<ダイヤネット>

・・・My Museum Walk・・・『わたしの美術館散策』

井出 昭一

2009.10.2

…My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(36)

井出 昭一

三菱一号館美術館

…復元されたコンドルの赤煉瓦の館…

場 所: 東京都千代田区丸の内2−6−2

問合せ: 電話:03−5777−8600(ハローダイヤル)

交 通:東京メトロ千代田線「二重橋」駅(一番出口)から徒歩3分

JR「東京」駅(丸の内南口)から徒歩5分

JR「有楽町」駅(国際フォーラム口)から徒歩5分

観覧料:展覧会により異なる。

休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)

http://www.mimt.jp/japanese.html




1.復元された赤煉瓦の館

丸の内に林立する高層ビルの谷間に古風な赤煉瓦の建物が復活しました。復元されたのは、1894年(明治27年)、丸の内に初めてオフィスビルとして誕生したジョサイア・コンドル設計の三菱一号館です。

三菱一号館は、高層ビルに建て替えられた新丸ビルと丸ビルの前を有楽町方面に通ずる“大名小路”と二重橋が真正面に見える“馬場先通り”が交差しているところに位置し、その赤煉瓦の姿は周囲の近代的ビルとはあまりにも対照的で目を惹きつけます。

2.丸の内の第一世代の嚆矢となった「三菱一号館」

三菱一号館は、わが国の近代建築の生み親で知られるイギリス人建築家ジョサイア・コンドル(1852〜1920)の設計により、1894年(明治27年)に完成しました。“三菱ガ原”といわれた明治の丸の内に初めて誕生した赤煉瓦の“近代的な”オフィスビルでした。この一号館を嚆矢として、二号館(現在の明治生命館の前身の建物)、さらに第12号館、第13号館の煉瓦造りの3階建ての事務所が次々に建設され、明治40年代には馬場先通りの街並みは「一丁ロンドン」と呼ばれ親しまれてきました。この赤煉瓦時代は、丸の内のビル街の“第一世代”です。昭和初期から戦後にかけて、赤煉瓦の建物は新しいビルに生まれ変わり、昭和43年にはついに三菱一号館も取り壊され丸の内から赤煉瓦の建物はすべて姿を消してしまいました。

私の会社生活が丸の内で始まったのは昭和39年で、まだ三菱一号館は健在でした。古めかしくも温かみのある建物で、馬場先通りの入口に「富士電機製造株式会社」(?)という看板が懸っていた記憶が残っています。

今回、三菱一号館の復元は、残されていた創建当時の設計図面をもとに、保管してあった部材なども使用して明治期の状況を忠実に再現したといわれています。旧館が残っていた当時、私はそれほど建物に興味を持っていませんでしたので、内部に立ち入りませんでした。もし一度でも入っていれば、今回の復元されたのと比較できたのではないかと今になって残念に思っているところです。

3.「一号館広場」は都心のオアシス

私は三菱一号館が復元されるということを知って以来、その完成を心待ちにしていました。ベールが取り除かれて、煉瓦の外観が現れた時には感動しました。ただ、私の記憶では煉瓦の赤味がもっと濃かったような気がします。時が経てば、濃くなるのでしょうか。

美術館としての開館は、来年4月といわれていましたので、それまでは建物の中に入れないものと思い込んでいましたが、「一丁倫敦と丸の内スタイル展」が、9月3日から開かれると聞いて、初日に駆けつけ念願の建物内部に足を踏み入れることができました。

室内の暖炉には旧三菱一号館の保存されていた大理石が元のままに戻され、鉄骨の階段、バルコニーの手摺なども戦前の写真をもとに復元されています。1階には、創建当時は銀行の営業室であった二層吹き抜け空間を生かしたカフェやミュジアムショップも誕生しています。

復元された三菱一号館は上から見ると馬場先通りと大名小路に対して、L字

型をしています。高層の丸の内パークビルディングと低層の丸の内ブリックスクエアに囲まれたスペースは「一号館広場」と名付けられ、木々や草花が植えられ、緑あふれる都心のオアシスです。芝生に置かれたヘンリー・ムーアの彫刻、木々の間の朝倉響子や淀井敏夫の彫刻もオープンカフェから眺めることができます。夜になるとガス灯が燈され噴水もライトアップされて、とても東京の中心とは思えない心静まる空間となっています。

この三菱一号館は、来春“三菱一号館美術館”として生まれ変わります。美術館としてのオープンは来年4月6日で、開館記念展の「マネとモダン・パリ」には、オルセー美術館からマネの名作が多数やって来るので今から楽しみにしています。この展覧会のチラシで紹介されている「すみれの花束をつけたベルト・モリゾ」は、“印象派の父“マネの最高傑作と評されるもので、2007年1〜3月の東京都美術館での「オルセー美術館展」以来、久しぶりに再会できるからです。

4.コンドルの足跡を訪ねて

 三菱一号館を設計したジョサイア・コンドルは、明治政府に招かれて25歳で来日し、工部大学校(現:東大工学部)で、辰野金吾、片山東熊、曾禰達蔵、佐立七次郎といった日本の近代建築の基礎を築いた人材を育成する一方、上野博物館(1881年、東京国立博物館の前身)、鹿鳴館(1883年)をはじめ、霞が関の官庁施設、丸の内のオフィス、個人の大邸宅など100を超す建造物の設計を手掛けました。

 そのうち大部分は関東大震災で崩壊したり、第二次大戦で焼失したり、老朽化のために取り壊されて姿を見ることはできませんが、現存するコンドルの足跡を訪ね歩くのは楽しいものです。

 現在都内で最も古いコンドルの作品は、杉並区堀ノ内にある妙法寺境内の鉄門(1878年)で、これは重要文化財に指定されています。都内に現存するコンドル設計の建物を竣工年順に見ますと下記の通りです。 

 お茶の水の東京復活大聖堂(ニコライ堂、1891年)、台東区池之端の岩崎久彌邸(茅町本邸、1896年)、芝高輪の岩崎彌之助高輪別邸(現:三菱開東閣、1908年)、世田谷区岡本の静嘉堂文庫敷地内の岩崎彌之助霊廟(1910年)、三田綱町の三井家倶楽部(現:三井倶楽部、1913年)、東五反田の

島津忠重邸(現:清泉女子大学本館、1915年)、北区西ヶ原の古河庭園内

古河虎之助邸(1917年)で、いずれも重文かそれに匹敵する名建築ばかりです。今回、これらの仲間に三菱一号館が加わったことは喜ばしい限りです。

5.丸の内は今や“第三世代”

丸の内は、第1世代の明治時代の赤煉瓦街から脱皮して、昭和の初期から戦後にかけてビルの高さが揃った整然としたオフィス街となったのが第2世代です。私の会社生活は、この第二世代のさなかで、きれいに刈り込まれた街路樹、四季折々の草花が植えこまれた歩道脇の花壇を楽しみ、銀行、証券、保険などとりすましたウインドウを横目に丸の内仲通りを通勤したものです。行き交う人も、スーツ姿のサラリーマンか、制服のOL、就職シーズンには会社訪問のためのリクルート姿の学生の“三種”に限られていました。

平成の現代になると、超高層ビルが林立し、かつて丸の内の1階部分を独占していた銀行、証券は姿を消し、時代の最先端をゆくファッションが並ぶブティックが軒を連ねて、おしゃれなオープンカフェが出現する第3世代に入っています。戦後の日本の高度成長の中心であったモノトーンの人々の集まった場所は、カラフルで多種多様な老若男女が四六時中行き交う賑わいの街に変身しています。

赤煉瓦の三菱一号館の復元は、昭和に入って建てられたオフィスビルとして初めて重要文化財に指定された明治生命館(設計:岡田信一郎)と並んで、第三世代の丸の内に新たな名所が誕生したことになり、シニア世代を再び丸の内に足を向けさせる契機となったのではないかと感じているところです。


展覧会トピックス 2009.9.1



美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1.「一丁倫敦と丸の内スタイル展…三菱一号館竣工記念…」

会 期:2009.9.3〜2010.1.11

会 場:丸の内 三菱一号館

入場料:一般 500円

休 館:月曜日、10/13、11/24、1/11

(9/21、10/12、11/23、1/11は開館)

電 話:03−5777−8600(ハローダイヤル)

 http://www.mimt.jp/japanese.html

本文で紹介したとおり、美術館としてオープンするのは来年4月の「マネとモダン・パリ」展からですが、建物を公開披露するため、丸の内の歴史やオフィス文化を紹介する竣工記念展が開かれています。三菱一号館の内部をゆっくり拝見できる絶好の機会です。

2.「新・根津美術館展…第1部 国宝那智瀧図と自然造形…」

会 期:2009.10.7〜11.8

会 場:南青山 根津美術館

入場料:一般 1200円

休 館:月曜日(10/12は開館、翌10/13は休館、11/2は開館)

電 話:03−3400−2536

 http://www.nezu-muse.or.jp/

3年半にわたって休館していた根津美術館が10月7日にいよいよ開館します。開館を記念する展覧会がこれから来年9月まで8回開催され、館蔵の古筆、茶道具、青銅器など名品が続々と展示されますので楽しみです。その第1弾として、国宝「那智瀧図」を中心に自然をモチーフにした絵画や工芸が勢ぞろいします。なお、新美術館の設計は隈研吾です。

3.開館記念特別展「速水御舟…日本画への挑戦…」

会 期:2009.10.1〜11.29

会 場:広尾 山種美術館

入場料:一般 1200円

休 館:月曜日(祝日の場合は開館し、翌日の火曜日休館)

電 話:03−3239−5911

http://www.yamatane-museum.or.jp/

山種美術館は、千鳥が淵から広尾に移転しました。速水御舟の名品「炎舞」「名樹散椿」(重要文化財)をはじめ、山種美術館所蔵の御舟作品をすべてが展示されます。加えて初公開の未完の大作「婦女群像」(個人蔵)および1930年の渡欧日記(個人蔵)など合わせて120点の御舟作品が展示されます。

4.「皇室の名宝…日本美の華…」(御即位20年記念特別展)

  会 期:1期 2009.10.6〜11.3

      (永徳、若冲から大観、松園まで)

      2期 2009.11.12〜11.29

      (正倉院宝物と書・絵巻の名品)

 会 場:上野公園 東京国立博物館平成館

入場料:一般 当日券(1期・2期とも)1300円 

休 館:1期 10月13日、19日、26日

    2期 なし

電 話:03−5777−8600(ハローダイヤル)

http://www.bihana.jp/

天皇陛下の御即位20年を記念して、皇室ゆかりの名宝を一同に集めた特別展で、これまでにない規模で公開されるということで注目されています。なお、展示作品は、1期、2期ですべて替ります。

5.「第61回 正倉院展」(御即位二十年記念展)

会 期:2009.10.24〜11.12(会期中は無休)

会 場:奈良公園 奈良国立博物館 東・西新館

入場料:一般 1000円

電 話:03−5777−8600(ハローダイヤル)

http://www.narahaku.go.jp/exhibition/2009toku/shosoin/shosoin_index.html      

今回の正倉院展は、今年1月の天皇陛下御即位20年を記念して、正倉院の全体が概観できるよう正倉院宝物を代表する名品が出陳されるのが特徴です。北倉11件、中倉25件、南倉28件、聖語蔵3件の総計66件の宝物が出陳され、このうち初出陳は12件です。聖武天皇の后の光明皇后が書聖・王羲之の模本を臨書した楽毅論は光明皇后の真跡として名高いものです。

                                          以上

2009.9.1

…My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(35)

井出 昭一

神奈川県立近代美術館・鎌倉館

…日本の近代美術館のエリート…

場 所:〒248−0005

神奈川県鎌倉市雪ノ下2−1−53(鶴岡八幡宮境内)

問合せ:電話:0467−22−5000

 FAX:0467−23−2464

交 通:JR横須賀線「鎌倉駅」下車、徒歩約10分。

観覧料:展覧会により異なる。

休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/




プロローグ

神奈川県立近代美術館・鎌倉館(通称:鎌倉近代美術館)に行くには、JR鎌倉駅東口から若宮大路へ出ます。二ノ鳥居から大路の中央を一段高くして両側に桜を植えた参道の段葛(だんかずら)を鶴岡八幡宮に向かって北に進み、三ノ鳥居を抜けて太鼓橋を過ぎ、砂利道を左に折れたところが目指すところです。

日本で最初の公立の近代美術館である鎌倉館は、緑豊かな周辺の環境、モダニズム建築の代表とされる建物自体、豊富な収蔵品、そうそうたる設立時の支援者などから見てまさに“日本の近代美術館のエリート”といえる存在です。

2.日本で最初の公立近代美術館

神奈川県立近代美術館は、1951年(昭和26年)年11月に開館しました。開館の契機となったのは、1949年に神奈川県在住の画家(有島生馬、安井曾太郎、鳥海青児、鏑木清方、前田青邨、伊東深水など)と研究者(高橋誠一郎、矢代幸雄、吉川逸冶など)33名が、美術館建設を目指して神奈川県美術家懇談会を設立したことです。建物を建てるためのコンペ(設計競技)は今では珍しくはありませんが、当時は画期的なことでコンペの結果、坂倉準三の案が選ばれ、鎌倉市雪ノ下の鶴岡八幡宮境内に日本で最初の公立近代美術館が誕生しました。

その開館記念展は「セザンヌ、ルノワール展」で、その後、外国作家展、高橋由一、萬鉄五郎、黒田清輝、岸田劉生、佐伯祐三、松本竣介など日本人作家の展覧会、数々のテーマ展を開催し、開館後50年で開催した展覧会は600回以上に達し、日本の近代美術の普及・発展に果たした役割は極めて大きいといえます。

寄贈された絵画を核として所蔵品を充実させてきたことがこの美術館の特徴で、松本俊介、山口蓬春のコレクションなどが知られています。収蔵品は日本近代美術の作品を中心に約1万点にのぼり、日本の公立美術館のなかで有数の質と量を誇るものです。

3.日本を代表するモダニズム建築

神奈川県立近代美術館・鎌倉館は源平池のひとつ、西側の平家池のほとりにあって、軽快な姿で池にそそり出るように建っています。鉄骨鉄筋の地上2階建て、延べ床面積1575平方メートル(約477坪)の建物は、美術館としては決して大きなものではありません。しかし、平面構成と構造の明快さ、日本の伝統素材の尊重、自然環境との調和を巧みに融合した日本のモダニズム建築を代表する名建築として高く評価され、建築界に豊富な話題を提供している建物です。

それは、設計者の坂倉準三が、師匠ル・コルビュジエの提唱する「無現発展の美術館」という設計哲学を随所に実現しているからです。ル・コルビュジエの建物は、1階はピロティとして2階を中心にしていますが、この美術館も、階段を上がった2階に入口が配されています。2階の展示室はL字型の第1展示室と四角の第2点展示室で構成されています。南側の平家池を見下ろす場所には大佛次郎の小説『旅路』にも登場する喫茶室もあってくつろぐことができます。1階には、中庭を囲んで半屋外スペースの彫刻室と池に面したテラスがあり、このテラスからの眺めもなかなかなものです。

鎌倉館は、建物そのものにも見どころが多く、DOCOMOMO(注)により1999年「日本の近代建築20選」に選ばれた日本におけるモダニズム建築の最も代表的なものです。美術品を楽しみ、建物を楽しみ、さらに周辺の四季の変化をも楽しめる“三楽の美術館”ということができます。

(注)DOCOMOMO(ドコモモ)は、1988年に設立された近代建築の記録と保存を目的とする国際学術組織で、パリに本部を置き40か国以上の支部とから成っています。日本支部のDOCOMOMO JAPAN(現在の代表:鈴木博之青山学院大学教授)は、1999年に日本の近代建築20選を選定した後、数回の追加選定を重ね現在では135選となっています。

4.多才な建築家・坂倉準三

鎌倉館を設計した坂倉準三(1904〜1969)は、岐阜県羽島(現・羽島市)で醸造元の家に生まれ、東京帝国大学では文学部で美術史を専攻したという変わった経歴の持ち主です。 卒業後、フランスに渡って、1931年には現代建築の巨匠のル・コルビュジエの建築事務所に入り、モダニズム建築の設計を学びました。

坂倉は設計した1937年のパリ万国博覧会日本館がグランプリを獲得したことで、一躍世界に認められました。主な作品としては、この鎌倉近代美術館をはじめ、岡本太郎邸(現:岡本太郎記念館)があり、ル・コルビュジエの同じ門下・前川國男と共同設計の「国際文化会館」(1955年)と「羽島市庁舎」(1958年)は日本建築学会賞(作品賞)を受賞しています。

このほか上野市庁舎(現・伊賀市庁舎)、枚岡市庁舎(現・伊賀市庁舎)、神奈川県庁新庁舎などの公共建築を数多く手掛け、さらに、渋谷や新宿の西口広場や地下駐車場の都心のターミナル開発にも手を広げています。

なお、坂倉の妻は文化学院の創設者で建築家としても名を成した西村伊作の次女の坂倉ユリ(1912〜2007)で、子息の坂倉竹之助も同じく建築家として活躍中です。

坂倉準三は、日本人としては最も長い間、巨匠ル・コルビュジエに直接の教えを受けた弟子であり、日本の現代建築、デザインの発展に大きく貢献した建築家でもあります。今年は没後40年にあたり、その生涯を回顧する共同企画の展覧会が坂倉の代表作であるこの神奈川県立近代美術館・鎌倉館と東新橋のパナソニック電工汐留ミュージアムで開催されています。

鎌倉館では「建築家 坂倉準三展…モダニズムを生きる…人間・都市・空間」(2009.5.30〜9.6)と題して、公共建築などのほか渋谷や新宿など都市のターミナル開発に関する図面、写真、模型、資料などが展示されました。

また、パナソニック電工汐留ミュージアムの「建築家 坂倉準三展…モダニズムを住む…住宅・家具・デザイン」(2009.7.4〜9.27)では、坂倉の住宅、家具、デザインに焦点を当てた展覧会が開催され、建築のみならず他の分野の芸術家と関係を持ち、幅広いデザイン活動を展開した坂倉の住宅や家具、デザイン分野での活動を紹介し、図面、写真、模型、映像など約220点の資料を通じて日本のモダン・デザインに果たした役割が紹介されています。

5.楽しめる周辺の建物散策

鎌倉館では、1966年に所蔵品を収める収蔵庫と新たな展示室などをもった新館が坂倉準三の設計で増築され、1984年7月には前川國男門下の大高正人の設計で鎌倉別館が鎌倉館から北鎌倉寄り5分ほどの場所に完成いています。引き続いて葉山町の一色海岸に、佐藤総合計画による葉山館が2003年3月に竣工し、神奈川県立近代美術館はこれら3館で構成され、現在も引き続き充実した活動を展開しています。

鎌倉といえば、鶴岡八幡宮、建長寺、円覚寺、瑞泉寺、光明寺などの名所旧跡が目立ちますが、近代日本画の巨匠の鏑木清方記念美術館をはじめ、鎌倉国宝館(設計:岡田信一郎)、鎌倉文学館(旧加賀藩主前田侯爵別邸)、旧華頂宮邸、三河屋本店など国の登録有形文化財の建物などにも寺院巡りの合間に是非立ち寄りたいところです。


展覧会トピックス 2009.9.1



美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1.「ゴーギャン展」

会 期:2009.7.3〜9.23

会 場:竹橋 東京国立近代美術館

入場料:一般 1500円

休 館:月曜日(8/17、24、9/21は開館)

電 話:03−5777−8600(ハローダイヤル)

 http://www.gauguin2009.jp/

ゴーギャンの最高傑作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」が日本で初公開されることで話題を集めている展覧会です。このゴーギャンが残した最大の作品は、ボストン美術館の所蔵品でアメリカ以外で公開されるのは今回で3例目ということです。

2.「高島屋史料館所蔵名品展」

会 期:前期 2009.7.18〜8.23(終了)

    後期 2009.8.26〜9.27

会 場:六本木 泉屋博古館分館

入場料:一般 800円

休 館:月曜日(8/17、9/21は開館)

電 話:03−5777−8600(ハローダイヤル)

 http://www.sen-oku.or.jp/tokyo/

?島屋史料館は、昭和45年、株式会社?島屋設立50周年記念事業として、大阪の?島屋東別館に設置されました。近代日本画、洋画、図案、能装束、工芸品など多分野の優れた名品を数多く所蔵しています。この展覧会では、所蔵品のうち近代日本画、洋画に的を絞り、名品を一堂に集めて展示するものです。

3.「館蔵品展 花・華…日本・東洋美術に咲いた花…」

会 期:2009.8.4〜9.27

会 場:虎ノ門 大倉集古館

入場料:一般 800円(65歳以上500円)

休 館:月曜日(8/17、24は開館)

電 話:03−3583−0781

 http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/shukokan/hana.html

花は図案化されて陶磁器や漆器、染織品などの装飾にも幅広く用いられています。本展では大倉集古館の所蔵品の中から、日本・東洋美術で花の諸相を梅、桜、牡丹、蘭、菊など、花ごとのテーマで紹介しています。

4.「白洲正子と細川護立…最後の目利きから学んだもの…」

会 期:2009.6.27〜9.13

会 場:目白台 永青文庫

入場料:一般 600円

休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)

電 話:03−3941−0850

http://www.eiseibunko.com/

白洲正子は細川邸(現・永青文庫)に通い、細川護立に一級の美術品を見せてもらいながら美意識を養い、その後、骨董や書など独自の美の世界を展開していきました。本展では、白洲正子が鑑賞した「金銀錯狩猟文鏡」(国宝)や「三彩宝相華文三足盤」(重要文化財)などの護立コレクションの名品約50点に加え、旧白洲邸の武相荘が所蔵する白洲正子コレクション約20点が展示され、ふたりの交流を辿ることができます。

                                          以上

2009.7.26

…My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(34)

井出 昭一

石洞(せきどう)美術館

…千住大橋のたもとの陶磁中心の美術館…

場 所:〒120−0038 東京都足立区千住橋戸町23番地

問合せ:03−3888−7520

交 通:京成線「千住大橋駅」から徒歩3分

入館料:大人500円(65歳以上無料)

開 館:月曜日(祝日の場合は翌日)

http://sekido-museum.jp/




プロローグ

 今回は、一般にはなじみが薄いと思われる石洞(せきどう)美術館を紹介します。
私が石洞美術館を知ったのは2年前のことです。陶磁器を主とする美術館が誕生したと聞いて一度は訪ねてみたいと思っていましが、遠いという印象が強く、行くのを躊躇していました。しかし、「古染付」を数多く集めたユニークな展覧会が開かれているというので、一念発起して出かけたのが平成19年(2007年)7月の暑い日でした。

 遠いと思っていたのは私の思い過ごしで、日暮里から京成線で3つ目の千住大橋駅は思いのほか近いのでびっくりしました。私の住んでいる蕨から京浜東北線で行くと秋葉原よりも近いのですから……。下調べもせずに急に思い立って出かけ、途中で手持ちの地図で場所を確認しようとしましたが、石洞美術館の記載表示はなく、千住大橋駅を下車してから10分以上も右往左往のうえようやく美術館に辿り着きました。後で美術館の案内チラシを見ると千住大橋駅から徒歩3分となっていましたので私はかなり遠回りをしたようす。

 落ち着いた展示室内で数多くの古染付を堪能して暑さを忘れての帰り、千住大橋駅のホームで電車を待っていると、六角形の美術館の建物が近くに見えることが判りまた驚いた次第です。まさに兼好法師いう通りです。

「少しのことにも、先達(案内者)はあらまほしき事なり」(徒然草)

2.“こだわりの建物”

この石洞美術館は陶磁を中核とする比較的新しい美術館です。足立区内唯一の美術館ということもあり千住地区では貴重な存在です。東京都23区の中でも港区のように国立(国立新美術館)、都立(東京都庭園美術館)、私立(根津美術館、サントリー美術館、畠山記念館、大倉集古館など)が16館もひしめきあってあって「港区美術館マップ」ができるほど美術館が集中しているのとは対照的です。

 美術館は千住大橋の近くの“はんだ”を製造する千住金属工業株式会社本社ビルの一画にあります。この本社ビルは銅板葺き三角屋根と煉瓦タイルの六角形の中国楼閣を思わせるような独特の色と形で眼を惹く高い建物です。向かって左が「昇龍楼」(しょうりゅうろう)で、石洞美術館のあるのは右の西側の「双鶴楼」(そうかくろう)です。六角形という例の少ない建物の形状、レンガ色のタイル、中国風の建物名といずれも創業者の佐藤千寿氏のこだわりが感じられるところです。美術館の石洞(せきどう)という名前は、佐藤氏の雅号から採ったといわれ、美術館は財団法人美術工藝振興佐藤基金によって運営されています。

 美術館は外観ばかりではなく、内部の展示室もユニークです。その特徴は1階と2階展示室をつなぐ階段はなく、車椅子でも介護者が容易に移動出来るようスロープで結ばれていることです。展示室は落ち着いた灰色を基調とした色調で、スロープの壁にも展示ケースが配置されていて展示品を見ながら2階へ進むことができます。

また、美術品を展示するケースも正面だけでなく、上から覗いて見ることができるケースとか、四方ガラス張りでどの角度からも鑑賞できるケースなど、その配置、明るさなどは入館者に対しての行き届いた配慮が随所にうかがえて心温まる美術館です。

3.“こだわりのコレクション”

収蔵品の総数千数百点は佐藤千寿氏が長年かけて集めたもので、東南アジアの陶磁、ラスター陶、スペイン陶器など陶磁器や仏像(ガンダーラ仏)、中国の青銅器、玉器ですが、陶磁器以外では美術館が所在する千住に関係する葛飾北斎や歌川広重などの錦絵なども収蔵しています。

 しかし、中核をなすのはやはり日本、朝鮮、中国の陶磁器で近代現代の作家を合わせて数百点を収蔵し、この中でもとくに古染付はまとまったコレクションとして評価されています。

コレクションの発端は、昭和15年、佐藤氏が旧制二高時代に1か月分の寮費を投入して買った高麗青磁の平茶碗だとされています。「蒐集はそれを為した人の鏡である」という佐藤氏のことばのとおりその哲学がコレクション全体を貫いているようです。

 石洞美術館を初めて訪れた一昨年7月の「古染付」展は今でも忘れられない印象的な展覧会でした。中国では、均整のとれた形で非の打ちどころのないものを尊重するので、「虫喰い」と呼ばれて釉が剥げた部分があちこちに散見される古染付のようなものは多分不良品として見向きもされなかったでしょう。日本の茶人の鋭い美意識によって珍重され現在まで遺されてきた“世界でも珍しい”古染付は、これまでの陶磁展でも数点が展示されることはあっても百点を超える古染付が一堂に展示されるというのは斬新な企画で初めてのことだったと思います。

 古染付展から2年後、今年の七夕の日に再度訪れたときには「朝鮮の陶磁器展」が開かれていました。今回は迷うことなく千住大橋駅から最短距離を3分以内で到着できました。暑い7月初旬でしたので、来館者は私以外は人影もなく、入館料は一般が500円ですが、私は“65歳以上無料”という恩典で入館し、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 朝鮮の陶磁器は毅然とした中国陶磁と一線を画し、その清らかな温もりを感じさせるものとして日本人の心を惹きつけてきました。今回の展示では中国陶磁器の影響を受けた高麗青磁をはじめ、粉青沙器(ふんせいさき)、白磁など朝鮮陶磁独自の美しさを感じさせるものと巡り合うことができました。この展覧会のポスターに使われている辰砂岩菊文壺(朝鮮時代18世紀)は、鮮やかな辰砂の発色といい、おおらかな姿といい、朝鮮陶磁らしさを表している代表的作品です。ほの暗いしっとりした展示室には染付(青花)や白磁の水滴の小品もいくつも並べられていてさわやかな涼感に満ちた展覧会でした。

4.幅広い文化支援活動を展開

佐藤金属工業の創業者 佐藤千寿氏が60歳のとき、財団法人を設立してコレクションを寄贈するとし同時に美術工芸に関する研究助成を開始し、米寿を迎えた2006年4月に本社社屋建築に当たってその一画を美術館として収集品を公開するにいたっています。

 また、石洞美術館を運営する財団法人美術工芸振興佐藤基金は、通常、美術館が実施する文化講座の開催のほか、内外の美術工芸研究調査、創作活動等の助成、金工作家奨励のための「淡水翁賞」の設定授与など、幅広い文化支援活動を通して、美術工芸の振興に努めています。同じ敷地内には足立区の障害者団体「友愛会」が運営する喫茶室「妙好」を設け、社会的責任を果たし、地域社会とも融和する活動を継続しているということは賞賛に値するものです。

5.千住は芭蕉の「奥の細道」旅立ちの地

 石洞美術館を訪れたら、ちょっと千住大橋まで足を伸ばしてみてください。美術館から徒歩で5分ほどです。千住大橋は、徳川家康が江戸に入って最初に架けた橋で、奥州、日光、水戸の三街道の要地を占めて大名行列が行き交う東北への唯一の大橋であったといわれています。 

 面白いことに「日本大橋盡」という江戸時代の大きい橋の番付表が橋の下の壁面に大きく表示されていて、その中で、この千住大橋(長さ85間)は両国橋(96間)、大川橋(90間)と並んで行司役に名を連ねています。また、広重や北斎の浮世絵にもしばしば登場するほど往時は江戸での名所だったようです。

 隅田川に懸けられている千住大橋は車の往来の激しい日光街道が通っていますが、橋のたもとには松尾芭蕉の「奥の細道 矢立初めの地」の碑が建っています。ここは松尾芭蕉が奥州への旅立ちの際、多くの門人に見送られたという地でもあります。川面に向かって石の階段を下りて行くと、「奥の細道」の一部が壁面に焼き付けられています。

 「千じゅと云所にて 船をあがれば、前途三千里の おもひ胸にふさがりて、

幻のちまたに離別の泪をそゝく」

芭蕉はこの千住の地で有名な句を残し、見送りの人々とは別れを惜しんで旅立ったのです。

行春や鳥啼魚の目は泪

(注)本稿をまとめるに当たり、石洞美術館の学藝員の秋間敬代様に写真の提供などご協力いただきました。厚く御礼申しあげます。


展覧会トピックス 2009.7.25



 暑い夏になると、涼感を呼ぶ青磁や染付の陶磁に関する展覧会が開かれ、それらを巡り歩くのが私の恒例行事になっています。ことしは下記の通り都内だけでも8ヵ所で陶磁展が開催中(会期が7/26までのものを含めて)です。

 美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1.「向付…茶の湯を彩る食の器…」

  会 期:2009.6.27〜7.26

  会 場:上野毛 五島美術館

  入場料:一般1000円

  休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)

  http://www.gotoh-museum.or.jp/

 懐石に用いる器「向付」に焦点を合わせた展覧会で、和物の黄瀬戸、志野、織部、唐津、京焼のほか、中国の古染付・祥瑞などユニークなデザイン約100件もの名品が集められていて向付の素晴らしさを再認識できました。

2.「唐三彩と古代のやきもの…華麗なる貴族文化の遺宝…」

  会 期:2009.5.30〜7.26

  会 場:岡本 静嘉堂文庫美術館

  入場料:一般800円

  休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)

  http://www.seikado.or.jp/

 岩崎小彌太が蒐集した唐三彩の名品を中心に、黒陶や加彩灰陶、漢時代の緑釉陶器などが展示されました。

3.「染付…藍が彩るアジアの器…」

  会 期:2009.7.14〜9.6

  会 場:上野公園 東京国立博物館 平成館

  入場料:一般1000円

  休 館:月曜日(7/20、8/10は開館)、7/21

  http://www.tnm.go.jp/

 東博では久しぶりの陶磁特別展で、日本中の染付の名品が一堂に集められている豪華版です。中国、朝鮮、日本、ベトナム(安南)の染付が判り易く展示されています。清涼感が溢れていてこれを見れば暑さを忘れます。

4.「青磁と染付展」

  会 期:2009.4.26〜9.23

  会 場:白金台 松岡美術館

  入場料:一般800円(65歳以上 700円)

  休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)、9/21、22、23開館

  http://www.matsuoka-museum.jp/

 松岡美術館の中核をなすのは中国陶磁ですが、特に染付の名品を数多く所蔵していることで知られています。その中でも一級の「青花龍唐草文天球瓶」(明時代・永楽期)も展示されています。

5.「古伊万里 小皿・向付展…愛しき掌の世界…」

  会 期:2009.7.5〜9.27

  会 場:松濤 戸栗美術館

  入場料:一般1000円

  休 館:月曜日(7/20、9/21は開館)、7/21、9/24

  http://www.toguri-museum.or.jp/

 戸栗美術館は東洋陶磁を専門に展示し、このうち肥前磁器がとくに充実している美術館です。今回は小皿や向付など小さな器に焦点を当てた展覧会です。

6.「朝鮮の陶磁器展」

  会 期:2009.5.3〜12.20

  会 場:千住橋戸町 石洞(せきどう)美術館

  入場料:一般500円(65歳以上 無料)

  休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)、8/11〜16

  http://sekido-museum.jp/

 石洞美術館は2006年4月開館した陶磁を中核とする新しい美術館です。千住大橋のたもとの煉瓦タイル平面六角形の眼を惹く千住金属工業株式会社本社ビル内にあります。高麗青磁、粉青、白磁など朝鮮の陶磁器の流れを概観できる展示です。(本文でも紹介しました。)

7.「中国陶磁…仰韶期から清代まで…」

  会 期:2009.7.5〜8.3

  会 場:早稲田大学會津八一記念博物館

  入場料:無料

  休 館:日曜日、祝日

  http://www.waseda.jp/aizu/

 以前、大森にあった旧富岡美術館の富岡重憲氏の蒐集品を早稲田大学が引き継ぎ、會津八一記念博物館なかに常設展示室が設けられました。大きな柱をなす中国陶磁のほぼ全時代の作品を総覧できます。

8.「黒田正博の色絵…赤・黒・金・銀・緑・青…」

  会 期:2009.6.27〜9.23

  会 場:虎ノ門 菊池寛実記念 智美術館

  入場料:一般1000円

  休 館:月曜日(7/20、9/21は開館)、7/21

  http://www.musee-tomo.or.jp/

 虎の門のホテルオークラの近くに2003年に開館した菊池智氏が収集した現代陶芸を展示する美術館です。現代建築の中で伝統的な色絵磁器と一味異なる現代色絵を鑑賞できます。

                                           以上

2009.6.22

…My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(33)

井出 昭一

黒田記念館

…黒田清輝の名作を展示する岡田信一郎の名建築…

場 所:〒110−0008 東京都台東区上野公園13−14

問合せ:03−3823−2241(東京文化財研究所/代表)
     03−3823−4829(東京文化財研究所美術部)

交 通:JR「上野駅」、「鶯谷駅」から徒歩10分
     京成電鉄「上野駅」から20分

     東京メトロ銀座線・日比谷線「上野駅」から15分
      東京メトロ千代田線「根津駅」から15分

入館料:無料

開 館:木曜日・土曜日の午後1時〜4時

http://www.tobunken.go.jp/kuroda/




プロローグ

 今回は、上野公園の“名建築交差点”の一角にあって知る人ぞ知る“小美術館”を取り上げます。それは黒田記念館で、小規模ながら中身と器の両方が充実している美術館です。

 上野公園の噴水池から東京国立博物館に向かい、正門を左に折れて進み最初の交差点が“名建築交差点”で、旧東京音楽学校奏楽堂(重文)、藝大の正木記念館、京成電鉄の旧「博物館・動物園駅」、黒田記念館と四角のすべて歴史的建築が立ち並んでいるところです。

1.黒田清輝の遺言により建設

日本近代洋画の父ともいわれる黒田清輝(1866−1924)は、大正13年(1924)に亡くなる前に、遺産の一部を美術奨励に役立てるよう遺言を残し、これを受けて昭和3年(1928)年に竣工したのが黒田記念館です。館内には遺族から寄贈された作品や諸資料を展示するために“黒田記念室”が設けられました。

昭和5年(1930)には黒田記念館に美術研究所が設置され、美術に関する調査と研究資料の収集を続けてきましたが、それは東京文化財研究所に引き継がれ、平成12年(2000)に竣工した新しい建物に移って継続されています。

黒田記念館は昭和初期における美術館建築として貴重な作品であることから、創建当初の姿に復元することになり、2階を改修の後、平成13年(2001)年9月にリニューアルオープンし、充実した内容で黒田清輝の作品を鑑賞できるようになりました。

2.建物自体も芸術作品

昭和3年(1928)に竣工したこの黒田記念館を設計したのは、当時、東京美術学校教授で建築を担当していた 岡田信一郎(1883―1932)でした。岡田信一郎は“様式建築の鬼才”といわれ、古今東西のすべての建築様式に精通し、歌舞伎座、旧鳩山一郎邸、 明治生命館(重文)など数々の名建築を残したことで知られています。この黒田記念館は、中世ヨーロッパの貴族の邸宅を参考にしたと伝えられています。

外壁は、表面に引っかいた筋が入っているスクラッチ・タイルで覆われています。フランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテルに用いられたことから、大正末期から流行し昭和初年頃の建物によく用いられ、東大の本郷キャンパスの建物に数多く見られます。正面の2階部分にはアーチ窓を挟むようにイオニア式の4本の列柱が並び装飾豊かな建物です。


 黒田記念館は地下1階地上2階の建物で、外観は左右相称のデザインで、入口の左右には装飾としての壷が作りつけられています。扉の左右には重厚な門灯があり、扉の上部の半円形の窓には篆書体の「黒田記念館」レリーフが来館者を迎えてくれます。見落としてしまいがちですが入口の左扉のレリーフは「郵便受函」の文字が見え、これが郵便受けとなっていることが判ります。

1階から2階に向かう階段の手すりはアールヌーヴォ風の鋳物で、その装飾は岡田信一郎の弟子で金沢庸治(1900―1982)のデザインだといわれています。金沢庸治は東京美術学校で教鞭をとり、黒田記念館と道を隔てて建つ藝大の正木記念館を設計した建築家です。したがって、この黒田記念館は黒田清輝の門下生、岡田信一郎と金沢庸治のコラボレーションということになります。

2階の廊下を右に進むと高村光太郎の制作になる黒田清輝の恰幅の良いブロンズの胸像が置かれています。入り口上部の「黒田子爵記念室」という文字は洋画家で書家としても有名な中村不折によるものと伝えられています。

[注]中村不折については、『私の美術館散策(17)』台東区立書道博物館…中村不折の中国書道史コレクション…をご覧ください。

 3.黒田清輝の名作が常設展示

黒田清輝は、明治の中ごろフランスに留学しラファエル・コランに師事して帰国後、日本の洋画界に新風を吹き込んだ画家であり、自ら組織した美術団体「白馬会」と東京美術学校の西洋画科の指導者として、多くの新しい才能を育てるとともに、後に貴族院議員や帝国美術院長を歴任して美術行政の面でも活躍し、近代日本の美術に大きな足跡を残した“巨人”です。

この黒田記念館には、黒田清輝の油彩画126点、デッサン170点のほか写生帖、書簡などを所蔵しています。 

黒田清輝の代表作のひとつで日本的洋画の手本ともいうべき「湖畔」(重文)はここの所蔵品です。箱根の芦ノ湖と対岸の山を背景にして涼をとるのは黒田夫人といわれ、教科書や画集に必ず登場し、切手にもなっていて広く親しまれている作品です。

裸婦三部作の「智・感・情」(重文)は明治30年(1897)の第2回白馬会展に出品されて話題となった作品で、額に手を触れてうつむき加減の「智」、両腕を横に立て指を上に向けて前を見据える「感」、目をつむって髪をかき上げる「情」を金地のキャンバスに丹念に描きあげています。のちに3画面とも加筆され明治33年(1900)パリ万博に「裸婦習作」として出品し銀賞を受けヨーロッパでも高く評価された作品です。

なお、「湖畔」は明治30年の第2回白馬会展では「避暑」という題で出品され、1900年のパリ万国博覧会には「智・感・情」とともに出品されました。

黒田記念館の所蔵品で興味深いのは、黒田の絶頂期の大作「昔語り」を制作した際の画稿(木炭素描)18点と下絵(油彩画)12点です。「昔語り」は京都の清閑寺の門前で平家物語を語る僧侶の周りに集まった様々な人を描いた群像で、僧侶、舞妓、仲居などのひとりひとりが入念に描写されています。これは住友家の依頼で制作され、数多くのデッサンと習作を経て2年後の明治31(1898)年に完成しましたが、昭和20(1945)年に惜しくも焼失してしまいました。そのため現在では、“部品”の習作と全体像の構図を重ね合わせながら完成作品を想像するしかありません。

このほかの黒田清輝の名作としては、「舞妓」(重文)、「読書」(東京国立博物館蔵)、「婦人図(厨房)」(東京藝術大学大学美術館蔵)などが世に知られています。

5.特集陳列「写された黒田清輝?U」も開催

黒田記念館には遺族から寄贈された黒田清輝関係の家族のポートレートや生活の物語る写真が含まれていて黒田を知るための貴重な資料となっています。これをもとに昨年は“特集陳列”として「写された黒田清輝」展が開催され、今年度は「家族の肖像」と「画家のアトリエ」をテーマに第2回展が開催中です(2009年3月19日〜7月9日)。代表作の「湖畔」をはじめ、黒田清輝は夫人や家族をモデルとして多くの作品を描いていますが、アトリエや制作中の写真など作品が生み出される貴重な写真が展示されています。
 

黒田記念館の入館料は無料ですが、開館は木曜日と土曜日のみで、時間も午後1時から4時までと限られていますから、確認の上お出かけください。


展覧会トピックス 2009.6.25



 美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

今回は建築に関する4ヵ所の展覧会を紹介します。

                                                                      

1.「開室50周年記念…ル・コルビュジエと国立西洋美術館」

  会 期:2009.6.4〜8.30

  会 場:上野公園 国立西洋美術館

  入場料:一般420円(65歳以上無料)

  休 館:月曜日、7/21(7/20、8/10は開館)

http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

国立西洋美術館は、ル・コルビュジエに師事した坂倉準三、前川國男、吉阪隆正の三人の建築家が現場監理を担当して完成させた日本で唯一のル・コルビュジエ作品であり、また彼の「無限成長美術館」構想で実現した三つの美術館のうちの一つでもあります。この国立西洋美術館の歴史を、写真や資料によって辿り建物に焦点を当てた展覧会です。ル・コルビュジエが作成した12点の設計図面やスケッチ、模型などが多数展示されています。

2.「日本建築は特異なものか…東アジアの宮殿・住宅・寺院…」

会 期:2009.6.30〜8.30

会 場:佐倉市 国立歴史民族資料館

入場料:一般830円

休 館:月曜日、7/21(7/20、8/10は開館)

http://www.rekihaku.ac.jp/events/index.html

日本建築を中国建築、韓国建築と比較してその独自性と東アジア建築の共通性、普遍性を考えようとする展覧会です。建築模型や写真、関連資料などのほか建築を作る韓国と日本の大工道具も展示され、建築の構造や組物(くみもの)については写真・図面だけではなくコンピュータ・グラフィックも用いています。

3.「建築家 坂倉準三展…モダニズムを生きる…人間・都市・空間」

会 期:2009.5.30〜9.6

会 場:鎌倉市 神奈川県立近代美術館 鎌倉

入場料:一般900円(65歳以上450円)

休 館:月曜日、祝日の翌日(祝日の場合は開館)

http://www.moma.pref.kanagawa.jp/ 

 

坂倉準三は建築の巨匠ル・コルビュジエの直弟子のひとりであり、日本の現代建築、デザインの発展に大きく貢献した建築家です。没後40年を迎えるに際し、その生涯にわたる仕事を回顧する展覧会を坂倉の代表作である神奈川県立近代美術館・鎌倉で開催するものです。
 この展覧会の第2部として、パナソニック電工汐留ミュージアムで坂倉準三の「住宅、家具、デザイン」に焦点をあてた展覧会が下記の通り開催されます。

4.「建築家 坂倉準三展…モダニズムを住む…住宅・家具・デザイン」

*神奈川県立近代美術館 鎌倉と2館で開催する共同企画展

会 期:2009.7.4〜9.27

会 場:東新橋 パナソニック電工 汐留ミュージアム

入場料:一般700円(65歳以上500円)

休 館:月曜日、8/11〜16(7/20、8/10、9/21は開館)

http://panasonic-denko.co.jp/corp/museum/

建築のみならず他の分野の芸術家と関係を持ち、幅広いデザイン活動を展開した坂倉準三の住宅や家具、デザイン分野での活動を紹介する展覧会で、図面、写真、模型、映像など約220点の資料を通じて日本のモダン・デザインに果たした役割が紹介されます。

 

            以上

2009.5.31

…My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(32)

井出 昭一

横山大観記念館

…建築家志望の日本画家が建てた家…

場 所:〒110−0008 東京都台東区池之端1−4−24

問合せ:03−3821−1017

交 通:東京メトロ千代田線「湯島駅」から徒歩7分

     銀座線「上野広小路駅」から徒歩12分

     都営地下鉄大江戸線「上野御徒町駅」から12分

     JR「上野駅」・「御徒町駅」から徒歩15分

     京成線「京成上野駅」から15分

入館料:一般500円

休 館:月・火・水曜日(作品保護のため梅雨・夏季・冬季は長期休館)




1.不忍池のほとりの数寄屋造りの家

  横山大観記念館は、上野の森の下に広がる不忍池の西側にあって不忍通りに面しています。地下鉄、JR、京成線の各駅から行けますが、最も近いのは東京メトロ・千代田線の湯島駅です。

  湯島駅の1番出口を出て春日通りを背にして不忍池方面に進み、車の往来の激しい通りを左に折れてしばらく進むと黒板塀が続く横山大観記念館に至ります。新しいビルが建ち並ぶ中に突然現れる京風の数寄屋造りの建物は安らぎを覚えます。

  「財団法人 横山大観記念館」の看板が架けられた門を入り、受付のある中門を過ぎると車の音も静まり、そこから“大観の世界”にはいります。

2.大観自ら設計した自宅兼画室

  大正8年(1919)、50代の初めの大観は池之端の地に1320?(約400坪)の土地を手に入れ、自ら設計して家を新築しました。この家は東京大空襲で全焼し、昭和29年(1954)、元の通り再建したのが現在の9屋からなる自宅兼画室です。

  1階には庭を囲んで居間と客間が並んでいます。客間は奥まった一段と高い所にあり、大観が「鉦鼓洞(しょうこどう)」と名付けた10畳の日本間の中央には囲炉裏が切られ、船底天井からは釜が釣り下げられています。1階ではこのほか大観の晩年の画室と居間も見学できます。

  庭に面する廊下のガラス戸の桟(さん)は通常なら中央にあるのですが、ここでは三分の一ほど高い位置に取り付けられていて、居間に座って庭を眺める際に視線を邪魔しないようになっています。

  一方、2階の画室はできる限り多くの自然光を採り入れるため、軒先と廊下の幅を極力狭くしています。畳に座ったとき空が良く見えるように、一階とは逆に窓の桟を下方に寄せるという工夫が施され、“建築家”横山大観のきめ細かい配慮をうかがうことができます。このように画家が自ら設計した家はその画家の個性が反映されて建物自体がその画家の作品を見るような感じです。

(注)彫刻家の朝倉文夫の自宅兼アトリエ(現:朝倉彫塑館)と日本画家の川端龍子の自宅兼アトリエ(現:龍子記念館)のついては、明和会分会のホームページ「古今建物集…美しい建物を訪ねて…」の(22)…平成20.2.20…と(23)…平成20.3.6…で紹介していますので、興味のある方は下記をご覧ください。

http://yuwakai.org/dokokai3/idesanzuihitu2007/ide-mokuji/ide-mokuji.htm

  横山大観記念館では、大観の完成作品のほか習作、スケッチ帖、自ら絵付けをした陶磁器、デザインした着物、遺品、さらには交流のあった近代作家の絵画、彫刻、書簡、大観が収集した陶磁器、竹工芸品、骨董などを多数所蔵していて3ヶ月ごとに展示替えをしています。

  過日、私が訪問したときは、1階客間の正面の床の間に初期の傑作と評されている「阿やめ(水鏡)」が懸けられ、その横には藤原時代の重文「不動明王」が置かれ、大観の数多くの名作が生み出された2階の画室には大作「生々流転」の習作が展示されていました。

3.常に大入り満員の“大観展”

  横山大観は明治元年(1868)、旧水戸藩士の長男として生まれ、最初は建築家になることを夢にみていました。画家のなることを決意して新設の東京美術学校に入学し、30歳のときに校長の岡倉天心ともに日本美術院を創設し、天心亡きあとは下村観山とともに日本美術院の中心的存在として活躍し続け、生涯に1万点以上の作品を世に送り出しました。

  この日本画の巨匠・横山大観ひとりに焦点を当てた展覧会もこれまでに下記のように数多く開催されてきていますが、いずれの展覧会も入館者で溢れ、“大観人気”の高さは驚くばかりです。

1)「新発見作品を中心とする横山大観展」

  (1981年3月、朝日新聞社、上野:松坂屋ほか)

  自宅(横山大観記念館)に残されていた作品、習作、下絵などが初めて公

開されました。

2)「横山大観展」

  (1994年11月、産経新聞社、池袋:東武美術館)

  東武美術館の自主企画展として開催されましたが、美術館はすでに閉鎖されました。

3)「横山大観展…その心と芸術…」

  (2002年2月、上野:東京国立博物館)

  「屈原」(厳島神社蔵)「紅葉」(足立美術館蔵)「生々流転」(東京国立近代美術館蔵)など代表作53点が一堂に会した回顧展で、15万人の目標を大きく上回る28万人が押し寄せました。

4)「横山大観…海山十題展」

  (2004年7月、上野:東京藝術大学大学美術館)

  画業50年、紀元2600年を記念して描いた20幅の連作を新たに発

見されたものを含めすべてが一堂に会しました。

5)「横山大観展…足立美術館35周年記念…」

  (2005年4月 日本橋:三越本店)

  大観作品所蔵130点を誇る島根県の足立美術館から、名作「紅葉」

などがやってきました。

6)「没後50年…横山大観」

   (2008年1月 六本木:国立新美術館)

  「屈原」「無我」など73点が展示された大規模の大観展で、大作の巻

物3巻のうち「生々流転」など2巻を全巻展示され話題を呼びました。

4.大観の名作の出会うには

  上記のような回顧展や特別展に足を運べば、大観の名作をまとめて鑑賞できます。しかし、“大観の美術館”として有名な安来市の足立美術館に行かなくても東京都内で大観の作品に巡り会うことができます。美術館、博物館が収蔵している大観の作品は常に展示されているわけではありませんが、美術館や展覧会情報をチェックしていれば、結構数多くの名作を鑑賞することができます。

  そこで都内の各館が所蔵する大観の名品を思いつくまま列挙してみます。まず、横山大観記念館では、記念切手にもなり、大観が描いた富士山の中でも最も気品のある「霊峰飛鶴(天長地久)」(昭和28年)、長大絵巻「四時山水」(昭和32年、第32回院展)を収蔵しています。

  東京国立博物館は多くの名品を所蔵し、重文の「?湘八景」、大正3年の第1回院展出品作「游刃有余地(ゆうじんよちあり)」、「無我」「雲中富士」、無二の親友・菱田春草追悼展への出品作「五柳先生」などが本館1階18室(近代美術)で順次展示されます。

  東京国立近代美術館では、全長40mに及ぶ大観芸術の集大成といわれる重文「生々流転」(大正12年、第10回院展)が時々公開されます。これは大正12年9月1日、第10回院展の招待日の当日、上野の竹の台陳列館で展示されているときに関東大震災に遭遇しましたが、大観が持ち帰ったため奇跡的に焼失をまぬがれ、現在我々の目を楽しませてくれます。また「或る日の太平洋」(昭和27年、第37回院展)も有名で、この習作は横山大観記念館にあります。

  東京藝術大学大学美術館は卒業制作で最高点を獲得した「村童観猿翁」を所蔵しています。この絵の中の猿回しの翁は日本画科主任教授の橋本雅邦で、村童は東京美術学校第1回卒業の同期生11人の童顔を想像して描いたと伝えられ、右下の落款は「大観」ではなく「秀麿」という本名を使っています。

  このほか、大倉集古館では昭和4年のローマ日本美術展に出品された「夜桜」が、野間記念館では若き日の千利休を描いた「千与四郎」が有名です。

  また、早稲田大学會津八一記念博物館では、旧1階玄関ホールの正面に掲げられた大観と下村観山の合作の壁画「明暗」をいつでも拝見できます。これは、当時の早大総長の高田早苗が大学図書館のために大観・観山に依頼した壁画で、人が書を読むか読まないかで世の明暗が分かれるということから題名がつけられたといわれています。

5.大観と酒と天心   

  大観の酒好きは有名で、酒に関係するエピソードも沢山残されています。日に2升ともいわれる酒豪の岡倉天心に鍛えられた結果のようです。

  「大観は老いて酒に酔っている最中でも、話が天心のことに触れると、たちまち威儀を正し、鋭い目で相手を見守った。だから、大観の前では迂闊に天心のことは口にだせなかった。」といわれ「昔の武士が主君に対するような態度であった。」ようです。(『大観伝』近藤啓太郎著)

  しかし、大観はいつも酒に酔ってばかりいたのではなく、日本美術院綱領に「日本美術院は芸術の自主研究を主とす。教師なし先輩あり、教習なし研究あり。」と記しています。


展覧会トピックス 2009.5.29



  美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1.「開室記念展示…富岡重憲の蒐めたもの」

会 期:2009.5.12〜6.29

会 場:早稲田キャンパス内 早稲田大学會津八一記念博物館

入場料:無料

休 館:日曜日・祝日

http://www.waseda.jp/aizu/index-j.html

  早稲田大学に寄贈された「富岡重憲コレクション」を通年公開するための展示室が會津八一記念博物館に創設されました。ここでは、日本重化学工業株式会社の創業者・富岡重憲氏の蒐集した重要文化財・重要美術品を含む日本東洋古美術品を総覧できます。このうち中国陶磁コレクションは、明清の観賞陶磁を中心に、仰韶文化(新石器時代)にはじまる中国のほぼ全時代の作品を網羅しています。

横山大観と下村観山の合作の壁画「明暗」も忘れずにご覧ください。

2.「棟方志功…倭画と書の世界…」

会 期:2009.3.31〜6.14

会 場:駒場 日本民藝館

入場料:一般1000円

休 館:月曜日

 http://www.mingeikan.or.jp/home.html

  棟方志功の仕事の中心は板画(はんが)ですが、書法や画法にとらわれない「書」と肉筆画の「倭画(やまとが)」も志功独特の表現で人々を魅了し続けています。日本民藝館には、棟方志功から柳宗悦に届けられた膨大な作品が納められているといわれ、そのなかから昭和10年代から30年代にいたる最も充実した時期の「倭画」と「書」の優品を約100点展示しています。

 

            以上

2009.4.30

…My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(31)

井出 昭一

府中市美術館

…県立美術館を越える私立美術館…

場 所:〒183-0001 東京都府中市浅間町1-3(都立府中の森公園内)

問合せ:042-336-3371

交 通:京王線府中駅から

・「京王バス」(武蔵小金井行き・一本木経由)「天神町二丁目」下車すぐ前

・「ちゅうバス」(多摩町行き)「府中市美術館」下車すぐ前

入館料:常設展:一般200円

企画展:展覧会により異なる。

休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)

http://www.city.fuchu.tokyo.jp/art/



1.プロローグ

うららかな春の日差しを浴びて、先日初めて府中市美術館に行ってきました。

遠戚であることが判って以来、長年懇意にしている井出洋一郎氏から府中市美術館の館長就任の挨拶状をいただいたことを契機に早速訪ねた次第です。これまで30回続けてきた『私の美術館散策』で市立の美術館を取り上げるのは今回が初めてです。

2.新緑に包まれた美術館

府中市は私にとってなじみが薄く遠い存在でした。というのは私が府中市に足を踏み入れたのはわずか1回のみ。それは平成15年7月のダイヤネットの「多摩88か所巡り」のことで、このときは法音寺、正光院、光明院、西蔵院、宝性院、好正院と府中市内の6カ所の札所を中心に郷土の森博物館、大国魂神社を当番幹事の指示に従って街中を歩きました。私の頭に残っていたのは見知らぬ遠くの街をひたすら歩いたということのみです。今回は初めて自分の意志で府中を訪れましたが、京王線の特急を利用すれば新宿から府中まではわずか20分程度。予想外に近いということがわかりました。

府中駅から京王バスの武蔵小金井駅行きに乗り「天神町二丁目」で下車すれば、目の前が都立府中の森公園。府中美術館はその一角にあり、目にしみるような新緑に包まれていました。

3.充実している企画展と常設展

 美術館の建物はシンプルで新しい感覚の建物です。ほっそりとした丸い柱が続くアプローチを経てエントランスホールに入るとそこは太い円柱に囲まれた明るい空間となります。エスカレーターで2階にあがると、企画展示室では「山水に遊ぶ…江戸絵画の風景250年」(2009.3.20〜5.10)が開催中で、日本人好みの山水画のうち江戸中期以降を代表する画家の作品が展示されていました。展示期間は前期と後期に分かれ、前期の中心は伊藤若沖の「石灯籠図屏風」で、私が訪れた4月19日は後期で、その目玉は曾我蕭白の「月夜山水図屏風」(重文)です。個性的で最近人気が高まっている若沖、蕭白のほかにも50人を超える画家の作品が多くの美術館から集められていました。この企画展の図録は内容が充実していてかなりの手数を要したと思われますが、無料で配布されていた画家の五十音順の解説資料も要領よく的確にまとめられていて参考になります。

 企画展に引き続いて常設展示室へも回ってみました。ここでは「明治から昭和の洋画」と近代以降の日本美術の流れや特質を展望するため、収蔵品約1000点のなかから常時60点を選んで展示されているそうです。今回は「小特集」として司馬江漢、池大雅の数点のほか、黒田清輝、藤島武二から熊谷守一、斎藤義重まで幅広い作品50点ほどが並んでいました。特筆すべきは青木繁(28歳で没)、松本俊介(36歳で没)、長谷川利行(49歳で没)など若くして亡くなった画家を初め、夭折画家として知られている村山槐多(23歳で没)、関根正二(20歳で没)などの作品が多く展示されていることです。

4.「牛島憲之記念館」にも魅せられて

美術館に行く直前に目にした府中市の「ふちゅうガイド」のなかで、府中市美術館は「企画展示室、常設展示室、牛島憲之記念館、市民ギャラリーのほか公開制作室備えた多摩地区唯一の総合型美術館」であると紹介されていました。

牛島憲之の作品は昭和43年(1968年)にフジカワ画廊が開催した「牛島憲之回顧展」で感銘を受けて以来虜となって、須田寿、飯島一次、山下大五郎とともに牛島憲之が出品し続けた「立軌展」にもしばしば足を運びました。それゆえ「牛島憲之記念館」は期待していたところです。「牛島憲之記念館」という名称からすると美術館とは別棟かと思いましたが、美術館の中の2階の1室が当てられています。ここでは、遺族から寄贈された約110点の中からテーマを設定して年3回作品を入れ替えて展示しているとのことです。

牛島憲之は「田園や農家など自然の情景から、運河や水門など人工的な構築物をモチーフとし、リズム感のある曲線によって直線的な構築物が融合され、柔らかな色調とともに静かな詩情を描き出した。」と評されています。私が訪ねて時は「前半期の名作」22点が展示されていました。中でも「残夏」「しろばえ」とは久しぶりの再会で、人影のない部屋でソファに腰掛けて、ただひとり牛島芸術の静謐な世界に取り囲まれながら至福のひとときを過ごすことができました。

5.エピローグ

今まで遠い街だとばかり思っていた府中市ですが、その姉妹都市が佐久穂町だと知って急に身近な街になりました。なぜかというと佐久穂町(旧八千穂村と佐久町が合併して誕生した町)は長野県南佐久郡にあり、私が生まれ育った佐久市(旧臼田町)のすぐ隣町だからです。佐久穂町には日本画の巨匠 奥村土牛の素描画を収蔵する「奥村土牛記念美術館」があり、佐久市には同市出身の油井一二氏(美術年鑑社長)が寄贈した日本画、洋画、彫刻、工芸など近代・現代の秀作を網羅する「佐久市立近代美術館」があります。

こうして環境、建物、所蔵品、企画の4拍子揃った府中市美術館について書いているうちに、帰郷の念に駆られて佐久市立の近代美術館も再度訪ねてみたくなりました。

展覧会トピックス 2009.4.29






美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

                                                                      

1.「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ…恵の居場所をつくる…」

 

会 期:2009.4.4〜6.21

会 場:東新橋 汐留ミュージアム(パナソニック電工ビル4階)

入場料:一般 500円(65歳以上 400円)

休 館: 月曜日(5/40は開館)

http://panasonic-denko.co.jp/corp/museum/

ヴォーリズは、日本に帰化したアメリカ人で、日本の各地に教会、学校など名建築を数多く残した建築家です。そのヴォーリズの建築の魅力を、貴重なオリジナル図面、写真、映像など多数を紹介しています。軽井沢の旧ヴォーリズ山荘(現:浮田克躬山荘)を原寸大模型で復元し、彼が目指した「理想の住空間」を体感できます。

ヴォーリズが設計した建物で現在、東京に残っているのは明治学院大学の礼拝堂と駿河台の山の上ホテル(旧佐藤新興生活館)です。

2.「人間国宝…鹿児島寿蔵展」

 企 画:東京ステーションギャラリー

会 期:2009.4.7〜7.20

会 場:東新橋 旧新橋停車場 鉄道歴史展示室

入場料:無料

休 館:月曜日(5/4、7/20は開館、5/7は休館)

http://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/

「紙塑人形」という名称は、鹿児島寿蔵が「こわれない、色の落ちない人形を」を追求し昭和8年に創始して命名したものです。鹿児島寿蔵の代表的作品35点のほか、紙塑人形を詠んだ歌「おほかたは 吾が手はなれて目にふれず のこるは創りし日のこころのみ」などの自筆の書も展示されています。寿蔵は宮中歌会始めの選者を8回も務めたアララギ派の歌人としても知られています。

3.「水墨画・古筆と陶芸…館蔵 春の優品展」

会 期:2009.4.4〜5.10

会 場:上野毛 五島美術館

入場料:一般700円

休 館:月曜日(5/4は開館)

http://www.gotoh-museum.or.jp/

絵画(室町時代の水墨画・近代日本画)、書跡(平安・鎌倉時代の古筆)と陶芸(桃山・江戸時代のやきもの)など館蔵品の中から名品約60点を選び展観しています。五島慶太が愛蔵し、五島美術館の設立の発端となった国宝「源氏物語絵巻」(鈴虫一、鈴虫二、夕霧、御法)は4月29日から5月10日までの期間のみ特別展示されます。

            以上

2009.3.30

…My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(30)

井出 昭一

サントリー美術館

…六本木アート・トライアングルの一角…

場 所:〒107-8643 東京都港区赤坂9-7-4 

東京ミッドタウン・ガーデンサイド ガレリア3階

問合せ:03-3479-8600

交 通:(東京ミッドタウンまで)
都営地下鉄大江戸線六本木駅出口8より直結
東京メ日比谷線六本木駅より地下通路にて直結
東京メトロ千代田線乃木坂駅出口3より徒歩約3分

入館料:展覧会により異なる。

休 館:火曜日(祝日の場合は翌日)

http://www.suntory.co.jp/sma/



1.丸の内から赤坂へ、赤坂から六本木へ移転  

サントリー美術館は昭和36年(1961年)にサントリーの創業60年を記念して皇居の大手門前のパレスビル9階に開館しました。勤務先の会社から近いこともあって度々訪ねました。その後、昭和50年(1975年)に赤坂見附の交差点の一角にあるサントリービルの11階に移転しましたが、ここも地下鉄の銀座線でも丸の内線でも行くことができたので大変便利でした。さらに平成19年(2007年)3月には六本木に誕生した東京ミッドタウンの中で新たなスタートをきっています。

東京ミッドタウンは、旧防衛庁跡地の再開発により誕生しました。6棟の建物で構成される最も新しいスタイルの“複合都市”です。ここには住居、オフィス、ホテル、ショップ、レストランをはじめ、公園緑地、文化施設が集積し、ひとつの都市を形成しています。そのシンボルとなるミッドタウン・タワーは地上54階・高さが248mと都内最高の超高層ビルで、ホテル「ザ・リッツ・カールトン東京」が入っています。文化施設の中心となっているのが赤坂から移転してきた「サントリー美術館」です。

東京ミッドタウンは、“複合都市”だけにアクセスも多様です。都営大江戸線の「六本木駅」と直結しているほか、東京メトロ日比谷線の「六本木駅」からも地下通路を経由して直結し、東京メトロ千代田線「乃木坂駅」からも徒歩で3分 、東京メトロ南北線「六本木一丁目駅」からは徒歩10分 となっています。交通が便利な所とはいっても、改札口を出てから目指す場所に辿り着くには予想外に時間がかかり、迷子にならないように気を使わなければなりません。

サントリー美術館の入口はガレリアの大きな吹抜け空間をエスカレーターで上がってゆき3階にあります。

2.「生活の中の美」を求めて

サントリー美術館では、開館以来「生活の中の美」という基本理念を貫いて特色ある企画展を開催してきています。

開館以来開の展覧会で注目されるものとしては、25周年記念の「日本の名碗100」(昭和61年)、40周年記念の「萬野コレクションの名品一挙公開…琳派と茶道具…」(平成13年)、サントリー創業100周年記念展の「特別公開信貴山縁起絵巻」(平成11年)などは特に見ごたえあるものでした。「日本のやきもの1200年…奈良三彩から伊万里・鍋島、仁清・乾山…」(平成13年)、「没後30年 川端康成…文豪が愛した美の世界…」(平成14年)も赤坂時代の展覧会として印象に残るものです。

ミッドタウンでの開館記念展?「水と生きる」は、従来の「○○絵画展」とか「△△陶磁展」などと異なり、“水”という特定の視点から捉えた多様なジャンルの美術品が展示され新鮮でした。新しいビルの中にできた新しい美術館だけあって、展示室もシンプルですっきりした感じです。

美術館のなかには展示室のほかにカフェやミュージアム・ショップ、多彩なプログラムを開催するホール、茶室、メンバーシップ専用のサロンもなども完備しすべてが“新しい”雰囲気で包まれている美術館です。また美術館入口近くのロビーからのミッドタウンガーデン方面の眺望も素晴らしく、置かれているベンチに座ってくつろぐことができます。

サントリー美術館のメンバーズ・クラブには4タイプがあり、会員のタイプにより各種の特典を設けています。過日、レギュラー会員になっている知人のお誘いを受けて「三井寺展」を見学してきました。レギュラー会員は、展覧会毎に1回、通常休館時に行われるメンバーズ内覧会に同伴者1名まで参加でき、学芸員が展示品を詳しく解説するというものです。休館時の火曜日に行われたため落ち着いた雰囲気の中で思う存分自分の意のまま鑑賞することができました。

                 

3.周辺のみどころ…二つのアート・トライアングル

再開発計画により六本木地区に最初に登場したのは森美術館です。六本木ヒルズ森タワー53階に平成6年(2003年)にオープンし、現代アートを中心に様々なジャンルの展覧会を開催し、若者に受けています。海抜250mといわれる併設の展望台「東京シティビュー」からの360度の素晴らしいパノラマ眺望が楽しめます。

森美術館に続いて平成19年(2007年)1月には日本で5番目の国立美術館として国立新美術館がオープンしました。国内最大級の展示スペースが売り物で近代・現代美術を中心に各種展覧会を開催してきています。休館日は毎週火曜日で、これまで一般の美術館の休館が月曜日でしたから注意が必要です。こちらは東京メトロ千代田線の乃木坂駅から直結しています。

 この二つの美術館に加えて、平成19年(2007年)に開館したサントリー美術館の3館を、東京の新しいアートの拠点“六本木アート・トライアングル”として売り出し中です。 

 さらに、この近くには大倉集古館、泉屋博古館分館、菊池寛実記念智美術館と、もう一つのアート・トライアングルもありますので美術館集積地で、いつでも何らかの企画展に遭遇できるところです。

展覧会トピックス 2009.3.30



 美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1.「一瞬のきらめき…まぼろしの薩摩切子展」

 会 期:2009.3.28〜5.17

会 場:赤坂 東京ミッドタウン サントリー美術館

入場料:一般 1300円

休 館: 火曜日(5/5は開館)

http://www.suntory.co.jp/sma/

江戸時代後期に日本にも江戸切子や薩摩切子と呼ばれるカットガラスが登場しました。特に薩摩切子は、多様な色彩と豊富な文様とのハーモニーが最大の魅力でした。幕末に興隆し明治初期には制作されなくなった幻のガラスです。この展覧会では、その成り立ちから終焉までの約160件の作品が公開されます。サントリー美術館は、これまでにもガラスに関するユニークな展覧会を開催してきましたので今回も楽しみです。

2.「国宝 阿修羅展…興福寺創建1300年記念…」

 会 期:2009.3.31〜6.7

会 場:上野公園 東京国立博物館 平成館

入場料:一般 1500円

休 館: 月曜日(5/4は開館、5/7は休館)

http://www.tnm.go.jp/

加奈良の興福寺の旧西金堂の八部衆立像(阿修羅、迦楼羅など8体、国宝)と十大弟子立像(現存6体、国宝)の天平彫刻の至宝が東京にやってきます。興福寺の外でそろって公開されるのは初めてとのことで、人気の阿修羅像のポスターがあちこちで見受けられます。

3.「ルーヴル美術館展…17世紀ヨーロッパ絵画…」

会 期:2009.2.28〜6.14

会 場:国立西洋美術館

入場料:一般1500円

休 館:月曜日(5/4は開館)

http://www.ntv.co.jp/louvre/

今回のルーヴル美術館展は、17世紀のヨーロッパ絵画を「黄金の世紀とその陰」「大航海と科学革命」「聖人の世紀における古代文明の遺産」という三つのテーマで分類して、レンブラント、フェルメール、ルーベンス、ラ・トゥール、ベラスケス、ムリーリョなどルーヴル美術館を代表する画家たちの作品が多数展示されます。フェルメールの小さな名作「レースを編む女」も出品されます。

4.「桜さくらサクラ・2009」

会 期:2009.3.7〜5.17

会 場:三番町 山種美術館

入場料:一般800円

休 館:月曜日・5/7(3/23・30・4/6・5/4は開館)

http://www.yamatane-museum.or.jp/

山種美術館は日本橋の茅場町から現在の千鳥ヶ淵の近くの三番町に移転してから、毎年春先には桜の名所の千鳥ヶ淵に因んで桜をテーマに所蔵品を展示してきました。奥村土牛の「醍醐」「吉野」、速水御舟「夜桜」をはじめ桜の名画約50点が展示されます。なお、山種美術館は本年10月に広尾へ移転します。

            以上

2009.2.24

…My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(29)

井出 昭一

井の頭自然文化園・彫刻館

…北村西望の生涯作品の総合展示場…

場 所:東京都武蔵野市御殿山1-17-6

電 話:0422-46-1100

交 通:JR中央線、東京メトロ東西線、京王帝都井の頭線

                    「吉祥寺駅」下車、徒歩10分

入園料:一般400円(65歳以上200円)

休 園:月曜日(祝日、都民の日の場合は翌日)


プロローグ

数多い近代彫刻家のなかで荻原守衛(碌山)(1879−1910)は31歳、中原悌二郎は(1888−1921)32歳で優れた作品を残しながら早世したのに対し、長命の朝倉文夫(1883−1964)は81歳でこの世を去りましたが、さらに長寿で百歳を超えた彫刻家が二人います。ひとりは108歳で天寿を全うした平櫛田中、もうひとりは104歳まで旺盛な制作を続けた北村西望です。今回紹介するのは彫刻界の長寿2大巨頭ひとり北村西望です。

[注]平櫛田中については『わたしの美術館散策』(1)の「小平市平櫛田中美術館」(2006年10月)をご参照ください。

また、朝倉文夫については『古今建物集…美しい建物を訪ねて…』(22)の「彫刻家・朝倉文夫のアトリエと自宅…朝倉彫塑館…」(2008年2月、明和会分会ホームページ)をご参照ください。

なお、朝倉彫塑館は今年の3月末で休館となります。建物の耐震補強工事のため4月1日から長期休館し、再開予定は平成25年とのことです。見学希望者は3月末までにご覧ください。休館日は月・金曜日(祝日の場合は翌日)です。

                   

1.自然文化園のなかの彫刻展示場

北村西望の彫刻が展示されている「彫刻園」は、井の頭恩賜公園の西側の一角にある都立動物園「井の頭自然文化園」の本園の中にあります。案内のチラシなどには、単に「彫刻園」と表示されていますが、実態は近代彫刻の巨匠“北村西望の生涯作品総合展示場”です。

井の頭恩賜公園は、明治38年(1905年)に渋沢栄一が現在の自然文化園の本園を皇室から拝借して創設した東京市養育院感化部(のちの井の頭学校)が移転したことが契機となってその跡地に大正6年(1917年)に開園されました。その後、上野動物園に匹敵する“大動物園”を造り上げるという構想もありましたが、戦時下で予算と物資が不足していたため“自然生態観察園”という趣旨に変更して昭和17年(1942年)5月に開園したのが、現在の井の頭自然文化園です。行政区分では、井の頭自然文化園は武蔵野市ですが、吉祥寺通り(公園通り)を挟んで隣接する井の頭恩賜公園の西園・東園は三鷹市となっています。

「彫刻園」を訪ねるには、吉祥寺通りの井の頭自然文化園の正門で入園料(一般400円、65歳以上200円)を払って入ります。入口を入ると正面に北村西望の彫刻「天女の舞」(昭和58年)が出迎えてくれます。右側は動物園ですが、左側の雑木林の中に点在している西望の作品を楽しみながら進んで行くと彫刻園に至ります。

2.林の中の様々な彫刻

               (注)館内は撮影禁止のため屋外の写真のみです。

彫刻園には、A館と中庭を挟んで建つB館のふたつの展示館と木造の三角屋根のアトリエ館が雑木林の中にひっそりと建っています。ここはあまり知られていないのか、いつ訪れても来館者が少ないので、落ち着いた雰囲気の中で自分のペースで“西望彫刻”を鑑賞することができます。

このA館とB館の屋内には比較的小さな作品が並べられ、野外の雑木林には大もの彫刻が置かれています。内外合わせて250点以上の彫刻が展示されていますので、彫刻園内を丹念に見て歩くと北村西望の生涯にわたる主要作品を身近に感じながら鑑賞できるというわけです。

 B館の前には初期の傑作「怒涛」「晩鐘」「光に打たれる悪魔」の3点が並び、アトリエ館とA館の間にも「拳闘」「健康美」などの力強い男性像が置かれています。大きな「加藤清正公」が林の中にそびえ立っていたり、疾走する馬上から弓を構える「若き日の信長」は躍動感が溢れています。そうかと思うと、温和な表情の「孔子像」や「聖観世音菩薩」のように静寂な彫刻、あどけない仕草の「将軍の孫」など、多彩な西望の彫刻の数々を武蔵野の林のもとでゆっくりと楽しむことができます。

3.巨大な平和祈念像が制作されたアトリエ

長命だった北村西望の数多くの彫刻作品の中で最も世に知れ渡っているものは長崎市平和公園の平和祈念像です。高さ10m弱の巨大な像を制作するために西望は全財産をつぎ込んでアトリエを建て、東京都はそのアトリエと全作品の寄贈を条件に土地を提供したといわれています。

長崎の現物の鋳型の元になった石膏像が展示されているのがA館で、原寸大の巨像を目の当たりにすると迫力満点で圧倒されるばかりです。

平和祈念像を完成するまでに5年の歳月を要したといわれていますが、この像を見ていると、彫刻家には創造力のほかに強靭な体力も必要なことを実感させられます。彫刻園でギラギラするような北村西望の作品に数多く接していると、そこから湧き出る逞しさや力強さが見る人に乗り移ってくるような気持ちなりそうです。

4.彫刻園以外で見る西望の作品

彫刻園では北村西望一色ですが、町中で気をつけていると西望の彫刻にはあちこちで出会うことができます。

国会議事堂の中央ホール(ここだけは手軽に立ち入るわけにはゆきませんが)には、議会政治に功労のあった伊藤博文、板垣退助、大隈重信の銅像が三方の隅に立っています。このうち板垣退助像の制作者が北村西望です。参考までに伊藤博文像は西望の親友で同志の建畠大夢、大隈重信像は朝倉文夫といずれも日本を代表する彫刻家の手になるものです。

彫刻園の近くの三鷹駅前のロータリーには西望の作「武蔵野市世界連邦平和像」が昭和44年(1969年)に設置されています。

また、王子駅に近い「北とぴあ」の正面入口には長崎の平和祈念像を縮小した像が置かれています。これは西望が大正5年(1916年)から北区内に住んでいて北区の名誉区民であることと北区の平和都市宣言施行5周年を記念して建てられたものです。近くの飛鳥山公園の渋沢史料館の前にも「平和の女神像」が置かれています。その台座には「西望塑人」と自称する自筆の碑文が嵌め込まれています。

なお、西望は昭和33年に文化勲章を受章した後、昭和37年に武蔵野市の名誉市民に選ばれたのを初めとして、長崎県の島原市名誉市民、東京都名誉都民、長崎県名誉県民、さらに昭和56年には東京都の北区名誉区民に選ばれるなど国、都、県、市、区と在住していたすべての所から顕彰されている国民的彫刻家だといえます。

また、北村西望の長男・北村治禧( はるよし、1915〜 2001)も彫刻家で、東京美術学校彫刻科卒業の後、日展理事長、日本芸術院会員と父親と同じ道を歩み、さらに北区名誉区民にも選ばれています。そのため「北とぴあ」の1階エントランスホールの右側には治禧の「聞く」という女性像が置かれています。ただ、作風は父親とはかなり異なっています。

                                                  

展覧会トピックス 2009.2.25




美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

                                                                      

1.「源氏千年と物語絵…最高の源氏学者・細川幽斎…」

http://www.eiseibunko.com/

会 場:永青文庫

会 期:2009.1.10〜3.15

入場料:一般600円  

休 館:月曜日(祝日の場合は開館)

『源氏物語』や『伊勢物語』『平家物語』『太平記』の名場面に取材した絵画や工芸作品に加え、重要文化財「長谷雄草紙(はせおぞうし)」や「秋夜長物語絵巻」「北野天神縁起絵巻」などの絵巻を展示しています。特に「長谷雄草紙」は修復後初公開で展示は5年ぶりとのことです。

永青文庫敷地内の細川家17代護貞邸が別館として一般公開され、永青文庫理事長で元首相の細川護熙氏の陶芸、書、水墨、漆芸の作品が展示されています。

2.「追憶の羅馬ローマ展…館蔵日本近代絵画の精華…」

http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/shukokan/roma.html      

会 場:虎ノ門 大蔵集古館

会 期:2009.1.2〜3.15

入場料:一般800円(65歳以上 500円)   

休 館:月曜日(祝日の場合は開館)

「羅馬開催日本美術展(通称:ローマ展)」は、1930年(昭和5年)イタリア政府主催によりローマで開催されました。大倉財閥の男爵大倉喜七郎はこの展覧会を全面的に支援し、作品の画料をはじめとする膨大な経費をすべて負担しました。この展覧会には、当時の日本画壇を代表する横山大観をはじめ総勢80名の日本画168点が出品されました。横山大観の名作「夜桜」をはじめ、大蔵集古館が所蔵するローマ展出陳作品27件を中心に近代日本画のコレクションが展示されています。

3.「名画と出会う…印象派から抽象絵画まで…」

http://www.bridgestone-museum.gr.jp/

会 場:京橋 ブリヂストン美術館

会 期:2009.1.24〜4.12

入場料:一般800円(65歳以上 600円)   

休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)

館蔵のコレクションより、モネ、ルノワール、セザンヌ、マティス、ピカソ、モデリアーニ、藤島武二、藤田嗣治など印象派から現代までの作品を中心に絵画と彫刻180点が展示されています。また、平常は作品保護の観点から展示を控えているシャガールの「ヴァンスの新月」、ドガの「浴後」、岸田劉生の「麗子坐像」などの水彩やパステルの名品にも出会えます。                               

以上

2009.1.27

…My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(28)

井出 昭一

東京国立近代美術館

日本で最初の国立美術館

                 

                〒102-8322千代田区北の丸公園3-1

        TEL/FAX 03-3214-2561

               http://www.momat.go.jp/

1.日本で最初の国立美術館…京橋から北の丸公園へ移転…

東京国立近代美術館(The National Museum of Modern Art,Tokyo 略称:MOMAT)は、昭和27年(1952年)京橋に開館した日本で初めての国立美術館です。この美術館とは京橋時代からの長いお付き合いです。勤務先の会社から歩いて10分以内のところにあったのでしばしば訪れました。東京オリンピックが開かれた1964年の「ピカソ展…その芸術の70年…」や「近代日本の名作:オリンピック東京大会芸術展示」は入社した年のことでしたので特に印象深く今でも覚えています。

京橋の建物が手狭になったため北の丸公園の一角に移転することになり、昭和44年(1969年)6月に開館しましたが、引き続きこちらへも足を運び続けています。この建物は石橋正二郎の寄付により、谷口吉郎の設計によって建てられた近代的な建物です。石橋正二郎は京橋のブリヂストン美術館と久留米の石橋美術館の両館の創立者でもあり、日本の美術界に果たした功績は計り知れないものがあります。

2.近代日本の美術の宝庫

美術館は地下鉄の東西線「竹橋」駅で下車して竹橋を渡ると目と鼻の先です。車の往来が激しい道路に面し、上野公園の東京国立博物館のような庭園はありませんが、4階のお濠を臨む休憩コーナーからの眺めは素晴らしく平川濠を隔てて皇居東御苑が一望できます。

東京国立近代美術館は明治の後半の20世紀初頭から現代までの近代・現代の絵画、彫刻、版画、写真など重要文化財11点を含む美術作品約9600点を収蔵する近代日本美術の宝庫です。収蔵品の中から180〜250点を選んで4階から2階までの「所蔵品ギャラリー」で常時展示し、毎年5回展示品を入れ替えています。また4階では会期毎にいろいろな角度からテーマを設定し、個別の画家に焦点を当てた特集展示も行っています。2階の独立したスペースの「ギャラリー4」では、写真やデザインなどの小規模の企画展や所蔵品によるテーマ展示が年数回開催されます。「所蔵品ギャラリー」と「ギャラリー4」は、所蔵作品展観覧券(一般420円)で観覧できますが65歳以上は無料です。1階の「企画展ギャラリー」では、年に数回企画展が開催され、これがいわゆる特別展で、これを見るためには開催の都度定める観覧料が必要です。

3.名画に再会できる「所蔵品ギャラリー」

東京国立近代美術館でありがたいことは、館内の作品の撮影ができることです。1階のインフォメーションカウンターのスタッフに申し出ると撮影許可のワッペンを渡されますので、これを腕などの目立つ所に貼れば大丈夫です。

1階の入口から、指示どおりにエレベーターで4階に上がって、3階から2階へ降りてくると明治から大正、昭和へと時代の流れに沿って教科書でお目にかかったような名画を次々に見ることができるわけです。

 気に入った作品や参考になりそうな解説などを写真に収めておけば、自宅へ戻ってからも再度楽しめます。撮影に際しては当然のマナーとして、周囲の来館者の迷惑にならないよう気をつければいけませんので、自分の望み通りの写真を撮るには根気が必要です。最近のデジカメは性能が向上していますので、フラッシュを使わなくてもかなり鮮明に写すことができます。

4.懐かしい巨匠の企画展

明治から大正にかけての洋画と彫刻は私の好きな部門です。黒田清輝、岡田三郎助、藤島武二、和田英作からはじまり、岸田劉生、梅原龍三郎、安井曽太郎、佐伯祐三、中村彜、萬鉄五郎などの“重要文化財級”の馴染み作品が展示されているからです。彫刻も新海竹太郎、北村四海、朝倉文夫、荻原守衛、高村光太郎、平櫛田中、佐藤朝山(玄々)など巨匠の作品が多数展示され、板画の棟方志功の力溢れる作品など名作に再会できるのも愉しみです。

館の中で、いつも足が止まってしまうのは3階の日本画の展示室です。そこには横山大観、下村観山、菱田春草から始まって土田麦僊、今村紫紅、川合玉堂、安田靫彦、小林古径、前田青邨、奥村土牛、中村岳陵、さらには竹内栖鳳、菊池契月、上村松園、福田平八郎、徳岡神泉などの明治以降の巨匠の名作が並んでいるため、どうしても素通りできないからです。

振り返ると昭和39年(1964年)の「ピカソ展:その芸術の70年」以来、東京国立近代美術館で開催された企画展には足繁く通ったように思います。特に一人の画家の画業に焦点を当てた企画展は勉強になるため熱心に出かけました。手元にある図録(工芸館を除く本館のみ)を見ただけでも10冊以上あり、これらは私にとって貴重な資料となっています。

 日本画では、河合玉堂、院展の安田靫彦、前田青邨、日展の杉山寧、東山魁夷、高山辰雄、洋画では岸田劉生、佐伯祐三、梅原龍三郎、抽象画の斎藤義重、陶芸の濱田庄司など古びた図録を読み返してみると、訪れた当時のことが思い出され懐かしいものばかりです。

エピソード…東山魁夷画伯との思い出…

残暑厳しい昭和56年(1981年)8月22日、小学校2年と4年の娘を連れだって家族で「東山魁夷展」を見学に行きました。見終わって出口にきたところ、偶然にも東山画伯ご夫妻が眼に止まりました。私が冗談交じりに娘に向かって挨拶に行くように話したところ、物おじしない娘達は本気になって東山画伯のところに走ってゆき「おじちゃん!今日はきれいな絵を沢山みました。ありがとうございます。」と伝えました。温和な画伯は「わざわざ来ていただきありがとう。また見に来てね。」と娘らの頭をやさしく撫でていただきました。その娘も今や3歳の娘の母親となっています。“10年ひと昔”どころか“ふた昔”以上も古い昔話になってしまいました。

             展覧会トピックス 2009.1.27 

今回は、東京メトロ・東西線の「竹橋」駅を下車し紀伊国坂に沿って、東京国立近代美術館の本館、国立公文書館、東京国立近代美術館の工芸館を経由して、北桔橋門(きたはねばしもん)から皇居東御苑に入り大手門から退出して、丸の内を通って有楽町に至る都心の美術館などを紹介します。

 詳しくは、それぞれのホームページをご覧ください。

1.東京国立近代美術館・本館 

 http://www.momat.go.jp/Honkan/honkan.html

(1)特別公開「重要文化財 横山大観《生々流転》」

会 期:2009.1.20〜3.8

入場料:一般 420円(65歳以上無料)

休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)

 長さが40mにも及ぶ横山大観の畢生の大作で、2年ぶりに全巻が展示されます。大気中の水蒸気からできた一粒の水滴が川となって大海に注ぎ、やがて龍となって天に昇る水の一生を墨一色で描いたものです。

(2)「高梨豊…光のフィールドノート…」

会 期:2009.1.20〜3.8

入場料:一般 850円

休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)

(3)「コラージュ…切断と再構築による創造…」

会 期:2009.1.20〜3.8

入場料:一般 420円(65歳以上無料)

休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)

2.東京国立近代美術館・工芸館

http://www.momat.go.jp/CG/cg.html

展覧会:「所蔵作品展…きものの輝き/漆・木・竹工芸の美…」

会 期:2008.12.20〜2009.2.22

入場料:一般 200円(65歳以上無料)

休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)

*この工芸館については、2007年1月の『私の美術館散策(4)』で紹介しました。

3.国立公文書館

http://www.archives.go.jp/

展覧会:「大正から昭和へ…平民宰相・普選・米騒動・大震災…」

会 期:2008.10.31〜2009.3.19

入場料:無料   

休 館:土・日曜日、祝日

「公文書」とは国が政策を行う際に作成した文書で、歴史の資料となるものです。国立公文書館には明治政府が江戸幕府から引き継いだ日本や中国の古書・古文書、明治政府が集めた国内外の出版物をはじめ、明治以来の歴史的重要価値のある公文書なども所蔵されています。テーマを決めて順次公開され、今回は大正政変から「平民宰相」原敬の誕生、男子普通選挙制の成立への歩みを、ヴェルサイユ条約、米騒動、関東大震災と帝都復興事業など国内外の動きに関する大正時代の公文書が展示されています。

4.三の丸尚蔵館

http://www.kunaicho.go.jp/11/d11-05.html

展覧会:「三峰窯の思い出…一宮様とやきもの…」

会 期:2009.1.6〜3.8

入場料:無料

休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)、金曜日

三峰窯(みつみねがま)は、秩父宮殿下の作陶のため昭和25年に御殿場の秩父宮別邸に築かれた窯です。殿下は加藤土師萌の指導のもとに優れた陶芸作品を遺されました。高松宮殿下もこの三峰窯を訪ね、陶芸制作を楽しまれました。 本展では、旧秩父宮家と旧高松宮家のご遺贈品の中から、三峰窯にまつわる陶芸作品や、指導された加藤土師萌の作品も展示されています。

5.三菱一号館美術館

三菱一号館は、日本の近代建築の生み親 ジョサイア・コンドルが設計し、明治27年(1894年)丸の内に完成した日本で初めてのオフィスビルです。

昭和41年に惜しまれながら解体されましたが、同じ地に三菱一号館美術館と復元されることになり、高層ビルが林立する丸の内の一角に懐かしい赤レンガの建物が美しい姿を現わし始めました。

美術館としての開館は来年(2010年)4月の予定です。

6.出光美術館

http://www.idemitsu.co.jp/museum/

展覧会:「文字の力・書のチカラ…古典と現代の対話…」

会 期:2009.1.10〜2.15

入場料:一般1000円 

休 館:月曜日(祝日の場合は開館)

古典の名跡から近世・現代までの書の作品約60件を集めてその魅力を紹介するというユニークの企画展です。

帝劇ビル9階の同館喫茶コーナーから眺める皇居方面の風景は魅力的で桜田門も一望できます。                                

以上

2009.1.6

…My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(27)

井出 昭一

河井寛次郎記念館

…陶芸家の巨匠が自ら設計した自宅兼陶房…

                 

                〒605-0875 京都市東山区五条坂鐘鋳町569

        TEL/FAX (075)-561-3585 

               http://hcn.plala.or.jp/fc211/sagi/

プロローグ

陶芸家の河井寛次郎は知っていても、河井寛次郎記念館を訪ねた人はあまり多くないようです。今回訪ねるのは、寛次郎が自ら設計した自宅兼陶房の『河井寛次郎記念館』です。

1.記念館は寛次郎の最大作品

河井寛次郎記念館は、人通りの少ない京都の五条坂鐘鋳町(かねいちょう)の閑静な一角に町並みと調和してひっそりと建っています。私は4〜5回訪ねていますが、京都の街に不慣れのため、最初のころは随分迷いながら辿り着き、犬矢来の上の格子に掲げられた「河井寛次郎記念館」という大きな看板が目に入るとほっとしたものです。この力溢れんばかりの書は板画の棟方志功が揮毫し、木工家の黒田辰秋が制作したものです。極度の近眼でなぐり書きばかりの棟方志功も、慕って尊敬する師の記念館の看板だけに、相当緊張して筆を運んだのではないかと想像されます。

この建物は寛次郎自らが設計した自宅兼陶房です。農家と京都の町屋を重ね合わせた住居形式の建物で、郷里の安来から棟梁である実兄の善左衛門と大工を迎えて施工を依頼し、昭和12年(1937年)寛次郎47歳の時に完成しました。一般に公開されたのは没後7年を経た昭和48年(1973年)2月のことです。

格子戸を開けて一歩館内に踏み込むとそこは寛次郎の世界で来館者を暖かく迎えてくれます。受付前の広間は吹き抜けが開けられて滑車が吊ってあり、柳宗悦が寄贈したという古風な柱時計が時を刻み、濱田庄司から贈られた箱階段で2階へ上がります。

2階には書斎のほか居間、上段の間が吹抜けを取り囲み、ここでも寛次郎の作品が数多く置かれていて目を楽しませてくれます。記念館は旧住居、作品の陳列室、茶室、陶房などが中庭を巡って並び、陶房の蹴轆轤(けろくろ)の周りには寛次郎が愛用した道具類と作品が展示され、それらを円空仏が静かに見守っています。陶房の奥には寛次郎が鐘溪窯(しょうけいかま)と名付けた登り窯があり、ここで数々の名品が焼かれました。

自分が造った最大の作品(建物)に、創作した陶器、木彫、金工、書の作品は当然のこととして、デザインしたもの、収集した工芸品や家具が随所に置かれているのですから、館内はまさに“寛次郎一色”です。

2.多才な芸術家・河井寛次郎

河井寛次郎は明治23年(1980年)に島根県の安来に生まれ、大正から昭和にかけて京都を拠点に活動した陶芸の巨匠です。

河井は現在の東京工業大学の前身、蔵前の東京高等工業学校の窯業科に入学しましたが、このときの師が東京美術学校の第2回卒業生で岡倉天心の薫陶を受け近代陶芸の道を開いたといわれる板谷波山でした。波山は河井や濱田庄司らの教え子に対し「自分は将来、1寸の破片が出ても、これは波山のものだとわかるような品物をつくりたい。」と言われたそうですが、河井寛次郎はまさにこの師の教えを実現した陶芸家です。寛次郎の作品は、その一部を見ただけでも釉薬、姿形、肌合い、技法などから寛次郎作と判別でき、他人が真似のできない独特のものだからです。

河井寛次郎は陶芸にとどまらず、木彫、金工、詩文、書などその活動範囲は幅広く、いずれの分野でも独創的で不思議な造形を創出し、作品は自由で力強くバラエティに富んでいて、創造力と技の展開は生涯一刻も休むことなかったといわれるほどです。

 昭和30年代に文化勲章の受章を辞退されたほか、人間国宝、芸術院会員など一切の栄誉を固辞して昭和41年(1966年)76歳でこの世を去るまで、無位無冠の一陶工として精力的な創作活動を続けました。本人は無名の陶工でいたかったにもかかわらず、あまりにも有名になってしまった陶芸界の巨匠です。

3.“陶芸家”・“木彫家”・“詩文家”としての河井寛次郎

 河井寛次郎が創出した陶芸作品は壺、鉢、皿、高坏、食籠、合子、番茶器、薄茶器、洋茶器、酒器、喫煙具など日用什器全般にわたるもので極めて多種多様です。さらに文房具についても深い関心を示し陶硯、硯屏、筆筒、水滴、墨置、料紙箱などを制作し、特に陶硯の制作数は空前絶後ともいわれています。また生活のための器ではなく美術品としての“陶板”についても筒描き手法による独特の“河井陶板” を完成しています。

 生涯親交を続けた濱田庄司が河井を“釉の名人”だと評し、「河井ほど性格的な釉を創り、使いこなした陶工は、数多い徳川期以後の個人陶工のうちでも他に類がないかと思う。」(濱田庄司『無盡蔵』の「コメニシアフレニシ」より)と讃えています。東京高工を卒業後入所した京都市立陶磁器試験場では、1年に青磁釉5000種、辰砂釉3000種、天目釉2000種と合わせて1万の釉薬を作り、3日に1回窯を焚いたとまでいわれています。

“釉の河井”の陶芸の手法は、打込み、象嵌、流し釉、櫛目、釘彫り、流し描き、指描き、抜き蝋、練り上げ手と、こちらも多彩を極めています。

昭和14年頃、新築した住居の余った木材を用いて人形や招き猫を作ったのがキッカケで木彫の世界にも足を踏み入れています。陶芸と同様にかたちがユニークで、記念館内にも像や面などがさりげなく置かれています。

終戦直前から昭和21年までの3年間は資材不足で作陶ができなかったため、五条坂の自宅で専ら“詩文家”活動に専念し、この分野でも独特の“河井文学”が生まれました。『火の誓い』 は、河井寛次郎が戦争前後に書いた随筆を集めたもので、

焼けてかたまれ、火の願い
焚いてる人が、燃えている火

短い文章ですが、いずれも真似のできない独創的な表現で、何度も読んでいると心を打つものがあります。

4.“河井寛次郎頌”

無位無冠の一陶工・河井寛次郎を取り巻く人脈の広さには驚かされます。濱田庄司をはじめ、柳宗悦、富本憲吉、バーナード・リーチ、棟方志功、黒田辰秋など単なる交流・交遊の枠を超えて“管鮑の交わり”といえるものではなかったかと思います。例えば、棟方志功は寛次郎を師と慕い、寛次郎は“自然児”の棟方を「熊の子」と呼び、棟方の版画を“木彫繪”(きぼりえ)と称して絶賛し続けたといわれています。

「数多い近代日本の陶芸家群の中で、後世に記憶さるべき業績を確立し得ているのは、富本憲吉と河井寛次郎と濱田庄司の三人ではなかろうかと思う。」(水尾比呂志)ともいわれていますが、陶芸界の巨匠で文章の名手ともいわれる盟友・濱田庄司もその書『無盡蔵』のなかので、“生涯の友”河井寛次郎について惜しみない賛辞を送っています。

「私は河井程多くの周囲から喜ばれ、親しまれ、尊敬され、感謝されている友達を知らない…」

「河井くらい物を持つ悦びを激しく受け入れ、鮮やかにそれを語る友達を私は知らない。河井と一緒に旅をすれば、何を見ても買っても河井の悦びが底抜けで、一緒にいる誰にでも火をつけ、皆の悦びを倍にしてくれた。」

「河井は河井の巣から飛んで来て、何年か民芸の沼辺で他の仲間と餌を拾ったあと、民芸への根は一層深く固めながら、最後は再び自分の空へ高く飛び去った一羽の鶴とでも思いたい気がします。」

5.河井寛次郎を取り巻く人々

河井寛次郎のファンや支援者も実に多彩です。

高島屋の支配人・川勝堅一は寛次郎の熱烈なファンで、初期から晩年に至るまで400点以上を収集し、これは後に京都国立近代美術館に寄贈され“川勝コレクション”と呼ばれているものです。

倉敷紡績の大原孫三郎・総一郎は父子二代にわたる支援者で、倉敷の大原美術館の現代工芸館には一棟を“河井室”として、数十点の河井の作品を常時展示しています。

このほかの支援者としては細川護立、牧野伸顕、岩崎小彌太、黒板勝美、内藤湖南、山岡千太郎、山本為三郎など多彩な顔ぶれで、河井寛次郎の人徳が偲ばれるところです。

河井寛次郎の作品は、東京駒場の日本民藝館、倉敷の大原美術館、京都国立近代美術館などで見ることができます。しかし、最大の作品は京都五条坂でしか見ることはできません。河井寛次郎の求めた“しずかな精神”を体感できる唯一の場所「河井寛次郎記念館」を是非訪ねてみてください。

エピローグ

現在、記念館の館長は河井寛次郎の長女の須也子さんで、令孫の鷺 珠江さんが学芸員を務めておられます。

昨年10月末、友人と記念館に向かう寸前の五条坂で、私が過って転倒して怪我をした際、鷺さんの機敏な判断で病院を紹介し、タクシーまで手配していただきました。翌日再度訪問したところ、偶然にも館長の河井須也子さんにお目にかかり御礼を申しあげることができました。幸いなことに、広間では寛次郎がデザインした円形椅子に座って父上・寛次郎の思い出話まで直接伺うことができたのは文字通り怪我の功名だと思っている次第です。

適切な治療により、眉毛の上の5針もの縫合の傷跡は全く消えてしまいましたが、河井寛次郎記念館の皆様の温かいおもてなしは生涯消えることない思い出となりそうです。

             展覧会トピックス 2009.1.5 

今回は上野公園の東京国立博物館に焦点を絞って紹介します。詳細はホームページ http://www.tnm.go.jp/ をご覧ください。内容が充実していますので事前にご覧いただければ、より深く東京国立博物館を堪能することができます。

東京国立博物館の新春の展示とイベント   

特別展が始まる前の比較的閑散としているときに本館、東洋館、法隆寺宝物館、平成館(考古展示室)の平常展をゆっくり鑑賞することをお勧めします。平常展といっても国宝、重要文化財などの“本物”に数多く出会える日本一贅沢な博物館です。

A.新春特別展示・特集陳列・平常展

  入場料:一般 600円(満70歳以上は無料)

休 館:月曜日(1月12日は開館し、翌13日は休館)

1.新春特別展示「豊かな実りを祈る…美術のなかの牛とひと…」

会 期:2009.1.2〜1.25                                 

会 場:本館2階 特別第1室

新年1月2日から始まっている恒例の干支の「うし」にちなんだ特別展示です。「牛」の図柄は五穀豊穣とも結びつき、日本や東洋では古くから好まれてきました。美術品に描かれたいろいろな形の牛に出会うことができます。

2.特集陳列「吉祥…歳寒三友…」

会 期:2009.1.2〜2.1

会 場:東洋館 第8室

これも新年恒例の展示です。中国では花鳥画に描かれる蓮・水鳥・魚は豊かさ、牡丹は富貴、桃は長寿、葡萄・瓢箪・石榴は子孫繁栄、鳳凰は天下泰平、蝙蝠は福を象徴する吉祥図として親しまれてきました。新年を寿ぎ、この歳寒三友(松・竹・梅)を中心に中国の吉祥図が展示されます。

3.法隆寺宝物館

明治11年(1878)に法隆寺から皇室に献納され、戦後国に移管された宝物300件あまりを収蔵・展示しています。国宝、重要文化財が多数展示され、正倉院宝物と双璧をなす古代美術のコレクションとして高い評価されています。

B.特別展                 

1.慶應義塾創立150年記念 特別展「未来をひらく福澤諭吉展」

会 期:2009.1.10〜3.8

会 場:表慶館・本館特別2室

入場料:一般 1200円

休 館:月曜日

慶應義塾創立150年を記念して開催するもので、幕末明治の激動の時代を生きた思想家福澤諭吉の遺品、遺墨、書簡、自筆草稿、著書などを通して福澤諭吉の先導的な思想と活動を紹介するとともに、慶應義塾ゆかりの品などが展示され、福沢諭吉の偉大な活動を再認識する機会です。

2.開山無相大師650年遠諱記念特別展「妙心寺」

会 期:2009.1.20〜3.1

会 場:平成館 2階

入場料:一般 1500円

休 館:月曜日

妙心寺は建武4年(1337年)、花園法皇が自らの離宮を禅寺としたことに始まり、開山を無相大師関山慧玄(かんざんえげん)とする禅宗の名刹です。妙心寺を支援した細川家など諸大名に関する作品、寺に伝わる唐物・唐絵、華麗な屏風や襖絵、墨蹟・禅画など妙心寺の文化財は、わが国の歴史や文化を物語るうえで重要な位置を占めています。無相大師の650年遠諱を記念して開催されるこの展覧会では、国宝4件、重要文化財約40件など、妙心寺本山ならびに塔頭の蔵品が紹介されます。                                                                                 以上

2008.12.2

…My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(26)

井出 昭一

脇田美術館

…避暑地のアトリエ山荘に隣接する個人美術館…

                 

                〒389-0102 長野県軽井沢町旧道1570-4

        電話 267-42-2639 

               http://www.wakita-museum.com/

1.プロローグ

今回取り上げる脇田美術館は、軽井沢の緑の木立のなか、温もりのある”色彩の音楽”がゆっくり流れるような美術館です。

私が脇田和という画家を知ったのは、40年以上前のことです。勤務先の社内誌のカットを描いていただいていたことを、絵画に造詣のある先輩から伺ったのが契機でした。軽井沢に脇田和の作品を集めた美術館があることが判り、帰省の途中何回か訪れました。

10月下旬、脇田美術館の近くの「旧軽井沢ホテル音羽の森」の結婚式に招待されましたので、早目に家を出て訪問者のいない晩秋の美術館内で、ただひとり脇田和の世界を満喫してきました。

          

2.心が洗われる絵画の世界

脇田美術館は、現代洋画界を代表する脇田和(1908〜2005)が設立し、平成3年(1991年)に開館した個人美術館で、1920年代のドイツ遊学時代から晩年まで、油彩、素描、版画など脇田和の作品300点余を収蔵しています。

作家の井上靖は、脇田和の絵を評して「楽しくなったり、仕合せを感じたり、しんとしたり、爽やかになったり、いろいろな心の洗われ方をする」としています。その作品は繊細で微妙な美しい色の重なり、そこには抒情があり、詩があり、音楽があり、魅惑的な独特の世界をつくりあげています。

 昭和初期、画家を目指す日本人の多くはフランスへ行きましたが、脇田和は大正12年、15歳でドイツへ渡り、ベルリン国立美術学校で8年間、様々な職人的技術を身につけたといわれ、これが脇田の挿絵や版画などを手がける基礎となったようです。

帰国後は、光風会展に出品を続け、昭和11年(1936年)には猪熊弦一郎、小磯良平などとともに新制作派協会を結成し、これが脇田和の生涯の制作発表の場となりました。

 昭和30年(1955年)サンパウロ・ビエンナーレ展、ピッツバーグ国際展に出品したりパリに長期に滞在するなど海外での活動を重ねてきました。帰国して昭和34年(1959年)から昭和45年(1970年)まで東京藝術大学で後進の指導に当たりました。90才を迎えた平成10年(1998年)には文化功労者に選ばれ、平成17年(2005年)11月27日97歳でこの世を去りました。

東京藝術大学教授を退官した昭和45年(1970年)、友人でもある吉村順三

(注)の設計で軽井沢にアトリエ山荘が完成しました。これは近代日本の木造モダニズム建築を代表する建物としても知られています。

アトリエ山荘は隣接して建てられている美術館は、展示室の部分とミュージアムショップとティールームの棟が中庭を包み込むように結ばれていて、ティールームから中庭を隔てて山荘を眺めることができます。ここは、脇田和のほのぼのとした作品に触れた後、車の騒音もなく静寂な空間の中でゆったりとした時を満喫できるスポットでもあります。

(注)吉村 順三( 19081997

東京都出身。1931年東京美術学校(現 東京藝術大学)建築科を卒業。アントニン・レーモンドに師事しモダニズム建築を習得。1941年吉村順三設計事務所を開設。1962年東京藝術大学教授に就任。1990年日本芸術院会員。日本の伝統建築とモダニズムの融合を図ったことが高く評価されています。

おもな建築作品としては、国際文化会館前川國男坂倉準三と共同設計/1955年)、奈良国立博物館新館(1972年) 、八ヶ岳高原音楽堂(長野県南牧村/1988年)。軽井沢では、脇田和のアトリエ山荘のほかに、吉村順三自身の吉村山荘(1962年)も建築界では有名です。

            

 

3.まとめて見ると魅力が増す脇田芸術

脇田和の代表作といわれる「鳥を持つ女」(1953年)、「貝殻と鳥」(1954年)、「鳥と顔」(1960年)、「花と実」(1960年)、「りんごとびんと鳥」(1968年)、「かくれんぼ」(1980年)、「眠りをさます羽音」(1981年)などは東京国立近代美術館が所蔵しています。東京国立近代美術館では特別展でもない限り一人の画家の作品を数多く展示することはありません。脇田和の作品は1点だけ鑑賞するより、何点もまとめて見た方がより魅力的ではないかと思います。

今年は、脇田和の生誕100年記念を迎え、軽井沢の脇田美術館では私が訪れ

た10月末には「脇田和 生誕100年展…鳥、花、子供との出会い。美しいものは身近にある。…」(2008.4.12〜11.24)が開かれていました。ここでは脇田和のベルリン時代のデッサン・油彩から晩年までの作品約90点が展示されていて、1階と2階の展示室で画家の全貌を鑑賞することができました。

             

2階の展示室は柱のない広々した明るい空間が広がり、中央にはコルビュジエのデザインの椅子も置かれていました。そこに座ってほのぼのとした脇田和の作品に取り囲まれていると、まさに幸せに包まれているという感じでした。

            

脇田和の作品が常時展示されているところは東京にもあります。日比谷の「DNタワー21(第一・農中ビル)」の旧第一生命館の1階には1995年に開設された南北2つのギャラリーがあり、「北ギャラリー」では脇田和の作品が常設展示されています。入場無料ですから気軽にいつでも脇田和の絵画世界を鑑賞することができます。この旧第一生命館の北ギャラリーでも脇田美術館との関連企画として「生誕100年脇田和 版画展 1931−1989」(2008.4.15〜11.21)が開催されました。

            

4.軽井沢の個性的美術館

脇田美術館のある軽井沢には、建築的にも個性的な美術館がいくつも点在していますので、絵画を鑑賞しながら建物や庭園も楽しめる美術館を列挙してみます。

(1) ペイネ美術館

http://www.karuizawataliesin.com/peynet/peynet2004.html
1986年設立された美術館でフランスの画家レイモン・ペイネの原画、リトグラフ、画材などが展示されています。F・L・ライトのスタッフとして来日したアントニン・レーモンドがアトリエ兼別荘として昭和8年に軽井沢南ヶ丘に建てた建築学的にも貴重な建物です。

(2)ルヴァン美術館

   http://www.levent.or.jp/

 建物は、大正9年(1920年)に文化学院の創立者・西村伊作が設計した創立当時校舎をほぼ再現したもので、英国のコテージ風の建築と庭園の調和が美しい美術館です。

(3)セゾン現代美術館

   http://www.smma-sap.or.jp/

旧高輪美術館が1981年に東京高輪から軽井沢に移転し、開館10周年を機にセゾン現代美術館と改称しました。現代美術を主体とする美術館で広い庭園の散策も楽しめます。

(4)田崎美術館

   http://tasaki-museum.org/

 文化勲章を受章した画家田崎廣助が第二の故郷の軽井沢に自身の作品を永久保存、展示するために造った美術館です。原広司の設計による芸術的な建物も魅力的です。

(5)メルシャン軽井沢美術館

    http://www.mercian.co.jp/musee/

西軽井沢(御代田町)の白樺林に囲まれたウィスキーの樽貯蔵庫を改修して造られたユニークな美術館です。設計はルーヴル美術館の改修を担当した建築家ジャン・ミッシェル・ヴィルモットが手掛け、毎年世界の有名作家の作品を展示公開しています。
 

展覧会トピックス 2008.12.02

美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

 

1.「インドネシア更紗のすべて…伝統と融合の芸術…」

会 期:2008.10.18〜12.21

会 場:虎ノ門 大倉集古館

入場料:一般 1000円

休 館:月曜日(祝日の場合は開館)

問合せ:03-3583-0781

http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/shukokan/batik.html

日本で「インドネシア更紗」と呼ばれ親しまれてきたバティックの歴史とその魅力を広く紹介するものです。研究者としてインドネシアに関わってきた戸津正勝氏の30年に及ぶ膨大なコレクションのなかから約350点が展示されます。インドネシア国内全域にわたり、古い伝世品から現代の新進作家までの個性的なバティックを網羅したものとしては空前の規模だといわれています。

          

2.「丸紅コレクション展…衣装から絵画へ 美の競演…」

会 期:2008.11.22〜12.28

会 場:西新宿 損保ジャパン東郷青児美術館

(損保ジャパン本社ビル42階)

            

入場料:一般 1000円(65歳以上 800円)

休 館:月曜日

問合せ:03-5777-8600(ハローダイヤル)

http://www.sompo-japan.co.jp/museum/

総合商社・丸紅が長い歴史のなかで集めてきた衣裳のコレクションと1970年代に丸紅が総合商社として本格的に美術品の輸入販売に参入したときに収集した日本洋画、西洋絵画などから約80点が展示されます。その中で「美しきシモネッタ」は、日本にある唯一のボッティチェリの作品です。 

 

3.「青磁と染付展…青・蒼・碧…」

会 期:2008.10.5〜12.24

会 場:松濤 戸栗美術館

入場料:一般 1000円

休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)

問合せ:03-3465-0070

http://www.toguri-museum.or.jp/home.html

3千年以上の歴史を持つ青磁と14世紀の中国・元時代に生まれた染付の「あお」に焦点を当てた特色ある展覧会です。

                                       以上

2008.10.24

…My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(25)

井出 昭一

東京藝術大学大学美術館

…わが国初めての大学美術館…

 

 今回は、上野の森の東京藝術大学構内にある“東京藝術大学大学美術館”を取り上げます。“大学”が重複していて一見変わった 名前の美術館ですがこれが正式名称です。アメリカのハーバード大やプリンストン大には大学美術館があるそうですが、日本では初めての大学美術館です。  

1.東京国立博物館に次ぐ件数を誇るコレクション
 東京藝術大学はその前身である東京美術学校が明治 20 年に設立されて以来、 昨年 120 周年を迎えました。長年 収集してきた美術品をまとめて展示するため平成 11 年 4 月開館したのが 東京藝術大学大学美術館[写真 1 ]です 。設計は六角鬼丈(東京藝術大学教授)によるもので、地上 4 階、地下 4 階のうち展示室は地下 1 階と 3 階の 2 フロアーで様々な展示に対応できるよう白い箱型展示室に設計されています。


  その所蔵品は国宝・重要文化財 32 点を含む 4 万 5 千点といわれ、東京国立博物館に次いで日本では二番目の件数を誇るコレクションです。有名な収蔵品としては、国宝の「絵因果経」のほか浅井忠の「収穫」、高橋由一の「鮭」、上村松園の「序の舞」、狩野芳崖の「悲母観音」 ( いずれも重文 ) など学校の教科書で馴染み深いものが数多いのが特徴です。また、ユニークなコレクションとしては東京美術学校の開校以来集めてきた油画(西洋画科)学生の自画像の一群です。小磯良平、青木繁、佐伯祐三、牛島憲之、林武など後に巨匠となる若き日の自画像をまとめて鑑賞することができます。

 

2.藝大所蔵名品展の思い出

東京美術学校の 初代(正式には 2 代)校長の岡倉覚三(天心)は廃仏毀釈の波の中にあって古美術を積極的に購入しました。数ある収蔵品のうちで物品番号の一番は「絵因果経」で、東京美術学校が開校された 1889 年(明治 22 年)に、岡倉天心が起案して 220 円で購入したものです。

収蔵品が急増したのは正木直彦校長の時代です。正木校長は明治 34 年から昭和 7 年まで長期にわたり校長として在任していたため、数多くの美術品が学校での教材として集めましたが、これらの美術品は陳列館や正木記念館で一部展示されることはあっても一般には公開されることはありませんでした。

藝大の収蔵品がまとまった形で初めて公開展示されたのは、昭和 52 年 9 月に東京国立博物館で開催された「東京芸術大学所蔵名品展」[写真 2-1 ]です。
これは芸大の創立 90 周年を記念して開かれたもので、当時の収蔵品の中から、一般に知られている美術品を各分野の教官が選定し解説を付した展覧会でした。

 このときに、国宝「絵因果経」、重文の狩野芳崖の「悲母観音」、橋本雅邦「白雲紅樹」をはじめ、横山大観の「村童観猿翁」、菱田春草の「水鏡」、下村観山の「天心岡倉先生草稿」など天心門下の作品、さらには上村松園の「序の舞」、橋本関雪の「玄猿」など政府買い上げ作品など、なじみ深い作品が一堂に会し壮観そのものでした。

 次に藝大の収蔵品が大々的に公開されたのは昭和 62 年( 1987 年)の創立 100 周年記念展[写真 2-2 ]でした。このときは都内のデパート4ヵ所と藝大陳列館を使って藝大所蔵の名品ばかりではなく、卒業生、現職教官の作品を一斉に公開し、すべての会場を見学するのに苦労した記憶があります。絵画、彫刻、工芸などはいろいろなところで見る機会がありましたが、銀座の松屋で開かれた「デザイン・建築」部門の展覧会は初めて接するものも多く大変参考になりました。

 平成 11 年( 1999 年) 5 月に大学美術館が竣工し、大学構内に美術品を公開展示できる建物がようやく誕生しました。その年の 10 月に開催された「開館記念 芸大美術館所蔵名品展」[写真 2-3 ]では、古美術、日本画、油彩画、彫刻、工芸の分野で教科書、画集、展覧会などでなじみある作品 160 点ほどが一挙に展示され、内容が充実した展覧会でした。

藝大美術館では毎年春季にコレクション展を開き、収蔵品から主要作品を定期的に展示公開しています。昨年は「パリへ ― 洋画家たち 百年の夢」展、「岡倉天心 ― 芸術教育の歩み ― 」展など、大学創立 120 周年に因んだ展覧会を開催し、主要な作品が数多く展示されました。今年のコレクション展( 2008 年 4 月 10 日〜 7 月 21 日)では、所蔵の作品・資料の古美術・日本画・西洋画・彫刻・工芸・図案の各分野の名品を厳選し、特に古美術および日本画、素描作品については、三期に分けて展示されました。

これまでに開催された展覧会で印象に残るものとしては、「 油画を読む … 高橋由一から黒田清輝の時代へ…」(  2001 年 8 月 7 日〜 9 月 24 日)、「横山大観“海山十題”展… 発見された幻の名画…」( 2004 年 7 月 27 日〜 8 月 29 日)、「 吉村順三建築展」( 2005 年 11 月 10 日〜 12 月 25 日)、「 NHK日曜美術館30年展」( 2006 年 9 月 9 日〜 10 月 15 日)、 「岡倉天心… 芸術教育の歩み …展」( 2007 年 10 月 4 日〜 11 月 18 日)、 「バウハウス・デッサウ展」

( 2008 年 4 月 26 日〜 7 月 21 日)などです。いずれもテーマも適切で内容も充実していて楽しめるものでした。

 

3.構内の胸像と石膏のコレクション

藝大の構内に入ってまず気付くことは、いたるところに胸像や彫刻が置かれていることです。有名なものではロダンの「バルザック像」[写真 3-1 ]、「青銅時代」[写真 3-2 ]です。国立西洋美術館の前庭には「地獄の門」、「カレーの市民」、「考える人」が置かれていますので、上野の森は、ロダンの代表的作品がすべて揃っていることになります。

藝大の庭を歩くと教壇に立った藤島武二、橋本雅邦、高村光雲、安井曽太郎[写真 3-3 〜 6 ]などの胸像も数多くみられますが、その教え子が制作しているものも多く、師弟関係を想像しながら見て歩くのも楽しいものです。
 また、絵画棟の 1 階には大石膏室 [写真 3-7 ] があります。昭和 10 年にボストン美術館から寄贈されたミケランジェロの「メディチ家の墓碑」やレオナルド・ダ・ヴィンチの師ヴェロッキオやドナテルロなどのルネサンス巨匠の石膏像 34 件と、日本における西洋彫刻の基盤を築いたヴィンセンゾ・ラグーザの遺品 16 点がその中核となっています。ミロのビーナス、サモトラケのニケを初め、ロダンの「バルザック像」、「青銅時代」など国内では質量ともに最も優れているといわれる石膏像が所狭ましと置かれているところです。しかし、この部屋には関係者以外は立ち入ることはできません。しかし 1 階ですから外部からガラス越しにどんな状態かを垣間見ることはできます。


4.話題となる建物が並ぶ構内
  東京藝術大学の構内は東京国立博物館と並んで、話題になる近代建築が林立しているところでもありますのでいくつかを紹介します。
(1)   正木記念館…正木校長の功績を顕彰 [写真 4-1 〜 2 ]
  東京美術学校の校長として 32 年間という長期にわたって在任した第5代校長正木直彦の功績を顕彰するため昭和 10 年に竣工しました。岡田信一郎の門下の金沢庸治の設計で、白の漆喰壁、入母屋の瓦屋根は日本の伝統の美術を評価してきた美術学校の姿勢を反映しています。 1 階には沼田一雅が昭和 11 年に製作した陶造の「正木直彦先生像」 [写真 4-3 ] が置かれています。正木校長の希望により、 2 階には日本画を展示するための書院造りの和室の展示室が作られているそうです。
  なお、平櫛田中が制作した岡倉天心像 [写真 4-4 ] が安置されている寄せ棟屋根の小さな六角堂 ( 昭和 6 年 ) [写真 4-5 ] も同じ金沢庸治が設計したもので、通称「奥の細道」と称される木立の中に建っています。

(2)   陳列館…岡田信一郎“ギャラリー三部作”のひとつ [写真 4-6 ]
  東京藝術大学の美術学部の門を入ってすぐ左側の建物が陳列館です。昭和 4 年竣工した西洋風の展示館で、近代美術館の展示空間の嚆矢ともいうべき建物です。岡田信一郎の設計で、スクラッチタイル、トスカナ式の飾り柱、天窓があります。黒田記念館(登録有形文化財)、東京府立美術館(いまは東京都美術館に建て替えられました)とともに、上野の杜に建つ岡田信一郎の“ギャラリー三部作”だった建物のひとつです。
  なお、岡田信一郎は藝大構内の橋本雅邦、川端玉章、フェノロサの胸像台座も設計しています。  


(3)赤レンガ 1 号館(旧上野教育博物館書籍閲覧所書籍庫) [写真 4-7 ]
 東京藝術大学の音楽学部側の門を入って左に折れたところに赤レンガの建物が 2 棟建っています。明治 13 年( 1880 年)に竣工した東京で最古の赤レンガの建物で、文部省が明治 9 年にこの地に上野教育博物館を建設し、その付属図書館の書庫として造られました。設計は林忠恕で、旧新橋駅(汐留駅)を設計したアメリカの建築

家ブリジンスの弟子にあたります。
(4)赤レンガ 2 号館(旧東京図書館書庫) [写真 4-8 ]
  こちらは、明治 17 年に設立された旧東京図書館の書庫で、明治 2 年、東洋人として初めてアメリカのコーネル大学に留学した小島憲之の設計により明治 19 年( 1884 年)に竣工したものです。小島憲之は、孤高の建築家で、英語教育にも定評があり、夏目漱石の師でもあったとのことです。


(5)東京藝術大学奏楽堂…音響特性重視のコンサートホール [写真 4-9 ]
  最高裁判所を設計した岡田新一(陳列館の設計者・岡田信一郎ではありません)が手がけた建物で 1140 席を有するシューボックスタイプのコンサートホールです。管弦楽、弦楽合奏、オペラ、合唱、邦楽、声楽ソロ、パイプオルガン演奏等の用途に対応でき、それぞれの使用目的にかなった最適な音響特性を変えられるよう客席の天井全体を可動式にして変化させる方法を取り入れているそうです。


 

[参考] 東京音楽学校奏楽堂 [写真 4-10 〜 11 ]


東京音楽学校奏楽堂は、 明治 23 年に東京音楽学校の構内に建てられた木造2階建ての日本最初の西洋式コンサートホールで、設計は文部省営繕の山田半六と久留正道で、音響設計は上原六四郎が担当しました。音響計画に基づいて設計されたわが国はじめてのコンサートホールとして、建築学上極めて貴重な建物であることから、昭和 63 年 1 月、重要文化財に指定されました。

老朽化が進んだため昭和 56 年に使用が中止となり、撤去されることになりましたが、保存運動が起こり昭和 58 年に東京藝術大学から台東区が譲り受け、昭和 62 年上野公園の藝大に近い現在地に移築復元工事が完了しました。奏楽堂の音響効果の素晴らしさは定評があり、現在でも年間百回以上の演奏会が開かれている現役のコンサートホールです。 このように、上野の藝大は、単に美術館で美術品を鑑賞するだけではなく、庭の彫刻・胸像を見たり、特色ある建物を見たりして、楽しむ対象の豊富なところです。

 

展覧会トピックス  2008.10.25

 

美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

 

1. 「宋・時代の書画…中村不折コレクション…」
会 期: 2008.10.11 〜 12.23
会 場:根岸 台東区立書道博物館
入場料:一般  500 円
休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
問合せ: 03-3872-2645

http://www.taitocity.net/taito/shodou/

書道博物館は、洋画家で書家の中村不折により昭和 11 年に開館され、亀甲獣骨文、青銅器、石碑、鏡鑑、法帖、経巻文書など、不折が書道研究のために収集した中国・日本の書道に関する古美術品、考古出土品など、重要文化財 12 点、重要美術品 5 点を含む約 16,000 点が所蔵されています。書道博物館の本館は金石類の常設展示を、中村不折記念館では紙本墨書類を展示し、中村不折記念室を設け、不折の作品や関係資料も展示しています。

 

2. 「日本の書跡…かな古筆と近世画人の書…」
会 期: 2008.10.18 〜 12.7
会 場:六本木 泉屋博古館分館 
入場料:一般  520 円
休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
問合せ: 03-5777-8600 (ハローダイヤル)

http://www.sen-oku.or.jp/tokyo/

当館が所蔵する住友コレクションのなかから古代から近世にかけての日本書跡を紹介しています。平安時代のかなの代表的作品「寸松庵色紙」をはじめ、料紙装飾の美しい歌切、歌仙絵切、和歌懐紙など、平安時代後期から鎌倉時代にかけての能書による和歌の造形の流れを汲みとることができます。また今回東京初公開の「古筆手鑑」は、奈良時代から江戸時代までの能書を集めたもので、書道史・文学史上貴重な資料といわれています。

3. 「数寄者 益田鈍翁…心づくしの茶人…」

会 期:前期 2008.10.11 〜 11.13
     後期 2008.11.15 〜 12.14
会 場:白金台 畠山記念館 
入場料:一般  500 円
  館:月曜日(祝日の場合は翌日)
問合せ: 03-3447-5787

http://www.ebara.co.jp/socialactivity/hatakeyama/

幕末から昭和を生きた益田鈍翁(孝)は、三井物産や中外物価新報(日本経済新聞の前身)を創立し、三井財閥を築き上げ、日本経済の基盤を築きました。近代における美術品蒐集家、数寄者として、美術界・茶の湯の世界に多大な影響を与え、当館の創設者・畠山即翁もその影響を受けたひとりでした。両者の年齢差は三十四歳あり、鈍翁に見込まれて数寄者の道へと導かれた即翁は鈍翁から実に多くのことを学んだといいます。本展では、当館のコレクションを中心に鈍翁の旧蔵品や好み物、自作の書画、茶道具を紹介します。

以上

2008.10.03 

…My Museum Walk …『わたしの美術館散策』(24)

井出 昭一

埼玉県立近代美術館

…ユニークな 椅子のコレクション …

 

 今回は、北浦和にある埼玉県立近代美術館を取り上げます。この美術館は、川口市の大熊家から近代日本画 47 点の寄贈を受けましたが、その中に横山大観の未公開作品 10 点が含まれていて、新聞・テレビでも紹介され話題となった美術館です。[写真1]

 

1.JRの駅から3分の美術館

「MoMA(モマ)」という愛称で親しまれているのはニューヨーク近代美術館 ( The Museum of Modern Art, New York ) ですが、埼玉県立近代美術館( The Museum of Modern Art, Saitama )は、これと似た名前で「MOMAS(モマス)」と呼ばれ、 旧制浦和高校の跡地にできた 北浦和公園の緑の中に昭和 57 年( 1982 年) 11 月 3 日に誕生しました。つい最近開館したとばかり思っていたのですが既に四半世紀も過ぎています。[写真 2 ]

JR京浜東北線の北浦和駅西口から徒歩 3 分という至近距離で、新宿駅からは埼京線の赤羽駅で乗り換えて京浜東北線の北浦和駅下車しても乗車時間は 33 分、 東京駅から京浜東北線(快速)では北浦和駅まで 39 分と、都心からでも時間がかからず交通の便利な美術館です。蕨のわたしの家からは 30 分以内で行ける最も近い美術館です。

 

2.建物は 黒川紀章が設計

美術館の建物は黒川紀章が設計しています。 [写真 3 ・ 4 ] 黒川紀章は国内では名古屋市美術館( 1988 年)、広島市現代美術館( 1989 年)、和歌山県立近代美術館( 1994 年)、国立新美術館( 2006 年)などのように多くの美術館建築を手がけましたが、 埼玉県立近代美術館は初期の作品で、一見すると 名古屋市美術館と似た建物です。

立方体を積み重ねた形がこの美術館の特徴で、 建物は地上3階、地下1階建ての構造です。樹木の多い周囲の環境と調和を図るよう建物の高さを抑えていますが、 常設展示室は天井が高く、広くて感じ良い空間です。 センターホールは各階を貫く吹抜空間となっていて天井から自然光を採り入れて明るく、地下1階の3壁面には彫刻を配置し、他の1面に有名デザイナーの椅子を置いて、ゆっくりと彫刻を鑑賞できるユニークな空間となっています。 [写真 5 ・ 6 ・ 7 ・ 8 ]

3.美術館の内外に彫刻が展示

埼玉県立近代美術館は、 モネ、シャガール、ピカソなどの海外の巨匠から日本の現代作家まで美術作品を収蔵し、コレクションの数は決して多くありませんが,これまでユニークなテーマを設けた企画展を次々に開催して評価を高めています。 2008 年度から「常設展」という呼称をやめて「MOMASコレクション」と改め、収蔵品を順次紹介しています。

この美術館の特徴の一つは、美術館の内外に近代・現代彫刻作品がさりげなく置かれていることです。公園に入って美術館の建物に向か通路の中央にエミリオ・グレコの長身ですらりとした女性「ゆあみ(大)No.7」が来館者を迎えてくれます。さらに進むと風船のようにふくよかな女性が横たわっていますが、これは豊満の女性ばかりをテーマに数多くに作品を残したフェルナンド・ボテロの作品「横たわる人物」です。[写真 9 ・ 10 ]

美術館の屋外には随所に現代彫刻が置かれていますが、びっくりするのは2階から3階へ通じる階段室に四角の巨大なコンクリートの柱のようなものが外部から斜めにガラスを突き破ってきていることです。初めて対面したときには、どうしてこのような建物を造ったのかと疑問に思いましたが、これが田中米吉の彫刻作品だと知って納得(?)した次第です。[写真 11 ・ 12 ]

4.椅子の美術館”として定評

また、この美術館は “椅子の美術館”としても知られてきています。東京国

立博物館の法隆寺宝物は設計者の谷口吉生により世界的デザイナーの椅子が各所に指定され配置されていますが、ここでも 世界的に優れたデザイナーの椅子69脚を収蔵し、展示替えにあわせて 館内随所に配置し、これらの椅子には来館者が自由に座ることができます。

目についた椅子を挙げてみますと、1階のエントランスホールのコーナーにマルセル・ブロイヤーのスチールパイプと皮を使った椅子とミース・ファン・デル・ローエ(ドイツ)のバルセロナ・スツールが置かれています。 [写真 13 ]

地下1階のセンターホールにもミース・ファン・デル・ローエのバルセロナ・スツールが4脚置かれています。3階のエレベーターホールには、ヴァルナー・パントン(デンマーク)とヘーリット・トーマス・リートフェルト(オランダ)のレッド&ブルーの椅子がエミリオ・グレコの大きなエッチング「別れNo.16 」の両脇に置かれています。 [写真 14 ]

このほかチャールズ・イームズとレイ・イームズ夫妻、 チャールズ・レニー・ マッキントッシュ(イギリス)、ル・コルビュジェ(フランス)、アルヴァ・アアルト(フィンランド)などの外国デザイナー・建築家の設計による椅子、日本人としては松村勝男、柳宗理などの作品も所蔵されています。

 

5.アーツ・アンド・クラフツ展が開催中

埼玉県立近代美術館では、 9 月 13 日 ( 土 ) から 11 月 3 日 ( 月・祝 ) まで企画展「 アーツ・アンド・クラフツ〈イギリス・アメリカ〉展 …ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで…」 が開かれています。
  イギリスの詩人で思想家でデザイナーでもあったウィリアム・モリス( 1834-1896 )が先導したアーツ・アンド・クラフツ運動は、生活と芸術の統一をめざすデザイン運動でした。その工房からは職人的な手仕事による壁紙、家具、インテリア、書籍などが次々に送り出さ、そのデザインと思想は、アール・ヌーヴォーをはじめ 19 世紀末から 20 世紀初頭にかけて建築や工芸の展開に大きな影響を与えました。

 会場には、草木や鳥や小動物をデザイン化した様々な壁紙をはじめ、”椅子の美術館”にふさわしいチャールズ・レニー・マッキントッシュの有名なベッドルームの椅子(ヒルハウス)や帝国ホテルを設計したアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトの椅子など、モリスの影響をうけたデザインの数々が展示されていて楽しむことができます。

 

6.来館者のため幅広い活動を展開

従来は美術館と言えば美術品の展示が主体でしたが、 埼玉県立近代美術館では 近年、来館者に美術作品を鑑賞するだけではなく、来館を契機に芸術に全般に親しんでもらうため、コンサートや企画展にちなむ講演会・ギャラリートクを開催したり、親と子で参加できるワークショップなどにも積極的に取り組んできています。また美術書とか看板の美術品のデザインをしたグッズを取り揃えたミュージアムショップも充実してきています。さらにユニークな企画としては近現代建築探検ツアーも開催し、 親しみやすく為になる美術館をめざしています。

美術館内を歩き疲れたら公園に面した明るい レストランでイタリア料理を味わいながら休憩することもできます。美術館の周辺や噴水のある「 音楽公園」には野外彫刻も数多く置かれていますのでそれらを見歩くのも楽しいことです。[写真 15 ]

 

 

展覧会トピックス  2008.9.30

 

美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。

1. 「岩崎家の古伊万里…華麗なる色絵磁器の世界…」
会 期: 2008.10.4 〜 12.7
会 場:岡本 静嘉堂文庫美術館
入場料:一般  800 円
休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
問合せ: 03-3700-0007
http://www.seikado.or.jp/

 静嘉堂の伊万里コレクションは、国内外で人気を博している金襴手のうち、国内の富裕階層向けの皿や鉢類いわゆる「型物」「献上手」と呼ばれる作品が幅広く揃っていることで有名です。これら金襴手のほか柿右衛門様式の色絵磁器を中心に、鍋島・古九谷様式の作品も併せて展示し、華麗なる伊万里焼の世界を紹介するものです。

 

2. 「古伊万里展…世界を魅了した和様のうつわ…」

会 期: 2008.9.30 〜 12.23
会 場:白金台 松岡美術館 
入場料:一般  800 円
休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
問合せ: 03-5449-0251
http://www.matsuoka-museum.jp/

当美術館の創立者松岡清次郎が蒐集した東洋陶磁コレクションは、中国陶磁の鑑賞陶磁コレクションを中心としたものですが、館蔵の日本磁器のうちから、有田の初期色絵磁器とされる古九谷様式を初め、ヨーロッパ向けの輸出磁器である柿右衛門様式や金襴手様式の古伊万里およそ 50 件余りが展示されます。

 

3. 「森川如春庵の世界…茶人のまなざし…」
会 期: 2008.10.4 〜 11.30
会 場:日本橋室町 三井記念美術館
入場料:一般  1000 円( 70 歳以上 800 円)
休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
問合せ: 03-5777-8600 (ハローダイヤル)
http://www.mitsui-museum.jp/

愛知県一宮の素封家森川勘一郎(後の如春庵)は天性優れた審美眼の持ち主で、 16 歳の時に本阿弥光悦の黒楽茶碗「時雨」を入手し、さらに 19 歳にして平瀬家の売り立てで同じく光悦作の赤楽茶碗「乙御前」を買い求めたという逸話の持ち主でもあり、「佐竹本三十六歌仙絵巻」の切断や「紫式部日記絵詞」の発見など多くのエピソードも残されています。
  この特別展では、昭和 42 年に如春庵が名古屋市に寄贈した作品約 50 点を中心に森川如春庵の茶の湯と益田鈍翁を中心とする近代数寄者との幅広い交流を紹介します。

 

4. 「大琳派展…継承と変奏…尾形光琳生誕 350 周年記念」

会 期: 2008.10.7 〜 11.16
会 場:上野公園 東京国立博物館
入場料:一般  1500 円
休 館:月曜日(祝日の場合は翌日)
問合せ: 03-5777-8600 (ハローダイヤル)
http://www.tnm.jp/jp/

今年は尾形光琳が生まれて 350 年目にあたります。光琳は、斬新な装飾芸術を完成させ、「琳派」という絵画・工芸の一派を大成させました。琳派は、代々受け継がれる世襲の画派ではなく、光琳が本阿弥光悦、俵屋宗達に私淑し、その光琳を、酒井抱一らが慕うという特殊な形で継承されてきました。この展覧会では、琳派を代表する光悦・宗達・光琳・乾山・抱一・其一の 6 人の優品により琳派芸術を展望し、併せて絵画、書跡、工芸など、各分野の名品により、琳派の系譜を具体的にたどるものです。

以上