MyMuseum 東京国立博物館「柳緑花紅」(改訂版)
平成18年3月5日
魅力あふれる東博の建物
……庭園内の茶室(1)九条館・応挙館……
井 出 昭 一
東博の本館北側の庭園には“明治以前の和風建築”由緒ある5棟の茶室が点在しています。九条館、応挙館、六窓庵、転合庵、春草盧うち、今回は広間の茶室(九条館・応挙館)を取り上げて紹介します。
(1)九条館
九条館は、もと京都御所内の九条邸に建てられていたものを、東京・赤坂に移築され、当主の九条道実氏の居室として使用していた建物です。昭和9年(1934年)に九条道秀氏より寄贈されて、東博庭園に移築されました。九条家は近衛家、一条家、二条家、鷹司家などとともに摂政、関白に昇任できる五摂家のひとつです。近衛家の次いで古く由緒ある家柄で、九条家は代々、漢籍・和歌・書に精通し、京都の九条の地に邸を構えていたことから氏の名となりました。
建物は木造平屋建て瓦葺き、間口9間半、奥行5間半、総坪数44坪、10畳2室からなり、廻り廊下をめぐらしています。
一の間の床には、狩野派の画家による著色四季楼閣山水図が描かれています。応挙館が墨一色であるのに比較して、九条館は華やかな雰囲気です。九条家には貴重な古文書が数多く残されていて、その中に京狩野派と親密な関係にあった記述もありますが、この絵を描いた画家は特定できていません。
床に向って左側の違い棚は、棚板が5枚の藤棚と呼ばれています。棚の端にある筆返しは本来、物が転び落ちないため機能的ものでしたが、次第に装飾化されてきています。
一の間と二の間の欄間は花梨(かりん)の一枚板に藤の花菱の透かし彫りが施されていますが、これは道実氏の父尚忠氏の刀技になるものだといわれ、九条家の多彩な趣味を窺うことができます。
九条家の家紋は「九条藤」で、欄間、違い棚、釘隠し、杉戸の引き手に至るまで、九条家の先祖の藤原家に因む藤の文様が使われていて、細部にまで気遣いがなされています。

天井と長押との間にある細長い壁は「蟻壁」(ありかべ)とよばれ、天井をより高く豪華に見せるため、正式な書院造りに多く見られるものです。外側に廻らされているガラス戸は、明治以降に付けられたと思いますが、現在の板ガラスのように平滑でなく、斜めから見ますと表面が波を打っているシリンダーガラスで、当時として大変貴重な材料が使われていたことがわかります。
(2)応挙館
応挙館は、もと愛知県大治町の天台宗明眼院の書院として1742年(264年前)に建てられました。明治に入ってから品川御殿山の益田鈍翁邸に移築され、昭和8年に東京国立博物館に寄贈されました。
木造平屋建て瓦葺きの入母屋造りで、間口8間余り、奥行5間余り、総坪数43坪強で、18畳2間に九条館と同様に廻り廊下をめぐらしています。廊下の外側は、九条館がガラス戸であるのに対し、応挙館は障子が使われていて柔らかな日差しを感じることができます。
応挙館という名前は、円山応挙の絵があることから、益田家で付けられました。一の間には、書院窓、床、違い棚を備え、床張付けには老松と竹が、腰障子には稚松と竹が墨で描かれています。床の左脇壁には「天明甲辰春閏月写 平安 応挙(落款)」と記されていて、天明4年(1784年)応挙が52歳の時の描かれたことがわかります。眼病を患っていた応挙が、眼病の治療で好評だった明眼院に止宿していた時に筆を振るったものだといわれています。
二の間の壁張付けと腰障子には、墨絵で水揚(カワヤナギの漢名)と芦雁図が描かれています。一の間と二の間の襖には、一の間側は老梅図、二の間側に芦雁図が描かれていますが、この襖は美術品として保管されていますので平素は残念ながら見る事はできません。一の間では、床と襖をはみ出すように松と梅の老木と竹が描かれ、一方、二の間は芦の生えた水辺にいろいろなポーズでたたずむ雁と元気良く飛翔する雁とが描き分けられているわけです。
なお、違い棚の小襖4枚に描かれている墨画山水図は、応挙の弟子・山本守礼の筆になるもので「甲辰 勝守礼」の落款に「守礼」「子敬」の印が見られます。
 廊下の杉戸も現在は取りはずされていますが、そこには著色朝顔狗子図と墨画雲龍図が描かれています。今年は戌年ということで新春の特別展示「犬と吉祥の美術」(2006.1.2〜1.29)で、この杉戸に応挙が描いた愛くるしい子犬の戯れあっている様子に接することができました。
欄間は七宝つなぎ文様の透かし彫りが施されていますが、菱型に十文字のある釘隠しについては、これが何を意味するのか、創建当初からのものか、あるいは益田邸に移築してから付けられたものなのかは判っていません。
応挙館を寄贈した益田孝は、明治から昭和にかけての経済界の重鎮で三井財閥のリーダーでありました。鈍翁と号し、その収集した美術品・茶道具は4千点以上にのぼり、明治以降最大のコレクターでした。
また“利休以来の大茶人”ともいわれ、自ら「一昨年(おととし)も去年(こぞ)も今年も一昨日(おととい)も昨日も今日も茶に暮らしけれ」と詠んでいるほどです
応挙館は、応挙の絵があるということばかりではなく、近代日本美術史をにぎわせた舞台であったことも話題を提供してくれます。
大寄せの茶会「大師会」の開催会場であったこと、大正9年4月「平家納経」の模写のための資金集めの会場であったことも知られていますが、なんといっても最大の話題は、大正8年12月の佐竹本三十六歌仙絵巻の抽籤会場となったことです。
秋田の佐竹家が旧蔵した「佐竹本三十六歌仙絵巻」は、鎌倉時代の作で、数ある歌仙絵巻の中で最古で最高傑作といわれるものですが、あまりにも高価(現在価額は40億円ともいわれています)のため、ひとりで引き受けることができず、益田鈍翁が世話人となって、二巻の絵巻を歌仙毎に分断し切り売りすることになり、応挙館がその切断・抽籤会場となりました。
当日この応挙館に集まったのは、益田鈍翁は当然のこと、原富太郎(三溪)、高橋義雄(箒庵)、團琢磨(狸山)、藤原銀次郎(曉雲)、馬越恭平(化生)、岩原謙三(謙庵)、野村徳七(得庵)、野崎廣太(幻庵)、住友吉左衛門(春翠)など当時の経済界を代表する三十余人で、いかに大きな出来事だったか想像できます。
九条館と応挙館周辺は、春には応挙館前の薄い緑色の気品ある桜・ギョイコウ(御衣黄)が咲き、続いてイチョウの新芽が開き、初夏には紅鮮やかなツツジ、秋には金色のイチョウと真紅のカエデと四季折々の変化を楽しめるところでもあります。
IDE・トピックス No.4 (2006.3.5)
1.第20回公開討論会「茶会記にみる道具の取り合わせ7」
  日 時   2006326日(日) 13001600
  会 場   虎ノ門  日本消防会館ニッショーホール
  参加費   2,500円(全席自由)
   問合せ    03-3260-0827 (財)小堀遠州顕彰会
  主 催   (財)小堀遠州顕彰会
  講 師   小堀宗慶氏(遠州茶道宗家)
        熊倉功夫氏(林原美術館長)
        林屋晴三氏(東京国立博物館名誉館員)
        池内宗雪氏(池内美術 主人)
毎年3月最終日曜日に茶道の遠州流が主催して定例的に開催している公開討論会です。講師4人は、それぞれ茶道、日本文化史(茶道史)、陶磁、茶道具にとその道の永い経験と豊富な方々ばかりで最高の布陣です。茶会、茶道具にまつわる隠れたエピソードも多く語られていつも時間の過ぎるのを忘れる程です。今年はどんな話が飛び出すのか今から楽しみです。
2.「竹の茶道具」…花入・茶杓・煎茶器など…
  会 期 2006年2月11日〜3月26日
  会 場 世田谷・岡本 静嘉堂文庫美術館 
  観覧料 一般800
  問合せ 03-3700-0007
竹を材料とした茶道具のみを展示するというユニークな展覧会です。竹は東洋特産といわれ、しかも茶道具だけですから欧米人にはとても理解できない展覧会でしょう。千利休、細川三斎、片桐石州、川上不白、松平不昧など歴代茶人の茶杓や花入が多く展示されています。益田鈍翁とは異なり、岩崎家には客を招待しての茶会は開いたという記録はないといわれていますが、岩崎小彌太は不答庵と号して自ら茶杓を削り、茶道具を集めて茶に親しんだことがわかりました。
             以 上