.
平成20年10月20日
古今建物集 …美しい建物を訪ねて…(30)
   
旧千代田生命本社ビル(現・目黒区総合庁舎)
…村野藤吾のオフィスビルの傑作…
井出昭一

       
1.プロローグ

 今回は、旧千代田生命本社ビル(現・目黒区総合庁舎)をとりあげます。

「東の丹下、西の村野」といわれ、丹下健三とともに戦前から戦後にかけて活躍した村野藤吾が設計したオフィスビルの傑作といわれる建物です。
 東横線の中目黒駅から近いところにあるこの建物は、当初「旧千代田生命本社ビル」として昭和41年(1966年)竣工したものを改修し、平成15年(2003年)から目黒区総合庁舎として使われているものです。
 竣工して間もないころ、機会があってここを訪れたことがあります。明るく広々したエントランスホールの奥にエミリオ・グレコの彫刻が置かれていて、建物に囲まれた池の向こう側に和室があったことだけが記憶に残っています。目黒区はビルの改修に当たって「建物の文化的価値を尊重し、意匠の重要な部分は当時の姿をとどめた」とされています。
今回、40数年振りに訪問し、建物と人との調和を一貫して追求した村野藤吾のキメ細やかな心遣いを実感してきました。

2.村野藤吾のこだわり

 旧千代田生命本社ビルは、村野藤吾が75歳の時に設計した建物で、アルキャスト(アルミ鋳物)のモダンな感覚の外観ですが、その3年前に竣工した花崗岩の外壁と装飾グリルのバルコニーを持つ日本生命日比谷ビル(日生劇場)と比べると、同じ人が設計したとは思えないほど異なっています。

 エントランスホールに入ると天井の淡い色のモザイクタイルを張り詰めた円形の明かり取りから穏やかな光が注いでいます。右手の水池、左手の白い砂利が敷かれた枯庭を見ながら進むと、その奥の曲線階段に至ります。直線的な中に突然現れるこの螺旋状の階段は軽快で躍動があり温かみさえ感じられるものです。




 廊下を歩くと、ルーバー越しに池が眺められます。水面に映って揺れるルーバーは美しく、池の中の島の緑の木々や、池に飛び出している和室も訪れた人に安らぎを与えてくれます。和室の障子や天井も古来のものではなく村野藤吾が求めた“絶えずサムシング・ニュー”の独自のデザインです。こんなところにも“肌ざわり”の暖かさを感じさせてくれます。


 池に面した和室のほかに、水屋の付いた茶室(4.5畳)もあり、目黒区では「区民に親しまれる庁舎」を目指して、一定の要件(構成員が5人以上で、その半数以上が目黒区内在住・在勤・在学であることなど)を満たしていればこれらの和室や茶室を使用できるので、名建築家の設計した斬新なデザインの茶室で親しい人が集まって茶会を楽しむことができるわけです。
3.華麗な経歴を持つ村野藤吾とは

 設計者の村野藤吾(1891〜1984)は大変華やかな経歴の持ち主です。出生地は九州の唐津ですが、唐津は辰野金吾、曾禰達蔵という名建築家を生んだところでもあります。
 早稲田大学に入学した村野が影響を強く受けたのは、安部磯雄、今和次郎、佐藤功一(大隈講堂、日比谷公会堂の設計者)だと本人が語っています。大正7年(1918年)建築学科を卒業しますが、卒業制作が渡辺節の目にとまり懇請されて大阪の渡辺節建築事務所に入所しました。10数年の間、そこで様式建築を学んだ後、昭和6年(1930年)に独立して村野建築事務所を開き関西を拠点として活躍しました。
 最初に設計したのは森五商店東京支店(現・近三ビルヂング)で、これがブルノー・タウトの絶賛を受けることになりました。その後、日本建築学会賞、日本建築学会建築大賞など数々を受賞し、建築家協会会長を務め、日本芸術院会員となって、1967年には文化勲章を受章するなど常に世の脚光を浴び続けてきました。
 一般に、村野藤吾の建築は“ヒューマニズムを基調とする独創性に富んだ作風”を特徴とし“肌ざわりの建築”とも評されています。国家的、公共的施設を多く手掛けた丹下に対し、村野藤吾は国民の生活に密着している劇場やホテルなどの建築を多く手がけたため「官の丹下、民の村野」ともいえるようです。椅子、照明器具、手摺りなどのインテリアをはじめ、和室・茶室なども幅広く取り組み多くの作品を残しているため“建築芸術の魔術師”ともいわれています。
4.多彩な建築作品を次々に産み出す

 手がけた建物のうちで、重要文化財に指定されているのは宇部市渡辺翁記念会館(1937年)と広島の世界平和記念聖堂(1953年)です。これらは地方にあって直ぐに見るわけにはいきませんが、東京で見ることができるのは旧千代田生命本社ビルのほか、村野が設計したオフィスビルのもう一つの代表作の日本生命日比谷ビルです。
 これは日本生命保険相互会社の創業70周年を記念して1963年に竣工しました。同一の建物の中にオフィス部分と劇場部分「日生劇場」という用途の異なる部分を同居させるという難題に村野藤吾は5年の歳月をかけて取り組んだといわれています。

 入口のモザイクタイル、ロビーの螺旋階段など注目すべきところがありますが、圧巻は劇場内部のうねるような曲面で構成されている側壁と天井です。壁面は多彩なガラス・モザイクで、天井はマド貝(アコヤ貝)が貼り詰められていて幻想的な雰囲気を醸し出しています。(写真で紹介できないのは残念です。)この建物は翌1964年日本建築学会賞を受賞し、戦後の村野建築の代表作となっているものです。

 オフィスビルとして、村野が最後に手がけたのは旧・日本興業銀行本店(現・みずほコーポレート銀行)で、オフィスビルが林立する大手町にあって鏡のように磨きあげられた御影石の外壁と列柱には圧倒されます。このビルが完成したのは昭和49年(1974年)で村野藤吾が83歳のときですが、竣工式当日、入口を村野自ら打ち水をして来賓を迎えたという細やかな気遣いをしたエピソードが残されています。

 翌年の昭和50年(1975年)には、小山敬三美術館(長野県小諸市)、さらに92歳の昭和58年には谷村美術館(新潟県糸魚川市)などユニークな美術館を世に送り出し老いを感じさせない設計活動をつづけました。
 91歳の晩年の大作は何といっても新高輪プリンスホテル(現:グランドプリンスホテル新高輪)です。品川駅から柘榴坂を登って行くと1000室以上の客室の高層棟がそびえ立ち、個々の客室に設けられた曲面のバルコニーが織りなす光景は目を惹くものがあります。
 このホテルの庭園内には村野藤吾が手がけた最後の和風建築である茶寮「惠庵(えあん)」が林に囲まれて建っています。正門、中門、寄付(よりつき)が備わった小間、広間の茶寮で、京都の名茶室のデザインを随所に巧みに取り入れて現代風に工夫されています。昭和59年(1984年)11月26日、村野藤吾は93歳でこの「惠庵」の完成を見ることなく長い生涯を終えました。



5.エピローグ

 最近、松下電工ミュージアム(松下電工本社ビル4階)で開催された「村野藤吾…建築とインテリア…」(2008.8.2〜10.26)では、図面、写真、模型、家具、インテリアに加えてスケッチ帳や日記、記録写真や建築経済に関する研究資料など、村野藤吾の幅広い活動が紹介されました。 
 現在、目黒区総合庁舎の屋上は「目黒十五(とうご)庭」として整備され解放されていますので、誰でも信楽焼の陶椅子に座って周辺を眺めながらゆっくりくつろぐことができます。

展覧会トピックス 2008.10.20
 美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。
1.「岩崎家の古伊万里…華麗なる色絵磁器の世界…」
会 期:2008.10.412.7
会 場:岡本 静嘉堂文庫美術館 
入場料:一般 800
休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
問合せ:03-3700-0007
http://www.seikado.or.jp/
 静嘉堂の伊万里コレクションは、金襴手のうち国内の富裕階層向けの皿や鉢類いわゆる「型物」「献上手」と呼ばれる作品を幅広く所蔵していることで有名です。これら金襴手のほか柿右衛門様式の色絵磁器を中心に、鍋島・古九谷様式の作品も併せて展示し、華麗なる伊万里焼の世界を紹介するものです。

2.「古伊万里展…世界を魅了した和様のうつわ…」
会 期:2008.9.3012.23
会 場:白金台 松岡美術館 
入場料:一般 800
休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
問合せ:03-5449-0251
http://www.matsuoka-museum.jp/
当美術館の創立者松岡清次郎が蒐集した東洋陶磁コレクションは、中国陶磁の鑑賞陶磁コレクションを中心としていますが、館蔵の日本磁器のうちから、有田の初期色絵磁器とされる古九谷様式を初め、ヨーロッパ向けの輸出磁器である柿右衛門様式や金襴手様式の古伊万里およそ50件が展示されています。

3.「森川如春庵の世界…茶人のまなざし…」
会 期:2008.10.411.30
会 場:日本橋室町 三井記念美術館 
入場料:一般 1000円(70歳以上800円)
休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
問合せ: 03-5777-8600(ハローダイヤル)
http://www.mitsui-museum.jp/
愛知県一宮の素封家 森川如春庵は10歳台にして本阿弥光悦の黒楽茶碗「時雨」と赤楽茶碗「乙御前」の名碗を買い求めたという逸話の持ち主であり、「佐竹本三十六歌仙絵巻」の切断や「紫式部日記絵詞」の発見など多くのエピソードも残されています。この特別展では、昭和42年に如春庵が名古屋市に寄贈した作品約50点を中心に、森川如春庵の茶道具と益田鈍翁など近代数寄者との幅広い交流を紹介します。

4.「大琳派展…継承と変奏…尾形光琳生誕350周年記念」
会 期:2008.10.711.16
会 場:上野公園 東京国立博物館 
入場料:一般 1500
休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
問合せ: 03-5777-8600(ハローダイヤル)
http://www.tnm.jp/
尾形光琳は「琳派」という絵画・工芸の一派を大成させました。琳派は、代々受け継がれる世襲の画派ではなく、光琳が本阿弥光悦、俵屋宗達に私淑し、その光琳を、酒井抱一らが慕うという形で継承されてきました。この展覧会では、琳派を代表する光悦・宗達・光琳・乾山・抱一・其一の6人の絵画、書跡、工芸の優品が一堂に会し、琳派の流れを具体的にたどることができます。

以上

感想、ご意見などありましたらここをクリックしてください。⇒筆者へメール
『古今建物集』目次へ戻る