平成19年5月5日
古今建物集 …美しい建物を訪ねて…(8)
   
国宝の茶室「如庵」とその周辺
井出昭一
 今回の探訪先は茶室「如庵」です。如庵は、戦国の武将・織田有楽が建てた茶室で、京都山崎の妙喜庵に千利休が建てた「待庵」、大徳寺龍光院の小堀遠州好みの「密庵」と共に国宝三名茶席の一つといわれています。
1.数寄大名“織田有楽”とは……
 如庵を創建した織田有楽(1547~1621)は、織田信秀の11男、信長の実弟として天文16年(1547年)に、茶道の盛んな尾張の地に生まれた武将です。本能寺の変で兄の信長が倒れたあと、信長の家臣であった豊臣秀吉の配下となり、関が原の戦いでの功により徳川家康から3万石の禄を与えられるなど変化に富んだ人生を送りました。
 慶長6年(1601年)大阪の天満に居を定め、そこに設けた茶席には神谷宗湛、千少庵、豊臣秀頼、片桐石州、細川三斎、千宗旦などの武家、茶人を数多く招いています。有楽は晩年の元和3年(1617年)、荒廃していた京都建仁寺の塔頭正伝院を再興し、そこを隠居と定め剃髪して有楽斎如庵と号しました。その一隅に建てた茶室が如庵です。苛酷な戦国の世を生き抜いた後、隠居所の正伝院で平穏な晩年を過ごし、元和7年(1621年)75年にわたる生涯を閉じました。法号は正伝院殿如庵有楽大居士ということできわめて明快です。
 有楽は茶の師として千利休を敬慕し、秀吉からも一目置かれていた大名茶人でした。「茶の湯は客をもてなす道理を本意とする」ことが有楽の茶道に対する基本姿勢で、狭い茶室は客を苦しめるとして寛ぎの茶室を求め、それを具現したのが如庵です。
2.如庵からはじまり如庵へ
 また、有楽は茶道有楽流の祖でもあり、墨蹟、茶入れなど数々の名物茶道具を所持していました。その中でも広く知られているのが大井戸茶碗「銘 有楽」で、通称「有楽井戸」として親しまれている気品溢れる名碗です。この茶碗は、有楽の所持後、紀国屋文左衛門の手に渡り、さらに藤田家に伝わりました。昭和12年4月の藤田家の入札に際して、“新人数寄者”松永耳庵が、当時、数寄者の頂点に立っていた師匠の益田鈍翁を抑えて落札し、一躍耳庵の名を世に広めた話題の茶碗でもあります。この茶碗は後に耳庵から東京国立博物館に寄贈され、しばしば展示されますので拝見することができます。その東京国立博物館には、原三溪が耳庵に贈った春草盧という茶室があります。横浜の三溪園には、重要文化財に指定されている同じ名前の茶室「春草盧」があり、こちらはなんと織田有楽が造った茶室だといわれています。
 このように、茶室「如庵」はじまり、織田有楽→茶碗「有楽井戸」→松永耳庵→東京国立博物館→庭園内の茶室「春草盧」→原三溪→三溪園内の茶室「春草盧」→織田有楽→茶室「如庵」と話題が際限なく続いていくかと思うと、元に戻るのがこの世界の楽しいところです。そこで話を如庵に戻します。


3.如庵の見どころ・・・随所に斬新な趣向
 如庵は、ひとことで言うと、端正で気品ある茶室です。江戸時代から「有楽囲い」とか「筋違(すじか)いの数奇屋」などと呼ばれ広く知られてきたものです。入母屋造り風の杮葺き屋根を持ち、わずか2畳半台目の小さな茶室ですが随所に有楽の好みが反映され、他には例を見ない独特な工夫がされています。
 まず、茶室に入る躙口(にじりぐち)の位置は、正面ではなく左側の袖壁に向かって開けられています。本来、躙口の近くに設けられるべき釣り棚式の刀掛けがなく、そのかわりに、土間の正面に「扈従(こしょう)の間」と呼ばれる小室が設けられ、ここには置き刀掛けが備えられていたといわれています。
 床脇の点前座側には鱗板(うろこいた)と呼ばれる三角の板が嵌められています。このわずかなスペースの果たす役割は大きく、狭い茶室内で客に対しての給仕を効率よく容易にしています。
 躙口の反対側壁面に配されている二つの窓は、外側に竹がぴっちりと詰めて打ち付けられていて、そのわずかな竹の隙間から障子に漏れる微妙な陰影を意図するという憎いばかりの配慮がなされています。これは「有楽窓」と呼ばれて他には例を見ないものです。また、腰張りには古い暦を張って独特の意匠効果を表していることから一名「暦張り席」とも呼ばれています。
 手前座には炉を向切りにして、炉の先には中柱が立てられています。しかもそこには杉の一枚板が嵌められていて手前座に光を取り込めるよう火灯形にくり抜かれています。床柱は一面にチョウナ使った荒削りの豪快さを見せる一方、框は黒塗りという取り合わせとなっています。
 とにかく、如庵は斬新なデザインを取り入れながら、使い勝手をも巧みに配慮するという有楽の茶の考えが余すところなく集約されている姿を見ることができる茶室です。
如庵を訪ねて犬山まで出かけるのは大変ですが、日本橋の三井記念美術館には、この如庵を忠実に復元した原寸大模型があり、ゆかりある茶道具が展示されることもあります。


4.京都から東京、大磯、犬山と三転
 如庵は、室町時代元和4年(1618年)に京都の建仁寺正伝院に創建された後、三井総領家(北家)の所有となって、明治41年(1908年)、東京麻布・今井町の本邸の庭園内に書院とともに移築され、昭和11年4月には国宝の指定を受けることになりました。
 三井総領家10代当主三井高棟(たかみね)は、東京での火災に遭遇する危険を回避するため、如庵の移築を決意し昭和13年(1938年)大磯町の別邸に移されました。移築に際しては、解体しないで二つに分割してシートで梱包し、台車を組んでトラクターで慎重に大磯まで輸送したといわれています。大磯の別邸は「城山荘」と称し、3万8000坪に及ぶ広大な敷地内には全国の由緒ある社寺の古材を集めて建てた本館をはじめ、大雄殿、小笠原亭、法雲堂、旧正伝院書院、茶室前後軒、松聲寮、唐門、岩栖門(いわすもん)、片桐門などが次々に移築され、当時の図面をみるとまるで古社寺博物館のようです。
 昭和20年5月の東京大空襲により、今井町の本邸建物はすべて焼失しましたので、もし如庵が大磯に移されていなければ本邸とともに灰燼となったことでしょう。三井高棟の英断が如庵を戦火から救ったといえます。その高棟も最晩年を城山荘で過ごし、昭和23年(1948年)91歳で逝去されました。
 昭和45年(1970年)城山荘は三井家の手を離れ、名古屋鉄道株式会社の所有となって、2年後に犬山城下の現在地に移築されました。このように、如庵は有楽の生涯のごとく各地を転々とする数奇な運命を辿りましたが、有楽の故郷・尾張にようやく安住の地を得て、名鉄犬山ホテルの閑静な有楽苑の一郭に収まっています。

5.新旧大小の茶室の揃う有楽苑
 有楽苑には、国宝の茶室如庵があるばかりでなく、数奇屋建築の権威・堀口捨巳の指導により、露地、書院なども、建仁寺の塔頭時代の状況に再現されていて周辺の環境が整備されていることが魅力です。
 旧正伝院書院は如庵と同じ時期に有楽の隠居所として建てられたもので、入母屋造りの端正な外観も美しく、内部には長谷川等伯、狩野山雪などの障壁画も残されていて重要文化財に指定されています。現在、有楽苑の正面の門となっている岩栖門(いわすもん)と徳源寺唐門も如庵とともに三井家の大磯別邸から移築されたものです。
 旧正伝院書院の近くには、茶室「元庵」が建てられています。これは大阪天満(現在の造幣局の地)に有楽が屋敷を構えていた頃建てたと伝えられる茶室を古図に従って復元した3畳台目の茶室です。躙口が中央に開けられ、点前座の奥に床を構える亭主床、竹の中柱など、如庵と同様にここでも有楽の独創性を見ることができます。なお、元庵の名は新たに表千家13代家元即中斎宗匠によって命名されたものです。
 現在は、利休の待庵や如庵のような小間(こま)の茶席よりは、広間を使う大寄せの茶席が盛んですが、有楽苑には「弘庵」という茶室も造られていて、こうした現代の新しい時代の要望にも応えるようになっています。



6.「番外編」……如庵の見学を勧めた西洋画家ミロ?
 スペインのカタルーニャ地方は、ピカソ、ガウディ、ダリ、ミロと20世紀を代表する世界的な画家を輩出しているところです。この中に「如庵」の見学を世界中に向かって勧めた画家がいることをご存知ですか? その画家はミロ(1893~1983)です。ミロの名前はJoan Miróと書き、これをカタルーニャ語の原音を尊重すると「ジョアン・ミロ」と表記され、さらに漢字に直すと「如庵・見ろ」となります。 ミロの描くデフォルメされた人物や鳥の絵が日本人には難解なように、ミロが仮に如庵を外国人に勧奨したとしても、その真のすばらしさは理解していただけないでしょう。


 IDE・トピックス 2007.5.5 
 美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。
1.特別公開 岡本太郎「明日の神話」
 会 期:2007.4.27~2008.4.13
 会 場:江東区三好 東京都現代美術館
            常設展示室3階

 入場料:一般 500円 (65歳以上 250円)
 休 館:月曜日
 問合せ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
 http://www.mot-art-museum.jp/
 岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」は、メキシコ人の実業家の依頼を受け、メキシコシティのホテルの壁面を飾るために1968~69年に制作されました。しかし、依頼者の財政悪化などにより設置されないまま永らく行方不明になっていましたが、2003年9月に30数年の時を経て発見されました。
 昨年夏に東京・汐留での公開時には見逃してしまいましたが、今回は展示期間も長いので拝見したいと思っています。

2.「古伊万里…江戸時代の技と美…」
    開館20周年記念 戸栗美術館名品展Ⅰ

 会 期:2007.4.1~6.24
 会 場:松涛 戸栗美術館 
 入場料:一般 1000円
 休 館:月曜日
 問合せ:03-3465-00702
http://www.toguri-museum.or.jp/home.html
 昭和62年10月、旧鍋島藩屋敷跡地に古陶磁専門美術館として開館して以来20年目を迎えての記念展です。近くには、渋谷区立松濤美術館もあり、少し足を伸ばせば駒場の日本民藝館もありますので、散歩コースとしてもお勧めのところです。なお、引き続いて戸栗美術館名品展Ⅱ…中国・朝鮮陶磁…は、7月1日から9月24日まで開催されます。

3.拓本の世界  3館所蔵 善本碑帖展
  世界的にみても貴重な拓本を数多く所蔵する東京国立博物館、三井記念美術館、書道博物館の3館が同時に公開する日本最大規模の拓本名品展です。
(1)「槐安居 中国碑帖コレクション」
 会 期:2007.4.17~7.1
 会 場:上野公園 東京国立博物館 東洋館
 入場料:一般 600円 (70歳以上 無料)
 休 館:月曜日
 問合せ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
 http://www.tnm.jp/
 実業家として活躍される一方、中国の書画や拓本を熱心に収集された高島菊次郎(室号:槐安居…かいあんきょ…)が東博に寄贈された300余件の碑帖(ひじょう)は、中国書法史上の名品が数多く含まれていて“槐安居コレクション”ともいわれ多くの愛好者に親しまれてきました。

(2)「中国五千年の漢字の姿[フォルム]
    …三井聴氷拓本名帖の全貌…」

 会 期:2007.4.21~7.1
 会 場:日本橋室町 三井記念美術館 
 入場料:一般 800円 (70歳以上 700円)
 休 館:月曜日
 問合せ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
 http://www.mitsui-museum.jp/
  三井財閥は11家で構成されていますが、その中の新町三井家9代の三井高堅(たかかた)(1867~1945)の収集した碑帖コレクションは、書の愛好家には高堅の雅号である「聴氷閣(ていひょうかく)本」として、きわめて高く評価されています。なかには貴重な宋時代の拓や、原碑がすでに失われ唯一現存する拓本である孤本も数多く含まれています。とりわけ清時代末の大コレクター・李宗瀚(りそうかん)の四つの絶品、いわゆる李氏四宝のうち三点までが聴氷閣旧蔵です。

(3)「中村不折碑帖コレクション」
 会 期:2007.4.28~7.1
 会 場:根岸 台東区立書道博物館 
 入場料:一般 500円 
 休 館:月曜日 問合せ:03-3872-2645
 http://www.taitocity.net/taito/shodou/
 書道博物館は、洋画家であり書家でもあった中村不折(なかむらふせつ)(慶応2年~昭和18年)により、昭和11年に開館されました。博物館には、不折が道研究のために収集した中国および日本の書道に関する古美術品、考古出土品など、重要文化財12点、重要美術品5点を含む約16,000点が所蔵されています。
約2000件にのぼる中村不折の碑帖コレクションのなかから、最旧拓、初出土拓、最多字本などの希少な名品を中心に展示されています。

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