平成20年9月15日
古今建物集 …美しい建物を訪ねて…(29)
   
江戸城の門(その2)
    …北桔橋門、乾門、清水門、田安門、半蔵門、桜田門…
井出昭一
.
プロローグ
 江戸城の11の門のうち、前回の皇居正門、坂下門、桔梗門、大手門、平川門の5ヵ所の門に続き、今回は北桔橋門(きたはねばしもん)、乾門(いぬいもん)、清水門、田安門(たやすもん)、半蔵門、桜田門の6カ所の門を訪ねます。
6.北桔橋門(きたはねばしもん)

 竹橋から代官町通りを紀伊坂に沿って東京国立近代美術館と国立公文書館を過ぎると左側に見えるのが北桔橋門です。天守閣のあった本丸・大奥から外に直接通じる門として重要地点にあるところから、門の左右の平川濠と乾濠は極めて深く石垣は最も堅固で、その眺めは雄大です。
 江戸時代には高麗門(第一門)を左折したところに渡櫓門(第二門)を備えていた桝形形式の門でしたが、いま残っているのは高麗門だけです。寛永時代、深い濠をへだてて高い石垣の上に聳える五層の天守閣はさぞかし堂々とした景観だったろうと思われます。

 濠に架けられていた橋は、平常時には桔ね上げてられていて通行ができず大奥への出入りは平川門を使い、ここは緊急時にのみ使われたといわれています。橋が桔橋でなくなったのは明治以降のことで、北桔橋門には桔ね上げるための金具が今でも残っています。

 北桔橋門は、大手門と平川門と同様に現在、皇居東御苑に出入りできる門のひとつです。新緑から紅葉の秋口にかけて、竹橋の東京国立近代美術館や工芸館(旧近衛師団司令部庁舎)で展覧会を見た後、この北桔橋門からプラスチックの入場札をもらって東御苑のなかに入り、天主閣跡、本丸大芝生を通り、旧二の丸跡の日本庭園を巡り、百人番所、同人番所などかつての江戸城の姿を偲びながら、旧江戸城の正門である大手門に至るコースは、私の最も好きな都心での散策コースです。

7.乾門(いぬいもん)

 江戸城の西の丸の裏門を明治宮殿造営に際して現在の位置に移し、両袖を増築して皇居の通用門としたのが乾門で、皇居の乾(いぬい:北西)の方角にあるのでこの名が付けられました。

 門を入った右側が吹上御苑で、天皇皇后両陛下のお住まいの御所はこの中に設けられています。都心では自然のままの武蔵野の面影が残っている唯一の場所だといわていますが、この門からは出入りできません。

8.清水門(重要文化財、昭和36年6月)

 寛永元年(1624年)浅野長晟が建立した典型的な桝形形式の門で、破風(屋根の切妻にある合掌形の装飾板)の中は銅板が張られ、青海波の波形の模様が刻まれています。かつての江戸城天守閣と同じ作りで、鯱には葵の紋が付けられています。田安門、桜田門とならんで重要文化財に指定されています。
9.田安門 (たやすもん)(重要文化財、昭和36年6月)
 田安門は江戸城の北部に位置し 桝形形式の門、現在の門は寛永13年(1636年)に再建され、現存する門の中では最古の門です。 徳川家御三家(紀州・尾張・水戸)に次ぐ家柄格式を持っていた御三卿(清水・一橋・田安)の家名はそれらの屋敷が江戸城の田安門・一橋門(残存せず)・清水門内にあったことから命名されました。
 現在、濠を渡って北の丸公園に出入りするのに便利な門は清水門と田安門で、田安門は日本武道館の入口ともいえる門です。



10.半蔵門
 半蔵門は、伊賀忍者で有名な服部半蔵の組屋敷があったのでこの名が付けられました。また寛永江戸図には麹町口、延宝江戸図には麹町御門と記されていて、将軍が江戸城を脱出しなければならないような事態が発生した場合には甲州街道から甲府へと脱出するための緊急事態用の門でもありました。その頃の甲州街道の起点は日本橋ではなくこの半蔵門でした。
この半蔵門から桜田門にかけての桜田濠は、年間を通じて最も美しいところで、とくに、9月は都内有数のヒガンバナの名所として評判のところです。
11.桜田門(重要文化財、昭和36年6月)
 桜田門は寛永13年(1636年)に徳川家康が入府の際に修築した高麗門と桝形と渡櫓門を備えた門で、桝形は15間×21間あり、現存している城門の中では最大規模の門で、その姿は堂々たるものです。安政7年(1860年)3月3日、「桜田門外の変」で水戸・薩摩藩浪士が登城途中の井伊直弼を襲撃して暗殺した所としても有名です。
 桜田門から桜田濠を隔てて眺める夕焼けは絶景でとても都心とは思えないほどです。




エピローグ・・・皇居周辺の見どころ
 皇居を一周すると約5キロメートルで、信号が一ヵ所もなく周辺の景観も良いので、人気のあるランニングコースです。このコースを江戸城の門に焦点を当てて訪ね歩くのも結構ですが、さらに時間をかけて周辺の見どころを併せて訪ね歩くのも面白いものです。
 周辺の主な建物を列挙すると下記のとおりです。
 ・靖国神社(東京での桜の開花宣言基準となる染井吉野が境内にあります)
  遊就館(戦争遺品、武具、宝物などを展示)
 ・山種美術館(山崎種二が収集した日本画中心の美術館、近く移転予定)
 ・千秋文庫(秋田の佐竹藩の宝物を展示)
 ・昭和館(戦中・戦後の歴史的な資料や情報を展示公開)
 ・国会議事堂 (昭和11年竣工、設計:大蔵省臨時議院建築局)
 ・東京駅(重要文化財)
  (大正3年竣工、設計:辰野金吾、現在、竣工時の姿に復元工事中)
 ・明治生命館(重要文化財)(昭和9年竣工、設計:岡田信一郎)
 ・旧法務省(明治28年竣工、設計:エンデ、ベックマン)
 ・東京国立近代美術館・工芸館…旧近衛師団司令部庁舎…(重要文化財)
 ・東京国立近代美術館・本館
 ・憲政記念館(明治維新から現在までの憲政関係資料を展示)
 ・日本水準原点(明治24年竣工、設計:佐立七次郎。全国の土地の標高を決める基準。
  標高は24.4141m)
 ・国立公文書館(重要な公文書を保存し公開展示)
 ・科学技術館(昭和39年に開館。設計:松下清夫、平山嵩。
  宇宙の星をデザインした外壁)
 ・日本武道館(昭和39年の東京オリンピックの会場として建設。設計:山田守。
  法隆寺夢殿を模した八角形の意匠)
 このほか野外彫刻、草花、樹木、野鳥などに焦点を絞って皇居を一周することも考えられます。

 展覧会トピックス 2008.9.15 
美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1.「悲母観音への軌跡…東京藝術大学の所蔵品を中心に…」
 会 期:2008.8.26〜9.23
 会 場:上野公園
 東京藝術大学大学美術館 地下2階展示室

 入場料:一般 1500円
 休 館:月曜日
     (9/15、9/22は開館)9/16は閉館

 問合せ: 03-5777-8600(ハローダイヤル)
 http://www.geidai.ac.jp/museum/


 狩野芳崖は、明治初期に日本画の改革に取り組み近代日本画の基礎を築いた画家です。藝大が所蔵する芳崖の絶筆「悲母観音」(重文)は完成度が高く、近代日本画の嚆矢となった記念碑的作品として位置づけられ、 若い作家たちに多大な影響を与えた作品として高く評価されています。ことしは、狩野芳崖の生誕180年、没後120年にあたるため、幼少時代の作品から「悲母観音」制作に至る芳崖の画業全貌を紹介します。
 なお、同美術館の展示室3(3階の展示室)では、台東区コレクション展として「日本絵画の源流…敦煌莫高窟壁画模写」も同時に開催されています(8月26日〜9月23日)。台東区は藝大の若手芸術家の育成支援を目的に、同大学院で制作された「法隆寺金堂壁画」「敦煌莫高窟壁画」の模写作品を買い上げ所蔵していますが、その中から敦煌莫高窟壁画の模写を展示するものです。

2.「建築模型の博物都市」
 会 期:2008.7.26〜12.19
 会 場:本郷 東京大学総合研究博物館
 入場料:無料
 休 館:月曜日(7/21、8/11は開館)7/22
 問合せ: 03-5777-8600(ハローダイヤル)
 http://www.um.u-tokyo.ac.jp/

 東京大学総合研究博物館
は、1996年春、最初の教育研究型ユニヴァーシティ・ ミュージアムとして本郷キャンパス内に誕生しました。今回はテーマとして「建築」をとりあげ、150を越える建築模型を美術館建築、内外の有名建築、未来志向の提案型など大きく3種に分けて展示し、多様な建築の形式を俯瞰的に一覧できる類例のない展示形式だといえます。
 この博物館は、本郷通りから一本入った懐徳門から入ればすぐ右側ですが、ここは分かりにくいので、赤門から構内に入って右の工事現場を迂回し、指示に従って細い通路を本郷三丁目寄りに進めば辿り着けます。

3.「村野藤吾…建築とインテリア…」
 会 期:2008.8.2〜10.26
 会 場:東新橋 松下電工ミュージアム
     (松下電工本社ビル4階)

 入場料:一般 1500円
 休 館:月曜日(7/21、8/11は開館)7/22
 問合せ: 03-5777-8600(ハローダイヤル)
 http://www.mew.co.jp/corp/museum/

 村野藤吾は1918年早稲田大学建築学科を卒業後、渡辺節建築事務所を経て、村野建築事務所を開いて関西を拠点に活躍ました。日本建築学会賞、日本建築学会建築大賞を受賞し、建築家協会会長を務め、日本芸術院会員、1967年文化勲章を受章とは華やかな経歴の持ち主です。ヒューマニズムを基調とする独創性に富んだ作風を特徴とし、手がけた作品としては重要文化財に指定されている宇部市渡辺翁記念会館(1937年)、広島の世界平和記念聖堂(1953年)のほか、日本生命日比谷ビル・日生劇場(1963年)、旧千代田生命本社(現目黒区総合庁舎、1966年)などが有名で、1984年93歳で逝去されました。
 この展覧会では、図面、写真、模型、家具、インテリアに加えてスケッチ帳や日記、記録写真や建築経済に関する研究資料など、村野藤吾の幅広い活動を紹介しています。

(了)

感想、ご意見などありましたらここをクリックしてください。⇒筆者へメール
『古今建物集』目次へ戻る