのはポンプ室です。ポンプ室は上空から見ると[ 字型になっていて、南側に張り出す東西両翼をもち、外観は規則的に配された垂直線と水平線を用いた平坦な面で構成されセセッション様式の建物では日本での嚆矢とされているものです。櫛型の窓、白い水平の帯、柱型と壁面下部の黒レンガなど汚水処分場」の名前からほど遠い美しいモダンな建物として完成直後は目立つ存在だったと想像されます。
 私が訪問した11月6日は穏やかな日でしたが見学する人が少なく、ポンプ室内に設けられた特設会場のビデオで施設全体の概要や歴史的経緯、外部からは見ることができない流入渠の状況などを知ることができました。

展覧会トピックス 2008.11.15
美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1.「第40回 日展」
 会 期:2008.10.3112.7
 会 場:六本木 国立新美術館 
 入場料:一般 1200
 休 館:火曜日
 問合せ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
 http://www.nitten.or.jp/
 日展は日本で最大の公募展で明治40年以来の歴史を有する展覧会です。今年は「改組第1回日展」から40回目のため、満40歳の人は無料招待です。会場が昨年から上野の東京都美術館から六本木の国立新美術館に移されて開催されています。東山魁夷、高山辰雄などの巨匠が次々に亡くなり寂しい感じですが、代わって新しい感覚の作品も多く出品されて別の楽しみがあります。会場が明るく広いので、許可をもらって写真を撮れば好みの日展作品集が作成できます。ただし、写真撮影が可能なのは週日のみです。
1031日には、親しくしている洋画家の招待でグランドプリンスホテル赤坂「五色の間」のオープニングパーティーに初めて参加しました。広い会場は、日展の会員と招待者で溢れんばかりの盛会で圧倒されるほどでした。


2.「数寄者 益田鈍翁…心づくしの茶人…」
 会 期:前期2008.10.1111.13
     後期2008.11.1512.14
 会 場:白金台 畠山記念館 
 入場料:一般 500
 休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
 問合せ:03-3447-5787
 http://www.ebara.co.jp/socialactivity/hatakeyama/
 ことしは益田鈍翁(孝)の生誕160年、没後70年の年にあたるため、鈍翁にスポットを当て、館蔵品を中心に鈍翁の旧蔵品や好み物、自作の書画、茶道具などを紹介しています。鈍翁は三井財閥の総帥として明治時代に日本経済の近代化の基盤を築き、有数の美術品蒐集家・数寄者として、美術や茶の湯の世界に多大な影響を与えました。当館の創設者畠山即翁(一清)も鈍翁に見込まれて数寄者の道へと導かれ多大な影響を受けた一人です。

3.「中村不折コレクション…宋・元時代の書画…」
 会 期:2008.10.1112.23
 会 場:根岸 台東区立書道博物館 
 入場料:一般 500
 休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
 問合せ: 03-3872-2645
 http://www.taitocity.net/taito/shodou/
 今回の特別展では、2003年に中国の上海博物館が5億円で購入したものと同レベルの逸品であると話題になった最古の集帖である宋時代の名品「淳化閣帖―夾雪本―」が2004年以来4年振りに展示されます。このほか北宋時代の四大家で知られる蔡襄、米芾、日本の墨跡にも多大な影響を与えた南宋時代の張即之の書、元時代を代表する趙孟頫など、宋・元時代の中村不折コレクション書画を公開しています。


以上

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