平成19年9月6日
古今建物集 …美しい建物を訪ねて…(14)
   
           軽井沢の建物
               …旧三笠ホテルと万平ホテルを中心に…
井出昭一

1.英国人が始めた避暑地
 “軽井沢”は長野県北佐久郡軽井沢町で、標高2,568mの浅間山の南山麓に広がる標高900〜1,000mの高原の町です。夏の平均気温20度。関東平野から急激に上昇した空気が一気に冷やされる地形のため年間平均120日霧が発生するという“霧の町”でもあります。朝は鳥のさえずりで目覚め、真昼の緑は目に沁みるほど痛く、夜は無数の星で心が洗われます。
 江戸時代は中山道の軽井沢(現:軽井沢)、沓掛(現:中軽井沢)、追分の三宿場町として栄えたところですが、軽井沢が知られているのは宿場ではなく避暑地としての軽井沢です。1886年(明治19年)カナダ生まれの英国聖教会宣教師アレキサンダー・クロフト・ショー(1846〜1902)が家族と友人と共に軽井沢を訪れてひと夏を過ごしたのが避暑地としての発端です。ショーは1888年(明治21年)、軽井沢の大塚山に民家を移築した別荘を建て、これが軽井沢別荘の1号となりました。現在この建物はショーハウス記念館として公開されています。ショーは軽井沢の気候、風土が気に入り、すばらしさを内外に紹介したことから、数多くの外国人や日本の経済人、政治家、文化人が次々と別荘を建てることになり、東京に近いこともあって日本を代表する避暑地として急速に発展しました。

2.旧三笠ホテル・・・“軽井沢の鹿鳴館”
 軽井沢にあって古いホテルとしてまず挙げられるのは、“軽井沢の鹿鳴館”と呼ばれた旧三笠ホテルです。ここを訪ねるには、軽井沢駅北口を出て、軽井沢本通りを通って旧軽ロータリーを斜め左方向に折れ、カラマツ並木が続く三笠通りを進みます。これは軽井沢を代表する光景で、並木をしばらく行くと右側の林の中にひときわ目を引く洋風建物の旧三笠ホテルに着きます。
 三笠ホテルは軽井沢の一時代を象徴するモニュメントであり、日本における木造純西洋式ホテルとしては、札幌に建てられた豊平館に次ぐ古い建物であることから、1980年(昭和55年)に重要文化財に指定されています。
 ホテルを建てたのは、日本郵船・明治製菓・第十五国立銀行の役員を務めた山本直良(1870〜1945)です。直良は銀行家の父・直成から譲り受けた三笠地域一帯に広がる25万坪の土地を活用して、最初は酪農を中心にした大農園を計画しました。しかし、寒冷な気候と浅間山の火山灰土という悪条件では牧草も育たないことが判り、牧場を諦めて別荘地開発と観光へと計画を変更し、1905年(明治38年)三笠ホテルを建設し、翌年5月に営業を開始しました。
 設計はアメリカで建築を学んだ岡田時太郎、監督は萬平ホテルの創業者・初代佐藤萬平、大工棟梁は地元で腕利きの誉れが高かった小林代造と、すべて日本人によって建てられた“明治の洋館”です。
 発足当初、利用するのは外国人ばかりでしたが、次第に日本人も宿泊するようになり、近衞文麿、澁澤榮一、大隈重信など日本を代表する政界・財界人が数多く滞在するようになりました。直良の妻愛子は小説家の有島武郎、里見ク、画家の有島生馬を兄弟に持つ芸術一家の出身だったことから、ホテルは白樺派文化人の夏の社交場となり、日本のエリートが集まるご用達サロンとしてホテルの価値をさらに高めています。

 客室は30室、定員40名で決して規模は大きくありませんが、食事、サービスは一流で、食器は丁寧に絵付けを施した器を使い、宿泊客は駅から黒塗りの馬車で送迎つきといった超高級ホテルだったようです。
 八角の美しい塔屋を持つ建物は、アクセントをつけたスティックスタイル(木骨様式)で、ドイツ式の下見板張り、湾曲のブラケット(腕木)、太い縁の窓枠など重厚な感じを受け、ゴシック調の優美な外観は今でもひときわ目立つ建物です。




 西洋文明の香りの漂うロビーは、古きよき時代を感じさせる空間です。幾何学模様のガラス窓に取り付けられたカーテンボックスは有島生馬がデザインしたといわれ、鶴と松を組み合わせた浮き彫りが施され、三笠ホテルのM(三笠)とH(ホテル)をあしらったロゴも彫られています。



 シャンデリア照明もロビー、廊下、客室とも異なるデザインで、英国製タイルの浴室と水洗トイレ、階段室の英国製カーペットさらにプールも備えられていたそうですから、当時の最先端・最高級の設備が整えられて一般の生活と比較すると格段の相違を感じさせます。





3.万平ホテル…現役のクラシック・ホテル…
 軽井沢のもうひとつの古いホテルは万平ホテルです。創業110年以上歴史を有し、日光の金谷ホテル、箱根の富士屋ホテルとともに日本を代表する現役のクラシック・ホテルで、大人の雰囲気を漂わせています。


 ホテル前身は「亀屋」という中山道の旅籠(はたご)です。1886年(明治19年)英国の宣教師アレキサンダー・クロフト・ショーと大学教師ジェームス・メイン・ディクソンが軽井沢を訪れ、ディクソンが亀屋の庭続きにあった佐藤萬平の家にひと夏滞在したのが、万平ホテル誕生のきっかけとなったとのことです。当主の初代佐藤萬平は、1894年(明治27年)亀屋を欧米風の外国人専用のホテルに改装し「亀屋ホテル」として創業しました。
 1896年(明治29年)に「萬平ホテル」と改称し、さらに1936年に現在の「万平ホテル」と改めました。明治35年には桜の沢の地に客室22室の本格的西洋式ホテルを完成しました。外人が発音しやすいように「MAMPEI HOTEL」とNではなくMと気遣いをしています。

 建設を請け負ったのは小林代造・孝七兄弟で、軽井沢ではショー記念礼拝堂、三笠ホテル、三井別荘をも手がけています。初代萬平の婿養子・小山国三郎(二代目佐藤萬平)も米国視察で習得した知識を元に積極的経営を展開し、本館アルプス館を昭和11年に建築しています。この設計はドイツ留学帰りの久米権九郎で、地方色を生かした新和風様式で、外観は信州の佐久地方に見られる養蚕農家のイメージにスイスシャレー風を加味した風格あふれるものとしています。
 玄関からロビーに入ると英国調で落ち着いた重厚な雰囲気が漂い、背の高いフロントデスクが風格を感じさせます。ロビー、バー、ダイニング、カフェなど高い天井からそれぞれ異なるデザインのシャンデリアが取り付けられています。

 ダイニングルームと廊下の間には、大きなステンドグラスがありますが、そのモチーフが江戸時代の参勤交代という一風変ったものです。寝室とくつろぎのスペースをガラス障子で仕切るという伝統的の客室が残されていて、これを好む常連客も多いようです。




 創業以来、室生犀星、芥川龍之介などの文豪やビートルズのジョン・レノンにも愛されてきたホテルで、2004年4月には史料室がオープンし、猫足や鳥足のバスタブ、桜の模様が散りばめられた軽井沢彫りのタンス、ジョン・レノン愛用のピアノ、大正時代の重厚な金庫、ディナー開始を知らせる鉄琴、クラシックタイプの客室の鍵など長い歴史を感じさせる調度品が展示され自由に見学できます。


4.自然の中に文化が散在する街
 軽井沢は日本の街でありながら神社、仏閣はほとんど見当たらず、教会ばかりが目立つ不思議な街です。またいたるところに様々な美術館が点在しています。美術館といっても規模は決して大きくはありませんが、いずれも個性的な建物で、その内容も特色のあるものばかりです。これを一巡するには数日かけねばなりません。参考までに、軽井沢町に所在する主な美術館(写真は省略)を列挙してみます。
1)脇田和美術館(軽井沢町旧道) 電話0267-42-2639
 脇田和の全貌を伝える作品を展示する個人美術館で、美術館に隣接する脇田和のアトリエ山荘は吉村順三の設計です。
2)田崎美術館(軽井沢町長倉横吹)電話0267-45-1186
 浅間山や阿蘇など山岳を数多く描いた田崎廣助作品を展示する個人美術館です。原広司の設計で、日本建築学会賞を受賞した建物も魅力的です。
3)セゾン現代美術館(軽井沢町長倉芦ヶ沢) 電話0267-46-2020
 旧高輪美術館。ジャスパー・ジョーンズ、アンディ・ウォーホルなど国内外の現代アートを系統的に収集し展示しています。広々した庭園にはイサム・ノグチ、安田侃などの野外彫刻も点在しています。建物設計は菊竹清訓で、庭園設計は若林奮です。
4)ル・ヴァン美術館(軽井沢町長倉)電話0267-46-1911
 文化学院の創立者西村伊作が1921年に設計した英国コテージ風の校舎を 再現し美術館として1997年に開館しました。石井柏亭、有島生馬、与謝野晶子、佐藤春夫など文化学院と縁ある作品を展示しています。
5)ペイネ美術館(軽井沢町塩沢湖 軽井沢タリアセン) 電話0267-46-6161 
  愛と平和をテーマに描くフランスのレイモン・ペイネの作品が展示されています。建物はアメリカ近代建築の巨匠アントニン・レーモンド(注:下記のトピックス欄をご覧ください。)が昭和8年に建てた「軽井沢・夏の家」と呼ばれるアトリエ兼別荘を移築したものです。レーモンドは旧軽井沢のシンボルとなっている聖パウロカトリック教会も設計しています。
軽井沢町から少し足を伸ばして一度は訪ねてほしい美術館があります。
@メルシャン軽井沢美術館(御代田町) 電話 0267-32-0288
 メルシャン株式会社の創立60周年を記念してウイスキーの樽の貯蔵庫を改修し欧州の近現代美術を展示する美術館です。改修設計はフランスのジャン・ミシェル・ヴィルモットで、レストラン、カフェもあってウイスキー、ワインの試飲もできます。
A小諸市立小山敬三美術館(小諸市 懐古園内)電話0267-22-3428
 小諸出身の文化勲章受章の洋画家で浅間山、姫路城などを描いた小山敬三の作品を展示しています。建物も文化勲章受章の建築家村野藤吾が設計した斜面を使った独特の建物です。
B佐久市立近代美術館[油井一二記念館](佐久市猿久保)電話0267-67-1055
 佐久市出身の美術年鑑社社長油井一二氏が寄贈した日本画、洋画、彫刻、工芸、書など770点を母胎として昭和58年に開館しました。平山郁夫の出世作「仏教伝来」はここの所蔵品です。
 軽井沢は、上田、小諸、佐久などと長野県の東部いわゆる“東信”(信州の東部)に位置する町ですが、他の町とは自然も文化も全く異なり、ひと味違う時間を過ごすことができるところです。
 カラマツ林を散策するもよし、木漏れ日の道をサイクリングするもよし、広々拡がる浅間高原をドライブするもよし。その中で北原白秋、室生犀星、堀辰雄、有島武郎、正宗白鳥、野上弥生子などの文学碑や旧居などにも巡り逢うことができます。テニスコートあり、ゴルフコースあり、ショピングプラザあり。すばらしい自然の中に老若男女誰もが四季を通じて楽しめるような多彩な文化が点在するところ、それが軽井沢です。
 IDE・トピックス 2007.9.6  
美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1.特別展示「青木繁と“海の幸”」
  会 期:2007.7.18〜9.30
 会 場:京橋 ブリヂストン美術館
 入場料:一般 800円(65歳以上 600円) 
 休 館:月曜日   
 問合せ:03-3568-0241
 http://www.bridgestone-museum.gr.jp/
 いつもは石橋美術館(福岡県久留米市)で展示されている青木繁の代表作「海の幸」が久しぶりに東京にやってきます。もう一つの代表作「わだつみのいろこの宮」のほか計6点の青木繁作品が展示されます。印象派、20世紀美術などの常設展示もあわせて見学できます。
2.「アントニン&ノエミ・レーモンド
      …建築と暮らしの手作りモダン…」

  会 期:2007.9.15〜10.21
 会 場:神奈川県立近代美術館 鎌倉(鶴岡八幡宮境内)
 入場料:一般 1000円(65歳以上 500円) 
 休 館:9/18、9/25、10/1、10/9、10/15。   
 問合せ:0467-22-5000
 http://www.moma.pref.kanagawa.jp/museum/
 建築家アントニン・レーモンド(1888-1976)と妻でデザイナーのノエミ・レーモンド(1889-1980)は、40年にわたって日本で活動し日米で500以上の建物を設計しました。モダニズムの先駆者で日本文化のすぐれた理解者でもあったレーモンド夫妻の全貌を初めて紹介する展覧会です。

3.館蔵 秋の優品展「絵画・墨蹟と李朝の陶芸」

  会 期:2007.9.1〜10.21
 会 場:上野毛  五島美術館 
 入場料:一般 700円 
 休 館:土(祝日の場合は翌日)   
  問合せ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
  http://www.gotoh-museum.or.jp/
 館蔵品の中から、絵画(歌仙絵・絵巻の断簡)、書跡(墨跡・古写経)、李朝の陶芸の名品を約60点が展示されます。国宝「紫式部日記絵巻」も10月13日から10月21日まで特別展示の予定です。

4.「染付・呉須・祥瑞…青と白のやきもの…」

  会 期:2007.8.14〜9.17
 会 場:白金台 畠山記念館 
 入場料:一般 500円 
 休 館:土(祝日の場合は翌日)
  問合せ:03-3447-5787
  http://www.ebara.co.jp/socialactivity/hatakeyama/
 400年前に伝来した中国の染付・呉須・祥瑞は、茶人の注文品として日本向けに製作されたやきものですが、茶人を魅了したこれらを中心に、清涼感のある茶道具も取り合わせのほか、明時代初期に景徳鎮で作られた重要文化財「染付龍濤文天球瓶」、永楽の染付も特別展示されます。
. 以上

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