平成19年6月20日
古今建物集 …美しい建物を訪ねて…(10)
   
東京大学本郷キャンパスの建物群
        …内田ゴシック建築の展示場…
井出昭一
1.本郷キャンパスは加賀前田家の上屋敷
 東京大学の本郷キャンパスは、江戸時代加賀百万石・前田家の上屋敷のあったところで、現在では55ヘクタール(16.7万坪)の敷地に、延べ床面積90万uの大学の建物が建っています。ここには教養学部を除く9学部(医・法・文・理・工・農・経・教育・薬)が集結し、学生と教職員合計で約2万の人の活動する場となっています。
 本郷キャンパスには歴史的に由緒ある建物が多く残されています。その代表は赤門で国の重要文化財に指定されています。赤門は旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門であり、1827年に第13代藩主の前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女、溶姫を迎える際に造られたものです。建築様式としては薬医門で、切妻の屋根で左右に唐破風造りの番所を置くという格式の高いものです。現在残されている大名屋敷の表門としては、上野の東京国立博物館の「黒門」(旧因州池田家江戸屋敷表門)と双璧をなすものです。
 因みに、加賀藩江戸屋敷は4屋敷で成り立っていて、上屋敷が現在の東京大学の本郷キャンパス、中屋敷は駒込、下屋敷は板橋・平尾、さらに米蔵屋敷は深川にあったそうです。この板橋の下屋敷は本郷よりもさらに大きく約72ヘクタール(22万坪弱)の広さで、特に上屋敷と下屋敷は諸大名のなかでも比類のない規模のものだったようです。

2.内田ゴシック建築の展示場
 明治10年以来、半世紀にわたり延々と築かれてきた本郷キャンパスは1923年の関東大震災で壊滅的打撃を受けました。この震災復興計画を託されたのは東京大学建築学科の建築家で後の総長となった内田祥三(うちだ・よしかず1885-1972)です。内田は大正13年から昭和13年までの営繕課長在任15年間に本郷キャンパス19万uにのぼる建物建設と広場・道路などの外部環境とを一体的に整備し、地震と火災に強いキャンパスつくりを精力的に推進しました。建設工事を迅速化するため、建築の構成・規模を共通化し、材料や監理の合理化を進め、スタイルは明治のゴシックの伝統を継承しました。
 内田が手がけたキャンパス内の建物は20棟以上にのぼり、安田講堂を初め総合図書館、東大病院・第一・内科・管理研究棟、法文1・2号館、法学部3号館、医学部1・2号館(本館)、工学部列品館・1・3・4・6号館、理学部2号館、農学部1・2・3号館などは、共通する特徴をもったゴシック様式の建物でいわゆる“内田ゴシック”といわれるものです。したがって、本郷キャンパスはいわば“内田ゴシック建築の展示場”ともいえるところでもあります。
 これらのうち法文1号館、法文2号館、法学部3号館、工学部列品館、工学部1号館と数多くの建物が登録有形文化財に登録されています。




3.内田ゴシックの建物群…代表は“安田講堂”
 正門からイチョウ並木の先の重厚な“安田講堂”は、安田財閥の創始者・安田善次郎の寄付により建設されたものです。「東京大学大講堂」が正式名称です。東大のシンボルとなっている建物であり、東京都の登録有形文化財第1号でもあります。これは内田祥三が基本設計を行い、弟子の岸田日出刀が実施設計を担当したものでいわゆる“内田ゴシック”の代表です。1921年(大正10年)に起工し、関東大震災による工事中断を経て1925年(大正14年)7月6日に竣工しました。1968年(昭和43年)の東大紛争の後しばらく閉鎖されましたが、旧安田財閥グループ企業の寄付によって修復工事がなされ、1991年には卒業式が再びこの講堂で行われるようになりました。

 一対のクスノキの大樹と相輪を象った噴水を前庭に擁する総合図書館は、関東大震災後にロックフェラー財団の寄付によって建設されました。今後改築工事を行う予定があるために登録有形文化財には登録されていませんが、正面の独創的デザイン、壁面に施されたレリーフなど歴史の重さと風格を感じさせる建物です。戦後、赤門側に大規模な増築が行われ社会科学研究所、史料編纂所として使われていますが、増築部分も内田ゴシックのデザイン様式が取り込まれています。
 



 正門を入って左側の建物が、工学部列品館です。列品館という名称でありながら、なぜか実際に標本等が陳列されたことはなく、工学部の事務室として利用されているそうです。イチョウ並木の向かいは法学部3号館で列品館と対を成しています。

 数多くの内田ゴシックの中で最も美しいといわれ評価の高いのは、1936年完成の医学部2号館(本館)で、別名「キャンパスの貴婦人」といわれるものです。赤門を入った正面の奥に、広い庭に面して“貴婦人”は建っています。
 ただ、残念なことは、何回訪れても貴婦人の前に荷物運搬のトラックや工事用の車が前面に駐車していて、美しい景観を損ねていることです。やはり、美人は回りもきれいにしていなければなりません。










4.「内田ゴシック」でない内田祥三設計の建物
 本郷キャンパスで内田祥三が設計して「内田ゴシック」調でないものも何棟か残っています。それらは工学部2号館、七徳堂、弓道場、龍岡門、農学部正門です。
 このうち工学部2号館の旧館部分は、内田祥三がキャンパス内で初めて設計した建物です。この建物の完成は1924年ですが、設計されたのは1923年の関東大震災前であるため、外壁のタイルの色などが他の「内田ゴシック」とは少し異なっています。関東大震災の時にはほぼ完成していたにもかかわらず倒壊を免れたことが高く評価され、震災後の復興計画を内田に任されることになったといわれ、「内田ゴシック」の原点ともいうべき記念碑的建物でもあります。
 現在は旧館を覆うような形で上部に高層の新館が増築されていて、異様な感じを受ける建物です。 御殿下グラウンドの南側で医学図書館の近くにある七徳堂は内田祥三が設計した鉄筋コンクリートの構内では珍しい和風建築で武道場として使われています。また和弓の練習場の弓道場も、同じようにそりのある屋根をいただく和風の雰囲気を持った建物で林の中にひっそりと建っています。



5.設計が内田祥三以外の建物
 次に戦前に建てられた建物のうち、設計が内田祥三以外の建物を挙げてみます。そのひとつは本郷通りに面した正門です。これは築地本願寺、一橋大学兼松講堂の設計で有名な伊東忠太の設計です。正門の両横には門衛所も付随していて、格式高い大名屋敷表門の近代版です。鉄筋コンクリートの門柱に渡された冠木(かぶき)には、吉兆を表す瑞雲から登る朝日がデザインされ、大扉の上部は縦格子、下部は青海波、周囲は唐草模様と、東洋的意匠でまとめられています。伊藤忠太の設計には怪獣が潜んでいますが、この正門には見当たりませんでした。天皇陛下が通るということで控えたからでしょうか。
 他のひとつは「東大構内」バス停の近くにある理学部化学館で「化学旧館」と呼ばれているレンガ張りの建物です。山口孝吉による設計で、関東大震災よりも前の大正4年(1915年)に完成していますから、本郷キャンパスに現存する最古の校舎建築です。赤レンガの外壁の古典主義建築であるため、内田ゴシックの建物が多い本郷キャンパス内では目立つ存在です。


6.本郷キャンパスは肖像彫刻展示場・樹木園
 東京大学の本郷キャンパスを歩いていて、目に止まるのはここで教鞭をとった教授の肖像彫刻群です。かつて、東京大学総合研究博物館で東京大学のコレクション[「博士の肖像…人はなぜ肖像をのこすのか」展(1998.10.1‐11.15)と題する特別展示が開かれました。その際のキャンパス内にある肖像の所在調査では、「およそ100点の肖像画と80点の彫刻が確認できたが、全貌は明らかにならなかった」とされています。
 大きさの点から、目立つのは東京帝国大学の総長を2度務めた浜尾新(1849−1925)の銅像で、三四郎池を背にして安田講堂を見守るように建てられています。浜尾新像についで大きいのは工科大学土木工学科教授の古市公威(1854−1934)の銅像で、いずれも堀進二の作品です。これは正門のすぐ北側にあって、座像ながら2メートルを超える高さで、周囲を大理石の衝立で囲まれているという特異な存在です。
 建築に興味を持つ人必見のものは、“建築学の父”ジョサイア・コンドル(1852−1920)の立像です。工学部1号館の前庭に立っているこの銅像を制作したのは新海竹太郎です。胸像のなかには、校舎の裏の片隅に放置されているものも数多くありますので、「環境整備チーム」の皆さんに建物ばかりではなく彫刻周辺の整備も是非お願いしたいところです。
 このように、本郷キャンパスの魅力は、内田ゴシックの建物群、有名彫刻家による肖像彫刻群に加えて、イチョウ、ケヤキ、クスノキの巨木を中心に百数十種にわたる樹木群で、四季折々の楽しみが満載のキャンパスです。 




..  IDE・トピックス 2007.6.20 

 美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1.「青山二郎の世界」展
 …白洲正子の物語も小林秀雄の骨董も
                 この男から始まった…

 会 期:2007.6.9〜8.19
 会 場:砧公園 世田谷美術館
 入場料:一般 1000円 (65歳以上 800円)
 休 館:月曜日
 問合せ:03・5777・8600(ハローダイヤル)
 http://www.setagayaartmuseum.or.jp/ 
 天才的な審美眼を発揮し、希代の目利きといわれた青山二郎に焦点を当てた展覧会です。横河グループの創業者・横河民輔の中国陶磁コレクションの図録『甌香譜』を5年の歳月をかけ完成させたことで中国陶磁の世界でも高く評価されています。現在東京国立博物館の中国陶磁の中核となっている横河コレクション、青山と交流のあった洋画家の梅原龍三郎、陶芸家の浜田庄司、北大路魯山人、加藤唐九郎らの作品など200点が一堂に集められています。

2.「藤森建築と路上観察」…第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展帰国展…
 会 期:2007.4.14〜7.1
 会 場:初台 東京オペラシティ
         アートギャラリー[3Fギャラリー]

 入場料:一般 1000円 (65歳以上 500円)
 休 館:月曜日
 問合せ:03・5353・0756
 http://www.operacity.jp/ag/exh82/index.html
 日本近代建築史研究の第一人者・藤森照信東大教授は、1990年以降、自ら建築作品を手がけ、形式にとらわれることのない独創的な建築を発表しています。昨年の第10回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展で開催された「藤森建築と路上観察:誰も知らない日本の建築と都市」は、国際的な評価が高く大いに話題を呼びました。これはその帰国展です。

3.「肉筆浮世絵のすべて
      …その誕生から歌麿・北斎・広重まで…」

 会 期:後期2007.5.30〜7.1
 会 場:丸の内 出光美術館(帝劇ビル9階)
 入場料:一般 1000円 
 休 館:月曜日
 問合せ:03・5777・8600(ハローダイヤル)
 http://www.idemitsu.co.jp/museum/index.html
 出光美術館の浮世絵コレクションは、そのすべてが肉筆画であるといわれ、今回の展覧会では初めて館蔵の肉筆浮世絵コレクションが公開されています。
会場には、歌麿・北斎・広重など代表的な浮世絵師たちの傑作も一堂に並びます。特に北斎の「亀と蟹図」、「樵夫図」は初公開となる作品です。

4.「ル・コルビュジエ展」
      …建築とアート、その創造の軌跡…

 会 期:2007.5.26〜9.24
 会 場:森美術館  六本木ヒルズ森タワー53階
 入場料:一般 1500円 
 休 館:会期中無休
 問合せ:03・5777・8600(ハローダイヤル)
 http://www.mori.art.museum/jp/index.html
 建築界の巨人、近代建築の始祖、20世紀最大の建築家ル・コルビュジエは多くの絵画や彫刻を生み出した一人の画家でもありました。この展覧会ではル・コルビュジエの人間としての魅力を通して建築、絵画、家具までの多彩な業績を約300点の作品が紹介されます。
 今年の1月に開館した国立新美術館に続いて、サントリー美術館が3月末にオープンし、これら2館に森美術館を加えた3館は、三角形を描く「六本木アート・トライアングル」として売り出し中です。

感想、ご意見などありましたらここをクリックしてください。⇒筆者へメール
『古今建物集』目次へ戻る