My Museum 東京国立博物館 「柳緑花紅(改訂版)」    
平成18年9月5日
         東博の特別展の思い出     
            …「ルーブルを中心とするフランス美術展」…
井 出 昭 一
強烈な印象だった「フランス美術展」
 私の手元にある東京国立博物館の特別展の図録で最も古いものは、昭和35年の「日本国宝展」(1960/10/~/6)です。高山寺の鳥獣人物戯画が表紙の変形B5版で、カラー刷りはわずか4枚のみ、定価230円というものです。翌昭和36年の「中国宋元美術展」(1961//22~/21)も見てはいるものの、いずれも興味が薄かったのか正直のところ記憶に残っていません。その年の秋開かれた特別展「ルーブルを中心とするフランス美術展」(1961/11/3〜1/15)があまりにも強烈な印象だったからです。
 当時は、もちろんインターネットはありません。テレビも白黒の時代でしたから、頼りになる情報源は、僅かに新聞と雑誌に限られていました。大学に入ったばかりで、時間にも余裕があったので、この展覧会を主催した朝日新聞を丹念に読みました。ただ読み捨てるだけではもの足りず、「フランス美術展」という文字が目に止まれば、単に朝日新聞ばかりではなく、「日本経済新聞」「アサヒグラフ」「芸術新潮」、更には週刊誌の「女性自身」に掲載された記事まで集め、少し厚手のスクラップ帳を購入して丁寧に貼り付けました。すでに40年以上も経過していますから、周りが褐色に変わって、他人が見れば目を背けるほど古めいたスクラップ帳ですが、私にとってはフランス美術展の記憶を蘇らせるかけがえのない宝物なのです。
脳裏に焼きついた「狂えるメディア」
 この展覧会は、フランス美術史のなかで「黄金の百年」といわれる1840年から1940年までの一世紀間の油絵、彫刻、版画など478点が、東博本館29室にわたって展示されるということで当時としては画期的なものでした。
 ルノワール、マネ、ミレー、ピカソ、ブラックをはじめ、マチスの色彩豊かな「装飾模様の中の人物」の大作(130×98cm)があるかと思うと、ドーミエの「弁護士」のように小粒のもの(22×16cm)もありました。ボナール、ヴィヤール、マルケ、モリゾー、カリエールなど、この展覧会をキッカケとしてなじみ深くなった画家が急に増えたのも事実です。気に入ったセザンヌの「青い花びん」、ユトリロの「コタンの袋小路」は絵葉書を買って色あせるまで机の上に飾っておいたほどです。今では、国立西洋美術館や東京芸術大学の構内で気楽に見ることができるロダンの代表作パジャマ姿の「バルザック」も当時は新鮮そのものでした。
 しかし、何よりも強烈な先制パンチを受けたのはドラクロアの「狂えるメディア」です。最初の部屋(多分、現在の本館1階の11室…彫刻…だと思います)に入ると真っ赤なビロードの壁面に金色の額装の「狂えるメディア」が迫ってきたからです。ドラクロアの代表的な大作「キオス島の虐殺」「サルダナバロスの死」「民衆を導く自由の女神」などは、その後訪れたルーヴル美術館でも見ることができましたが、私にとってはこのドラクロアが最初の衝撃的な出会いでした。
 ドラクロワは好んで劇的な場面に取り組み、その情熱をキャンバスに展開したといわれています。若い娘に心を惹かれた夫イアソンへの憎しみから、次々に愛児を血に染めて行くメディア。短剣を振りかざすメディアの顔を横切る影が、険しい表情をより効果的に表現し、何も知らないあどけない子供の目とは対照的でした。このギリシャ神話を題材とする絵がなぜか脳裏に焼きついて離れません。
 絵そのものが素晴らしいことはもちろん、その展示・演出の効果も良かったうえに、何回かスクラップを繰り返して読んだことなどが印象を深めたのではないかと思います。
 昨年の夏、この「狂えるメディア」に図らずも再会できました。2005年6月27日、近代数寄者のひとり・原三溪が移築した建物群を訪ねて横浜の三溪園へ行った帰り道、閉館時間に間に合ったので急に横浜美術館の「ル−ヴル美術館展」に立ち寄ってみました。横浜の街角に貼られている「ルーヴル美術館展」のポスターやチラシは、フランス国外初公開というアングルの「トルコ風呂」一色でした。会場に入って驚いたことに、なんとドラクロアの「狂えるメディア」(横浜展では「怒りのメディア」と表示)が展示されていたのです。44年ぶりの再会でした。激しい迫力ある作品にめぐり会えて、懐かしさの余り、しばらく立ち去ることができませんでした。東博での展示では、暗い最初の部屋に入るや、真っ赤なバックにスポットを浴びたドラクロアがいきなり眼前に飛び込んできたのに対し、横浜では明るい部屋に展示されていたので、受ける印象は全く異なるもののようでした。
スクラップは思い出の山・貴重な情報源
 家に帰って、埃をたてないようにして色あせたスクラップを読み直して見ますと、東博での作品の飾りつけは、当時パリ近代美術館次長であったベルナール・ドリバル氏の総指揮の元に行われたことが判りました。
 ドリバル氏は、日本人にいかに好印象を持ってもらうか入念に検討し、年代別、流派別に展示室ごとに壁面の色彩、材質を変えたようです。あまりに強烈な色彩の展示室もあって批判的な見方も出されたようですが、単に名画を数多く集めるのではなく、細心を払って名画、名品を展示しようと意図し、当時としては極めて斬新な展覧会でもあったようです。
 また、今ではお馴染みのオーディオ・ガイドも「美術鑑賞器」という名前で初登場したとか、昭和天皇、皇后両陛下が開会式に先立ってご覧になられたとか、出品される美術品は、飛行機ではなく船で一ヶ月近くもかけてマルセイユから横浜まで輸送された……など、楽しい記事も多く、時の過ぎるのも忘れて読み通してしまいました。
 こうして古い資料が、ただ懐かしいというだけではなく、貴重な情報源として思いがけず時を経て役立つことが判りました。これからは、新聞、雑誌を切り抜いたスクラップの山の中から掘り出しものを探し出すことが、私のシニア・ライフの愉しみの一つとなりそうです。
                       
 IDE・トピックス No.16( 2006.09.05) 
                          ( )内は、見学した月/日です。  
1.「モダン・パラダイス展」
…大原美術館+東京国立近代美術館…東西名画の饗宴… (8/11)
  会 期:2006.8.15〜10.15
  会 場:竹橋 東京国立近代美術館
  観覧料:一般 1300円
  問合せ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
 日本の近代美術館の草分け・大原美術館の名品がこぞって東京にやってきています。それにプラスして東京国立近代美術館の名画が並び、文字通り“東西名画の饗宴”です。
 大原孫三郎と小島虎次郎の名コンビの残した文化遺産に改めて感激しました。
2.「智美術館大賞 現代の茶陶展」  (9/1)
  会 期:2006.8.5〜10.15
  会 場:虎ノ門 菊池寛美記念 智(とも)美術館
  観覧料:一般 1000円
  問合せ:03-5733-5131
 ホテル・オークラ東京のすぐ近くの新設美術館で、一度訪ねてみたいところでした。今回の展覧会は、美術館側があらかじめ選んだ13人の陶芸家に「茶の湯の伝統を見据え、現代に生きる作陶家自身の自由な精神の所産としての茶陶」を依頼して作ってもらった作品がすっきりした形で展示されています。館長は元東京国立博物館次長で陶磁の最高権威の林屋晴三氏で、館長自ら書かれたと思われる作者別の紹介が簡明・的確で印象的でした。
 洗練された生れたばかりの現代の茶陶を落ち着いた雰囲気のなかで堪能できます。
3.「国宝 風神雷神図屏風…宗達・光琳・抱一 琳派芸術の継承と創造…」
  会 期:2006.9.9〜10.01(会期中無休)
  会 場:丸の内 出光美術館
  観覧料:一般 1000円
  問合せ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
 琳派の3巨匠 宗達・光琳・抱一が描いた風神雷神図屏風が66年振りに一堂に会します。俵屋宗達の国宝「風神雷神図屏風」(建仁寺蔵)は、シルクロードを経由して伝えられたインド、中国に由来する神々を描きあげたとされています。百年後、尾形光琳がこの模本(重文・東京国立博物館蔵)を描き、さらに幕末には酒井抱一が模本(出光美術館蔵)を作ったものです。3点の名作を比較できる絶好の機会だと思って期待しています。
4.「NHK日曜美術館30年展」
  会 期:2006.9.9〜10.15
  会 場:上野公園 東京藝術大学大学美術館
  観覧料:一般 1200円
  問合せ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
 毎週日曜日に放映されるNHKの日曜美術館は私の最も好きな美術番組で、収録したビデオテープはかなりの数にのぼっています。文化人が語ったもの、交友・師弟関係の作家が語ったもの、作家自身が語ったものなどに分けて案内されるというので、これを参考にして収録テープを整理しようと思っています。それだけに楽しみにしている展覧会のひとつです。
以上

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