<ダイヤネット>

・・・My Museum Walk・・・『わたしの美術館散策』

井出 昭一

わたしのエッセイ紹介ページ

2011.3.9

…My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(52)

井出 昭一

泉屋博古館分館(せんおくはくこかんぶんかん)

…住友家コレクションの”東京展示館”



   場 所:〒106-0032 東京都港区六本木1−5−1

  問合せ:03−5777−8600(ハローダイヤル)

  交 通:東京メトロ南北線「六本木一丁目」駅下車 徒歩5分

  休 館:月曜日(祝日の場合は翌日休館)

  入館料:一般 520円(特別展:一般800円)

  休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)

  http://www.sen-oku.or.jp




1.プロローグ

 戦前の旧財閥が収集した美術品を展示する美術館として、三菱(岩崎家)の静嘉堂文庫美術館、三井家の三井記念美術館が世に知られていますが、三井・三菱と並ぶ財閥の住友コレクションを展示するのが泉屋博古館です。泉屋博古館は、京都と東京の二カ所あり、今回紹介するのは東京・六本木の“分館”の方です。

2.住友春翠コレクションが中核

 住友家が収集した美術品は、中国と日本の絵画・書跡、茶道具、文房具、能面、能装束、近代陶磁器など多岐にわたっています。コレクションの中核は住友家第15代当主・住友吉左衛門友純(ともいと、1864−1926)が集めた500点にのぼる中国古代青銅器と鏡鑑(きょうかん)で、これは質量ともに最も充実したコレクションとして世界的にも高く評価されているものです。なお、住友コレクションは、友純以前から住友家に伝来したもの、友純の長男・寛一が集めた中国明清代の絵画、16代当主・友成の収集品などもあり、その数は約3千点といわれています。

 住友吉左衛門友純は、精華家の一つ徳大寺家に生まれ、住友家第12代友親の長女で13代友忠の妹・満寿の婿養子として住友家に入り、14代登久(12代友親夫人)の後を受けて第15代当主となりました。また、友純は西園寺公望の実弟で春翠と号し、住友家切っての数寄者として本名以上に広く知れ渡っています。

3.交通至便の美術館

 泉屋博古館は、昭和35年(1960年)青銅器と鏡鑑をはじめ住友家の収蔵品を展示するため京都市左京区鹿ヶ谷に完成しました。この地は東山の穏やかな山容を望む風光明媚な環境の中にあり、春翠が別荘を構えたところで泉屋博古館はこの別荘の一角に建てられ、収蔵品やそれに関連する作品を公開展示してきています。

 なお、泉屋博古館の名称は、江戸時代の住友家の屋号「泉屋」と中国宋代の徽宗帝の命によって約千年前に編纂された青銅器図録『博古図録』から命名されたといわれています。

 東京の泉屋博古館分館は、平成14年(2002年)、六本木一丁目の泉ガーデンに開設されました。ここを訪ねるのに最も便利なのは、東京メトロの南北線の「六本木一丁目」駅を下車し、改札口を出たところの屋外エスカレーターを何台も乗り継いで降りた左側が泉屋博古館分館です。館の案内には徒歩5分と記載されていますが、実際に歩く時間は1分程度です。展示室は1フロアーの2室のみで、決して広くはありません。

4.青銅器から茶道具・近代陶磁まで展示

 交通の便が良いことに加えて、至近距離に大倉集古館もありますので、私はその行き帰りにこれまで何度も泉屋博古館分館を訪ねています。開設以来、ここでは主として茶道具、能、近代陶磁などの工芸品、日本やヨーロッパの近代絵画が順次公開されてきました。その中でも印象に残っている展覧会は意外にも「板谷波山をめぐる近代陶芸」(会期:2009.4.18〜6.18)です。板谷波山のトレードマークとなっているのは「葆光釉」(ほうこうゆう)と呼ばれ、光を包み込むようなやわらかな質感の釉薬に特徴があります。そこで初めて目にしたのは「葆光彩磁珍果文花瓶」でした。これは平成14年、近代陶磁器として初めて重要文化財に指定された作品です。このほか「彩磁」「白磁」「青磁」など板谷波山が駆使した様々な技法の作品、中国やインドネシアの模様を取り入れた独自のデザインなど、大正期を中心に制作された波山の作品を多数展示されました。

 板谷波山と云えば、私はすぐに出光美術館のコレクションを思い浮かべていましたので、泉屋博古館分館でこれほど多くの波山作品に出会えるとは思いもよらないことでした。直前に下館(茨城県筑西市)の板谷波山記念館に訪ねたばかりでしたので、印象深かったのかもしれません。

 最近開かれた「中国青銅鏡」(会期:2011.1.8〜3.6)では、春秋時代から宋元時代にかけて造られた80点が青銅鏡展示されていました。青銅鏡は中国を代表する金属工芸品で、紀元前200年の漢から唐の時代にかけて盛んに造られました。鏡は単に姿見としてだけではなく、霊力を持つものと考えられ、願を叶える道具として珍重されてきたとされていますが、住友コレクションの中核の一端を伺えたのかと思っています。

 ことしの秋には「数寄者・住友春翠と茶…住友コレクションの茶道具と香道具…」(10月22日〜12月11日)が、さらに2012年は分館開催十周年を迎えることから記念展「中国青銅芸術の粋…商周から明清まで…」が開かれる予定です。京都まで行かなくても東京にいて住友春翠のコレクションの至宝に出会えるのを今から楽しみにしているところです。

5.趣向の異なる3つの美術館

 泉屋博古館分館の建っている地は、隣がスペイン大使館、向かいはスウェーデン大使館、さらにアメリカ大使館もあるという“大使館村”の一角です。 分館を出て左に折れてホテルオークラ別館前を通り過ぎるとホテルオークラ本館と大倉集古館です。さらに、ホテルオークラの本館と別館の間の坂道をわずかに下がると現代陶磁を中心に意欲的な企画展を開催している比較的新しい菊池寛美記念智美術館です。

 このように泉屋博古館分館周辺は趣向の異なる3つの美術館を同時に楽しめるので、私にとって頻繁に足を運んでしまうような魅力的なスポットでもあります。

  

展覧会トピックス 2011.3.7




美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1.「煌めきの近代…美術からみたその時代…」(館蔵品展)

 会 期:2011.1.2〜3.21

 会 場:虎ノ門 大倉集古館(ホテルオークラ本館正面玄関前)

 入場料:800円

 休 館:月曜日(3月21日は開館)

 問合せ:03−3583−0781

  http://www.shukokan.org

 幕末・明治から昭和に至るまでの橋本雅邦、下村観山、小林古径の近代日本画、高村光雲・光太郎父子二人の「大倉鶴彦翁像」、田中親美の「平家納経経箱」(模造)など館蔵名品が並んでいます。なお横山大観の名作「夜桜」の展示期間は2月22日から3月21日です。

2.「流旅轉生…鈴木蔵の志野…」

 会 期:2010.11.20〜2011.3.21

 会 場:虎ノ門 菊池寛美記念智美術館(西久保ビル 地下1階)

 入場料:1300円

 休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)

 問合せ:03−5733−5131

  http://www.musee-tomo.or.jp/

 鈴木藏は陶磁器生産地として長い歴史を持つ岐阜県土岐市に生まれ、「志野」の技術保持者として重要無形文化財に認定されている現代陶芸の巨匠で、その代表作の大皿、花器、茶碗、水指などが展示されています。

3.「建築家 白井晟一…精神と空間…」

 会 期:2011.1.8〜3.27

 会 場:東新橋 パナソニック電工 汐留ミュージアム

           (パナソニック電工ビル4階)

 入場料:一般 500円(65歳以上 400円)

 休 館:月曜日(3月21日は開館)

 問合せ:03−5777−8600(ハローダイヤル)

  http://panasonic-denko.co.jp/corp/museum/

 「哲人」とか「詩人」といわれた孤高の建築家の白井晟一に焦点を当てたユニークな展覧会で、その建築作品をはじめ書、装丁、エッセイなど全貌を紹介する企画です。

                                         以上

2011.2.5

…My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(51)

井出 昭一

千葉市美術館

旧銀行の建物をホールに活用している美術館



 所在地:〒260−8733 千葉市中央区中央3−10−8

       (千葉市中央区役所と同じ建物です)

 交  通:JR千葉駅東口より徒歩15分

 入場料:所蔵作品展 一般 200円 (特別展は別途入場料)

 開館時間:日曜日〜木曜日 10:00〜18:00

        金・土曜日    10:00〜20:00

 連絡先:043−221−2311 

 休館日:毎週第1月曜日(年末・年始、展示替期間)

   http://www.ccma-net.jp




1.プロローグ

 古美術の世界では“目利き”といわれる人がいます。美術品を一見しただけで特色を見分け、即座に真贋を判断できる人です。“目利き”になるには、数多くの本物を見ることが肝要で、本と写真だけでいくら頑張って勉強しても“目利き”にはなれないといわれています。建物についても、全く同じことがいえるようです。

 多くの読者の温かいお言葉に励まされて書き続けてきた『My Museum Walk…わたしの美術館散策』も、回を重ねていつの間にか50回を超えることになりました。

ことしも“本物の美術品”を求めて数多くの“美しい美術館”を訪ね歩き、“建物の目利き”に一歩でも近づきたいと思っています。

2.中央区役所と“同居”している千葉市美術館

 今回訪ねるのは平成7年(1995年)に開設以来、浮世絵や江戸時代の絵画などの充実した企画展を次々に開催してきた市立の千葉市美術館です。旧銀行の建物の一部を“鞘堂(さやどう)方式”によって保存し、貸しホールとして利用しているというユニークな美術館です。訪ねてみようと思っていましたがなかなか機会がなく、昨年9月にようやく念願が実現できました。今回はそのホールにも焦点を当てて紹介します。

 千葉市美術館はJR千葉駅東口から徒歩で15分のところにあります。バスを使っても行けますが、2つ目のバス停ということですので歩いて行きました。東口から駅前大通りを進み、中央公園に突き当たったら、公園とパルコの間の道をしばらく歩いて国道126号線の広小路交差点を右に折れ、そこで目に入る12階建ての近代的なビルが、千葉市中央区役所と“同居”している千葉市美術館です。

3.注目される企画展を次々に開催

 このうち美術館が展示室として使っているのは7階と8階の2フロアーで、チケット売り場と企画展の入り口は8階です。

 昨年私が訪ねた時は、開館15周年記念特別展として「田中一村・・・新たなる全貌・・・」(2010.8.21〜9.26)が開かれ、8階の1室には、所蔵作品展「わが心の千葉」として、千葉にゆかりある画家の作品が30数点展示されていました。

 田中一村は、生前その作品を公表することなく無名のまま没した日本画家ですが、1980年代にテレビで紹介されたのを契機として、一躍その名が全国的に知れ渡った画家です。私もその番組を見た記憶があり、奄美大島を題材にして、日本画としては一風変わった絵を描く画家だったことを思い出しました。

 明治41年(1908年)、栃木に生まれた田中一村は、千葉に住んだ後、奄美大島に移住して、日本画としては珍しい形や色彩の亜熱帯植物や鳥などをテーマに書き続けました。千葉市には20年も住み続けてゆかり深いところから、千葉市美術館が本格的に取り組んで、新発見の資料を含めて250点の作品を一同に集めたという回顧展でした。過去最大規模との評判通り、まさに田中一村の全貌を知ることができる中味の濃い展覧会でした。

4.「さや堂ホール」は旧銀行の営業室

 私が訪ねたもう一つの目的の「さや堂ホール」は、昭和2年(1927年)鉄筋コンクリート造2階建ての川崎銀行千葉支店として建てられたものです。

 川崎銀行は明治13年(1880年)、川崎八郎右衛門が設立した銀行で、本店を東京に置き、茨城と千葉県の水戸、佐原、佐倉、千葉に支店を備え、その後いくつかの銀行を買収・合併を重ねて業容を拡大しました。昭和11年には第百銀行と改称し、預金額では三菱、三井、安田、住友など財閥系銀行に次ぐ第7位の大手銀行にまで発展しました。昭和18年(1943年)、戦時下における銀行合同政策により、第百銀行は三菱銀行に吸収合併され、この建物は三菱銀行千葉支店となり、さらに昭和46年(1971年)には所有が千葉市に移り、中央地区市民センターして平成2年(1990年)まで利用されてきたという経緯をたどってきました。

 千葉市内では唯一のネオ・ルネサンス様式の歴史的建造物であるため市の文化財に指定され、千葉市は美術館・中央区役所をこの場所に建設するに際して、旧銀行の建物の一部を“鞘堂方式(さやどうほうしき)”によって保存し、利用できるよう再生しました。“鞘堂”とは、貴重な建物をすっぽり覆うよう一回り大きな建物を造って保護するもので、平泉の中尊寺金色堂が代表的なものです。

 さらに注目されることは、地下に駐車場を造るため、既存の旧川崎銀行の建物を曳き家で24.5m後退させ、地下部分を造った後22.5m引き戻すという工法が採られたことです。木造の家ならともかく、鉄筋コンクリート造の大きな建物を曳き家で移動し、また元に戻すというのですから驚くばかりです。この曳き家を含む千葉市美術館・中央区役所の設計を担当したのは、東大名誉教授で建築家の大谷幸夫です。

 当初の建物の川崎銀行千葉支店を設計したのは矢部又吉で、明治21年(1888年)横浜市に生まれ、横浜正金銀行本店(現:横浜歴史博物館)の設計で有名な妻木頼黄(よりなか)に建築学を学びました。その後ドイツに留学し、ヨーロッパ各国を回って帰国後、矢部又吉建築事務所を開設して川崎銀行関係の建物や川崎家の顧問建築家として川崎家の邸宅を数多く手がけました。なお、世田谷美術館を設計した内井昭蔵の父の内井進も建築家で、この建築事務所で設計に従事したといわれています。

 矢部又吉は昭和16年(1941年)3月にこの世を去りましたが千葉支店の建物は様式建築に習熟した矢部の代表的作品だと評価されています。矢部がこのほかに手がけた川崎銀行佐倉支店(1918年)は、現在「佐倉市立美術館」として、また横浜支店(1922年)は「日本興亜馬車道ビル」としてファサードが保存されています。東京・日本橋に建てた川崎銀行本店(1927年)は日本信託銀行本店となり1986年に解体されましたが、竣工時の入口の部分のみが中央通に面したところに記念碑的に残され、その上部の円の中には川崎銀行の“川”の字が彫り込まれています。なお旧本店の外壁の一部は明治村にも移築されています。しかし、いずれも矢部又吉の作品の断片かほんの片鱗のみで、全体像はそれらから想像するしかありません。

5.エンタシスの半円柱に囲まれた外観 

 階段状にそびえて建つ千葉市美術館・中央区役所の建物の国道に面する東側には太い円柱が何本も並んでいます。その円柱の奥に見え隠れする“古風な部分”が旧川崎銀行千葉支店の建物で、大きな近代的ビルにすっぽりと覆われています。

 “古風な部分”を詳細に観察してみると、正面にはエンタシス(胴張り)のある“円柱”が10本立ち並び、そのうち4本は入口の両脇に2本ずつ近接して配置されています。一見すると円柱ですが、実際には半円柱で、もっと正確にいうならば4分の3柱です。というのは、柱の断面は円ではなく、4分の1の部分は壁面に喰い込まれているからです。キャピタル(柱頭飾り)にはイオニア式の渦巻き模様が彫られています。

 “古風な部分”の左側は区役所の入口、右側は美術館の入口となっていますが、左右の壁面も6本の円柱で、やはりそのうち4本は入口の両脇に2本を近接して配置され、しかも左右対称の形を厳格に守っています。正面と両側面の入口の両脇の角柱は簡素なドリス式で、正面入口上部には日本橋の旧本店と同様に川崎銀行の“川”の字が彫り込まれています。

 ホールに足を踏み入れてみると、2階までの吹き抜け空間には10本の円柱が立ち並び、周辺部の角柱の上部はキャピタルが復元されています。正面出入り口の両脇は木製のイオニア式円柱で重厚な感じです。

 客溜(きゃくだまり)の床は彩色されたドイツ製のモザイクタイルで埋め尽くされ、2階の回廊のブロンズ製の手摺りや壁付けの角柱の柱頭部分も忠実に復元されています。

 この「さや堂ホール」は貸出施設として、所定の料金を払って利用できますが、私が訪ねた時は幸いにも使われていませんでしたので、内部をただ一人思う存分見学することができました。

 時間をかけて千葉まで出かけましたが、企画展の「田中一村展」と念願の「さや堂ホール」を拝見できたので大満足の一日でした。

展覧会トピックス 2011.1.26


  

美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1.「仏教伝来の道…平山郁夫と文化財保護…」(文化財保護法制定60周  年記念)

 会 期:2011.1.18〜3.6

 会 場:上野公園 東京国立博物館 平成館

 入場料:1500円

 休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)

 問合せ:ハローダイヤル

  http://www.tnm.go.jp/

 日本画家平山郁夫は、その生涯を通じて旺盛な創作活動を続ける一方、世界各地の文化遺産の保護にも尽力されました。この展覧会では、インド、パキスタンをはじめアフガニスタン、中国などの仏像や壁画とともに、文化財保護活動の集大成として制作し、薬師寺玄奘三蔵院に奉納された畢生の大作「大唐西域壁画」が全点展示されます。

2.「琳派芸術…酒井抱一生誕250年記念…」

 会 期:2011.1.8〜2.6

 第1部<煌めく金の世界> 1月8日(土)〜2月6日(日)                 
 第2部<転生する美の世界> 2月11日(金・祝)〜3月21日(月・祝)

 会 場:丸の内 出光美術館

 入場料:1000円

 休 館:月曜日(祝日の場合は開館)

 *2月7日(月)〜10日(木)は展示替のため休館  

 問合せ:ハローダイヤル

  http://www.idemitsu.co.jp/museum/

 琳派の始祖・本阿弥光悦や俵屋宗達によって生み出された斬新な造形美は、その後京都の尾形光琳、江戸の酒井抱一らに引き継がれました。

 第1部では、宗達が手がけた金銀の装飾による和歌巻、扇面画、さらに大画面の草花金地屏風などを中心に華麗な装飾美と独自のデザイン感覚の光琳の絵画や水墨画なども展示し、第2部では、ことし生誕250年を迎えた酒井抱一の作品を中心に江戸琳派の作品が展示されます。

3.「墨宝…常磐山文庫名品展…」

 会 期:2011.1.8〜2.13

 会 場:南青山 根津美術館

 入場料:1200円

 休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)

 問合せ:03−3400−2536

  http://www.nezu-muse.or.jp/

 禅僧の墨蹟や水墨画などの優品を数多く所蔵する常盤山文庫の至宝、国宝2件、重要文化財13件を含む約50件が展示公開されます。

                                         以上

2011.1.9

…My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(50)

井出 昭一

サンリツ服部美術館

国宝茶碗を持つ諏訪湖畔の美術館



  所在地:〒392−0027 長野県諏訪市湖岸通り2−1−1

 交  通:JR中央本線 上諏訪駅より徒歩15分(1.3km)

       中央自動車道 諏訪インターより車で15分(7.5km)   

 入館料: 大人 800円 (特別展は別途入館料)

 開館時間:9:30〜17:00

 連絡先:0266−57−3311 

 休館日:毎週月曜日(年末・年始、展示替期間)


 http://shinshu-online.ne.jp/museum/sanritsu/




1.プロローグ

 茶道の盛んな日本でこれまでに焼かれた茶碗(和物茶碗)はおびただしい数にのぼります。その中で名碗といわれるものは重要文化財に指定されていて各地の美術館、博物館でお目にかかることができます。しかし和物茶碗で国宝に指定されているのはわずか2点のみです。したがって国宝の和物茶碗を所蔵する2つの美術館はそれだけで“名誉”なことです。今回訪ねるのは、そのひとつ、本阿弥光悦作の白楽茶碗「不二山」を所蔵している諏訪湖畔のサンリツ服部美術館です。

 参考までに、もうひとつの国宝の志野茶碗「卯花墻(うのはながき)」を所有するのは、東京の日本橋室町にある三井記念美術館です。

(注)三井記念美術館については、「わたしの美術館散策(23)」(2008.8.28)で紹介しています。現在「卯花墻」が公開中です(1月29日まで)。後述の展覧会トピックスをご覧ください。

2.服部正次・一郎父子のコレクション

 サンリツ服部美術館は、服部正次(1900〜1974)と、その長男服部一郎(1932〜1987)のコレクションを展示するため、1996年(平成7年)6月に開館した私立美術館です。国宝・重要文化財・重要美術品29点を含む茶道具、古書画などのほか西洋の近現代絵画を加えた多岐にわたる分野の美術品600点あまりを収蔵していますが、その中で主軸をなすものは茶道具です。

 服部正次は、服部時計店(現:セイコーホールディングス)の創業者の服部金太郎の二男として生まれ、服部時計店の第3代社長として時計のセイコー(SEIKO)を世界的ブランドに育てあげた経営者であると同時に山楓(さんぷう)と号する数寄者としての顔も持っていました。服部正次の義父にあたる塩原又策(1877〜1955)は製薬会社・三共(現:第一三共)の創業者であり、数寄者(号は禾日庵)として茶道具や古美術の収集家として名を残しており、服部正次はこの塩原又策の影響を受けて茶の道に入ったため、サンリツ服部美術館には旧塩原又策コレクションの名品が何点も入っているといわれています。

 また正次の長男でセイコーエプソン社長を務めた一郎は、父とは異なる分野の西洋近現代絵画を好んで収集しました。

 館内の展示室は2階に2室あり、ひとつは「服部一郎記念室」として一郎が収集した近現代絵画を展示している部屋です。私が9月に訪ねたとき、この部屋では「パリに集まった画家たち」と題して、藤田嗣治やデュフィが描いたパリの風景、ルドン、ルノワール、ルオーなどフランス生まれの画家の作品、ドンゲン、シャガール、ピカソ、キスリングなどパリに集まった異国の画家たちの作品が展示されていました。

 もうひとつ「展示室2」では「茶の湯の名品」というテーマで服部正次のコレクションの茶入・茶杓、茶碗、掛け物など、当館の中核となっている茶道具の名品が並べられていました。茶入では重要美術品の唐物茄子茶入「銘 紹鴎茄子」、小堀遠州や金森宗和の茶杓、本阿弥空中(光悦の孫)の信楽水指、茶碗では唐物(中国の茶碗)の絵高麗茶碗「銘 長崎」、高麗茶碗(朝鮮半島で焼かれた茶碗)では、粉吹(粉引)茶碗「銘 広沢」、和物茶碗では、国宝の白楽茶碗「銘 不二山」、重要美術品の伯庵茶碗「銘 奥田」、黒楽茶碗「銘 雁取」など、数寄者にとってみれば垂涎の的が一室にずらりと並んでいるわけですからまさに壮観でした。

3.国宝茶碗「不二山」との再会

 「茶の湯の名品」のなかでのわたしの狙いは、特別出品の国宝「白楽茶碗 銘 不二山」でした。正直のところ私がこの美術館を訪ねたのはこの光悦の茶碗に再会したかったからです。予想通り、その茶碗は展示室の中央ケースに共箱とともに展示されていました。

 本阿弥光悦の“本職”は刀の研師(とぎし)であるにもかかわらず、蒔絵、茶碗、書など様々の芸術分野でも一家を成していることから“日本のダビンチ”などともいわれています。光悦は茶碗作り関しては“素人”ですが、“専門家”である楽家の二代常慶、三代道入(異名:のんこう)と親交を結び、それらの影響を受けて自由奔放で個性溢れる茶碗を数多く世に送り出しました。代表的な光悦の名碗としては重文「雪峰(せっぽう)」(畠山記念館蔵)、重文「雨雲」(三井記念美術館蔵)、「十王」、「七里」(いずれも五島美術館蔵)などがあり、それらは各美術館の”顔“としても知られています。

 そのような名碗の中にあって頂点となる茶碗が「不二山」です。銘の由来は、茶碗の上部が白く、下部の黒く焦げた景色が白雪を頂く冨士山を連想できること、また二つとできない茶碗(不二の茶碗)であることから、光悦が自分で銘を付け、内箱の蓋の表に「不二山 大虚菴」と光悦自身が箱書をしています。光悦茶碗の中で光悦自筆のものは「不二山」のみで、作者自らが箱書きをした共箱としても最初のものだといわれ、私が訪ねた時には、その蓋も茶碗と同じ陳列ケース内に展示されていて拝見できたことは幸せなことでした。

 この茶碗は一名“振袖茶碗”とも呼ばれていますが、光悦の娘が振袖の残片で作った袋に入れて婿家先に持参したとか、娘が振袖の片袖にこの茶碗を包んだとかいう話も伝えられています。

 名碗「不二山」は姫路藩主酒井家にもともと伝来し、加えて酒井家は三井家から譲り受けた光悦の「雪峰」も所蔵していました。昭和24年(1949年)に荏原製作所の創業者で即翁と号した数寄者・畠山一清は、酒井家当主の酒井忠正から、「不二山」譲渡の話が持ち込まれた際に、「不二山」ではなく「雪峯」を譲り受け、その後「不二山」は服部正次(山楓)に譲られたと伝えられています。

 もし、即翁が「不二山」の譲渡を即決していたら、現在、わたしたちは「不二山」を白金の畠山記念館で、「雪峰」を上諏訪のサンリツ服部美術館で拝見するようになったのかもしれません(?)。 いずれにせよ、光悦茶碗の第一の名作で桃山時代以降最も品格の高いといわれる茶碗をひとり占めで拝見できたことは私にとって最高の喜びでした。

4.長次郎七種のひとつ…黒楽茶碗「雁取」

 この「茶の湯の名品」展では、かねて私が拝見したかったもう一つの名碗が展示されていました。それは、“素人”の光悦の茶碗ではなく、茶碗の“専門家”長次郎が作った黒楽茶碗「雁取」です。これは重文の「大黒」や「東陽坊」と共に“長次郎七種”のひとつに挙げられている名碗です。千利休が桃山時代の武人で“利休七哲”のひとり芝山監物に贈ったところ、その返礼に鷹野(高野)の雁が送られてきたところから「思ひきや 大鷹よりも上なれや 焼茶碗めが 雁取らんとは」という狂歌を詠んだことに因んで名付けられことで知られています。私の好きな重文の「俊寛」(三井記念美術館蔵)と作風が似ているので、一度自分の眼で確かめてみたかった茶碗です。想像していた通り、柔らか味のある優美な姿に「俊寛」と同じような親近感を感じさせる茶碗でした。

 「俊寛」の銘について有名なエピソードが伝わっていますが、「雁取」にも面白い話があります。

 近代数寄者の先達で権力者でもあった井上世外(馨)は、「雁取」茶碗に添えられていた利休の書状を所蔵していました。何としても茶碗そのものも入手したかった世外は、その書状を携えてわざわざ金沢まで赴き、茶碗の持ち主の能久治氏に懇願しましたが、その望みは叶えられませんでした。その後、紆余曲折を経て「雁取」茶碗は井上世外の所蔵となったのは、最晩年の大正4年(1915年)1月のことで、世外は「雁取」で念願の茶会を開くことなく同年8月に世を去りました。世外が所有したのは、わずか8カ月間の短期間ですが、「雁取」の説明書きに「井上世外旧蔵」ということしばしば見かけても、世外よりもはるかに長い間所蔵していたはずの「能久治旧蔵」という表現はほとんどありません。これが数寄の世界なのでしょうか。

 こんなエピソードを思い出しながら「雁取」をゆっくり拝見できました。

5.諏訪湖畔周辺に点在する美術館の数々

 サンリツ服部美術館に入って、半円形の踊り場の階段を上がると2階の2つに展示室の間には、喫茶室カフェ・パリエがあります。大きく開かれた窓からは諏訪湖の美しい景色が一望でき、椅子もゆったりとしていて、くつろげるスペースとなっています。

 諏訪湖では冬になって全面氷結した数日後に、湖面の氷が大音響と共に山脈のように盛り上がる「御神渡り(おみわたり)」が有名ですが、ここからもそれが見られるのでしょうか?

 サンリツ服部美術館の建物を設計したのは世田谷美術館を手掛けた内井昭蔵です。「水辺よりより湧き上がる雲」をイメージしているといわれていますが、まさに白雲が湧き上がる情景を背にした美術館の姿は格別でした。

(注)内井昭蔵の代表作の世田谷美術館は「わたしの美術館散策(6)」(2007.3.27)で紹介しています。

 諏訪湖は信州最大の湖ですが、湖周はわずか16kmです。その周辺にはなんと16の美術館・博物館が点在するという全国でも珍しい美術館過密地域です。2010年7月30日から9月30日の2ヶ月間にわたって「諏訪湖周まちじゅう芸術祭2010」が初めて開催されました。それぞれの館が持ち味を生かした展覧会、イベントを開いて、地元の食と酒をアート感覚で楽しもうとする地域活性化の企画でした。

 9月12日は日帰りで駆け足の旅でしたが、地元に住む友人の的確な先導と晴天にも恵まれて、サンリツ服部美術館のほか北澤美術館本館、片倉館・SUWAサロン、諏訪市美術館、諏訪湖博物館・赤彦記念館など効率良く巡り歩くことができました。


展覧会トピックス 2010.11.22




美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1.「室町三井家の名品…卯花墻と箱根松の茶屋…」

 会 期:2010.12.3〜2011.1.29

 会 場:日本橋室町 三井記念美術館 

 観覧料:一般 1000円(70歳以上 800円)

 電 話:03−5777−8600(ハローダイヤル)

  休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)

  http://www.mitsui-museum.jp/

 三井十一家のひとつ室町三井家が所蔵していた国宝の志野茶碗「銘 卯花墻」など110点の名品と12代当主高大が箱根湯本に開いた名料亭「松の茶屋」で使われた懐石道具などが展示されています。

2.「生誕120年…河井寛次郎…生命の歓喜」

 会 期:2010.12.27〜1.17

 会 場:日本橋 高島屋 8階ホール

 観覧料:一般 800円

 電 話:03−3211−4111

 休館日:1月1日

  http://www.enjoytokyo.jp/shopping/event/400803/

 河井寛次郎は大正10年の初個展以来、高島屋を作品の発表の場としてきました。生誕120年もやはり高島屋で開催し、陶芸から木彫、書、自筆ノートなど180点が展示されます。

3.「東京国立博物館 本館リニューアル記念特別公開」

 会 期:2011.1.2〜1.16

 会 場:上野公園 東京国立博物館 本館 

 観覧料:一般 600円(70歳以上 無料)

 電 話:03−5777−8600(ハローダイヤル)

 休館日:月曜日(1/3・10は開館)1/4・11

  http://www.tnm.go.jp/

 本館がリニューアルされるのに合わせて、これまで「平常展」と呼称していた収蔵品の展示の内容を充実させて「総合文化展」と改めました。その第1弾として東博の名宝が一堂に顔をそろえます。

                                         以上

2010.12.13

…My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(49)

井出 昭一

ル・ヴァン美術館

…自由な風(ル・ヴァン)が吹き続ける小さな館…



 場  所:〒389−0111 長野県北佐久郡軽井沢町長倉957−10

 電  話:0267−46−1911

 交  通:長野新幹線軽井沢駅より車で15分

        しなの鉄道中軽井沢駅より車で8分

 入館料:一般 800円 

 開館期間:6月中旬〜11月初旬

 開館時間:10:00〜17:00 

 休館日:毎週水曜日(祝日の場合は翌日。7月中旬から9月末は無休)

 http://www.levent.or.jp/




1.爽やかな風が吹き抜ける美術館

 今回はル・ヴァン美術館とそれを産み出した文化学院について紹介します。  ル・ヴァン美術館は、軽井沢の自然の中にたたずむユニークな美術館です。開いている期間も6月中旬から11月初めまでの半年弱、したがって今は閉館中です。来年の夏の軽井沢を訪ねたら是非訪問してみてください。旧軽井沢の雑踏とは異なり、爽やかな風の中で間違いなく英気を養うことができます。

 東京方面からル・ヴァン美術館へ車で行く場合は、上信越自動車道の碓氷・軽井沢インターチェンジを降りて、軽井沢バイパスを小諸・上田方面に進み、「鳥井原」交差点を左折して道なりにしばらく進むと、自然に囲まれた美術館に着きます。

 ここは軽井沢の中心部から離れていて足の便は良いとはいえません。しかし好都合なことに毎年7月末から11月初めまでは、毎日「軽井沢美術館・観光循環バス」が運行されています。これは軽井沢に点在する8館の美術館を南コースと北コースに分けて定期的に巡回するもので、ル・ヴァン美術館、絵本の森美術館、塩沢湖などは軽井沢駅北口と中軽井沢駅を往復巡回する南コースに組み込まれ、運行時刻に合わせて見学すると効率良く美術館巡りができます。なお、北コースでは、田崎美術館、脇田美術館、セゾン現代美術館などのほか、最近話題を呼んでいる「星野エリア」に立ち寄り「星野温泉トンボの湯」に浸かったり、「ハルニレ テラス」で飲食やショピングを楽しむこともできます。

2.西村伊作が設計した建物を復元

 ル・ヴァン美術館の建物は、1921年に文化学院が誕生した時、創立者の西村伊作が自ら設計し駿河台に建てた校舎を再現したものです。決して大きな建物ではありませんが、暖かな雰囲気を漂わせ周囲の自然に溶け込んむように建っています。

 ル・ヴァン美術館の入口は美術館・観光循環バスの停留所のあるロータリーになっています。アプローチを通って、ドームをいただく玄関に入ります。エントランスホールは明るく開放的で、開かれている扉の先は裏庭につながり、爽やかな風が吹き抜ける空間です。整備された裏庭には噴水あって涼感を呼んでいました。

 美術館の建物は常設展の展示室1室と企画展の展示室の2室の計3室で構成されています。常設展の第1室では「西村伊作と文化学院に携わった芸術家たちの作品」として、創立以来、文化学院に関わりのあった数多くの芸術家や文化人の絵画作品、書、写真などを展示し紹介しています。

 ことしの企画展は、「西村八知…恋人としての作品展」として、創立者西村伊作の三男で現在ル・ヴァン美術館の館長を務める西村八知の油彩、水彩、テラコッタ、スケッチなど多才な父親の血を受け継いだ作品が並べられていました。八知は“本職の画家ではなく素人だ”と云っていますが、一見したところボナールを思わせる淡い色調の作品に接して、ほのぼのとした温かみを感じ取ることができました。また「西村八知コレクションの画家たちの作品」では、父の伊作、与謝野晶子、硲(はざま)伊之助、石井柏亭、中川紀元、有島生馬、山下新太郎など八知本人のことばによれば“大したものではなく、自然に集まった友達や恋人みたいなもの”が展示されていました。

 美術館に付帯しているカフェテラス“Cafe Le Vent”の前には芝生が広がっています。その先のどっしりとした浅間山の連峰を眺めながら、爽やかな空の下でいただく一味違ったセンスの良い軽食はまた格別です。カフェテラスの横には明るいミュージアムショップ“Le Vent”も備えられています。

3.西村伊作の理想と文化学院

 創立者の西村伊作(1884〜1963)は、熱心なクリスチャンであった大石余平と母の冬の両親の下に現在の和歌山県新宮市で生まれ、名前は聖書にあるアブラハムの子イサク(Isaac)から伊作と命名されました。母方の西村家の養子となって、第12代の当主として広さ千ヘクタールにものぼる杉と檜の美林を持つ「吉野隋一の山林地主」の旧家を引き継ぐことになりました。

 伊作が生涯熱心に取り組んだのが教育で、理想的な学校を創る夢を持っていました。与謝野寛・晶子夫妻、石井柏亭の賛同と協力を得て、1921年(大正10年)東京神田駿河台にその夢を実現して創りあげたのが「文化学院」です。

 有島生馬は『愛と反逆』の序文で、文化学院の創設について「たった三粒の種が駿河台に芽吹き、ひょろひょろと、根を下ろしたのが、文化学院である。その種子の一つは、与謝野夫妻、もう一つは石井柏亭、それに西村伊作、この四人の協力は偶然のようでもあり必然的でもあった。まれにみる晶子夫人の創造力、石井柏亭の常識的組織、西村伊作の財力と決断が見事に結合され独特無二の新しい学園に開花するにいたった。・・・」と記しています。

 伊作は「金のためにする仕事」でなく、「楽しみのためにする仕事」を生涯貫いた人です。青年時代から、絵を描き、陶器を作り、建築に熱中し、家具や織物のデザインまで手掛ける多才な“大正モダニスト”でした。知的ハンサムの代表である白洲次郎より一時代前のハンサムな男が西村伊作です。したがって、文化学院の創業者としての顔ばかりではなく、建築家、洋画家、陶芸家としての顔も有し、さらに大正時代の数多くの文化人を支援した偉大なパトロンだったことも特筆すべきことです。

  “ごく自然に”“質素でも楽しい”これが文化学院の基本的あり方です。子供の個性をできる限り自然で藝術的な薫りを持ち、型にはまらない人間を生む教育を目指しました。社会に反旗を翻すのではなく、ごく自然に本来のあるべきことを自然体で取り組んで、戦時中の時局に迎合せず“思想の貞操”を貫き続けた唯一つの学校です。服装は自由、中学部では日本で初めて男女共学を実践しています。

 中学校令や高等女学校令に束縛されない各種学校として設立したので、学校の資格としては、個人の洋裁学校や料理学校と同格でしたが、その内容たるや中学校や高等女学校をはるかに凌ぐものでした。

4.そうそうたる文化人が居並ぶ豪華な講師陣

 講師陣も専門の教師ではなく、あえて教育については“素人”の文化人を起用しましたが、文化学院の魅力に惹かれて講師役を務めた芸術家も多数にのぼっています。

 俳人の高浜虚子、英文学者の戸川秋骨をはじめ北原白秋、芥川龍之介も初期の教壇に立っていますが、与謝野寛・晶子夫妻の関わり方は他を圧しています。与謝野寛は文学部の初代部長として10年間務め、また晶子は、文化学院の創立から1942年に亡くなるまでの20年余り講師として『枕草子』や『源氏物語』を関西なまりのか細い声で講じ、女学部の学監としても母親のような気持ちで生徒に接したといわれています。

文化学院について、与謝野寛は、

 「四十をば過ぎて生徒にうちまじり物読む窓の落葉のおと」

(「明星」大正10年12月号)

また、晶子は、1931年(昭和6年)創立10周年に際して

 「かへりみて足らふと言ふにあらねどもたのし美し学院のこと」の歌を残しています。

 文学部の2代目部長は菊池寛で、その関係から川端康成、横光利一、小林秀雄、阿部知二などが講師に加わりました。詩人の佐藤春夫も4代目の部長を務めています。佐藤春夫は、新宮の伊作の家に近くに住んでいて、10年年長の伊作とは友達付き合いの親交があったといわれています。

 一方、美術部では石井柏亭が創設から1941年(昭和16年)まで部長に在任し、洋画家の中川紀元、山下新太郎、有島生馬、山口薫、村井正誠、彫刻家の佐藤忠良、不定期の特別講師として棟方志功、猪熊弦一郎も教壇に立つという豪華な顔ぶれでした。美術の授業では、画技の巧拙よりも楽しんで絵を描くことを指導したといわれています。

 音楽、演劇、美術の分野では、山田耕筰、村田武雄、宇野重吉、芥川比呂志、高階秀爾、富永惣一。そのほか寺田寅彦、谷川徹三、和辻哲郎、仁戸田六三郎とまさに多士才々の講師陣です。

 また、創立間もないころ与謝野夫妻が次女八峰を入学させたのをはじめ、石井柏亭も4人の娘を、戸川秋骨も娘のエマを文化学院で学ばせました。この他、文化学院の自由教育に子女を託した父母としては、竹久夢二(画家)、谷崎潤一郎(作家)、森田たま(随筆家)、石井漠(舞踏家)、小島政二郎(作家)、舟橋聖一(作家)、棟方志功(板画家)、寺田寅彦(随筆家)、サトウハチロー(詩人)など多数の文化人があげられています。

5.引き継がれている自由教育の伝統

 恵まれた資力を有したうえに、西村伊作の教育に対する純真な熱情が多くの賛同者を呼び、その考えが伊作の後を受けて校長になった長女の石田アヤに、さらには三男の八知へと脈々と見事に引き継がれてきました。

 与謝野晶子も『文化学院の女子教育』について、「私達の学校…文化学院…の教育目的は、画一的に他から強要されること無しに、個人々々の創造能力を、本人の長所と希望とに従って、個別的に、みずから自由に発揮せしめる所にあります。」(「太陽」1921年1月号)と記しています。

 西村伊作の子供は、伊作の持っていた多才な資質を互いに分け合って、長男西村久二が建築(フランスの建築家オーギュスト・ペレーに師事)、長女石田アヤ(元:文化学院校長)が文学、次女坂倉ユリ(建築家坂倉準三夫人)が工芸、三男西村八知(二科会、前:文化学院校長、現:ル・ヴァン美術館長)が絵画とそれぞれの分野で活躍されているのも、伊作の目指した個人の能力や長所を生かした自由教育の賜物ではないかと考えられます。

6.建築家としての西村伊作

 伊作が情熱を傾けた教育と同様に、生涯一貫して興味を持ち続けたのは建築でした。大正10年(1921年)与謝野寛・晶子夫妻を中心に雑誌『明星』が再刊されたときに、伊作は建築に関する連載を16回も書き続けています。また出版した『楽しき住家』とか『田園小住家』などもきわめて好評だったため、伊作は住宅建築の第一人者とみなされ、建築事務所を持って生涯数十軒に及ぶ建物を設計するまでになりました。そのうち、大正3年(1914年)郷里の新宮町に建てた純木造洋館の自邸(現:西村記念館)は、“新たに興った住宅改良の動きの中で、家族本位の思潮に基づいて計画された郊外型住宅としの初期の遺構として歴史的価値を有する”建物として、今年の6月に国の重要文化財に指定されています。

 伊作の設計した建物で最も大きい建物は、昭和12年(1937年)駿河台に完成した鉄筋コンクリート造4階建ての文化学院校舎で、中庭に通じる大きなアーチのエントランスが独特のデザインでした。現在この建物は取り壊されて新しい高層の校舎に生まれ変わっていますが、アーチのデザインは新しい建物にも引き継がれています。西村伊作の建築作品に出会うために、はるばる新宮にまで行かなくても駿河台に行けば、その片鱗に接することができます。


展覧会トピックス 2010.11.22




美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1.「中国陶磁名品展…静嘉堂の東洋陶磁part1…」

  会 期:2010.9.25〜12.5

  会 場:世田谷区岡本 静嘉堂文庫美術館

  観覧料:一般 800円

  電 話:03−3700−0007

  休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)

  http;//www.seikado.or.jp/

 岩崎彌之助・小彌太の子による国内有数の中国陶磁コレクションが公開され、国宝の「曜変天目茶碗」、重文の「油滴天目茶碗」が同時に拝見できます。

2.「東大寺大仏…天平の至宝…」(光明皇后1250年遠忌記念)

  会 期:2010.10.8〜12.12

  会 場:上野公園 東京国立博物館

  観覧料:一般 1500円

  電 話:03−5777−8600(ハローダイヤル)

  休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)

  http://www.tnm.go.jp/

 東大寺の大仏殿前の八角燈籠(国宝)が寺外で初公開されるほか、古代の誕生仏では日本最大の誕生釈迦仏立像(国宝)、大仏開眼供養会に使用された伎楽面(重文)など天平の宝物が一堂に展示されています。

3.「永青文庫の茶入…2010年度調査をふまえて…」

  会 期:2010.10.2〜12.26

  会 場:目白台 永青文庫 

  観覧料:一般 600円

  電 話:03−3941−0850

  休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)

  http://www.eiseibunko.com/

 永青文庫が所蔵する細川家伝来の茶道具から、2010年度総合調査をふまえ、千利休所持で名高い茶入「唐物尻膨 銘 利休尻ふくら」はじめ、初公開12点を含む34点の茶入が一堂に展示されています。

4.「茶陶の道…やきものに親しむ?…天目と呉州赤絵…」

  会 期:2010.11.13〜12.23

  会 場:丸の内 出光美術館 

  観覧料:一般 1000円

  電 話:03−5777−8600(ハローダイヤル)

  休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)

  http;//www.idemitsu.co.jp/museum/

 天目や呉州赤絵を中心に福建陶磁とその周辺の陶磁を当館コレクションによって紹介しています。特別出品(12月5日まで)の国宝「油滴天目茶碗」(大阪市立東洋陶磁美術館蔵)が注目されます。

                                         以上

2010.11.5

…My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(48)

井出 昭一

田崎美術館

…軽井沢の別荘地に建つ小さな美術館…



 場 所:〒389−0111 

      長野県北佐久郡軽井沢町長倉横吹2141-279

        ロイヤルプリンス通り

 電 話:0267−45−1186

 交 通:長野新幹線軽井沢駅より車で10分

      しなの鉄道中軽井沢駅より車で3分

 入館料:一般 900円 

 開館期間:4月〜11月

 開館時間: 4月から7月中旬   10:00〜17:00

          7月中旬から8月末 09:30〜17:30

          9月          10:00〜17:00

         10月から11月     10:00〜16:00 

 休館日:毎週水曜日(7月中旬から8月末は無休)






1.プロローグ

今回は、山岳風景の画家として知られる田崎廣助の作品を常設展示する田崎美術館を紹介します。田崎廣助が生まれ育ったのは九州ですが、軽井沢にアトリエを持って、信州の山岳を題材にした雄大な風景画の傑作を数多く生み出しました。田崎美術館は、画家本人の遺志により自身の作品を常設展示するために、第二の故郷として住み慣れた軽井沢に建てられました。

2.千ヶ滝の別荘地の美術館

田崎美術館は軽井沢の千ヶ滝別荘地に建っていますので、徒歩で手軽に訪ねるというわけにはゆきません。車で行くには、JRの軽井沢駅の方から国道18号線を小諸・長野方面に向かって進み、中軽井沢駅入口を過ぎて「上ノ原」の信号を右折します。かつては、この信号の右手前にあったスーパーのジャスコが目印となっていて判り易かったのですが、数年前に取り壊されて賃貸マンション風の建物に変わったため、うっかりすると通り過ぎてしまいます。このなだらかなロイヤルプリンス通りをしばらく進むと左側に目指す田崎美術館に着きます。

…エピソード…

この道が「ロイヤルプリンス通り」と呼ばれるのは、田崎美術館を通り過ぎて丁字の突き当たりのところに天皇皇后両陛下がかつて利用された皇室専用の千ヶ滝プリンスホテルがあったからです。ホテルは20年以上も使われていないといわれ、建物の現状は判りませんが、その入口と思われるところは荒れている感じです。今年の8月末、この入口近くの丁字路に差し掛かろうとした直前に、天皇皇后両陛下がこれから通過されるので車を止めるよう警官に指示されました。程なく先導車に続いて皇后陛下が車の窓から手を振られて「星野エリア」方面へ右折して行かれました。お見送りしたのはわずか数台の車のみ、ほんの一瞬のですが、ロイヤルプリンス通りで天皇皇后両陛下にお会いすることができました。全く偶然の出来事でした。

3.田崎廣助は“阿蘇の画家”

田崎美術館が開館したのは1986年5月です。収蔵作品は100点以上の小規模の美術館で『浅間山』『晩秋の阿蘇山』『月と三笠山』などの田崎の代表的な山の絵を常設展示し、合わせて関連資料も順次公開しています。

田崎廣助は、1898年(明治31年)福岡県に生まれ、坂本繁二郎に師事した後、3年間ほどのフランス滞在中にセザンヌの影響を受けて帰国しました。1937年(昭和12年)には一水会の創立に参加し、その後も日展の重鎮として山岳をテーマとした作品描き続けました。その中でも阿蘇山を題材にした力作を数多く残しています。

田崎廣助は前回紹介した小山敬三とともに「一水会」を活動の場とし、1975年(昭和50年)にはそろって文化勲章を受章するなど同じ道を歩み続けました。“阿蘇山の画家”の田崎に対して、小山は“浅間山の画家”と呼ばれ、ふたりは“山”を描いた日展画家の双璧です。阿蘇の田崎は、1966年(昭和41年)に軽井沢の三笠にアトリエを持って以来、浅間、蓼科、八ヶ岳、妙高、白樺湖、野尻湖など信州の山岳や湖水をテーマとする作品を描き続けました。“山”以外のテーマとして、小山が薔薇や胡蝶蘭などの花を好んで描いたのに対して、田崎も花の作品を描いています。この面でも、二人は共通事項を有しています。

また田崎廣助は、84年間の長い生涯における文化人との幅広い交遊は有名で、とくに明治から大正、昭和の3世代にわたる関連資料だけでも、画壇の歴史を語る貴重な存在だといわれています。

4.原広司の設計した開放的で機能的な美術館

田崎美術館の建物は、道路からセットバックしていて門も囲いもなく、極めて開放的で周囲の自然の中に溶け込むように建っています。一見すると、変哲もない建物に見えますが、近寄って見ると積乱形の変わった屋根、幾何学的な壁面構成など斬新なデザインが随所に見られ、玄関ホール、ロビー、展示室、研究室などが中庭を取り囲んでいます。

設計したのは原広司で、建物は機能的に優れているばかりではなく、創造的で芸術的です。そのため美術館の建物そのものを見学する目的で来館される方も多いようです。窓ガラスも大きく、建物の色は白を基調としていますので、美術館の館内も明るく開放的です。絵画を鑑賞した後ひと休みもできる明るい喫茶室もあり、ここでは自然の中にいるような雰囲気でくつろげるスポットでもあります。

原広司は東大工学部を卒業、母校の東大で生産技術研究所教授として後進の指導に当たり、1997年に東大を退官後は、原広司+アトリエファイ建築研究所を設立して設計活動を展開しています。田崎美術館で東大教授時代の作品で、1986年に日本建築学会賞を受賞しました。翌年はヤマトインターナショナル(東京本社)で村野藤吾賞を受賞して一躍名前が知れ渡るようになりました。その他の代表作としては梅田スカイビル(1993年)、JR京都駅ビル(1997年)、札幌ドーム(2001年)など大都市での大規模作品があげられます。東京での作品は駒場2キャンパスの東京大学生産技術研究所(2001年)です。これは大学の研究施設としては、度肝を抜かれるような“長大作品”です。

5.美術館周辺の散策スポット

田崎美術館の近くにある「星野エリア」は軽井沢で最近人気を集めているスポットです。かつて北原白秋、島崎藤村、与謝野晶子など多くの文化人に好まれた星野温泉の地に、立ち寄り湯の「星野温泉トンボの湯」、カジュアルダイニング「村民食堂」が誕生したのに続いて「ハルニレ テラス」が造られて「星野エリア」として生まれ変りました。湯川の流れに沿った林の中に14の様々な趣向のレストラン、カフェ、雑貨店等が点在する「ハルニレ テラス」は、それらの建物がウッドデッキのテラスで繋がれていて、木立の中を晴雨に関わらず足元を気にすることなく快適な散策を楽しむことができます。

北原白秋の有名な「落葉松」の詩碑も湯川と道路(国道146号)の間に立っていますが、足を止めて見る人も少ないようです。

道路の向かい側の坂を上がったところの石の教会・内村鑑三記念堂も一度は訪ねてみたいところです。キリスト教指導者の内村鑑三を顕彰する教会ですが、地上は礼拝堂、地下には内村鑑三記念堂となっています。米国人建築家ケンドリック・ケロッグの設計によるという石とガラスの異なるアーチが重なり合う独特の外観は意表を突くものです。

「ハルニレ テラス」と軽井沢駅は、シャトルバスで結ばれていますので、新幹線を利用すれば、東京から日帰りで田崎美術館と「星野エリア」の周辺の散策をすることができるようになりました。


展覧会トピックス 2010.10.27




 

美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

今回の展覧会トピックスは、絵画編です。

1.「バルビゾンからの贈りもの…至高なる風景の輝き…」

 (開館10周年記念展)

 会 期:2010.9.17〜11.23

 会 場:府中市浅間町 府中市美術館

 観覧料:一般 800円

 電 話:03−5777−8600(ハローダイヤル)

  休館日:月曜日(祝日は開館)・祝日の翌日

 http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/

大型の企画展を次々に開催して注目されている美術館が、開館10周年を記念して開くバルビゾン派に焦点を絞った風景画の大展覧会です。

2.「ドガ展」

 会 期:2010.9.18〜12.31

 会 場:横浜市西区みなとみらい 横浜美術館

 観覧料:一般 1500円

 電 話:03−5777−8600(ハローダイヤル)

  休館日:木曜日(12/23・30は開館)

 http://www.degas2010.com/

ドガの名作120点が集められた大回顧展。代表的傑作「エトワール」は日本で初公開です。

3.「没後120年 ゴッホ展…こうして私はゴッホになった。…」

 会 期:2010.10.1〜12.20

 会 場:六本木 国立新美術館

 観覧料:一般 1500円

 電 話:03−5777−8600(ハローダイヤル)

  休館日:火曜日(祝日の場合は翌日)

 http://www.gogh-ten.jp/tokyo/

ゴッホの名作「アルルの寝室」「アイリス」など油彩画約30点が展示され、会場内には「アルルの寝室」が再現されています。

4.「円山応挙…空間の創造…」(開館5周年記念特別展)

 会 期:2010.10.9〜11.28

 会 場:日本橋室町 三井記念美術館(三井本館7階) 

 観覧料:一般 1200円(70歳以上 900円)

 電 話:03−5777−8600(ハローダイヤル)

  休館日:月曜日(11/22は開館)

 http://www.mitsui-museum.jp/

応挙水墨画二大傑作の国宝「雪松図屏風」と重文「松に孔雀図襖」が同じ展示室に並んで鑑賞できるという豪華版です。

                                         以上

2010.9.30

…My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(47)

井出 昭一

小諸市立小山敬三美術館

懐古園の斜面に沿って建つ村野藤吾の傑作



 

 場 所:〒384−0804 長野県小諸市丁221番地(懐古園内)

 電 話:0267−22−3428

 交 通:電車:しなの鉄道またはJR小海線「小諸駅」下車 徒歩10分

 車 :上信越自動車道「小諸インター」から10分

    懐古園内大駐車場を利用

 入館料:一般 200円 懐古園共通券は一般 500円

 休館日:年末年始(12月29日〜1月3日)と12月1日〜3月中旬の 

      毎週水曜日(3月中旬〜11月30日は無休)






1.プロローグ

 猛暑が続いた8月、信州に帰った機会に小諸の小山敬三美術館を久しぶりに訪ねてみました。例年なら8月中旬のお盆を過ぎると秋風が吹き出す信州も、今年ばかりは9月を目前にしても盛夏のような暑さでした。

小山敬三美術館は、“小諸なる古城”の址の「懐古園」の西の端にあります。訪ねたときは残暑が厳しかったためか、大駐車場に停めてある車はわずかに数台。園内も人影はほとんどなく、数十年ぶりに昔を静かに“懐古”することができました。

2.古城を通りぬけて美術館へ

懐古園は小諸城の城址です。通常の城は見晴らしの良い山の上とか高台に築かれますが、小諸城は城下町より低いところに建てられた穴城です。入口となっている三の門(重要文化財)は坂を下りたところに設けられています。徳川家達の豪快な筆になる懐古園の大額の下を通り抜け、徴古館を左に見て入園します。苔むした石垣の間を進むと、程なく二の丸の石垣のひとつに刻まれた若山牧水の歌に出会います。

 かたはらに 秋草の花語るらく ほろびしものは なつかしきかな

酒をこよなく愛した牧水のこの歌には酒こそ登場しませんが、私の好きな“牧水歌”のひとつです。

モミジの林を通り抜けてゆくと、緑の苔で覆われた天主台の石垣の向かいの木立の中に「藤村記念館」がひっそりと建っています。その先の千曲川を見下ろすところに建つのは島崎藤村の詩碑。「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ…」で始まり、「濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む」で終わる藤村の秀作「千曲川旅情のうた」の詩碑です。この詩は高校に入学した時の国語の教科書の冒頭にあり、先生から“信州人としては暗記しなければならない”といわれて覚えて以来愛唱しているものです。

詩碑近くの深い谷に架かる酔月橋を渡って、鹿島神社の鳥居を抜けて右方向の林の中にうずくまるように建っているのが小山敬三美術館です。

このように、久しぶりで美術館を訪ねるアプローチは、いぶし銀のようなものが点在していて懐古と感激の連続でした。

3.建物は村野藤吾の傑作

「藤村記念館」は木造の平屋建てで、設計したのは谷口吉郎。一方、小山敬三美術館も平屋建てですが、こちらは鉄筋コンクリート造で村野藤吾の設計です。谷口吉郎と村野藤吾は建築界の巨匠、小山敬三は絵画の巨匠で3人ともそろって文化勲章受章者です。

小山敬三美術館は本人が小諸市に寄贈したものです。展示室は昭和50年10月、第二展示室は平成元年4月に完成しました。“画伯の作風を建築に表現し集合美をかなえて、建物自体も芸術作品”として毎日芸術賞が贈られています。

今回の再訪の狙いは、もちろん小山敬三の作品に出会うことですが、もうひとつの目的は村野藤吾の“珍しい”作品を確かめて写真に撮ることでした。美術館の建物は斜面に建てられているため、本来水平であるべき床が傾斜していることが特徴です。館内の撮影はできませんので、狭い通路を辿って一周してみました。同じ表情の面がどこにも見られないことは驚くべきことです。これ程多彩な表情を持った建物は見たことがありません。外壁に曲線が多く使われているため受ける感じが穏やかです。

 懐古園の林の中に溶け込んでいる美術館。傾斜地に這うように建つ美術館。曲線が美しい清楚な美術館。まさに小山敬三美術館は村野藤吾の傑作です。

4.浅間と姫路城と花の絵と

美術館は展示室が2室のみで小規模です。作品も決して多くはありませんが、浅間山と白鷺城と花という小山敬三を代表するモチーフの優品が展示されていて暑さを忘れさせてくれました。

第一展示室では、少年期から晩年にいたる代表作として、中学時代の作品「盛夏樹林」をはじめ、「浅間山黎明」「紅浅間」(1968)、「浅間山新雪」(1968)、「雨期の白鷺城」(1971)などの“浅間・姫路城シリーズ”を中心にした風景画。その中にあって目を奪われたのは肖像画「ブルーズ・ド・ブルガリ」(1948)でした。この絵は息女の容子さんがモデルといわれているものです。

第二展示室では、開館35周年記念展「小山敬三が描いた花の絵と壺」(7月30日〜9月30日)が開催中でした。ただ単に美しい花を描くのではなく、花を生ける壺まで厳選したといわれています。画伯の壺へのこだわりを感じさせる作品とともにその絵に描かれている壺が一緒に展示されるという面白い企画です。「マジョリカ壺の胡蝶蘭」と鮮やかな色彩で覆われたイタリーの陶器、「デルフト壺のバラ」とオランダのデルフトで焼かれた壺、「バラ」の日本画では、緑釉が銀化し漢時代の壺が見事に描写されていました。油絵、日本画、水彩画、デッサンなどの作品が並べられていてなかなか楽しい展覧会でした。

 この美術館の隣には小山敬三記念館が建っています。これは1929年茅ヶ崎の海岸近くに建てられたアトリエと住居の一部(約120平米)を画伯が小諸市に寄贈して美術館の隣に移築したものです。息女の中嶋容子さんからも画伯の遺品が寄贈され、生前の状況を偲ぶことができます。

5.小山敬三“浅間の画家”

小山敬三は、1897年小山久左衛門の三男として小諸の名家に生まれました。父の友人であった島崎藤村の勧めで1920年フランスに留学するまで小諸で育ちました。そのため、毎日眺めた浅間山は画伯にとってふるさとの山です。1928年帰国後、茅ヶ崎にアトリエを建て、1936年には石井白亭、有島生馬、安井曽太郎ら8人と「一水会」を結成し、ここを活動の場として次々に名画を世に送り出しました。1975年には文化勲章受章して画業60年展を三越で開催し、2年後の1977年2月80歳で逝去されました。

一般に小諸といえばすぐに島崎藤村が思い浮かびますが、藤村は木曽で生れ小諸での生活は5年間程度です。これに対し小山敬三は小諸に生れ、成人するまで浅間を眺めながら小諸の地で育ちまし。そのため浅間山に対する愛着はかなりのものであると想像できます。「暮行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛」という藤村の名句は、頭にシッカリと浸みこんでいますが、小山敬三の“浅間シリーズ”の名画もはっきりと目に焼き付いています。

6.ただ一度の面会の思い出

美術館の館内で和服姿の気品あふれる小山画伯の写真にも“再会”できました。“再会”というのは、生前の画伯に一度だけ面会しているからです。

それは今から35年も前のこと、日本橋三越で開かれていた画業60年記念展の会場でした。偶然にも会場で小山敬三画伯とその姪(長兄の邦太郎氏の長女)にあたる井出春江さん(井出一太郎夫人)にお会いし、春江夫人から私を画伯に紹介していただきました。当時、私はバリバリのサラリーマン。日ごろの習性で私の名刺をとっさに差し出しました。すると文化勲章受章の洋画の巨匠も一会社員の私に「ご来場ありがとうございます。」と言われて名刺を頂戴したことを思い出しました。懐古園とはそんな懐かしいことを呼び戻してくれるるところかもしれません。

石川啄木は故郷の岩手山に対して、

 ふるさとの 山に向かひて

 言ふことなし 

 ふるさとの山は ありがたきかな

と詠いました。同じように、信州佐久に生まれ育ち、毎日浅間山を見続けてきた私にとって、“山”イコール“浅間山”であり、“川”イコール“千曲川”です。今では古稀寸前、佐久での生活より東京や近郊での生活の方がはるかに長くなりました。

幸いなことに、東京でも四六時中、浅間の雄大な姿を眺めることができるところがあります。その場所は、グランドプリンスホテル新高輪です。このロビーには“浅間の画家”小山敬三の最晩年の大壁画「紅浅間」が掲げられているからです。ここで巨大な浅間に向かえば、ふるさとを思い出し、また英気が与えられます。


展覧会トピックス 2010.9.30




 

美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1.「田中一村展 新たなる全貌」…開館15周年記念特別展…

 会 期:2010.8.21〜9.26

 会 場:千葉市立美術館

 観覧料:一般 1000円

 電 話:043−221−2311

 休館日:第1月曜日

 http://www.ccma-net.jp/exhibition_01.html

田中一村の過去最大規模回顧展です。一村は、栃木に生まれ、千葉市に20年住み、奄美大島へ渡って亜熱帯の植物や鳥などを題材にした日本画を描き、無名のまま没した画家です。没後の1980年代、テレビの美術番組での紹介が空前の反響を呼び全国に知られるようになりました。近年の調査で新たに発見された資料を多数含む約250点が展示中です。

2.「三菱が夢見た美術館」…岩崎家と三菱ゆかりのコレクション…

   開館記念特別展(2)

 会 期:2010.8.24〜11.3

 会 場:丸の内 三菱一号館美術館

 観覧料:一般 1300円

 電 話:03−5777−8600(ハローダイヤル)

 休館日:月曜日(9/21、10/11,11/1は開館)9/21、10/12

 http://mimt.jp/

美術館開館の第二弾。コンドルが三菱や岩崎家のために描いた建築図面、岩崎家が設立した静嘉堂文庫および東洋文庫が所蔵する国宝、重文を含む古美術や古典籍、そして三菱系企業が所蔵する西洋絵画の名作、日本の明治期の巨匠・山本芳翠、黒田清輝らの作品が展示されています。

3.「上村松園展」…珠玉の決定版…

 会 期:2010.9.7〜10.17

 会 場:北の丸公園 東京国立近代美術館

 観覧料:一般 1300円

 電 話:03−5777−8600(ハローダイヤル)

 休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)

 http://shoen.exhn.jp/

上村松園は気品あふれる人物画を数多く手掛けました。この展覧会では、松園の画業を大きく3期に分け、代表作約100点によって凛とした気品あふれ名作で全貌を辿ることができます。

4.「河井寛次郎」…生誕120年記念展…

 会 期:2010.9.14〜11.23

 会 場:駒場 日本民藝館

 観覧料:一般 1000円

 電 話:03−3467−4527

 休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)

 http://www.mingeikan.or.jp/home.html

民藝運動の指導者の一人で、釉薬の名手として日本を代表する陶芸家・河井寛次郎の生誕120年記念の特別展。京都市五条坂で作陶活動を展開し、その卓抜した芸術性は国の内外で高い評価を受けております。柳宗悦と親交を結んで以降の実用性を意識した重厚で色鮮やかな館蔵作品約150点を展示します。

                                         以上