平成19年4月7日
古今建物集 …美しい建物を訪ねて…(6)
   
みちのくの旧渋沢邸
井出昭一

 “定年後”にもかかわらず、なぜか年度末・年度始の雑事が集中したため、3月20日に予定していた原稿を止むを得ず1回パスしてしまいました。

1.三沢に旧渋沢邸がある?
 青森県の三沢に渋沢栄一・敬三の大邸宅があると聞いた時、最初は半信半疑でした。三沢には飛行場があることを知っているだけで、古牧温泉があることも渋沢栄一とどのような関わりがあるのかも全く知りませんでした。しかし、古牧温泉には渋沢栄一が造り、孫の敬三が増築した大邸宅が現存しています。
JR東日本の“大人の休日倶楽部会員パス”を活用して塩田平の古寺巡りをし、函館の建物を訪ねた帰り道、三沢にも立ち寄ってみました。


2.二代清水喜助の現存する唯一遺作

 現在、三沢の古牧温泉に建っている旧渋沢邸は、明治10年、37歳の渋沢栄一が深川福住町に自宅として最初に建てた建物で、その後三田綱町に移され、平成3年さらに古牧温泉に移築されたものです。 
 純日本風2階建ての建築に当たったのは名工といわれ清水建設の始祖の二代清水喜助で、その入念な建築技術の粋を随所に見ることができます。喜助が手がけた建物としては、擬洋風建築として名高い築地ホテル館(竣工:明治元年)、第一国立銀行(竣工:明治5年)が知られていますが、古牧温泉の旧渋沢邸は喜助が造ったものとしては現存する唯一の遺作で、その点からも貴重な建物だといえます。
 和館は、大小26室から成り、内玄関と土蔵を含めて240坪です。最も広い表座敷は総檜造りで節のない材料が使われています。階段の手摺に黒柿、2階の18畳の天井板には屋久杉の一枚板、床柱には南天、欄間には柿など、現在では調達できないような貴重な材料を惜しげもなく使って、和風建築の高度の技術を駆使した結晶の数々を目にすることができます。


3.渋沢敬三が増築した洋館

 明治41年に深川福住町から三田綱町に移築され、渋沢栄一の孫の敬三(明治29年〜昭和38年)が昭和4年、西側部分を一部解体して英国王朝風の洋館を増築し、33室、総面積328坪の現在の建物となりました。洋風の増築部分は応接室、書斎、小書斎、食堂、玄関など大小7室88坪で、これを設計したのは西村好時で、施工は清水組だといわれています。伊藤忠太(築地本願寺、一ツ橋大学兼松講堂、湯島聖堂などを設計)に師事した西村好時の代表作は、丸の内にあった第一銀行本店(竣工:昭和5年、取り壊されて現存しない)で、第一銀行の各支店を設計した銀行建築家として知られています。
 洋館の玄関ホールと応接間2室はチーク材、食堂はオーク材と堅固な建材で造られていますが、釘を一本も使わずすべてクサビ(楔)やコミセン(込み栓)で止める組み立て式で、和館と同様、ここでも職人の高度の技術が発揮されています。ステンドグラス、カットグラス、窓の金具などはイギリスから取り寄せたといわれ、玄関と食堂の中庭側のステンドグラスも洒落たものです。
 渋沢敬三は、昭和16年から日銀総裁を務めた後、昭和20年10月には幣原内閣の大蔵大臣に就任し財産税を施行した際に、自ら率先してこの三田綱町の335坪の邸宅と3500坪の土地を物納されました。物納後の建物は、大蔵、文部、法務、労働、厚生、外務省の6省の共用会議所として大蔵省が管理し、外人の接待、会議、パーティなどに利用されたようです。昭和38年、敬三が67歳で逝去した際には、その遺言によりこの日本間に祭壇を設け、2日間の通夜が営まれたといわれています。 





4.三田綱町から三沢・古牧温泉へ移築
 渋沢栄一と敬三の秘書・執事を長期にわたって務めた杉本行雄氏(当時:十和田観光開発社長)が大蔵省に懇願した結果、平成2年旧渋沢邸の払い下げを受けることになりました。建物は清水建設により解体され、平成3年10月15日、敬三の命日に古牧温泉の地への移築が完了しました。和館・洋館328坪の建物が屋根瓦と畳以外はすべて忠実に復元されたといわれています。
 渋沢栄一は生涯にわたって別荘を持たない主義を貫いたため、自邸・別荘は三井家や三菱の岩崎家と比べて多くありません。数少ない自邸のうち辰野金吾が設計した兜町のモダンな洋風の邸宅は大正12年の関東大震災で灰燼に帰し、飛鳥山の曖依村荘の本邸は昭和20年4月の空襲で焼失したため、栄一が居住し使用した建物として現在見ることができるのは、飛鳥山の晩香盧、青淵文庫とこの旧渋沢邸の3棟のみです。その旧渋沢邸を一人でゆっくりと拝見できたことは幸せなことでした。


5.祭魚洞庭園の建物
 旧渋沢邸の建っている祭魚洞庭園の入口には壮大な「渋沢大門」があり、15,000坪の広い敷地には渋沢邸を含めて5棟の建物が建てられています。それらは、栄一、敬三、秀雄の資料が展示されている「渋沢文化会館」、栄一、敬三を祀る「渋沢神社」、飛鳥山・渋沢史料館の晩香盧を模してそれを4倍に拡大した「晩香炉」、茅葺き屋根の小亭「隅櫓茶室」です。
 祭魚洞とは渋沢敬三が自分の書斎につけた雅号で、渋沢神社の前には栄一、敬三の大きな銅像なども建てられていることからみても、いかに杉本氏が渋沢家に心酔していたかを伺い知ることができます。





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 最高気温がマイナス2度という厳寒の函館を朝早く出発し、大雪の青森を過ぎて、野辺地でも鉛色の空から雪が降り続いていました。ところが三沢に着くころには雪は止んで、幸運にも時々日も差す程になりました。人気の全くない渋沢公園の建物をただひとり独占し、さらに新雪に輝くカッパ沼周辺に点在する八窓庵、兜本陣、浮見堂、南部曲屋など数々の建物までも堪能できました。 
 これで、塩田平、函館、古牧温泉の渋沢公園と全くタイプの異なる建物探訪の3日間の旅を楽しく終了できました。

IDE・トピックス 2007.4.6 

 美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1.「世田谷時代 1946-1954の岡本太郎」 …戦後復興期の再出発と同時代たちとの交流…
 会 期:2007.3.24〜5.27
 会 場:砧公園 世田谷美術館
 入場料:一般 900円(65歳以上 700円)
 *3月30日は開館記念日のため無料です。
 休 館:月曜日(4/30は開館)
 問合せ:03-3415-6011
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/
 青山のアトリエでの岡本太郎の活動は、これまでもたびたび紹介されてきました。それに先立つ世田谷・上野毛時代(1946−1954)に焦点を絞るこの展示で、知られざる岡本太郎の実像が浮かび上がりそうです。
なお、川崎市・岡本太郎美術館で「青山時代の岡本太郎 1954-1970」を同時に開催します(4/21〜7/1)。

2.「レオナルド・ダ・ヴィンチ…天才の実像…」
 会 期:2007.3.20〜6.17
    (9:30〜17:00、金曜日は20:00まで)

 会 場:上野 東京国立博物館 
 本館1階 特別5室 「受胎告知」を展示  
 入場料:一般 1500円
 休 館:月曜日(4/30は開館)
 問合せ:03−5777−8600(ハローダイヤル)
 http://www.leonardo2007.jp/
 フィレンツェのウフィツィ美術館の秘宝として名高いレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」が本館1階特別5室で公開されています。この部屋は昭和49年(1974年)にモナリザが公開されたところです。第2会場の平成館2階の特別展示室では、映像や模型を使って、ダ・ヴィンチの科学や芸術の広範な活動を詳しく紹介しています。
 初日の3月20日の午後行きましたが、幸いにも待ち時間はゼロでした。これから気候も良くなるので混雑は必至です。早めにご覧ください。

3.「パリへ…洋画家たち百年の夢…」
       (東京藝術大学創立120周年企画)

 会期:2007.4.19〜6.10
 会場:上野公園 東京藝術大学大学美術館
 入場料: 一般 1300円 
 休館:月曜日
 問合せ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
http://www.nikkei-events.jp/art/paris.html
 東京芸術大学創立120周年を記念し、東京美術学校とその後身である東京芸術大学の卒業生と教員による名作約100点を通して、日本の「洋画」というジャンルの歩みを振り返り、黒田清輝、和田英作、浅井忠、藤島武二、梅原龍三郎、安井曾太郎、藤田嗣治など、明治から平成まで、パリへ渡った洋画家たち百年の足跡を辿るものです。

4.「モネ大回顧展」(国立新美術館開館記念)
 会期:2007.4.7〜7.2
 会場:六本木 国立新美術館
 入場料: 一般 1500円 
 問合せ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
 http://monet2007.jp/
 わが国においてもっとも人気の高い印象派の画家はクロード・モネです。国立新美術館の開館を記念して、オルセー美術館のモネの秀作をはじめ、アメリカのメトロポリタン美術館、ボストン美術館など、国内外の100点近いモネの作品が一堂に会するという世界的にも稀にみる大規模なモネ展です。モネの影響を受けた現代作家たちの作品も約20点展示されますということで、質・量ともに最大級のモネ展になりそうです。
(了)

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