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平成20年7月18日
古今建物集 …美しい建物を訪ねて…(27)
   
慶応義塾三田キャンパスの建物
         …三田演説館・図書館旧館・萬來舎…
井出昭一
プロローグ
 今年は5月15日に慶應義塾の三田キャンパスへ行くのを早くから楽しみにしていました。目的は二つあり、ひとつは三田演説館での講演会に参加すること、もう一つは図書館旧館で開かれる小泉信三展を見学することでした。三田キャンパスには慶應義塾のシンボルとなっているこれら二つの歴史的建物が現存し、いずれも国の重要文化財に指定されています。5月15日はこの両方の建物に堂々と立ち入ることができる二度とない機会でした。当日は朝から素晴らしい晴天に恵まれ心も晴れやかに三田の山へと急ぎました。
 講演会の開場は午後1時と思いこんで演説館に着いたところ2時だと知らされました。早すぎると思いながら周囲を見回すと、塾の広報担当者が会場の写真撮影をしていましたので伺ったところ、撮影が可能だとの了解を得て、幸いにも演説館の内外の様子をゆっくりデジカメに納めることができました。
1.三田演説館で“気品の泉源:小泉信三”を拝聴
 日本を近代的な国家にするために、福澤諭吉は多数の人に意思を伝える手段として、演説が極めて有用と考えて積極的に勉強会を開きました。勉強会を重ねるうちに、専門の会堂(ホール)が必要となり、明治8年5月に図書館旧館と塾監局との中間に演説館を建設しました。この演説館が日本における「演説」発祥の地であり、現在館内の入口上部には「演説由来の記」の長文の額が掲げられています。
 演説館は福澤諭吉が、在米中の外交官の富田鉄之助に依頼して各種の会堂の図面を取り寄せてこれを参考にし、内装はアメリカ中西部の教会を思わせるような造りで、外観は日本の伝統的な防火工法であるなまこ壁を採用しました。木造の2階建てで東京に残る最古の擬洋風建築として重要文化財に指定されています。明治以降の近代建築で重要文化財指定の建物としては珍しいことに設計・施工とも不明です。大正13年の関東大震災の後に現在地に移築され、最近では平成9年4月に解体修理が行われています。
 慶應義塾では毎年5月15日を「福澤先生ウェーランド経済書講述記念日」と定めて、記念講演会を三田演説館で開催しています。慶應4年(1868年)5月15日、上野の山での官軍と彰義隊の戦いで江戸全体が騒然として他の塾が休講としているとき、福澤諭吉は戦いの砲声が響く芝の新銭座の慶應義塾において、新しく購入したウェーランド(ブラウン大学総長)の経済書の講義を平然と続けたのです。このため日本においては学問が1日たりとも途絶える日がなかったということを記念し、学問教育を他の何よりも優先させた建学の精神を慶應義塾の良き伝統として伝えるため講演会が開かれ続けているわけです。 日本画家の安田靫彦はこの様子を「福沢諭吉ウェーランド講述の図」として描いていますが、この絵の中で福沢諭吉の講義を受けている塾生は、着物の家紋から明治生命の創業者の阿部泰蔵だともいわれています。
 5月15日当日は、演説館の入口に掲げられた三色旗は皐月晴れのさわやかな日の光に映えてことさら色鮮やかでした。正面の壁には福沢諭吉の腕を組んだ立像、左にはウェーランドの肖像画も懸けられていました。三色旗の前の演壇正面にはペンのマークが付けられ、聴取者の木製の椅子の背にもペンのマークが彫られているなどすべて慶應好みの装いでした。
 今回は経済学部長の塩澤修平教授による「慶應ボーイ小泉信三…気品の泉源・智徳の模範の体現者…」と題する講演でした。経済学者、教育者、評論家、芸術・文化・スポーツ愛好家と極めて広い範囲で多彩な活動を続けた小泉信三について、塩澤教授は自らの読書遍歴、師弟・交遊関係を通じてその魅力を的確にまとめ全体像をあますところなく整理されて話されました。(当日の名講演の口述記録は「三田評論」(No.1114)の2008年7月号に掲載されています。
 また、安田靫彦の「福沢諭吉ウェーランド講述の図」は、当日の講演会の案内チラシで紹介されています。)
2.図書館旧館で小泉信三の魅力を再確認 
 三田演説館と並んで慶應義塾を代表するモニュメントは赤レンガの図書館旧館です。明治45年に慶應義塾創立50周年を記念して建てられました。図書館建築の予算は30万円で、明治38年度の慶應義塾全体の年間経常支出が8万円であったことからも、いかに巨額であったかが推察できます。
 レンガおよび花崗岩のゴシック式洋風建築の建物は地上2階・地下1階建てです。設計したのは曽禰中條建築事務所で、曽禰達蔵と中條精一郎により設立された戦前最大の設計事務所です。明治から昭和初期にかけて名建築を数多く残しましたがその中でもこの図書館は傑作だと評価されています。唐津藩出身の曽禰達蔵は日本の近代建築の親のコンドルの最初の教え子の一人で、丸の内の三菱レンガ街をつくったことでも有名です。 英国のカレッジを意識したゴシック様式はケンブリッジ大学で建築を学んだ中條精一郎の構想によるものといわれています。外壁上部の時計の文字盤はラテン語で「時は過ぎゆく」(Tempus Fugit)いわゆる「光陰矢のごとし」の意味の11文字が数字の代わりに時間を表し、また12時の部分には砂時計が彫られています。
 「桜咲く日の学園の時計台ラテンの文字のいまもかがやく」
 これはフランス文学者の佐藤朔元塾長が昭和55年の宮中歌会始の召人に選ばれた際、この図書館の時計を詠んだ応制歌です。
 図書館旧館の1階から2階へ上る階段の正面の大きなステンドグラスが目を引きます。このステンドグラスの原画は和田英作、施工は小川三知でした。小川の名を一躍高めたというこのステンドグラスの傑作は昭和20年の東京大空襲で惜しくも焼失してしまいました。小川三知の助手で制作に携わった大竹龍蔵からの復元の申し出があり、3年の歳月をかけて昭和49年(1974年)に完成したのが現在のものです。大竹龍蔵は完成直後急死しこれが遺作となってしまいました。 この絵の意味は、右手の女神と左手の鎧武者がそれぞれ西欧文明と日本文化を象徴し、この文明の女神(西欧文明)が扉を開けて入ってくると光が射し込み、封建制度を突き崩し文明をもたらして、対する鎧武者(日本文化)が馬から下りて西欧文明を迎え入れている図だといわれています。女神は左手に慶應義塾の校章であるペンを持っています。これは日本に初めて近代教育をもたらした慶應義塾の姿を示し、一番下の「Calamvs Gladio Fortior」というラテン語は「ペンは剣よりも強し」という意味を表しています。
 15日は、このステンドグラスを身近に見ながら階段を上って2階の小泉信三展を見学しました。学生時代は薄暗いと感じた室内に久しぶりに入りました。内部は一変して明るく小泉信三の生涯を7ブロックに分けて書簡や写真など貴重な品々も数多く展示され、塩沢教授の講演を聴いたばかりでしたので印象も深く感じました。
 なお、図書館旧館と通路の向かいに建つ塾監局[1926年(大正15年)RC造3階建て]と第一校舎[1937年(昭和12年)SRC造3階地下1階建て]はいずれも曽禰中條建築事務所の設計によるもので、ここでは明治・大正・昭和の各時代の同一設計事務所の作品が一望できます。
 なお、図書館新館は塾監局の南側にあり、槇文彦設計の直線を使った近代的建物です。在学中の恩師であった清水龍瑩教授が図書館長の頃、最上階の館長室にたびたび伺いましたので、この建物の前を通るたび、今は亡き清水先生を思い出しますので、新しい建物とはいえ私にとっては懐かしさを覚える建物です。
3.萬來舎で受け継ぎたい福沢精神
 三田の山で、意外と知られていないのが萬來舎です。“旧”萬來舎は福沢諭吉が明治の初め、塾監局付近に演説館と隣接して建てられた木造平屋の簡素な建物で、「千客萬來」の意から名付けられました。教職員、塾生(学生)、塾員(卒業生)など、権威を問わず志を共にする人が集い、自由に懇談し交流を深めようとし、福沢諭吉もたびたび足を運んだ社交クラブだったといわれています。この建物は明治20年頃取り払われ、後にキャンパス南西の位置にあった別の建物に受け継がれて復活しましたがこれも戦災によって焼失しました。
 昭和26年、慶應義塾創立90年事業の一環として同じ場所に建築家谷口吉郎(1904-1979)と、彫刻家イサム・ノグチ(1904-1988)のコラボレーションにより再建されたのが“新”萬來舎です。
 谷口吉郎は、慶應義塾関係の建築を数多く手がけ、東京国立近代美術館、東京国立博物館東洋館設計、博物館明治村の初代館長としても有名な建築家です。一方、イサム・ノグチは慶應義塾で40年間教鞭をとった詩人・野口米次郎を父に持っていたことから慶應に愛着を感じ、谷口吉郎と同じ1904生まれということも両者共鳴し合って萬來舎が誕生したわけです。
 モダニズム建築デザインの名作といわれる萬來舎の1階には曲線を駆使した斬新な内装の談話室「ノグチルーム」が造られました。その南側は開放的な広い窓があり、緑豊かな庭園を見渡せました。この小庭園にはイサム・ノグチの制作した砂岩の「無」、鉄線で構成される「学生」、さらに鋳造鉄板の組み合わせによる「若い人」の3点の彫刻が置かれ、建物、庭園、彫刻が一体になってここを訪れた人を暖かく迎えてくれました。
 完成直後の昭和27年(1952年)5月に慶應茶道会は三美会(三田美術同好会)で谷口吉郎の「桂離宮とモダニズム」の講演会に際してこのノグチルームで茶会を開いています。さらに私の在学中も、昭和37年(1962年)11月には沢木四方吉記念講演会に際してノグチルームで釜を懸け、小泉信三、高橋誠一郎、守屋謙二の先生にお茶を差し上げました。このとき軸の代わりに掛けたのは小泉信三の色紙「香一炷花一輪」でした。
 若い塾生が集まるキャンパスの中にあって、この萬來舎は第二研究棟としてベテラン教授の研究室が並び重々しい雰囲気に包まれて一般には近寄りがたい存在でしたので、さらにその奥のノグチルームにいたっては雑踏から隔離された別天地のようでした。
 こうした懐かしい思い出のある萬來舎が取り壊されると聞いて見収めにと思い駆けつけたところ、時すでに遅く解体されて無残な姿をさらしていました。
 平成15年(2003年)3月に竣工した南館3階のルーフテラスに萬來舎のノグチルームは移築されました。3点の彫刻のうち「無」は雑草の生い茂るルーフテラスに寂しく置かれています。他の2点はどこに移されたのか探したところ「学生」と「若い人」は南館の一階に置かれていました。いずれも表示や解説がありませんので、これがイサム・ノグチの彫刻作品だということはほとんどの人が気付かないでしょう。
 三田演説館は、現在でもウェーランド経済書講述記念日講演会のほか名誉学位授与式などに使用されていて生き生きしているのに対して、萬來舎はただビルの屋上に置かれているだけという状況で、生気を失いまるで風化に任せているといった感じでした。さまざまな人たちが交流し、新しいものを創造する場という福沢諭吉の“萬來舎の精神”(注)を継承していくためにも、来賓の接待、サロンの復活とか茶会になどに活用してノグチルームの息を吹きかえせないものでしょうか。建物は使うためにあり、使ってこそ生きるものです。
(注)福沢諭吉の“萬來舎の精神”
 「衆来の来遊に備え、主をおかず、議論なすべし、談話妨げず、危座(きざ)起居共によし、扼腕(やくわん)拱手(きょうしゅ)両ながら問わず、来るものは拒まず去るものは留めず、興あらば居れ興尽きなば去れ、江湖の諸君子貴賎貧富の別なく続々来舎してその楽しみを洪(おおい)にせよ。(抄)」
エピローグ
 最近、三田に行く機会が急に増えています。講演会に参加したり、渋沢栄一記念財団の寄付講座を聴講したり、河合正朝名誉教授の「浮萍会」(ふひょうかい)に出席したり、三田祭にも出向くからです。
 「幻の門」が、坂の途中に移設され、その跡にはレンガ風の東館が、学生食堂の「山食」の跡には北館が建てられるなど、三田の山も様相が大きく変わっていきます。その中にあって昔のまま変わらないところもありますので訪ね歩くのも懐かしものです。『慶應讃歌』に詠われている「第二の故郷 三田の山」の通り心に永く残っているのかもしれません。
 展覧会トピックス 2008.7.18   
 美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。
1.東京国立博物館の2つの特別展
①「対決…巨匠たちの日本美術…」創刊記念『国華』120周年
 会 期:2008.7.8~8.17
 会 場:上野公園 東京国立博物館・平成館
 入場料:一般 1500円
 休 館:月曜日(7/21、8/11は開館)7/22
 問合せ: 03-5777-8600(ハローダイヤル)
 明治22年(1889年)岡倉天心が創刊にかかわった日本で最初の月刊の美術研究誌『國華』創刊120周年を記念して開催する展覧会です。『國華』誌上を飾ってきた名品・優品を、作家同士の関係性に着目し、中世から近代までの巨匠24人を「宗達と光琳」「仁清と乾山」「歌麿と北斎」というように2人づつ組み合わせて「対決」させる形で紹介するという変わった趣向です。国宝10余件、重要文化財約40件を含む計100余件の名品が一堂に会し、巨匠たちの作品を実際に見て比較できるのがこの展覧会の魅力です。
②「フランスが夢見た日本…陶器に写した北斎・広重…」
 オルセー美術館コレクション特別展
 会 期:2008.7.1~78.3
 会 場:上野公園
     東京国立博物館・表慶館

 入場料:一般 1000円
 休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
 問合せ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
 パリ・オルセー美術館と東京国立博物館の共同企画により、ヨーロッパのジャポニスムに日本の浮世絵が与えた影響について、テーブルウェアに焦点をあてて紹介します。北斎や広重などの浮世絵の題材に着想を得て作られ、1866年から1930年代まで人気を博したテーブルウェアである「セルヴィス・ルソー(ルソー・セット)」と「セルヴィス・ランベール(ランベール・セット)」を、元絵に使われた浮世絵の日本の版画や版本と対比して展示されます。手描きで現存する数が少ない「セルヴィス・ランベール」の作品は、日本初公開です。
2.「陶匠・濱田庄司…没後30年記念…」
 会 期:2008.6.17~8.31
 会 場:駒場 日本民藝館
 入場料:一般 1000円
 休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
 問合せ:03-3467-4527
 濱田庄司没後30年を記念し、茶碗・鉢・壺・皿などの濱田が製作した日用の器を中心に館蔵の代表作約150点を展示します。栃木県の益子を拠点に、登窯を築いて作陶を続けた濱田庄司は、民藝運動に携わりながら、自らも古今東西の美しい工芸品を蒐集して身近に置いて製作の参考とし、様々な技法を積極的に取り入れ、用に即した質朴で力強い作品を世に送り出しました。このほか館所蔵のバーナード・リーチ作品、英国の古陶スリップウェア、朝鮮時代の陶器なども合わせて展示されます。
                   
3.「建築がみる夢…石山修武と12の物語…」
 会 期:2008.6.17~8.31
 会 場:砧公園 世田谷美術館
 入場料:一般 1000円(65歳以上800円)
 休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
 問合せ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
 1944年生れの建築家石山修武の出世作となった「幻庵」(1975年)、吉田五十八賞を受賞した「伊豆の長八美術館」(1984年)、自邸「世田谷村」、少しずつレンガを積んで10年以上の歳月をかけて2006年に完成した「ひろしまハウス」を始め、近年手がけている12のプロジェクトを中心に石山修武の活動を模型、ドローイング、写真などのほか建築家としては異色の版画作品も展示されます。
                                         (了)

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