平成20年3月6日
古今建物集 …美しい建物を訪ねて…(23)
   
日本画家・川端龍子のアトリエと自宅…龍子記念館…
               
井出昭一

 前回は彫刻家・朝倉文夫が自ら設計したアトリエと自宅でしたが、今回は日本画家・川端龍子が設計したアトリエと自宅(現在の大田区立龍子記念館)を取り上げます。建築好きで普請道楽といわれた彫刻家と画家の建物はいずれも個性的で比較してみるのも楽しいものです。
 龍子記念館は、当初は社団法人青龍社が運営していましたが、同法人の解散とともに土地建物と龍子の作品は大田区に寄贈され、1991年(平成3年)からは大田区立龍子記念館としてアトリエと自宅も公開されています。
1.洋画から日本画へ、院展から青龍展へ
 洋画から日本画に転向した川端龍子は、比類のない豪放磊落さと繊細優美さを兼ね備え、独創的な大作を数多く世に送り出した日本画史上の特異な巨匠です。
 1885年(明治18年)和歌山市本町で呉服屋の長男として生まれた龍子は、本名を昇太郎といい、10歳の頃に家族とともに東京へ転居しました。画家としての龍子は、当初、白馬会洋画研究所と太平洋画会研究所に所属して洋画を描いていました。1913年(大正2年)に渡米し、帰国後、日本画に転向しましたが、その契機となったのは、米国滞在中、ボストン美術館で鎌倉時代の絵巻の名作「平治物語絵詞」を見て感動したことだといわれています。
 1914年(大正3年)日本美術院が再興され、第1回再興院展に「踏切」を出品しましたが落選。翌年、平福百穂らと「珊瑚会」を結成して出品した「狐の径」が第2回院展で初入選し、第3回院展では「霊泉由来」で樗牛賞を受賞しました。さらに1917年(大正6年)には院展同人にも推されて、院展での足場を固めました。
 その後、1928年(昭和3年)第15回院展まで連続して出品を重ねてきましたが、院展同人を辞退し、翌年「会場芸術」としての日本画を主張して「青龍社」を旗揚げしました。
 以後1965年(昭和40年)まで青龍展を発表の場として独自の道を歩み続け、大画面の豪放な作品は、大正から戦前の日本画壇においては異色の存在といえます。こうして青龍社を日本美術院、官展と鼎立する団体にまで育成し、在野の立場を最後まで守った意志の人、行動の人と評されています。
 かつて、日本橋の三越本店で私は青龍展を見たことを思い出しました。図録で調べたところ、私が見たのは昭和39年の出品作「阿修羅の流れ」で、渓流の上を舞うクロアゲハの姿があまりにも鮮烈だったので記憶に残っていたようです。
 龍子は1950年(昭和25年)文化勲章を受章し、1966年(昭和41年)には長年住んだ大田区にある池上本門寺祖師堂の天井画の「龍」に取り組み、未完のままこの世を去りました。この絵は撮影禁止のためここでは紹介できませんが、龍子の描いた龍の天井画としては、浅草寺の本堂で見ることができます。両脇の堂本印象の温和の天女の像と比べて、龍子の龍は力強く迫力あるものです。

2.高床式の龍子記念館
 1963年(昭和38年)に龍子は喜寿を記念して長年住んだ大田区に龍子記念館を設立し自作を展示しました。建物は龍子が設計したもので、湿気を避けるため正倉院と同様に高床式になっていて、上空から見ると龍の落し子のように曲がりくねった形をしています。これは当初、作品を自然光で鑑賞するための配慮だったようですが、現在では作品保護の見地から自然光は遮断されています。
 龍子の作品は大作が多いので、この記念館で展示されている数は多くありません。しかし、いずれの作品も力強い筆使いで、動きがあって迫力あるものばかりです。日本画、特に龍子が最初に所属していた院展の日本画は静かで色調も穏やかな絵が多いのですが、龍子の絵は激しく躍動感が溢れていて対象的です。
 龍子は、とりわけ“龍”に執着していたらしく、記念館の屋根にも龍舌蘭の形をした飾りをつけています。また、絵ばかりでなく、書も独特の“龍子流”で、入口の「龍子記念館」の大きな書も力強さを感じるものです。龍子の「書」は「絵」であるといわれていますが、展示室内の作品「画人生涯筆一管」「般若心経」「観音経」をはじめ、龍子本人が書いている作品名や簡単な解説は独特の書体で味わいがあります。

3.竹を多用したこだわりのアトリエと自宅
 龍子記念館と道路を隔てた向かい側にはアトリエと自宅の母屋があります。門を入ると孟宗竹の塀に囲まれたアプローチが続き、正面に中門が、左は母屋の玄関に至ります。中門を通り抜けるとアトリエが建っています。


 昭和20年8月13日、終戦のわずか2日前の空襲で母屋は被災しましたが幸いにもアトリエは焼失を免れました。そのため、このアトリエは龍子の戦前からの貴重な遺構です。
アトリエの中には入れませんが、ガラス戸越しに内部を拝見できます。龍子の大作は、ここから生まれたのですが、当然のことながら大きな作品を作るのには、まず大きなアトリエを創らなければならないことが判りました。
 アトリエの南側には龍子が昭和22〜29年に数回の増改築を重ねた母屋が建っています。ここも内部に立ち入ることはできませんが、ガラス戸越しに内部を窺うことができます。ここで特筆すべきことは、持仏堂を備えていることです。持仏堂に龍子が大切に祀っていた仏像のうち重文に指定されている応保2年(1162年)毘沙門天立像は龍子の遺族により東京国立博物館に寄贈されました。



 この像には毘沙門天を表した110枚の印仏と彩色された2枚の画像が納められており、印仏に記された墨書により像の制作年代が推定できること、さらに切金の手法をまじえた当初の彩色が美しく残っていることなどから貴重な遺品だと評価されています。
 母屋の居間の西側には、春蘭の透かしが嵌め込まれています。ここがもし洋間だったら、ステンドグラスというところでしょうが日本間ですから、西日を受けての黒一色のシルエットが実に見事です。アトリエと母屋には随所に竹が使われていて、龍子の細やかなこだわりが表わされていて見飽きない建物です。





4.川端龍子は日本のレオナルド・ダ・ビンチ
 龍子は65歳の時、妻夏子と息子嵩を相次いで亡くしたことを契機として仏教に対する信仰を深め、毎日朝夕、持仏堂での礼拝を欠かさなかったといわれています。また二人の供養のため、1950年(昭和25年)には四国八十八ヵ所の巡礼を始め、6年がかりで全札所を回り各札所で淡彩のスケッチを残しています。龍子はこのスケッチを「草描」と呼び、札所で詠んだ俳句とともに画文集「四国遍路」として出版しています。
 日本画家、建築家、書家と多才な龍子は、さらに「ホトトギス」同人の俳人でもありました。なお、俳人の川端茅舎は龍子の異母弟です。
 “龍子の全画業は壮大な建築物である”といわれていますが、現代日本のダ・ビンチかもしれません。

IDE・トピックス 2008.3.6 

 美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1.「龍子が描いた神仏…川端龍子名作展…」
 会 期:2008.1.4〜5.6
 会 場:大田区中央 大田区立龍子記念館
 入場料:一般 200円(65歳以上無料)
 休 館:月曜日(祝日の場合はその翌日)
 問合せ:03・3772・0680
 http://www.ota-bunka.or.jp
 川端龍子が描いた神仏画と魅力的な書に焦点を絞り「仮装・魚藍観音」「仮装・不動明王」「大同石窟」など20点の作品と、併せて異母弟の俳人・川端茅舎の資料も展示されています。

2.「ウルビーノのヴィーナス…古代からルネサンス、美の女神の系譜…」
 会 期:2008.3.4〜5.18
 会 場:上野公園 国立西洋美術館
 入場料:一般 1400円
 休 館:月曜日(毎週金曜日は午後8時まで開館)
 問合せ:03・5777・8600(ハローダイヤル)
 http://www.nmwa.go.jp/
 ウフィツィ美術館の至宝「ウルビーノのヴィーナス」が日本で初めて公開されます。ルネサンスのヴェネツィア派を代表する画家ティツィアーノのこの名作をはじめ、イタリア各地の美術館・博物館からヴィーナスをテーマとした絵画・彫刻など約70点が出品されます。
国立西洋美術館本館は、近代建築の巨匠であるフランスの建築家ル・コルビュジエのわが国における唯一の作品で、平成19 年12月、重要文化財(建造物)に指定されました。美術館の建物自体も鑑賞してください。


3.「ルオーとマティス
      …開館5周年 ルオー没後50年特別展…」


 会 期:2008.3.8〜5.11

 会 場:東新橋 松下電工汐留ミュージアム
    (松下電工ビル4階)

 入場料:一般 700円(65歳以上500円)
 休 館:月曜日(5/5は開館)
 問合せ:03・5777・8600(ハローダイヤル)
 http://www.mew.co.jp/corp/museum/
 ルオーとマティスはギュスタフ・モローの絵画教室で3年間“席を共にした”間柄で、その後も手紙を取り交わすなど生涯にわたって親交を続けました。この展覧会は2人の巨匠の友情と芸術を紹介するもので、フランスで大成功を収めた展覧会の日本巡回展です。

4.ルノワール+ルノワール展…画家の父 映画監督の息子…」
 会 期:2008.2.2〜5.6
 会 場:渋谷・道玄坂
     Bunkamura ザ・ミュージアム

 入場料:一般 1400円
 休 館:会期中無休
 問合せ:03・6215・4406
    (テレフォンサービス)

 http://www.ntv.co.jp/renoir/
 画家である父ピエール・オーギュスト・ルノワールの絵画作品と息子で映画監督のジャン・ルノワールの映画の名場面を並べて展示するという珍しい試みです。この展覧会もパリで好評だったため日本で再現するというものです。

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以 上

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