平成19年1月6日
古今建物集 …美しい建物を訪ねて…(1)
   
重文指定の建物とともに40余年
井出昭一
連載に当たって
 昨年(2006年)の3月から王子駅近くの飛鳥山にある渋沢史料館に行っています。前年の2005年12月に渋沢史料館の青淵文庫と晩香盧が国の重要文化財に指定されて土日祝日の午後に限って内部を公開することになったため、そのお手伝いをすることになったからです。
 我ながら驚いたことは、この二つの建物を含めて、重要文化財の建物との付き合いが昭和37年の大学3年生の時から現在まで40年以上も続いていることです。美しい建物に囲まれ、そのなかで長年過してきたことは、知らず知らずのうちに建物の魅力に惹かれることになりました。
 また、好きな美術館巡りを続けているうちに、展示されている美術品もさることながら、美術館そのものを建築家の“作品”として、楽しむようになってきました。美術館側は有名建築家に設計を依頼し、引き受けた建築家は個性溢れる建物の設計に心血を注いできましたので、個性的な美術館が次々に誕生しています。
 明治以前の伝統的和風建築(寺院、神社、城郭、大名屋敷、茶席、商家、民家)には、歴史を感じさせ物語を秘めているものがあり、明治以降終戦までの近代建築(華族、富豪の邸宅)や戦後から現在の最新の技術・建材を駆使した現代建築にはそれぞれの魅力が秘められています。
 『古今建物集』では、私が訪ね歩いた古い建物、新しい建物について、写真も多く取り入れて、その惹きつけられたところをいろいろな方面から綴ってみたいと思っています。

私が身近に接してきた重文指定の建物
 今回は、手始めに私が身近に接したり、実際にそのなかで仕事や活動をしてきた重文指定の建物について年代順に寸評と感想を書き留めました。

(1)三田演説館 
  昭和37年(1962年)4月〜39年(1964年)3月 ………学生時代の2年間
  竣工:1875年(明治8年)
  構造:木造瓦葺2階建て
  建坪:191.2u(57.9坪)
  設計:不明
 慶應義塾三田キャンパスの南側の小高い林の中に、隠れるように建っているのが三田演説館で、明治8年に建てられた東京に残る最古の擬洋風建築です。いつでも内部を見学できるわけではありませんが、現在でも、三田演説会、毎年5月15日のウェーランド経済書講述記念日、名誉学位授与式など限られたときにのみに使われています。
 学生時代にはその存在は知っていたものの、正直のところ関心がなく建物の中に入ったことはありませんでした。数年前、三田演説会がここで開催されることを知り、堂々となかに入れる良い機会だと思って伺いました。ところが、参加者が多すぎて、突然、会場が別の部屋に変更されました。それが幸いして、福沢諭吉の肖像画が正面に掛けられ、慶應義塾のペンのマークがくり貫かれた木製の椅子が整然とならべられている内部をゆっくりと見学することができました。
 私にとっては、三田演説館もさることながら、その北側の「第二研究室」(設計:谷口吉郎)の1階にあった「ノグチ・ルーム」のほうが魅力的でした。イサム・ノグチがデザインしたこの部屋は、曲線を駆使したモダンな感覚の応接室で、庭園にはイサム・ノグチの3体の彫刻「無」、「若い人」、「学生」が置かれていました。これらを窓越しに眺めながら茶会を楽しんだのも今では懐かしい思い出となっていますが、惜しいことに、取り壊されてしまいました。


(2)慶應義塾図書館・旧館
 
   昭和37年(1962年)4月〜39年(1964年)3月………学生時代の2年間
  竣工:1912年(明治45年)
  構造:煉瓦石造3階地下1階建て
  建坪:684.4u(225.0坪)
  設計:曾根・中條建築事務所
 (コンドルの弟子の曾根達三と中條精一郎
  が作った戦前の最大の設計事務所)
 1858年、福沢諭吉が築地に塾を創設して50周年の記念事業として建設された図書館で慶應義塾のシンボルとなっている建物です。これは、英国カレッジを意識したゴシック様式の建物で、曾根・中條建築事務所の傑作といわれています。隣接して建っている「塾監局」(竣工:大正15年<1926年>)と「第一校舎」(竣工:昭和12年<1937年>)も、同じ建築事務所の設計で、曾根・中條建築事務所の明治・大正・昭和の3世代にわたる3棟が比較できるところです。
 学生時代、この図書館で本を借りて読むというより、授業の予習のために利用しました。天井が高く静かな雰囲気で、前の人との間は高い仕切りで隔離されていましたので、時々仮眠を取ることもありました。今では気安く入館できなくなってしまいましたので残念です。
 現在、図書館・新館として使われている斬新なデザインの建物(竣工:1981年11月)は、槙文彦の設計によるものです。


(3)明治生命館
 
  昭和39年(1964年)4月〜平成14年(2002年)3月
    ………37年間の会社生活
  竣工:1934年(昭和9年)
  構造:SRC8階地下2階建て塔屋付き
  建坪:3949.4u(1196.8坪)
  設計:岡田信一郎
 昭和39年に明治生命の本社に入社以来、転勤を拒否した訳ではありませんが、関連会社の1年を除いて丸の内を離れたことがありませんでした。私の長い会社生活は贅沢なことに明治生命館とともに終始しました。本館の中では皇居に面した、8階の部屋から始まり、2階、7階、3階、5階と転々と変わりましたが、懐かしい思い出が詰まっているところばかりで、もっとも愛着のある建物です。
 明治生命館は“様式建築の鬼才”と呼ばれた岡田信一郎の最後の作品で、壮麗なネオ・ルネッサンッス様式の重厚・華麗な姿は、昭和初期の近代洋風建築の最高傑作として高く評価されています。岡田信一郎は、その完成を待たず昭和7年(1932年)に逝去されましたが、実弟の岡田捷五郎があとを引き継いで昭和9年(1934年)完成しました。平成9年に昭和建築として初めて国の重要文化財に指定された名建築です。
 その名建築のなかで、長い会社生活を無事に過ごすことができたことは、この上ない幸せだと感じています。





(4)東京国立博物館・本館
 
  平成14年(2002年)4月〜平成18年(2006年)3月………4年間のボランティア活動
  竣工:1937年(昭和12年)
  構造:SRC2階地下2階建て
  建坪:6601.8u(2000.5坪)
  設計:渡辺 仁
 定年を迎えると同時に、東博でのボランティアを始め4年間続けました。ボランティア活動室(ミーティングの部屋)が本館にありましたので、美術の名品の林立するなかでのボランティア仲間との活動は、楽しく有意義な日々を送ることができました。
 この本館は東博のシンボルで威厳に満ちていてす。近づいて眺めるとその迫力に圧倒され、細部をみても建築家の気配りが感じさせられます。コンクリート建築に瓦屋根を乗せて東洋風を強く打ち出した「帝冠様式」の代表的建築といわれています。渡辺仁設計の代表作で昭和13年に開館しました。
 東博には、国宝、重要文化財が700件以上ありますが、そのなかで最も大きい重要文化財がこの本館です。美術品の展示館としてではなく、貴重な文化財としても、見どころは盛り沢山の建物で見飽きることがありません。平成13年(2001年)6月、昭和の建築としては明治生命館に次いで2番目に重要文化財に指定されました。


(5)東京国立博物館・表慶館
 
  平成14年(2002年)4月〜平成18年(2006年)3月 ………4年間のボランティア
  竣工:1908年(明治41年)
  構造:煉瓦石張り2階建て銅版葺き
  建坪:2049.4u(621.0坪)
  設計:片山東熊
 東博の建物の中で、私の最も好きな建物が表慶館です。春夏秋冬四季を通じて美しく、朝日に輝き夕日に映えて、ライトアップされた姿も、池に写し出される姿も美しいたてものです。ドーム(半球形の屋根)を持ったネオバロック様式の建物で、どこから見て絵になるのが表慶館です。赤坂の迎賓館、京都と奈良の国立博物館を設計し、宮廷建築家といわれる片山東熊が設計した代表作です。大正天皇(当時皇太子)のご成婚を記念して建設が計画され、明治42年(1909年)に近代美術を展示する建物として開館しました。日本人が設計した西洋建築のなかでは、現存する明治時代の建築として傑出した建物として、昭和53年(1978年)5月、重要文化財に指定されました。
 昨年8月まで修復工事で覆いが掛けられていましたが、今はまた壮麗な姿を見る事ができます。(1月28日まで、「よみがえった明治建築」として、表慶館内部を公開中です。)


(6)青淵文庫(せいえんぶんこ)
 
  平成18年(2006年)3月〜 ………1年間〜
  竣工:1925年(大正14年)
  構造:RC煉瓦造2階建て
  建坪:330.u(100坪)
  設計:田辺淳吉
 東京都北区西ヶ原の飛鳥山公園には渋沢史料館があります。「曖依村荘(あいいそんそう)」と呼ばれた約8500坪の広大な敷地内には渋沢栄一が本邸とした日本館と西洋館、茶室「無心庵」など20を超える建物がありましたが、昭和20年4月の空襲で殆どが焼失し、晩香盧と青淵文庫のみが残りました。
 青淵文庫は1925年(大正14年)渋沢栄一の傘寿(80歳)と男爵から子爵への陞爵(しょうしゃく:爵位が上がること)を祝って、当時の竜門社(現在:財団法人渋沢記念財団)が贈った建物です。“青淵(せいえん)”は渋沢榮一の雅号で、これに因んで命名されました。
 青淵文庫は、渋沢榮一が集めた論語関係の書籍類を納め、閲覧にするために建設しましたが、関東大震災で納めるべき書類が焼失したため、実際には、「曖依村荘」を訪れた蒋介石、タゴールなど内外の賓客の接待場所として使われました。
 建物としての青淵文庫の見どころは数多くありますが、あえて2点に絞ると、ステンドグラスと装飾タイルです。建物の南面上部の大きな4面の窓にはステンドグラスが嵌められています。中央の2枚の中心部分には渋沢家の家紋の「丸に違い柏」に因んで、柏の葉4枚とドングリが4個、その上に「壽」の字をデザイン化したものがあり、左右両端には建物を寄贈した竜門社に因み左端に下り竜、右端に昇り竜がデザインされています。この1枚の窓には約1000ピースの色ガラスが使われていて、色・形に加えて、その細工の技術は驚くばかりです。
 また、列柱に張り巡らされているタイルも見事なものです。ステンドグラスと同様に柏の葉とドングリを巧みに組合せ、淡い緑の柏の葉に対してドングリは金色に焼き付けられています。


(7)晩香盧(ばんこうろ)
 
  平成18年(2006年)3月〜 ………1年間〜
  竣工:1917年(大正6年)
  構造:木造瓦葺平屋建て
  建坪:71.8u(21.8坪)
  設計:田辺淳吉
 渋沢栄一の喜寿(77歳)を記念して、合資会社清水組(現在の清水建設株式会社)の4代目当主・清水満之助が栄一に贈った和洋折衷のバランスのとれた洋風茶室です。青淵文庫と同じく賓客を迎えるためのレセプションルームとして使用されました。
 建坪72u(約22坪弱)ばかりの木造平屋建ての建物ですが、小さな建物とはいえ、建材の選択、細部に至る意匠、色の取り合わせ、家具の考案に至るまで、和風、洋風、中国風が見事に調和して、建築家田辺淳吉のこだわりが随所に見られる味わい深い建築でもあります。



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 このように、重文指定の多くの建物と身近かに接し、その中で過ごしてきた私は本当に幸せだったと思います。今年は、『古今建物集』の材料と話題集めのために、これまでにも増して建物探訪を続けるつもりです。

(了)

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