平成19年11月20日
古今建物集 …美しい建物を訪ねて…(17)
   
大学の講堂建築(2) 私立大学編
…大隈講堂、成瀬記念講堂、自由学園講堂…
               
井出昭一
 前回の国立大学の講堂に続いて、今回は早稲田大学の大隈講堂、日本女子大学の成瀬記念講堂、自由学園明日館の講堂と私立大学のなかでも特色ある3講堂を取り上げます。

1.早稲田大学「大隈講堂」
 西早稲田キャンパスの大隈講堂は正式には「早稲田大学大隈記念講堂」といい、大隈重信像とならんで早稲田大学といえば必ず登場するシンボルとなっています。ことしは大学の創立125周年(2007年10月21日)にあたり、多機能型の文化ホールに改修する内部工事が行われ、歴史ある外観の形は変らずに長年の汚れも洗われてすっかりきれいになりました。
 早稲田大学の創立者大隈重信が1922年逝去した後、記念講堂の建設が計画され、設計コンペにより当選案も選ばれましたが翌年の関東大震災(1923年)のため中断しました。改めて高田早苗総長からゴシック様式で演劇にも使える講堂を建てるよう要望があり、早稲田大学建築学科を中心に佐藤功一、内藤多仲(構造学の権威)、佐藤武夫(音響工学の先駆者)らが設計して、1926年2月に着工し、1927年(昭和2年)10月20日に落成しました。

 講堂の外壁の信楽風タイルは約19万枚も使われ、大学のシンボルとなっている7階建の時計塔は、大隈重信が提唱した『人生125歳』説にちなみ、125尺(約37.8m)の高さになっているそうです。塔の上には大小4つの鐘が据えられて、現在でもウェストミンスター宮殿と同じハーモニーを1日5回奏でています。
 佐藤功一が設計した建物としては、大隈講堂のほかには、日比谷公会堂・市政会館(1929年)、小平市にある津田塾大学(1932年)が知られていますが、教育者としても早稲田大学に建築科を創設する一方、日本女子大学でも教壇に立って女性に対する建築教育の草分けだともいわれています。
 大隈講堂は、時計塔が左側に寄っていて左右非対称で、東大の安田講堂とは対照的です。建物ばかりか、構内の銅像も対照的です。大隈重信のガウン姿の銅像は、朝倉文夫の傑作で大隈講堂を見つめるようにキャンパスの中央に立っています。一方、東京帝国大学の総長を2度務めた浜尾新(1849−1925)の銅像は、三四郎池を背にして安田講堂を見守るように石段を何段も上がったところに建てられていて、巨大なモニュメントといった感じです。東大構内には数多くの銅像がありますが、浜尾新像に次いで大きい工科大学教授の古市公威(1854−1934)の銅像は正門のすぐ北側にあって、座像ながら2メートルを超える高さで、周囲を大理石の衝立で囲まれているという特異な存在です。いずれも堀進二の作品で、一橋大の兼松講堂の2階ロビーに置かれている兼松房次郎翁の胸像も同じ堀進二の作品だそうです。
 大隈講堂は1999年、東京都選定歴史的建造物に選定され、大学創立125周年の今年10月には、国の重要文化財に指定されました。現在、都内で重要文化財に指定されている学校建築は慶應義塾旧図書館、慶應義塾大学三田演説館、旧東京医学校本館、自由学園明日館などがあります。

2.日本女子大学「成瀬記念講堂」
 日本女子大学の成瀬記念講堂は1906年(明治39年)に「豊明図書館兼講堂」として建設されました。建設当時、外壁は煉瓦壁でしたが1923年(大正12年)の関東大震災で大きな被害を受け破損したため、翌年には内部の造作を残して外壁および間仕切りの煉瓦をすべて取り除き、木造建築として再建されました。修復された講堂の内部は創建時の部材を丁寧に使用しており、特に木骨トラスやステンドグラス、基礎部分の煉瓦構造などは創建時のままだといわれています。当初、 2階バルコニー部分は図書館でしたが大震災後に講堂専用となりました。
 その後1961年(昭和36年)に創立60周年記念事業として補修工事が行われ、この時から創立者成瀬仁蔵の名を冠して「成瀬記念講堂」となりました。
 設計は、清水組(現清水建設株式会社)の技師・田辺淳吉によるものです。田辺淳吉が設計した建物は、飛鳥山の渋沢史料館の晩香盧、青淵文庫、深谷の誠之堂など渋沢栄一に関係し、大正期を代表する名建築としていずれも重要文化財に指定されています。1人の建築家の設計した建物で、木造(晩香盧)、鉄筋コンクリート造と煉瓦造(青淵文庫)、煉瓦造(誠之堂)と構造の異なる建物が3棟も重要文化財に指定されていのは田辺淳吉のみです。
 この成瀬記念講堂は、国の重要文化財ではありませんが、西洋の教会を思わせる日本の洋風建築の中では本格的なもので、同時に明治時代の学校建築としても貴重な遺産であることから、1974年(昭和49年)に文京区の有形文化財に指定されています。
 彼の手がけた建物にはステンドグラスが用いられていますが、その最初のステンドグラスがこの講堂でみることができます。芸術家肌で作品は繊細かつ端正だと評価された田辺淳吉は、大正時代の建築界で非凡な才能を期待されながら48歳という若さでこの世を去りました。


 なお、講堂の壇上に掲げてある3つの扁額は、創立者成瀬仁蔵晩年の書「信念徹底」「自発創生」「共同奉仕」で、日本女子大学の三綱領となっているものです。また中央に置かれている「成瀬仁蔵胸像」は高村光太郎の作品です。
 また、正門の左側に成瀬記念講堂と向かい合っている成瀬記念館は倉敷の大原美術館分館や倉敷アイビースクエアを手がけた浦部鎮太郎が設計したもので、一橋大兼松講堂の現代版ともいうべきロマネスク調の建物です。

3.自由学園明日館講堂
 学校の講堂としてユニークな存在は、自由学園明日館の講堂です。
 自由学園は、羽仁もと子と羽仁吉一によって1921年4月15日、キリスト教精神に基づいて幼稚園から大学まで独自の教育理念に基づいた一貫教育を行うことを実践するため豊島区に設立されました。学生の多くが学園内の寮で生活し、校内の維持管理や給食調理も生徒自身が行うなど、文部科学省のカリキュラムにとらわれない独自の教育方法で知られ、農場や学校林も所有しています。1934年(昭和9年)に自由学園が東久留米市に移転してからは、明日館は主として卒業生の事業活動に利用されてきました。
 自由学園明日館は木造で漆喰塗の建物で、中央棟を中心に左右に伸びた東教室棟、西教室棟と道路を隔てて建つ講堂とからなっています。中央棟、東教室棟、西教室棟は帝国ホテルの設計で有名なアメリカの巨匠フランク・ロイド・ライトの設計により建設され、300人収容できる講堂はライトの愛弟子の遠藤新が設計し、昭和2年(1927年)に完成しました。1997年(平成9年)5月、明日館の歴史的、芸術的価値が評価され、国の重要文化財に指定されました。 
 帝国ホテル設計のため来日していたライトに羽仁夫妻を引きあわせたのはライトの助手を勤めていた遠藤新です。羽仁夫妻の目指す教育理念に共鳴したライトは「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしたい」という夫妻の希いを基調として自由学園を設計しました。プレイリースタイル(草原様式)と呼ばれ、高さを抑えて地を這うような佇まいを特徴としています。天井、壁、扉などは素朴そのもので豪華絢爛とは程遠いものですが、温和な感じを与えてくれます。廊下から中2階になっている食堂へ行くには廊下から狭い階段を少し登った場所ですが、窓枠、内部の照明、小さな机や椅子などすべてがデザイン的に統一されて落ち着いた雰囲気です。

 明日館の講堂を設計した遠藤新は、このほかにも東久留米の自由学園と栃木県真岡小学校(久保講堂)でも講堂を手がけ、いずれも外観や基本的空間構成が良く似ていることから“遠藤新の講堂3部作”と呼ばれています。
 自由学園の素晴らしいのは「建物は使ってこそ生きる」という信念のもとに、木造の重要文化財の建物を惜しげもなく結婚式、講演会、コンサートなどに幅広く活用している点です。また建物の見学も昼間のみでなく夜間も実施しています。一般に美術館とか重要文化財の建物の中では、飲食禁止、撮影禁止、鉛筆以外の筆記用具禁止などと禁止事項が列挙されていますが、自由学園では中央ホールで紅茶とケーキを味わいながらゆっくりできる上に室内の撮影も自由です。こうした性善説にたった運営をされている点に敬服する次第です。


4.最適な都心の1日散策コース
 今回、 “美しい建物”という観点から私立3校の講堂を取り上げましたが、これらは偶然にも近いところに集まっていることが判り改めて訪れてみました。
 西早稲田キャンパスには、大隈講堂のほかに會津八一記念博物館(旧図書館)、坪内博士記念演劇博物館、大隈庭園などの見所が集中しています。
 大隈庭園からリーガロイヤルホテルを経て新目白通りを横断すると駒塚橋の右先に関口芭蕉庵があり、胸突坂の急坂を上ると左側の林の奥には“細川家の宝物館”ともいうべき永青文庫と和敬塾本館(旧細川侯爵邸)があります。向かいの蕉雨園(旧田中光顕邸)は非公開のため見学できません。(目白通りに出て右折すると講談社野間記念館で、その先は椿山荘と東京カテドラル聖マリア大聖堂があります。)


 目白通りを左折して目白駅方面に500mほど歩くと日本女子大で道路沿いに見えるのが成瀬記念講堂で向かい合っているのが成瀬記念館です。ここでは事務局に申し出ると内部の見学ができます。日本女子大と目白駅の間はスクールバスが往復していて便利ですが、天気の良い日は歩いて学習院のキャンパスを通り抜けた方が快適です。
 最後の自由学園は、池袋駅のメトロポリタン口から出てホテルメトロポリタンの正面の細い道を進むと5分で着きますが、目白駅からも徒歩7分ほどで住宅街の中に建っています。
 今回取り上げた3校の講堂のみを見学するならば、半日でも効率よく回ることができますが、周辺には見所が数多くありますので、都心の1日散策コースとしては密度の濃い点からも推奨できるところです。

IDE・トピックス 2007.11.20 

美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。
1.「フィラデルフィア美術館展…印象派と20世紀美術…」
 会 期:2007.10.10〜12.24
 会 場:上野公園 東京都美術館
 入場料:一般1500円
   (65歳以上 800円、第3水曜日は無料です)
 休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
 問合せ:03・5777・8600(ハローダイヤル)
 http://www.phila2007.jp/
フィラデルフィア美術館は、中世、ルネサンスから現代に至る25万点の絵画を所蔵するアメリカ屈指の美術館として知られ、なかでもヨーロッパとアメリカの近現代絵画は第一級のコレクションです。19世紀のコロー、クールベにはじまり、印象派のモネ、ルノワール、ゴッホ、セザンヌを経て、20世紀のピカソ、カンディンスキー、マティス、シャガールにいたるヨーロッパ絵画の巨匠たち、さらにはオキーフ、ワイエスなどのアメリカ人画家を加えた47作家の名作77点が公開されます。
2.「ムンク展」
 会 期:2007.10.6〜2008.1.6
 会 場:上野公園 国立西洋美術館
 入場料:一般1400円(65歳以上 800円)
 休 館:月曜日・祝日
 問合せ:03・5777・8600(ハローダイヤル)
 http://www.nmwa.go.jp/
ノルウェーのムンク(1863〜1944)は、日本でも数多くの展覧会が開かれてきました。これまでの展覧会は、彼の作品に表わされた「人間の魂の叫び」という主題を捉えるために、愛、死、不安、絶望といった心理的な諸テーマによってムンクの作品を理解しようとしてきました。
今回の展覧会は、ムンクの作品における「装飾」という問題に光を当てる世界でも初めての試みだとされています。「装飾画家」としてのムンクの軌跡をたどるためオスロ市立ムンク美術館などの代表作108点が一堂に展示されます。
3.「シャガール展…生誕120周年記念 色彩のファンタジー…」
 会 期:2007.10.13〜12.11
 会 場:上野公園 上野の森美術館
 入場料:一般1000円
 休 館:会期中無休
 問合せ:03・3833・4191
 http://www.ueno-mori.org/
今年は20世紀最大の画家の一人で、ロシア生まれのユダヤ人・マルク・シャガール(1887-1985)の生誕120年にあたります。パリに出て豊かな色彩感覚を開花させ、詩的で豊かな色彩表現と物語性をたたえたシャガールの絵画は、世界中の人々に愛と希望を与え続け、生涯に約2,000点にも及ぶ作品を残しています。はじめは銅版画を中心に取り組んでいましたが、第二次世界大戦後リトグラフも手がけ、鮮やかな色彩の作品を次々と生み出しました。
本展では、シャガールのリトグラフの最高傑作ともいわれる《ダフニスとクロエ》をはじめ合計222点と、愛や生命への賛歌を奔放な描線と、踊る色彩で幻想的に描いたシャガールの絵画17点を一挙に展示します。
4.「乾山の芸術と光琳」
 会 期:2007.11.3〜12.16
 会 場:丸の内 出光美術館
 入場料:一般1000円
 休 館:月曜日
 問合せ:03・5777・8600(ハローダイヤル)
 http://www.idemitsu.co.jp/museum/
京焼の巨匠・尾形乾山が元禄12年(1699)に開窯したことで名高い京都鳴滝乾山窯の窯跡発掘調査の全貌を初公開します。本展では、その成果を乾山の名作とあわせて実兄・尾形光琳の絵画もご紹介するとともに、重要文化財11件が展示されます。
5.「細川護立の閃き…世界が注目した中国美術…」
 会 期:2007.10.6〜12.24
 会 場:目白台 永青文庫
 入場料:一般600円
 休 館:月曜日
 問合せ:03・3941・0850
 http://www.eiseibunko.com/
永青文庫は、目白台の細川家屋敷跡の一隅にあり、細川家に伝来する歴史資料や美術品等の文化財を管理保存・研究・一般公開しています。現在の建物は旧細川侯爵家の家政所(事務所)として昭和初期に建設されたものです。
細川家16代当主の細川護立(1883〜1970)は、横山大観ら近代日本画家のパトロンであり、白洲正子に古美術を指南した人として知られ、国内外の優れた美術品を蒐集したコレクターで、なかでも中国美術は、書画はもとより陶磁器、出土品に至るまで幅広く蒐集しています。今回はその中から“細川ミラー”として世界的に知られる国宝「金銀錯狩猟文鏡」をはじめ、国宝「金彩鳥獣雲文銅盤」、重文「白釉黒掻落牡丹文瓶」など約60点が公開されています。

(了)

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