平成19年12月7日
古今建物集 …美しい建物を訪ねて…(18)
   
華麗なる華族の館…旧前田侯爵邸…
               
井出昭一
 今回から数回に分けて個人の住宅を取り上げ、最初に“東洋一の大邸宅”といわれた華族の館「旧前田侯爵邸」を紹介します。

. 1.数奇な経緯を辿った華族の館
 旧前田侯爵邸は、渋谷から京王・井の頭線に乗って二つ目の駅「駒場東大前」から歩いて10分程の閑静な住宅街の一角、大樹に囲まれた駒場公園の森の中に建っています。
 明治17年、本郷の東京帝国大学の敷地が手狭になったので、隣接していた加賀百万石大名の前田侯爵家は本郷の土地と駒場の東京帝国大学農学部実習地4万坪と交換することになりました。昭和4年から5年にかけて、前田家16代当主 前田利為(としなり)侯爵は、この駒場の約1万坪の敷地に、地上3階、地下1階建ての洋館と、渡り廊下で結ばれる2階建て純日本風の和館とを相次いで建てました。大樹がうっそうと茂る駒場野の林をそのまま生かした庭園や芝生の広場を擁する前田侯爵邸は、100人以上の使用人を抱えていて、当時東洋一の大邸宅といわれ豪華・華麗な館だったようです。
 第2次世界大戦が勃発した翌年の昭和17年、ボルネオ方面軍司令官の前田利為侯爵が戦死されて家族は他へ移り住むことになり、昭和19年には旧中島飛行機が邸内の一部を譲り受け、丸の内の明治生命館からその本社を疎開してきました。終戦を迎え、昭和20年9月に前田邸は連合軍に接収され第5空軍司令官ホワイトヘッドの官邸となり、続いて26年4月からは極東総司令官リッジウェイの官邸として使用されました。
 昭和31年に和館と一部の土地が国の所有となり、昭和42年4月には、洋館をそのまま利用した都立近代文学博物館と、和館に隣接して新築された財団法人日本近代文学館とが同時に開館し、旧前田邸は東京都立駒場公園として生まれ変わりました。平成3年に東京都有形文化財として指定されました。平成14年に博物館としての使命を終えた現在、建物内部は土日のみ一般に公開されていて洋館、和館とも自由に見学できます。
 このように、旧前田邸は戦争を挟んで数奇な経緯を辿ってきましたが、緑に囲まれた都会のオアシスとして今日でも心休まるところです。

2.豪壮にして華麗な洋館
 この前田侯爵邸の設計を担当したのは東京帝国大学教授の塚本靖と担当技師の高橋禎太郎で、駒場の田園の野趣にあわせてイギリス・チューダー様式を取り入れています。チューダー様式は、イギリス後期ゴシック様式を簡略化したもので、玄関ポーチのアーチが先の尖った尖塔ではなく扁平アーチその特徴です。外壁には、当時流行したスクラッチ・タイルを貼り、全体に落ち着いた雰囲気を漂わせている建物です。

 玄関を入ると大きなエントランスホールが広がり、階段ホールまでの大空間は寄せ木張りの床と漆喰の壁が和洋の調和を見せています。右手にはテラスに面した応接室があり、それに続いてサロンが2室、奥には大食堂と小食堂が並んでいます。格式を感じさせる2つのサロンと2つの食堂は、階段ホールを取り囲むようにして配置されています。内装は王朝風の装飾が施されイタリア産大理石のマントルピースや角柱、壁にはフランス産の絹織物や壁紙が使われ、さらにイギリス家具などを配し、こうした洋風の室内の一部には和風の唐草に雛菊文様なども見られ、昭和初期の和洋両建築の粋を集めた豪壮・華麗なものです。
 各室ごとに設けられている暖炉、天井にとりつけられたシャンデリアなどは、ほぼ洋館建築当時の状況だといわれ、芸術を愛し書籍などの収集に凝ったという優雅な文化人・前田利為の華麗な侯爵家の生活を偲ぶことができるところです。








3.静寂にして端麗な和館 

 洋館の左側を回って瓦屋根の板塀に沿って進むと瓦屋根の門があり、洋館とは全く異なる雰囲気の和館となります。和館は前田侯爵がロンドン駐在武官であったことから、外人客の接待用のために建てたともいわれています。
 玄関から入って二の間、一の間(表座敷)と続く広間や、重厚な床の間、違い棚、付書院、欄間の透し彫りなど随所に見所を備えた美しいつくりで、当時の面影を偲ぶことができます。広間の縁側に座ると、根ぎわで三本の幹に分かれている珍木のゴヨウマツをはじめ樹木や池がみごとに調和した庭園が広がり、ここでも落ち着いた雰囲気を味わうことができます。
 現在1階部分が一般に開放されていていますが、水屋、寄付を備えた茶室や和室も有料施設として利用できることはありがたいことです。今年の1月、私は十数名の親しい仲間でこの席を借りて茶会と会食をしましたが、都心の喧騒を離れた別世界の元華族の和室で、非日常の優雅な1日を堪能できたことで一同感激しました。



4.駒場公園周辺は文化施設が集積 
 駒場公園の入口の右側には、加賀藩主前田家に伝来した古書籍、古美術品、刀剣などを保存管理する前田育徳会の建物が建っています。前田家の所蔵品は尾張徳川家所蔵品と同様に早くから公益法人化されていたため、第二次大戦の混乱期にも散逸をまぬがれました。前田育徳会が所有・管理する「尊経閣文庫」には、「日本書紀」の現存最古の写本を初め、藤原定家の「土佐日記」の写本など国宝19件が収蔵されていますが、残念ながら一般には公開されていません。洋館と同じ昭和4年、高橋貞太郎の設計によって建てられた前田育徳会の事務棟(図書閲覧所)、書庫、什器庫、塀は登録文化財になっています。
 和館の北側には校倉風の日本近代文学館が建てられています。近代文学館は民間の文学関係者によって設立され、近代文学に関する資料を収集・保存・展示するもので、収蔵資料は、明治以降の文芸作家や評論家などの肉筆の原稿・色紙・書簡類や初版本など約1万3000点余にのぼっています。いつ訪れても人影がなく、静かな雰囲気の中で展示品が閲覧できます。

 駒場公園近くは閑静な住宅街です。各種の磁器の皿を埋めこんだ塀とか島崎藤村の自筆の歌を彫った石を埋めた壁など文化的レベルの高い住宅が並んでいます。また近くには民藝運動の拠点となった日本民藝館の本館と西館(旧柳宗悦邸)もあります。また、東大駒場キャンパス内には、美術博物館・自然科学博物館や登録文化財の旧制第一高等学校本館(現在は教養学部1号館)など、本郷キャンパスと似ていますが一味異なるところです。
 さらに足を伸ばせば、渋谷区立松濤美術館、陶磁器専門の戸栗美術館などもあって散策コースとしても適切な場所です。松濤美術館では年数回の企画展が開催されますが60歳以上は無料です。白井晟一設計の建築の中で名品に出会えるのは至福の時でもあります。





今回触れませんでしたが、鎌倉文学館は旧前田侯爵家の別邸で「鎌倉三大洋館」のひとつです。
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IDE・トピックス 2007.12.07 

 美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。
1.「秋の彩り」
 会 期:2007.11.17〜12.24
 会 場:三番町 山種美術館
 入場料:一般800円
 休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
 問合せ:03・3239・5911
 http://www.yamatane-museum.or.jp/

 秋を感じさせる作品約50点が展示されています。奥田元宋の大作「奥入瀬(秋)」のほか、酒井抱一「菊小禽」、横山大観「秋の色」、上村松園「夕照」、小林古径「秋采」、山口蓬春「新宮殿楓図4分の1下絵」、東山魁夷「秋彩」などです。

2.「日本の彫刻の近代」

 会 期:2007.11.13〜12.24
 会 場:北の丸公園 東京国立近代美術館
 入場料:一般850円
 休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
 問合せ:03・5777・8600(ハローダイヤル)
 
http://www.momat.go.jp/
 この展覧会は、高村光雲の代表作「老猿」(重要文化財)をはじめ、幕末・明治期から1960年代までの近代日本彫刻史を68名の彫刻家の約100点の作品によって辿ることができる貴重な機会です。展示されている作品は、宗教的なものから肖像、動物、そして抽象まで幅広く、素材も木、石、ブロンズ、象牙、鉄、アルミなど多岐にわたっています。さらに、高さ3mにも及ぶ竹内久一「神武天皇立像」からわずか7cmの高村光太郎「柘榴(ざくろ)」まで、実に多様な作品が集まっています。
3.「北斎…ヨーロッパを魅了した江戸の絵師…」
 会 期:2007.12.4〜08.1.27
 会 場:両国 江戸東京博物館
 入場料:入場料:一般1300円(65歳以上 650円)
 休 館:12/10・17・25、12/28〜1/1
 問合せ:03・3626・9974 
 
http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/
 長崎の出島に滞在したオランダ商館長たちは、4年ごとに行われる江戸参府の時に北斎などの絵師に肉筆の風俗画を注文し、次の参府の際に注文した作品を祖国に持ち帰ったといわれ、それらの作品が現在、オランダ国立民族学博物館とフランス国立図書館に所蔵されていることが最近の研究でわかり、今回、2ヶ所に分蔵されていたこれらの風俗画が初めて同時に里帰りすることになりました。
 江戸で人気を博した「冨嶽三十六景」や『北斎漫画』に代表される版画や版本、肉筆画、摺物など、初公開を含む北斎の名品を幅広く紹介されるため、 "知らなかった北斎"と"知っている北斎"と、ふたつの視点から北斎の芸術を鑑賞できそうです。
(了)

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