平成20年1月24日
古今建物集 …美しい建物を訪ねて…(20)
   
宮様の邸宅…旧朝香宮邸…
               
井出昭一
プロローグ
 アール・デコの館として有名な旧朝香宮邸は、現在、東京都庭園美術館として平時は企画展が開催されています。去る1月12・13・14日の3日間、「じっくり見よう!アール・デコ」として建物の内部を公開し、しかも写真撮影ができるという珍しい企画があることを知って、初日の12日に早速訪ねることにしました。
 当日はあいにく氷雨模様でしたが、建物の内部を写真に収めるのであれば、むしろ雨天でも曇りでも関係ない、悪天候であれば来館者も少なくて好都合だと解釈して、病み上がりの身を防寒体制十分に整え、朝食も早々に切り上げて白金の庭園美術館に向かいました。
 雨天だから閑散と思っていたのは大間違いで、この日を待ち望んでいたとみられる “私のような”カメラを手にした熱心な来館者が既に多数見えていました。建物内部の見どころを写真に収めたいというのが共通の目的ですから、自分が撮り終えたら直ちに立ち退いて他人に撮影場所を譲り合うという暗黙の了解のうえ、“邪魔者”なしの室内写真を多数デジカメに収めることができました。鑑賞対象の美術館としては日本で最高の建物とも評されるのがこの庭園美術館です。そこで今回は室内写真を多く紹介します。
1.アール・デコ様式の旧朝香宮邸
 現在、東京都庭園美術館となっている旧朝香宮邸とは、朝香宮鳩彦(やすひこ)親王[注]の本邸として、昭和8年(1933年)5月に竣工した建物です。
 実施設計は宮内省内匠寮(たくみりょう)技師の権藤要吉らが担当し、一部内装の基本設計はフランスの装飾デザイナーのアンリ・ラパン(1873〜1939)が分担されました。室内装飾には20世紀の初めの最も先進的なアール・デコ様式が随所に採用され、新鮮で華やかな意匠に満ちています。なお、室内のガラス装飾はルネ・ラリック(1860〜1945)の作品として有名です。
 建物の規模は地上2階(一部、中3階)、地下1階、建築面積1,048u。主体構造は鉄筋コンクリート造です。建物は昭和22年(1947年)まで朝香宮の本邸として使われていました。その後、政府が借りて芦田首相、吉田首相が住んだ後、西武鉄道の手を経て、現在は東京都庭園美術館として使用されています。内部の改造はわずかでアール・デコ様式を正確に留めている昭和初期の貴重な歴史的建物でもあります。
[注]朝香宮鳩彦親王(明治20年〜昭和56年)
 朝香宮鳩彦親王は明治20年(1887年)10月20日久邇宮朝彦親王の第8皇子として生まれ、明治39年に明治天皇から『朝香宮』の宮号を賜り『朝香宮家』を創設されました。明治43年5月、明治天皇の第8女富美宮の充子(のぶこ)妃殿下との結婚に際し、白金台の土地を賜りました。
 大正11年にフランスへ留学、翌年、フランス北部で義兄の北白川宮成久王の運転する自動車事故で、同乗していた鳩彦親王は重傷を負い、北白川宮は死亡されました。この怪我の療養のためフランス滞在が長引き、看病のため渡仏した宮妃と共にアール・デコ博覧会を見学したことで、フランス文化に触れて、アール・デコ様式に強い関心と理解を示すようになり、その結果この朝香宮邸が生まれたともいわれています。
 鳩彦親王は近衛師団長、日中戦争では上海派遣軍司令官などを歴任された後、昭和22年に皇籍を離脱され、昭和56年(1981年)4月12日、93歳の高齢で逝去されました。
2.宮内省内匠寮の権藤要吉が基本設計
 朝香宮邸の実施設計を担当した宮内省内匠寮とは聞きなれない名前ですが、現代風に言い換えるなら“宮内庁建設営繕部”ともいえるところです。皇族関係の建築・営繕を専門とした組織で、赤坂離宮(現在の迎賓館)建設の頃はその最盛期で、優秀な建築スタッフを100名以上も擁していたといわれています。
 朝香宮邸の設計が始まった昭和5年当時の内匠寮工務課の課長は北村耕造でした。北村耕造は明治10年京都で生まれ、明治36年東京帝国大学建築学科を卒業した後、清水組工事長、理化学研究所を経て大正10年に内匠寮に入っています。
 東大では佐藤功一([重文]早稲田大学大隈講堂、日比谷公会堂を設計)、佐野利器(建築構造学の権威)、田辺淳吉([重文]晩香盧、青淵文庫を設計)、大熊喜邦(国会議事堂の設計)らと同期で、この仲間は「丼会」という会を結成して長い間親交を続けたグループとしても有名です。
 北村工務課長の下で朝香宮邸の設計全般を担当し基本設計図を引いたのは住友銀行営繕課から招聘された技師の権藤要吉で、朝香宮邸を設計する前に欧米各国を訪問し、1925年の巴里博覧会には岡田捷五郎(明治生命館を設計した岡田信一郎の実弟)、吉田五十八(岡田信一郎の門下)と同行して“本場”のアール・デコ様式を見学してきました。工務課の権藤要吉の下では技手、技手補、匠生の多くの建築スタッフが現場監督、室内装飾などに携わったとされています。
 1階の大食堂、大客室、次の間、小客室、大広間と2階の書斎、居間の7室は別途発注で、アンリ・ラパンが内装デザインをされました。なお、工事請負は戸田組(戸田利兵衛)です。
3.1階はパブリックフロア
 建物の構成は、1階はパブリックフロア、2階はプライベートフロアとなっていますので、順次部屋別に回ってみます。
 美術館のシンボルともなっている正面玄関の見どころは、ガラスのレリーフ扉とモザイクの床です。翼を広げる女神のレリーフ扉はルネ・ラリックの代表的な作品で、型押しガラス製法で作られた高さ2.5mにおよぶ大作で、“アール・デコの代表作”とも評されています。玄関の床は自然石の細かいピースで構成されたモザイクで、円やジグザグなどの幾何学模様が施されています。




 受付を通って大広間に足を進めると、奥の正面に大理石を用いたマントルピースとその上に天井までの大きな鏡が配されていて、左手の次室には独特の噴水塔、右の階段手前にはレオン・ブランショの手のなる大理石のレリーフ「戯れる子供たち」が嵌め込まれていて、他では見られない空間です。




 玄関の脇の小客室は、特に重要な来客のために作られた部屋で、四方の壁はアンリ・ラパンが描いた淡いグリーンの色調の油彩画で覆われ、マントルピースも深緑色で落ち着いた気品に溢れる部屋です。平時、ここは非公開の部屋です。

 南側に面したテラスを控えた大客室と次に続く大食堂は、朝香宮邸のなかでも最もアール・デコの粋が集められているといわれています。ルネ・ラリック制作のシャンデリア2基をはじめ、銀引きフロスト仕上げのエッチング・ガラスを嵌めこんだ扉や大理石の暖炉の装飾など、各種の花がモチーフとして用いられています。イオニア式柱頭をもつ柱、天井には漆喰仕上げのジグザグ模様が施されています。壁面はアンリ・ラパンによるものです。
 来客時の会食用に使用された大食堂のシャンデリアはルネ・ラリックが果物をモチーフとして制作したもので3基並んで取り付けられています。隣の大客室とはエッチング・ガラスの引き戸で仕切ることができるようになっています。ガラス扉等に、果物がモチーフとして使われ、ラジエーター・カバーには魚がデザインされ、暖炉の上の壁画はアンリ・ラパンの作による赤いパーゴラと泉が油絵で描かれています。壁面のブランショによる植物文様のレリーフは銀灰色で塗装され、オレンジ色の大理石の柱とともに、大胆な強い印象を与えています。





4.2階はプライベートフロア
 西欧建築では階段室にウエートをおいていて、階段が建物の評価を左右するポイントだともいわれていますが、朝香邸の中央階段は見事なものです。1階大広間から2階の広間へ通じるこの階段は大理石が用いられ、手摺のデザインはジグザグ模様でアール・デコの特徴が強調されています。階段手摺の嵌めこみ金物、ホールの照明柱、天井照明などはアール・デコ特有の幾何学的花模様で統一されていて注視すべき見どころのひとつです。


 重厚な雰囲気の階段を上がった広間には家族の憩いの場所としてソファーとピアノが置かれ、照明柱の付け根部分には花を飾ることができるように水盤を備えるなど細部にわたって意匠を凝らした設計となっています。

 2階は、プライベートフロアで、東側には若宮の寝室・居間が、南側には殿下、妃殿下、姫宮のそれぞれの居間、寝室が並び、ベランダに面する殿下と妃殿下の寝室の間には浴室が、東南の角には書斎と書庫が配されています。



 いずれの部屋の暖炉、シャンデリアなども異なる趣向のもとにデザインされています。ことに、妃殿下はこの邸宅の新築に熱心で、自らラジエターのカバーの下絵を描かれたと伝えられていますので、各部屋の内装、器具を比較して見るだけでも興味深いものです。
 3階の「ウインター・ガーデン(冬園)」といわれる冬でも植物を管理できるスペースは、木材を多用した他の室内と異なり、漆喰、石材、金属ガラスが用いられ、2階のベランダと同様に白と黒の大理石の市松模様が施されています。






 以上のように旧朝香宮邸は、建物そのもの全体が細部にまで配慮の行き届いた“アール・デコの美術品”で、各部屋を詳細に見てゆくと時間の過ぎるのを忘れる程です。平面図でチェックしてみると、非公開の部分もまだかなりありそうなので、それらが公開されるのを楽しみにしているところです。
  
IDE・トピックス 2008.1.24 
 美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。
1.「没後50年 横山大観展…新たなる伝説へ…」
 会 期:2008.1.23〜3.3
 会 場:六本木 新国立美術館
 入場料:入場料:一般1400円
 休 館:火曜日
 問合せ:03・5777・8600(ハローダイヤル)
 http://www.asahi.com/taikan/
 近代日本画壇の巨匠・横山大観は東京美術学校(現・東京藝術大学)の第1回生として入学して以来、明治から大正、昭和の戦前戦後を通じて活躍を続け、やまと絵、琳派、水墨画などに学び、自らの絵画世界を築いて数々の名品を生み出しました。大観の没後50年を記念して、初期の人物画の名作《無我》を初め、《屈原》、重要文化財の《瀟湘八景》、 《生々流転》など初期から晩年までの代表作を集めて展示するほか、海外からの里帰り作品などもまじえ、大観芸術を一望できる格好の機会です。

2.「建築の記憶…写真と建築の近現代…」
 会 期:2008.1.26〜3.31
 会 場:白金 東京都庭園美術館
 入場料:入場料:一般1000円
     (65歳以上 500円)

 休 館:第2・第4水曜日
 問合せ:03・3443・8500
 http://www.teien-art-museum.ne.jp
 近現代の日本の建築を、建築史と写真史の変遷と接点を概観する試みで、記録として撮影された明治期の建築写真から、建築の魅力を独自の表現で切り取った現代の写真まで、約400点を7章構成によって展示され、竣工写真のみならず、構想段階である建築の模型を撮影した写真なども展示し、建築家の構想から現実化へのプロセスも紹介します。

3.「新春展 吉祥のかたち」
 会 期:2008.1.5〜2.17
 会 場:六本木 泉屋博古館分館
 入場料:入場料:一般520円
 休 館:月曜日(2月11日は開館、翌日休館)
 問合せ:03・5777・8600
    (ハローダイヤル)

 http://www.sen-oku.or.jp/tokyo/program/
 吉祥を意味する題材は多岐にわたり、富士山を例にとると、富士は、不尽、不二、不死に音通し、また福慈の言葉に掛かることから、慶祝にふさわしい山であります。他にも、絵画の松柏、寿老人、青銅器・鏡鑑に施された麒麟、鳳凰、龍、宝相華文、漆工の布袋、龍、文房具の獅子、蓮葉、陶磁器の牡丹、宝尽し文、金工の石榴、松竹梅など、慶賀に満ち溢れた文様が数多くあります。
 泉屋博古館の所蔵品からお正月を言祝ぐのにふさわしい絵画(日本・中国)、工芸(青銅器・鏡鑑・漆工・文房具・陶磁器・金工)の分野から、吉祥の作品を
選んで展示されています。

4.「龍子が描いた神仏…川端龍子名作展…」
 会 期:2008.1.4〜5.6
 会 場:大田区中央 大田区立川端龍子記念館
 入場料:入場料:一般200円(65歳以上 無料)
 休 館:月曜日(祝日の場合はその翌日)
 問合せ:03・3772-0680
 http://www.ota-bunka.or.jp
 日本画の巨匠・川端龍子は、昭和19年(1944年)7月妻の夏子を亡くし、同年11月三男の嵩を戦争で亡くしたのをきっかけに仏教を篤く信仰するようになり、毎日朝と夕に自宅に設けた持仏堂での礼拝を欠かさなかったといわれています。今回は、所蔵作品の中から主に宗教画と“龍子の「書」は「絵」である”と評される龍子の書体に着目した作品が展示されます。記念館の向かい側の龍子旧居跡は公園となっていて、川端龍子自ら設計し亡くなる昭和41年まで過ごした旧居とアトリエを見学することができます。
. 以上

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