平成20年8月15日
古今建物集 …美しい建物を訪ねて…(28)
   
江戸城の門(その1)
       …皇居正門、坂下門、桔梗門、大手門、平河門…
井出昭一
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プロローグ
 徳川幕府の将軍の居城であった江戸城には数多くの門が造られていました。江戸城の内濠周辺に造られた内郭門のうち、現在見ることができる門は11ヵ所です。これらを時計とは逆回りに見ますと、1「皇居正門」、2「坂下門」、3「桔梗門」、4「大手門」、5「平川門」、6「北桔橋門」、7「乾門」、8「清水門 」、9「田安門」、10「半蔵門」、11「桜田門」となります。「馬場先門」「和田倉門」「竹橋門」は、地名や橋があるのみで門はありません。
 この『古今建物集…美しい建物を訪ねて…』でも、以前「皇居の建物(その1)」(平成19年1月20日)で皇居正門と桔梗門を、「皇居の建物(その2)」(平成19年2月7日)では大手門、北桔橋門、平川門を紹介しました。これらの門は重複することになりますが、改めて順を追って紹介いたします。門といっても豪荘な造りの清水門 、田安門、桜田門は、国の重要文化財にも指定されています。
1.皇居正門
 まずは、皇居正門から始めます。皇居正門の元の名前は「西の丸大手門」といい、建造されたのは3代将軍徳川家光の時代だと推定されています。明治21年(1888) 明治宮殿を造営した際に、この門の高麗門を撤去して、名称も「皇居正門」と改めました。
 皇居正門の石橋は、皇居前広場から見て手前の眼鏡型の橋で、江戸時代には「西の丸大手橋」と呼ばれる木橋が架けられていました。明治20年12月にその木橋を架け替えた石橋は、美しい石造の二連アーチ橋で、一般にはこの橋が二重橋と思われて、東京を代表する記念撮影の定番となっていますが、正式の名は「正門石橋」です。「二重橋」とは、この「正門石橋」と奥の鉄製の「正門鉄橋」の二つの橋を総称して呼ばれているわけです。
 皇居正門は、平常時は閉ざされていますが、新年(1月2日)と天皇誕生日(12月23日)の一般参賀の際には、正門石橋を渡って皇居正門から皇居に参入し、U字型に右に回ると壮麗な伏見櫓を目の前にあらわれます。

 間近で見る正門は重厚そのものですが、門ばかりでなく、石橋と鉄橋の装飾も近くで見ると実に見事です。また、鉄橋から眺める左の伏見櫓も右側の明治生命館の姿も絵になる光景です。ただ警備員が「立ち止まって写真を撮らないでください」と連呼していますから、ゆっくり構えて撮ることは不可能です。きれいな写真は歩きながらでは撮れないのですが……。
 正門鉄橋を渡って中門を通り抜けるとそこは宮殿東庭となり、端正な宮殿のたたずまいを目の当たりにすることができます。中門は他の11の門と比べるとあまりにも端正な門ですから、うっかりすると見過ごしてしまうほどです。
初めて訪れる人にとってはどの光景も感動の連続でしょう。



2.坂下門
 いわゆる二重橋を濠(湟池)に沿って北に進むと坂下門となります。この門は現在宮殿のある西の丸の造営後に造られたものです。 文久2年(1862年)1月、老中安藤対馬守が水戸浪士の襲撃を受けた「坂下門外の変」の現場でもあります。
 坂下門は、現在、宮内庁の通用門として使われ、門を入った右手奥の風格ある3階建ての建物が宮内庁の庁舎です。昭和27年10月から昭和43年11月まで、この3階が仮宮殿として使用されました。


3.桔梗門(ききょうもん)
 坂下門から蛤濠を鍵の字型に沿って行くと桔梗門に着きます。この門は比較的小さな門で、皇居参拝者や勤労奉仕の人が出入りする門で、桜田門が「外桜田門」と呼ばれたのに対し「内桜田門」といわれました。
 江戸城を築城した大田道灌の桔梗紋が屋根瓦に残っていたので桔梗門という名前になったという説がありますが、正確な由来は分からないようです。


4.大手門
 パレスホテルの向かい側にあるのが大手門です。ここが江戸城の正門で三百諸侯が威儀を正して登城した門だといわれると感慨深いものがあります。慶長12年(1607年)藤堂高虎によって建造され、元和6年(1620年)の江戸城修復に際して、伊達政宗が現在のような桝形形式の城門に改めました。

 大手門の警備は極めて固く、鉄砲30丁、弓10張、長柄槍20筋、持筒2丁などが常備されていたといわれ、譜代10万石以上の大名が警固に当たりました。
 本丸玄関に至るまでは、大手門を入り、大手下乗門(大手三の門)、大手中の門、書院門(中雀門)を経なければならず、重装備のほどが偲ばれます。
 大手門は明暦3年(1657年)1月の江戸大火で類焼し、その後も関東大震災や昭和20年の戦災に遭遇し渡櫓などは全焼しました。
 復元工事を行い 昭和42年3月には、高麗門および附属塀を修理して、桝形形式の現在の大手門が再建されています。


5.平川門
 毎日新聞社のあるパレスサイドビルの向かいの平川門は、御三卿(清水・一橋・田安)の登城門でした。大奥に最も近いところに位置していた関係上、大奥女中の通用門として使われたことから、一名「お局門」とも呼ばれたようです。平川門が他の門と異なっているのは、脇の石段の陰に小さな帯曲輪門があり、江戸城内で罪人や死人が出るとこの門から出されたのでこの小さな門は「不浄門」といわれていました。江戸城当時のまま高麗門(第一の門)、渡櫓門(第二の門)、桝形(方形の空地)が残っているのは、大手門、桜田門、桔梗門とこの平川門の4ヵ所のみですが、門前の木橋(城門形式一式)が当時の状態を現在に伝えているのはここだけです。


… 中休み …
 ここで門巡りは一休みして、「皇居東御苑」を簡単に紹介します。
 現在、旧江戸城の東側の本丸、二の丸、三の丸の一部を皇居東御苑として一般に無料で開放されています。東御苑へは大手門、平川門、北桔橋門の3ヵ所から出入りが可能です。休園日は月曜日と金曜日です。
 同心番所、百人番所、大番所、富士見櫓、松の大廊下跡、石室、天主台、大奥跡、諏訪の茶屋などの江戸城の様々な遺構をはじめ、三の丸尚蔵館、桃華楽堂、楽部などの建物のほか草木の種類も豊富な二の丸庭園など、ゆっくり見歩けば終日を要するほど見どころが満載で、年間を通じて季節ごとのうつくしさを楽しめるところです。
 次回、門巡りの後半を続けます。
展覧会トピックス 2008.8.15 
 美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1.「小磯良平展…没後20年 清らかな美の系譜…」
 会 期:2008.7.26〜9.7
 会 場:武蔵野市立吉祥寺美術館
   FFビル7階(伊勢丹入居ビル)

 入場料:一般 100円(65歳以上無料)
 休 館:毎月最終水曜日(7/30、8/27)
 問合せ: 0422-22-0385
 http://www.musashino-culture.or.jp/a_museum/

 小磯良平は、気品ある女性像や様々な群像画などに独自の世界を切り開いた日本の近代洋画界の人気画家のひとりです。神戸市立小磯記念美術館の「踊り子」「二人裸婦」「働く人」などの代表作を含む油彩、デッサン、版画など約30点を展示しています。

 平成14(2002年)年2月に開館したこの美術館は「企画展示室」のほか、武蔵野市にゆかりある作家から寄贈された版画コレクションを順次展示する「浜口陽三記念室」「萩原英雄記念室」が併設されています。

2.「フェルメール展…光の天才画家とデルフトの巨匠たち…」
 会 期:2008.8.2〜12.14
 会 場:上野 東京都美術館
 入場料:一般 1600円
   (65歳以上900円。毎月第3水曜日は
    シルバーデーで無料です。)

 休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
 問合せ:0570-060-060
    (TBS展覧会ダイヤル)

 http://www.tbs.co.jp/vermeer/

フェルメールは、西洋美術史上謎に包まれた画家で、独特な光の質感と知性的なタッチで長年世界の人々を魅了してきました。現存する作品はわずか30数点で、このうち評価の高い作品が7点も一堂に会することは驚くばかりです。フェルメールが生涯を過ごしたオランダのデルフト・スタイルの画家たちカレル・ファブリティウス、ピーテル・デ・ホーホ等の作品も紹介されます。

 
3.「美術散歩…印象派から抽象絵画まで…」
 会 期:2008.7.19〜10.19
 会 場:京橋 ブリヂストン美術館
 入場料:一般 800円(65歳以上600円)
 休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
 問合せ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
 http://www.bridgestone-museum.gr.jp/


 ブリヂストン美術館は、国立西洋美術館や大原美術館と並んで、近代西洋絵画がまとまって展示されている美術館です。新しい芸術を目指した印象派のモネやルノワール、キュビスムの誕生に大きな影響を与えたセザンヌ、20世紀美術を絶えずリードしてきたマティスやピカソなど、館蔵のコレクションから約180点の絵画と彫刻が紹介されます。

以上

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