平成20年1月5日
古今建物集 …美しい建物を訪ねて…(19)
   
小説家の家…旧山本有三邸…
               
井出昭一
 今回は、「路傍の石」「真実一路」などで知られる小説家の山本有三邸を紹介します。

1.多彩な顔を持つ山本有三
 三鷹駅の南口を出て玉川上水沿いの「風の散歩道」を歩いて10分ほど、現在では三鷹市山本有三記念館となっている旧山本有三邸が松林の中に建っています。
 門の前で大きな石に出会いますが、この石が「路傍の石」です。昭和12年、山本有三は中野旧陸軍電信隊付近の道端で大きな石を見つけて、この家の裏庭に運び込んだと伝えられ、ここで生まれた作品の名にちなみ「路傍の石」と呼ばれています。
 山本有三顕彰碑は門を入ったところにあります。右に肖像のレリーフ、左に「心に太陽を持て 有三」と「自然は急がない」「石はふくむ古今の色」の自筆が刻まれています。


 明治20年(1887年) 現在の栃木市にあった呉服商の家で生まれた山本有三(本名・勇造)は、15歳のとき東京浅草の呉服商に奉公に出されたものの、翌年実家へ逃げ帰って家業を手伝うことになりました。しかし、向学心は衰えず、19歳で東京中学に編入し、22歳になってからようやく第一高等学校に入学しました。東京帝国大学卒業も28歳と苦学の連続だったようです。一高時代の同期には近衞文麿、土屋文明、芥川龍之介、菊池寛らがいますが、近衞文麿とは特に親しく自殺の前夜にも会ったといわれています。
 山本有三の活動分野は広くいくつもの顔を持っています。そのひとつは戯曲家としての顔です。東京帝大ではドイツ文学を専攻してまず劇作家として出発し、「生命の冠」「坂崎出羽守」「女人哀詞」などの戯曲で脚光を浴び、小泉首相時代に話題となった戯曲「米百俵」などの作品も書いています。
 次は小説家としての山本有三です。大正15年(1926 年) に現在の武蔵野市の吉祥寺に移住したころから小説を書き始め「生きとし生けるもの」「波」「真実一路」などを発表し、昭和11年(1936 年) 三鷹に移ってから「路傍の石」「新編路傍の石」「戦争とふたりの婦人」など、逆境に耐えながらも明かるく生きて成長する人間像をテーマとする作品を世に送り出しました。
 三番目は教育家としての顔です。昭和17年(1942 年) 、55歳の誕生日を期して三鷹の邸内に「ミタカ少国民文庫」を設け、戦時下で本が乏しかったときに自宅の応接間を開放して近所の子供たちに児童書を公開しています。
 四番目は文人政治家としての顔です。戦後の山本有三は、憲法の口語化を政府に提言し、昭和21年には国語審議会委員となって「当用漢字」「現代かなづかい」の制定に尽力しました。さらに参議院議員として田中耕太郎らと緑風会を結成し、国民の祝日の制定、国立国語研究所の設立、満年齢の採用、文化財保護法など文化政策の推進に大きな功績を残しました。
 昭和33年(1958 年) に三鷹市名誉市民、35年には栃木市の名誉市民にも推されました。昭和40年(1965 年) に文化勲章が授与され、昭和49年(1974 年) 86歳で逝去されました。

2.本格的な洋風建築
 この建物は、大正15年に貿易商の清田龍之介が別荘として建てたといわれ、 その後、山本有三の所有となり、1936年(昭和11年)から1946年(昭和21年)まで10年あまり住み、ここで代表作の小説「路傍の石」、戯曲「米百俵」などが執筆され、憲法口語化のための前文が起草された場所でもあります。
 戦後、進駐軍に接収されましたが、その際、室内がペンキで塗りつぶされてしまったため、山本有三は返還後もここに戻ろうとせず、土地と建物は1956年(昭和31年)に東京都に寄贈され、1985年(昭和60年)になって三鷹市に移管されました。三鷹市はこの建物を文化財に指定し、山本有三が住んでいた当時の机と椅子や作品などをとりそろえ「山本有三記念館」として1996年(平成8年)11月開館しました。
 建物はイギリス風ゴシック様式の木造煉瓦造り青銅葺きの本格的な欧風建築で、玄関は二重扉となっていて、ドアや窓や壁のア−チ構造が特徴です。




 1階ホールの右手のイングルヌック(来客用控えの間)とドローイング・ルーム(応接間)と旧食堂部分の3ヶ所には、それぞれ個性的にデザインされたマントルピース(暖炉)がしつらえられています。玄関ホールのものは山荘風でシンプルな半円形をしたもので、応接間では煉瓦が伝統的文様の網代に組まれて壁にはめ込まれ、旧食堂のものは金属板フード付きの落ち着いたものです。
 階段室の手摺や梁の装飾、踊り場のステンドグラス、階段を上がったところの廊下の小さなアーチなども、細かい配慮が行き届いていて見所のひとつになっています。




 2階に上がると、中央には山本有三が書斎兼居間として使っていた8畳の数奇屋風の和室があり、法隆寺の古材でつくられた戸棚も置かれています。この日本間は昭和33年に長男宅に移築されて保存されていたものを、昭和61年に再度移築して元通りに復元されたといわれています。2階の窓全体は和室洋室のいずれにも違和感のないように格子調のデザインになっています。


3.設計者不明の建物
 これだけの建物でありながら、不思議なことには、建物を建てた清田龍之介という人物も、建物を設計した人も不明だということです。「三鷹市 山本有三記念館」によると、この人物の住所は鳩山一郎邸と同じ小石川区音羽7丁目10番地とあるそうです。鳩山邸は鳩山会館として現存しており、その設計は鳩山一郎の無二の親友であった岡田信一郎によるものです。清田氏と鳩山家はどんな関係だったのか、清田邸即ち山本有三邸は岡田信一郎が設計したのか、まったく謎に包まれたままだということです。岡田が関与しているのではないかという説もあるようですが、その建築リストには清田邸の記載はありません。
 こうしたことから、山本有三記念館はきわめて不思議かつ不可解な建物なのです。

4.周辺のみどころ
 ところで、2007年は山本有三の生誕120年にあたるため、記念展として「山本有三の生涯」が開催されていて(2007.9.29〜2008.4.13)、1階、2階に山本有三の著書、自筆資料をはじめ生涯を辿る関係資料が多数展示されています。
 三鷹市の山本有三記念館を訪れた際には、隣接の武蔵野市を含めて訪ねてみたいところがいくつかあります。
 そのひとつが、「みたか井心亭」(せいしんてい)です。ここは木造数奇屋造りの本格的茶室と和室大広間、庭園のある純和風の建物で、茶道・華道・歌会などの活動に広く利用されています。三鷹市芸術文化振興財団主催の寄席が開催されているほか、三鷹市と筑摩書房が主催している「太宰治賞」の選考会会場ともなっています。
 太宰治の墓がある禅林寺では、命日にあたる6月19日の「桜桃忌」には今でも多くの太宰ファンが訪れます。その太宰治が玉川上水で入水したむらさき橋付近には太宰治の碑が建てられています。これは三鷹駅から山本有三記念館へゆく途中です。山本有三が刺激を受けたといわれる森鴎外の墓も禅林寺にあります。
 また、井の頭公園西園の一角には三鷹の森ジブリ美術館があります。「となりのトトロ」「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」などで人気の宮崎駿監督が館主を務めるスタジオジブリの美術館で、館内にはアニメスタジオを再現したような展示室もあり、子供に人気があるところです。

 さらに井の頭公園の西側に隣接する井の頭自然文化園には北村西望彫刻館があり、長崎平和祈念像の作者として有名な彫刻家北村西望の作品が展示されています。平和記念像は彫刻館のアトリエで製作されたもので、その原型を鑑賞することができます。
 また近くには童心居がありますが、これは童謡詩人・野口有情の吉祥寺の屋敷内にあった離れ家で、所有者の大島秀一氏が昭和33年に東京都に寄贈し、翌34年現在地に移築されました。有料の集会施設として句会、茶会などに使われています。

IDE・トピックス 2008.1.5 

 美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1.「宮廷のみやび…近衞家1000年の名宝…」(陽明文庫創立70周年記念特別展)
 会 期:2008.1.2〜2.24
 会 場:上野公園 東京国立博物館 平成館
 入場料:入場料:一般1400円
 休 館:月曜日
 問合せ:03・5777・8600(ハローダイヤル)
 http://www.tnm.jp/

 陽明文庫は、昭和13年に近衞家29代当主・近衞文麿(当時は首相)が設立したもので、近衞家に伝来されてきた貴重な文書や宝物を収蔵しています。今回、陽明文庫創立70周年を記念して、20万点にもおよぶその所蔵品の中から優品を選んで、陽明文庫の全貌を知ることができる初めての展覧会です。藤原道長自筆の日記「御堂関白記」を初め名筆の集大成「大手鑑」、美麗な舶来の唐紙に和漢朗詠集を書写した「倭漢抄」などの国宝が公開されています。

なお、東京国立博物館の「国宝室」では1月2日〜14日まで長谷川等伯の国宝「松林図屏風」を公開しています。


2.「王朝の恋…描かれた伊勢物語…」

 会 期:2008.1.9〜2.17
 会 場:丸の内 出光美術館 (帝劇ビル9階)
 入場料:一般1000円
 休 館:月曜日
 問合せ:03・5777・8600(ハローダイヤル)
 http://www.idemitsu.co.jp/museum/

 伊勢物語は在原業平の歌を中心に、貴公子と女性たちとのエピソードを綴った恋物語です。この伊勢物語に取材した書画、工芸品は数多く知られていますが、今回は重要文化財「伊勢物語絵巻」(和泉市久保惣記念美術館蔵)の特別展示をはじめとし、主要な場面を厳選した優品が展示されます。詠まれた歌と名所の世界が紹介され、伊勢物語が愛好されてきた歴史を振りかえることができます。


3.「国宝 雪松図と近世絵画」
 会 期:2007.12.23〜08.1.31
 会 場:日本橋室町 三井記念美術館
     (三井本館7階)

 入場料:一般800円
 休 館:月曜日
 問合せ:03・5777・8600(ハローダイヤル)
 http://www.mitsui-museum.jp/

 円山応挙の国宝「雪松図」を中心に、肉筆浮世絵など風俗画で華やいだ雰囲気の作品が展示されます。また最近、松阪三井家から寄託を受けた近世絵画も特集陳列として初めて公開され、なかでも酒井抱一「観音像」は、江戸琳派の画家抱一の珍しい仏画として注目されています。


4.「中国陶磁名品展…松岡コレクション…」
 会 期:2008.1.5〜08.4.20
 会 場:白金台 松岡美術館
 入場料:一般800円(65歳以上 700円)
 休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
 問合せ:03・5449・0251
 http://www.matsuoka-museum.jp/

 松岡美術館の創立者松岡清次郎が蒐集した中国陶磁コレクションは、質の高い鑑賞陶磁コレクションとして知られています。その中でも、中国の景徳鎮窯で制作された元の青花(染付)磁器や、明・清の宮廷御用器として制作された青花磁器、五彩(色絵)磁器のコレクションは、高く評価されています。今回は、館蔵の元・明・清の景徳鎮窯作品を中心に、後漢から清朝までの中国陶磁の名品約50件余りが展示されます。

.  (了)

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