MyMuseum東京国立博物館「柳緑花紅」(改訂版)  
平成18年4月20日
東博の樹木(2)…四季折々の草木…
井 出 昭 一
楽しい“トーハク植物園”
 東博の庭園には、桜や椿のほかに様々な植物が植えられていて、年間を通じ四季折々の樹木、草花の移り変わりを楽しむことができます。
 花木だけを見ても、春は様々な桜、夏にはサルスベリ(百日紅)、スイレン(睡蓮)、秋にはハギ(萩)、スイフヨウ(酔芙蓉)、冬にはコウバイ(紅梅)、ハクバイ(白梅)、カンヒザクラ(寒緋桜)・・・と花の絶える時がありません。高木の落葉樹ではユリノキ(百合の木)、イチョウ(銀杏・公孫樹)、ケヤキ(欅)など、春は新緑、夏は茂った葉、秋は黄葉・紅葉、冬は落葉後の見事な枝ぶりを楽しめます。
 このように、東博に多種多様の植物があるのは、創設時の構想が誠に壮大であったことによるものです。というのは、当初の博物館が目指したのは、単に天造物・人工物を陳列する「博物館」に留まらず、有用植物を植え動物をも飼育する「博物園」、さらに古今の和漢の書籍を集めて閲覧させる「書籍館」と、総合的な自然史博物館であったためです。そのため明治の初めから、動植物を扱う天産課、園芸課がおかれ、それがさらに強化されて「天産部」となりました。
 その後も、植物の保護・育成が続けられ、現在では都心において小石川植物園、新宿御苑、明治神宮などと並んで、いろいろな植物を集中して観察できる場所となっています。
 今回は、東博の高木、低木、草花の代表として、ユリノキ、アセビ、ネジバナを取りあげます。
ユリノキ・・・東博のシンボル・ツリー
 名木、珍木など多種多様な植物が多いなかで最も目立つ樹木は、東博のシンボルとして親しまれているユリノキです。樹齢は推定約130年、高さ32m、幹回り4.8m、東博で一番高い巨木です。 
 別名をチューリップツリーといい、葉の形が半纏(はんてん)に似ているためハンテンボク、また奴凧や軍配に似ているのでヤッコダコノキ、グンバイノキなどともいわれています。明治23年、大正天皇が皇太子の時代に、小石川の植物園を訪ねたとき、これを「ユリノキ」と命名されたと伝えられ、一般には一番なじみ深い愛称となっています。
 初夏5月の頃になると、枝先にチューリップによく似た黄緑色の花を咲かせ、花びらの基部は橙赤色になります。花からは甘い香の漂い、この花を慕って木の下に置かれたベンチでくつろぐ来館者も多くなっています。
 さらに、秋が深まった頃、黄色に染まったユリノキを澄んだ青空の中で眺めるのはなんともいえないすばらしい光景です。
 紙塑人形で人間国宝に指定され、アララギ派の歌人としても有名な鹿児島寿蔵が詠んだユリノキの歌があります。

  百合の樹の 広葉ひらめき散るを見つ 閉門どきの 庭をよぎりて

 これは、多分この東博のユリノキを詠んだものではないかと思われます。
 すっかり葉を落とした冬のユリノキもすばらしいもので、真っ赤な夕焼け空に映し出される幹から末端の小枝にいたるシルエットは、まさに繊細なレース編みを見るかのようです。

万葉歌人が愛したアセビ
 東博庭園での高木の代表のユリノキに対し、低木の代表はアセビです。アセビ(アシビ・アセボ:馬酔木)はスズランに似た可憐な花が枝先に鈴なりに垂れ下がっています。しかし、葉は有毒だともいわれ、葉陰に楚々として咲く白い花からは想像もできません。馬がこの葉を食べると酔ったようになるので「馬酔木」と名付けられたといわれていますが、馬が酔ったのではなく、アセビを食べて中毒を起こして苦しんでふらついたのではないのかと思われます。
 東博でボランティアを初めて間もない頃、樹木に詳しい方からアセビの所在を教えていただき、それ以来、春の楽しみが増える事になりました。東博では法隆寺宝物館にあるレストランの南側の道路沿いに2本のアセビがあります。来館者はそこまで立ち入れませんので、京成電鉄の旧博物館動物園駅入口すぐそば、「黒門」寄りで道路添いの見やすいところにあります。また、転合庵の蹲の傍らにも大きなアセビがあります。春先、このアセビとサクラが同時に満開となる頃、ここからの眺めはなんともいえないほど華やかなものです。
 さらに、六窓庵の石燈籠のかたわらに1本、水屋の前に4本植えられていたという記録がありましたので確認してみましたが、枯れてしまったのか植え替えられたのか見当たりませんでした。
 変わった詠み方をするので名前だけは覚えたのですが、故郷の信州ではお目にかかったことはありませんでした。寒いところでは育たないのでしょうか。
 白い鈴を並べたアセビは万葉植物のひとつで、万葉歌人に詠まれたアセビの歌は10首あります。私が初めて「馬酔木」という言葉に出会ったのも大来皇女(おおくのひめみこ)の歌で、アセビを有名にした元祖かと思います。

  磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど 見すべき君がありと言はなくに
                                 (巻2:大来皇女)
 皇位継承を巡り、謀反の罪で処刑された弟の大津皇子の面影を偲び、哀切の情が込められた歌です。
 アセビを詠んだ歌には、万葉人の純粋な心を表した次のような歌もあります。

  わが背子にわが恋ふらくは 奥山の馬酔木の花の今さかりなり
                              (巻10:作者未詳)
 アセビについて私が解けない謎が三題あります。その一つは、なぜ「馬酔木」と表記するのか。もうひとつは、万葉集にはアセビの歌数多くあるのに、なぜ古今集をはじめ平安文学から全く姿を消してしまったのか。三つ目は、大来皇女は、毒があるのを知っていてアセビの枝を手で折ったのだろうか。
ネジバナ・・・野草の美人
 ネジバナ(捩花)は春から夏にかけて、淡いピンクの花が螺旋状に咲きます。日当たりの良い草地や芝生に生え、10センチほどの丈のかれんな草花で「野草のなかでは一番の美人」という人もいます。
 日本全土に見られるそうですが、私は東博にボランティアをするまで知りませんでした。最初、「ネジバナが咲きましたね」といわれても、何のことなのか判らない有様でした。伺ってみると、本館前にあるヨシノシダレの周りの芝生に沢山咲いていました。何回となくその前を通っていたのですが気づかないでいたのです。
 ネジバナは鉢や庭に植え替えようとしても育てるのが難しいそうですが、これも不思議な魅力で、やはり野にあって愛でる花なのでしょうか。
 別名をモジズリ(捩摺、文字摺)といって、古くからの恋の歌枕でもあります。

  陸奥の忍ぶもぢずり誰故に 乱れ染めにし我ならなくに
                           河原左大臣 源融(古今集)
 これは、百人一首や伊勢物語の最初の段にも引用され「もぢずり」を有名にした歌でもあります。
 陸奥は、当時の歌人にとって多分訪れたことのない遠く未知の憧れの地だったようです。そこにある「信夫」の里と「忍ぶ(恋)」の掛け言葉。「信夫もぢずり(忍捩摺)」とは、現在の福島県信夫郡で産した布で、草花を捩り摺りつけ乱れ模様に染めたもの。そのかすれた細かいもじり模様が、ネジバナのねじれて連なる状態に良く似ているとのこと。「そめ」は、「初め」の意と「染め」の掛け言葉で、「乱れ」と「染め」は「もぢずり」の縁語です。なんとも複雑なことです。
 しかし、当時の流行の歌枕として「しのぶもぢずり」を詠む歌人が多かったようです。

  陸奥の忍ぶもぢずりしのびつゝ 色にはいでじ乱れもぞする
                            寂然法師(千載集)
 さらに、百人一首の選者の藤原定家も詠んでいます。

  陸奥の信夫もぢずり乱れつつ 色にを恋ひむ思ひそめてき

いずれの歌も、ことばの綾と遊びであって、とても素直に感動できません。やはり「歌は“万葉”」です。 


IDE・トピックス No.7 ( 2006.4.20)
1.「蒔絵の美…かがやく漆…」春季展T 2006.4.1〜5.28
 「書の美……墨跡と古筆…」春季展U 2006.6.2〜7.9
   白金台 畠山記念館  問合せ03−3447−5787
   入館料 一般 400円

 畠山記念館は、渇`原製作所の創立者 畠山一清(即翁:1881―1971)が長年にわたり蒐集に努めた茶道具を中心に書画、陶磁、漆芸、能装束など古美術品を展示している美術館です。収蔵品は、国宝6件、重要文化財32件を含む約1,300件です。
「蒔絵の美」では、鎌倉時代の蒔絵の最高峰とされる国宝「蝶螺鈿蒔絵手箱」や重文2点の蒔絵の調度品、文房具のほか、尾形光琳の重文「躑躅図」が展示されます。
「書の美」では、藤原佐理の国宝「離洛帖」をはじめ、重文の伝小野道風の「継色紙」、伝紀貫之の「寸松庵色紙」など、古筆、墨跡の名品が展示されます。

2.「関屋・澪標図屏風と琳派の美」
   世田谷・岡本  静嘉堂文庫美術館  2006.4.8〜5.14 
   問合せ  03−3700−0007
   入館料 一般 800円    

 静嘉堂文庫美術館は、岩崎彌之助(1851〜1908三菱第二代社長)と小彌太(1879〜1945三菱第四代社長)の父子二代が蒐集した国宝7点、重要文化財82点を含む20万冊の古典籍と5,000点の東洋古美術品を収蔵しています。
 今回は俵屋宗達の代表作として名高い国宝「源氏物語 関屋澪標図屏風」をはじめ、尾形光琳、酒井抱一、鈴木其一など華麗な琳派の絵画・蒔絵が展示されます。













                                   以上

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