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・・・My Museum Walk・・・『わたしの美術館散策』
井出 昭一
・・・ My Museum Walk ・・・『わたしの美術館散策』(12) 井出 昭一 五島美術館 …五島慶太の古美術コレクション …
〒 158-8510 東京都世田谷区上野毛 3-9-25
1.五島慶太の集めた美術品 大学に入学した頃、東急東横線の各駅には五島美術館の紹介ポスターが貼られていました。好奇心に駆られて開館間もない美術館を訪ねてから既に 40 年以上も過ぎてしまいました。 五島美術館は、東京都世田谷区上野毛の閑静な住宅街の一角にある私立の美術館です。東京急行電鉄株式会社の元会長・五島慶太( 1882 〜 1959 )が半生をかけて収集した日本と東洋の古美術品をもとに、昭和 35 年( 1960 年) 4 月 18 日に開館しました。美術館の完成を見ないまま、残念なことに五島慶太は開館の 1 年前にこの世を去りました。 開館後の購入品や寄贈品を含めて、現在では国宝 5 件、重要文化財 50 件を含む約 4000 件の多岐にわたる分野の美術品を所蔵しています。 五島美術館は展示室が 1 部屋のみのため常設展示はなく、企画展毎に展示品が変わります。絵画、書跡、茶道具・陶磁器、古鏡、刀剣、文房具などの分野別に所蔵品を紹介する展覧会が年 5 〜 6 回開催され、特別展は年 1 〜 2 回程度開催されています。また、館が所蔵する代表的名品の国宝「源氏物語絵巻」は毎年ゴールデンウィークの頃に、国宝「紫式部日記絵巻」(トピックスをご覧ください)は秋にそれぞれ 1 週間ほど特別公開されます。
2.国宝「源氏物語絵巻」と「紫式部日記絵巻」 「源氏物語絵巻」は、紫式部の『源氏物語』を絵巻としたもので、物語が成立してから約 150 年後の 12 世紀に誕生した現存する数ある日本の絵巻の中で最古の作品です。『源氏物語』を構成する 54 帖の各帖から 1 〜 3 場面を選び絵画とし、その絵に対応する物語の本文を「詞書(ことばがき)」として各絵の前に添えて、「詞書」と「絵」を交互に繰り返す形式をとっています。当初は 10 巻程度の絵巻であったといわれていますが、現存するのは 54 帖全体の約 4 分の 1 、巻数にすると4巻分です。このうち、3巻強が尾張徳川家に、1巻弱が阿波の蜂須賀家に伝来しました。徳川家本は現在、名古屋の徳川美術館が所蔵し、五島美術館が所蔵しているのは蜂須賀家本の「鈴虫」 2 場面と「夕霧」、「御法(みのり)」の3帖分です。両本とも昭和 7 年( 1932 年)、保存上の理由で、当初の巻物の状態から詞書と絵を切り離し、桐箱製の額装に改められています。「絵」を描いたのは、平安時代の優れた画家の藤原隆能と伝えられるため、この絵巻は通称「隆能源氏」とも呼ばれています。 一方『紫式部日記』は、『源氏物語』の著者・紫式部が、平安時代の寛弘 5 年( 1008 年) 7 月から約 1 年半の間を書きつづった日記文学の傑作です。藤原道長の娘で一条天皇の中宮・彰子に仕えた紫式部が、彰子の二度の皇子出産とその祝賀の様子を中心に、当時の最高権力者・道長をめぐる様々な状況がいきいきと書かれています。「紫式部日記絵巻」は、日記が書かれた約 250 年後の鎌倉時代前期に絵巻にした作品です。もとは全10巻程度の巻物でしたが、現在は4巻分が伝わり、五島美術館のほか、大阪の藤田美術館、東京国立博物館、個人コレクターが所蔵しています。詞書の筆者は鎌倉時代の能書家・後京極良経、絵の作者は鎌倉時代の藤原信実と伝えられています。 五島美術館が所蔵する3段分は、大正 9 年( 1920 年)に名古屋の森川勘一郎( 1887 〜 1980 )が発見した巻子本(全5段)の内の第1・2・4段目にあたり、昭和 7 年( 1932 年)に益田鈍翁( 1847 〜 1938 )が購入し、戦後、高梨家を経て五島美術館が所蔵することとなったものです。 (注)現在発行されている 2000 円札の裏の左側には、五島美術館が所蔵する 「源氏物語絵巻」の「鈴虫二」の左上の部分と「鈴虫一」の冒頭の 詞書の 部分が使われ、また右下の円形のところには、 「紫式部日記絵巻」の第 1 段で紫式部が蔀戸(しとみど)を開けている場面が使われています。
3.充実した特別展を次々に開催 東京には個人コレクションを基にした私立美術館がいくつもあり、所蔵品の分野や質、美術館の構造などにより、それぞれ独自の企画展を開催しています。五島美術館のすばらしいのは、内容が充実して見ごたえのある特別展を次々に開催していていることです。ここ10年間でみても特に記憶に残る特別展が次ぎのとおり開かれています。 「牧谿…憧憬の水墨画…」( 1996.10.26 〜 11.24 ) 「鈍翁の眼…益田鈍翁の美の世界…」( 1998.10.31 〜 11.29 ) 「茶の湯 名碗 …茶碗に花開く桃山時代の美…」( 2002.11.9 〜 12.8 ) 「茶の湯 名碗 …新たなる江戸時代の美意識…」( 2005.5.14 〜 6.19 ) 「牧谿」(もっけい)展は、日本の水墨画に多大の影響を与えた中国の画僧・牧谿の50点近い作品が展示されという“史上初めての大規模な牧谿展“でした。牧谿の傑作で、北山・東山御物を代表し、中国絵画史でも特筆に価する名品として知られる国宝「観音猿鶴図」が京都の大徳寺から出品されたのを初め、足利義満、義政が愛蔵していた逸品中の逸品「 瀟湘 八景」のうち国宝の「煙寺晩鐘図」、同「漁村夕照図」など現存する7図すべてが集められたことは驚くばかりでした。このとき作られた図録は牧谿に関する事項が網羅されていて、まるで“牧谿百科事典”ともいえるものです。 近代日本の最大の数寄者・益田鈍翁の生誕 150 年と没後 60 年を記念して開かれた特別展「鈍翁の眼」は、鈍翁の全貌を知るうえで注目された展覧会でした。ここでは、鈍翁が井上世外(馨)から譲り受け現在では奈良国立博物館所蔵となっている平安仏画の優品の国宝「十一面観音像」、歌仙絵巻中の最高傑作といわれる佐竹本三十六歌仙絵巻断簡「斎宮女御」をはじめ、かつて狩野探幽が所持し大寄せの茶会“大師会”の発端となった「崔子玉座右銘断簡 空海筆」、鈍翁の雅号のもとになった「黒楽茶碗 銘鈍太郎」など、国宝6件、重要文化財20件が展示されました。茶道具・古美術など蒐集した数が 8000 とも 1 万ともいわれる膨大な鈍翁コレクションからみると数少ないとはいえ、散逸したコレクションから珠玉の名品が一同に会したこの展覧会は“幻の鈍翁美術館”が出現したかのようでした。 「茶の湯 名碗」展は、五島美術館と名古屋の徳川美術館とが共同で企画し、2回にわたって開催されました。平成 14 年の展覧会では、室町時代後期から桃山時代に焼かれた国宝「大名物 油滴天目」、重要文化財「青磁茶碗 銘馬蝗絆」、国宝「大名物 井戸茶碗 銘喜左衛門」など唐物や高麗茶碗が数多く展示され、五島美術館を代表する名碗「鼠志野茶碗 銘峯紅葉」と根津美術館の「鼠志野茶碗 銘山端」(いずれも重要文化財)という桃山時代の両雄が並んで展示されるという豪華版でした。平成 17 年の方でも江戸時代前期に作られた高麗茶碗、華麗な京焼や光悦、楽の名碗が勢ぞろいしました。 これら好評だった「牧谿」、「鈍翁の眼」の図録はいずれも五島美術館では売り切れで、今ではなかなか入手が難しいようで、わが家の“展覧会図録コレクション”なかでも価値の高いものとなっています。 今後も五島美術館の特別展には特に注目し、そして特別展を見たら図録を買って帰ろうと思っています。 4.気品ある建物は 吉田五十八の設計 五島美術館の建物は、芸術院会員で文化勲章を受章し、数奇屋建築の第一人者として知られる吉田五十八( 1894 〜 1974 )が設計したものです。所蔵する国宝「源氏物語絵巻」「紫式部日記絵巻」にふさわしい寝殿造りの意匠を随所にとり入れた鉄筋コンクリート造りの和風近代建築です。吉田五十八が手がけた建物としては、奈良・学園前にあるなまこ壁の美しい大和文華館、上野公園内の日本芸術院会館、青梅の玉堂美術館などがあげられますが、いずれも日本的な優雅な雰囲気を漂わせた気品ある建物です。 美術館の敷地は約 5000 坪で、庭園も格好の散歩コースです。入口の向かい側には青々とした芝生が広がり、階段を下りて左に進み門を過ぎると、茶室「古経楼」と「富士見亭」があります。古経楼は創立者の五島慶太の雅号です。また「富士見亭」は立礼席で、席からの眺める秋の紅葉は格別です。 庭園は武蔵野の雑木林の台地から多摩川に向う斜面のため、散歩するには起伏に富んだ道を歩くことになりますが、庭師による手入れが行き届いていて感じの良い所です。庭園の奥まった南の傾斜地には、東京都の天然記念物に指定されている樹齢 250 年のコブシの老木があります。およそ3年に一度開花するといわれますので、ぜひ春先に伺って満開の姿を見たいものです。
美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。 1.館蔵・秋の名品展「絵画・墨蹟と李朝の陶芸」 館蔵品の中から、国宝「紫式部日記絵巻」のほか 重要文化財「佐竹本三十六歌
2.「東北大学の至宝…資料が語る1世紀…」 ( 東北大学創立 100 周年記念展示 ) 会 期: 2007.9.1 〜 10.14 1907 年(明治 40 年)に日本で3番目の帝国大学として建学された東北大学創立 100 周年記念の企画展です。東北大学は、狩野文庫や漱石文庫等の歴史・文学資料、河口慧海(えかい)のチベット仏教資料、アンモナイト等の古生物の化石、土偶等の考古学資料、医学標本や植物標本など、国宝・重要文化財を含む貴重な資料を多数所蔵しています。この展覧会では東北大学のこれまでの歩みを紹介するとともに、開学以来長年にわたり蓄積してきた貴重な資料が公開されます。
3.「文豪・夏目漱石…そのこころとまなざし…」(東北大学創立 100 周年記念展示) 会 期: 2007.9.26 〜 11.18 文豪・夏目漱石の生涯の歩みを、東京に初めて里帰りする東北大学「漱石文庫」の漱石の旧蔵品をはじめ自筆の書・絵画、その他関連資料など計 800 点余が展示されます。「漱石文庫」は、弟子の小宮豊隆が、太平洋戦争の空襲による焼失を避けるため、漱石最期の住居「漱石山房」から、自らが図書館長を務めていた東北帝国大学附属図書館に移動させて奇跡的に残った蔵書約 3000 冊を初めとする漱石ゆかりの貴重な資料群です。 (注)以上の2つの展覧会は、両国の江戸東京博物館で開かれます。 9/26 から 10/14 までは同日両方を見学できます。 臨済宗の名僧・仙?? の没後 170 年の回顧展です。仙?高 フ水墨作品はきわめてユーモラスかつ自由奔放で、斬新な表現や大胆なデフォルメにより、「楽しくて、かわいい」と感じる不思議な魅力に満ちています。出光美術館の仙?鴻Rレクションは日本最大の量の質と誇るものです。 昨年、開館 40 周年を迎えたのを契機として、新たにルオーとムンク専用の展示室が造られ、開館当初からユニークな存在だった陶片室も全面改装して展示ケースを一新し、陶片ばかりでなく完形品も並べられています。 以上
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・・・ My Museum Walk ・・・ 『わたしの美術館散策』(11) 井出 昭一 益子参考館 …濱田庄司が蒐集した工芸品と“館” …
〒 321-4217 栃木県芳賀郡益子町益子 3388 1.民芸の拠点“益子”と濱田庄司 栃木県の益子は今や日本を代表する陶器の里として広く海外にも知られています。“益子焼”は、素朴でぬくもりを感じる焼き物です。しかし、その歴史は常滑、瀬戸、越前、信楽、丹波、備前などいわゆる中世「六古窯」と比べると決して古いとはいえません。江戸時代末期に笠間で修行した大塚啓三郎が益子の地に窯を築いたことに始まるといわれていますので、笠間よりもさらに新しい窯場です。そこで作られる陶器は、美濃・京都・唐津などの茶陶や鑑賞用の陶器ではなく、日用の生活道具として使われる鉢、水甕、土瓶などでした。益子には優れた陶土が産出したこと、陶器の大消費地の江戸・東京に近いことなどから、明治以降になって急激に発展しました。 益子という名はあまり知られていませんでしたが、その名を世界的に有名にしたのは 濱田庄司です。しかし、 1894 年(明治 27 年)川崎で生まれ、東京で育った濱田は益子とは全く無縁でした。 近代陶芸の祖といわれる板谷波山を慕って蔵前の東京高等工業学校の窯業科に入学した濱田が波山に弟子入りを頼んだところ「弟子は困る。友人としてならいつでも来てくれ」といわれて田端の波山宅に出入りするようになり、茨城県下館の生まれの波山から「益子とはわずか 6 里でよく知っている」と言われたのが“マシコ”の名前を聞いた始めだったと濱田本人が語っているほどです。 1924 年(大正 13 年)濱田庄司は、「陶芸家」としてではなくひとりの「陶工」として、益子を生涯の作陶地と定め、益子の土と釉薬をもとに民芸の心を表す雄勁で健康美あふれる作品を次々に生み出しました。 濱田は、自分の作陶活動を「制作」といわず「仕事」といい、「私の陶器の仕事は、京都で道を見つけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」とか、大皿に釉薬を柄杓で流掛けするのを、あまり速過ぎて物足りないといわれた人に対して「これは 15 秒プラス 60 年です」など数々の名言を残しています。 現在、益子には窯元約 380 、陶器店 30 のほか益子焼窯元共販センター、益子陶芸美術館(陶芸メッセ益子)などがあり、益子陶器市も春・秋年 2 回開催されるなど関東最大の陶器の中心地ですが、その中核となっているのが益子参考館です。 2.濱田庄司と益子参考館 益子参考館の設立は 1974 年(昭和 49 年)で、開館は 1977 年(昭和 52 年)です。濱田庄司が約 50 年にわたって 10 数回に及ぶ海外旅行とたびたびの国内旅行の機会を通じて、収集した古今東西の生活工芸品は数千点に達しました。それらを身近に置いて自分自身の心の養いとするとともに、広く一般の人にも参考にしてほしいとの願いから、美術館ではなく“参考館”と名付けました。 建物も工芸品として、最盛期には近在から移築した大小 20 以上の建物が点在していたそうですから、まさに“民家博物館”の様相を呈していただろうと思います。 現在の益子参考館は、 長屋門(1号館)、石蔵2棟(2・3号館)、上台(うえんだい)と呼ばれる茅葺母屋(4号館)の4棟および工房の建物と登窯、塩釉窯、赤絵窯からなっています。 入り口は長屋門で、左が受付、右が1号館となっています。1号館の隣接している2号館と正面の3号館は真岡市の岡部家から移築した栃木県特産の大谷石で囲まれた蔵で、そこには 濱田庄司が収集した多種多様の工芸品を始め、生涯の親友であった 河井寛次郎や僚友バーナード・リーチのスリップウェアーの作品も展示されています。 濱田庄司館は長屋門を活用したもので、 1989 年(平成元年)開設されました。ここには豪快な釉薬の流掛けの大皿、塩釉の壺、柿釉抜絵大鉢など濱田の代表的な作品が並べられています。 さらに進むと濱田が住居としていた茅葺きの母屋があります。これは 上台(うえんだい)(4号館)と呼ばれ、益子町七井の豪壮な民家の高野家を 1942 年(昭和 17 年)移築したものです。濱田と親交のあった文化人が数多く訪れていますが、最初の泊まり客は 青山二郎・武原はん夫妻だったそうです。 生前の仕事場だった工房と登窯、塩釉窯、赤絵窯などをそのまま残されていて、いまでも濱田庄司が仕事着姿で現れてくるような佇まいです。このように益子参考館では、“偉大な凡人”濱田庄司の目指した民芸陶器の真髄に触れるとともに、打ち解けた雰囲気に浸ることができるところです。
3.民芸を中軸にした親密集団 民芸ということばは、今では広く一般に知れ渡っていますが、このことばが誕生したのは、 1925 年(大正 14 年)、濱田庄司、柳宗悦、河井寛次郎が、伊勢へ向かう汽車の中でした。「アーツ(芸術)」でもなく「クラフト(工芸)」でもない意味の「民衆工芸」を略して「民芸」とした造語だとわれています。 翌 1926 年(大正 15 年) 10 月、柳宗悦が「日本民藝美術館設立趣意書」を発表して民芸運動が始められましたが、この運動に賛同した濱田庄司、河井寛次郎、富本憲吉、バーナード・リーチ、新垣栄三郎(以上、陶磁)、棟方志功(板画)、芹澤?_介(染色)、黒田辰秋(木工)、青山二郎(評論)などの交流は羨ましいほど親密だった様です。そしてその背景には、民芸運動を深く理解し、経済的な支援を惜しまず続けてきた大原孫三郎・総一郎父子と山本為三郎の尽力があったことも忘れてはなりません。
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現在、民芸を実感できる“館”は、全国に数多くありますが、益子参考館のほか主なものを北から列挙すると下記のとおりです。 1) 「棟方志功記念館」 青森市松原 2-1-1 電話 017-777-4567 http://www.lantecweb.net/shikokan/ 棟方志功の生まれ故郷の青森に造られた記念館で、初期から中期にかけての代表的板画をはじめ、倭絵、油絵、書などを 30 〜 40 点を展示。 2) 「日本民藝館」 東京都目黒区駒場 4-3-33 電話 03-3467-4527 柳宗悦を中心に濱田庄司、河井寛次郎、青山二郎などが企画・推進した民藝運動の本拠として、大原孫三郎らの支援により昭和 11 年に開館。常時、約 500 点を公開展示。 3) 「静岡市立芹沢?_介美術館」 静岡市駿河区登呂 5-10-5 電話 054-282-5522 芹沢?_介が郷里の静岡市に作品とコレクションを寄贈されたのを機に建設された染色専門の美術館。弥生時代の遺跡として有名な登呂遺跡の一角に位置し、建物も建築家白井晟一の代表作。芹沢の住居と工房も東京の蒲田から移築。 4) 「 河井寛次郎記念館」 京都市東山区五条坂鐘鋳町 569 電話 075-561-3585 http://hcn.plala.or.jp/fc211/sagi/ 記念館は河井寛次郎が昭和 12 年に自ら設計し、昭和 41 年 76 歳で亡くなるまで住居としていた建物。蔵前の東京高等工業(現東京工大)窯業科に濱田が入学したとき河井は 3 年生。卒業後、濱田は河井のいる 京都陶磁器試験場の入所し、共同して釉薬を研究。 濱田庄司とは生涯の友。
6) 「アサヒビール大山崎山荘美術館」 京都府乙訓郡山崎町大山崎 電話 075-957-3123 http://www.asahibeer-oyamazaki.com/ アサヒビールの初代社長山本為三郎は企業メセナの草分け的存在で、昭和初期に柳宗悦の民芸運動を支援。親交のあった濱田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチ、富本憲吉の作品を収集しそのコレクションを展示。本館は大正期に建てられ昭和初期に増築築された加賀正太郎の木造山荘で、新館は安藤忠雄が設計したコンクリート打ち放しの近代的建物。 7) 「大原美術館」 岡山県倉敷市中央 1-1-15 電話 066-422-0005 http://www.ohara.or.jp/200606/jp/menu.html 大原美術館は大原孫三郎が画家児島虎次郎を記念して昭和 5 年に設立した日本最初の西洋美術中心の私立美術館。その後、西洋美術から日本美術、民芸運動にかかわった濱田庄司、河井寛次郎、富本憲吉、棟方志功、 芹沢?_介などの 作品まで広げ、ユニークな民間総合美術館として海外でも有名。 [参考] 「板谷波山記念館」 茨城県筑西市田町甲 866 電話 0296-25-3830 民芸とは直接関係ありませんが、東京美術学校で岡倉天心、高村光雲に師事し、濱田庄司、河井寛次郎の師匠であり、 日本陶芸界の巨匠で、陶芸家として初めて文化勲章を受賞した板谷波山の記念館が筑西市(旧:下館)にあります。東京から車で益子に行く際には、その途中ですから、立ち寄ることもできます。昭和55年、波山の生家の敷地内に開館し、平成7年、新たに生家、庭園、工房(東京の田端にあった)、展示館を整備し記念公園として一般公開されています。 生涯を通じて金銭には淡白で、極めて質素な生活を送ったといわれていますが、その作品はそのような生活の匂いを全く感じさせない気品が溢ふれ高貴さを漂わせている作品ばかりです。出光美術館が波山の優品を数多く所蔵しています。
美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。 日本の自然や風物を詩情豊かに表現した川合玉堂の没後 50 年記念展です。 玉堂の「鵜飼」、「雨後」、「春風春水」「山雨一過」など、橋 本雅邦に師事した初期の作品から晩年に至るまで 約 50 点 のほか、師の望月玉泉、橋本雅邦、弟子の児玉希望、孫弟子の奥田元宋、佐藤太清ら、玉堂ゆかりの作家たちの作品も展示されます。
2. 「美の求道者…安宅英一の眼…安宅コレクション」
3. 「平山郁夫 祈りの旅路」展 平山郁夫の喜寿記念企画で、代表作約 80 点が展示されます。「仏教伝来」など仏教に関する伝説や逸話に基づく作品で注目を浴びた後、玄奘三蔵の道を追体験してシルクロードを旅し、その光景を題材に歴史画ともいうべき独特の世界を築き上げ、薬師寺の玄奘三蔵院の大壁画となって実を結びました。全体を「仏陀への憧憬」「玄奘三蔵の道と仏教東漸」「シルクロード」「平和への祈り」の 4 章に分け、平山郁夫の芸術の軌跡を辿る構成となっています。
4. 「生誕 120 年…バーナード・リーチ…生活をつくる眼と手」 バーナード・リーチ( 1887 〜 1979 )は、 20 世紀のイギリスを代表する陶芸家です。民芸運動に関わった柳宗悦、濱田庄司、富本憲吉などとも親交を持ち、日本各地で作陶活動を続けました。この展覧会では、単にリーチを陶芸家としてではなく、生活との関わりの中で造形を考え制作に励んだ芸術家としての創作活動を振り返り、リ−チの陶磁器、エッチング、素描、家具など約 130 点の作品が展示されます。
5. 「自画像の証言…東京藝術大学創立 120 周年記念企画…」 東京藝術大学大学では、明治期の東京美術学校時代から現在に至るまで卒業制作として自画像を描くことが慣例になっていて、その数は 5000 点に近いといわれています。今回は約 3 %強に当たる 170 点が展示されています。明治、大正、昭和、平成と4世代にわたって、その時代と卒業生の個性を微妙に反映している状況を感じることができるユニークな展覧会です。大成した数多くの画家の若々しい姿に出合えます。 |
・・・My Museum Walk・・・『わたしの美術館散策』(10) 井出 昭一 国立西洋美術館 …日本における西洋名画の殿堂…
〒110-0007 東京都台東区上野公園7−7
いま六本木ヒルズの森美術館で「ル・コルビュジエ展」が開かれています。ル・コルビュジエは建築界の巨人、近代建築の始祖、20世紀最大の建築家などと呼ばれています。そのル・コルビュジエが設計した日本で唯一の建物が上野公園の国立西洋美術館で、松方コレクションを収蔵して話題も豊富な美術館でもあります。 1.松方コレクションと国立西洋美術館 国立西洋美術館は印象派など19世紀から20世紀前半の絵画・彫刻を中心とする松方コレクションを基として1959年(昭和34年)に設立されました。
1916年(大正5年)頃、川崎造船所の社長を務めていた松方幸次郎(1865〜1950)がロンドンのオークションで絵画を購入したことが収集の契機あったといわれています。その後、モネやロダンから直接作品を購入したり、画商から購入する際には1品ずつではなく、ステッキで「ここからここまで」と指して大胆にまとめ買いをしたという逸話も伝えられています。当時の松方の資金力は三千万円で現在の通貨価値に換算すれば300億円程度と推定される金額です。コレクションの対象は絵画、彫刻、工芸品のほか海外に流出していた浮世絵などで、その点数は絵画2千点、浮世絵8千点に及んだようです。 松方幸次郎の収集した作品は、第2次世界大戦後、フランス政府により敵国資産として凍結されていました。その松方コレクションのほとんどが日本に返還される際の条件として、現在の国立西洋美術館の本館が建設されることになりました。基本設計はル・コルビュジエで、その弟子である前川國男・坂倉準三・吉阪隆正が実施設計を担当し1959年(昭和34年)に完成しました。
20世紀建築界の巨人といわれるル・コルビュジエが設計した日本における唯一の作品が本館です。また1979年(昭和54年)には新館が、1997年(平成9年)には前庭の地下に企画展示館が完成しましたが、この二つの建物は前川國男(1905〜1986)の設計事務所が設計したものです。前川國男が手がけた建物としては、上野公園内だけでもこの国立西洋美術館新館のほか、その向かいに建つ東京文化会館と噴水池の西側の東京都美術館と3館もあります。
2.西洋美術の宝庫 国立西洋美術館では、松方コレクションに加えてルネサンス期より20世紀初頭までの西洋絵画・彫刻作品の購入も進めてきましたので、現在日本で西洋のオールド・マスター(18世紀以前の画家)たちの作品をまとめて鑑賞できる唯一貴重な場となっています。
本館には、18世紀以前に活躍したルーベンス、ロイスダールなどのオールドマスターの絵画やキリスト教を主題とした宗教画が展示されています。 なお、美術館の前庭にはロダンの大作「地獄の門」(ダンテの『神曲』より)、「考える人」、「カレーの市民」、ブールデルの「弓をひくヘラクレス」など彫刻の代表的名作も屋外に展示されていますので、東京国立博物館への往復にはこの前庭を横切りながら行くことにしています。これらの彫刻はすべて男性ばかりですから、絵画の方は本館内でめぐり逢える目の覚めるような5人の美女を制作年代順に紹介します。 ?@ドルチ「悲しみの聖母」1650年
3.ル・コルビュジエ建築の標本 博物館・美術館など大規模の建物が集中する上野公園の中で、この国立西洋美術館の建物は決して大きくもなく目立つ方ではありません。外壁に緑色系の石が貼られている大きな四角い箱が浮いているといった感じです。 この建物に入って1階正面の常設展示場入口を抜けると、三角の明り取りの窓から自然光が差し込む明るい広場に出ます。ここは「19世紀ギャラリー」とコルビュジエ自身が名付けた天井の高い吹き抜けの空間で、その中にはロダンの彫刻作品が並んでいます。階段はなくスロープ(斜路)を経由して2階へと進みます。このようなスロープはコルビュジエが設計したインドのアーメダバード美術館にも同様の造りがあるといわれています。2階は吹き抜けのホールを回廊型の展示室がぐるっと取り囲んでいます。内装は柱を含めてコンクリートを打ち放しとなっています。 コルビュジエは建築の寸法を決める単位として「モデュロール」という身体のサイズを利用した特別の定規を提案しています。これは人間の身長を基に決めるもので、例えば人間が腕を上にあげると226cmとなり(ただしヨーロッパの男性を基準としていますが)、これを天井の高さとする尺度を採用し、内部、外壁、前庭の石畳の大きさ、柱間の幅などもモデュロールに基づいているそうです。例えば2階の天井は、高い部分と低い部分が組み合わされていますが、その高さは低い天井は226cm、高い天井はその倍の高さとなっています。 私はこの美術館を訪れる都度、2階の天井が低いので圧迫されるような感じを受け疑問に思っていましたが、モデュロールに基づいて決められているということを知って“半分”納得した次第です。“半分”というのは、日常生活を送るためには226cmの天井でも落ち着いて良いのかもしれません。しかし、絵画を展示して来館者に鑑賞してもらう空間としては、高い天井の方が良いのではないかと思うからです。
4.美術館で美術館を見る 国立西洋美術館では、「ミロのビーナス」(1964.4.18〜5.17)、「ジャポニズム展…19世紀西洋美術のへの日本の影響…」(1988.9.23〜12.11)、「バーンズ・コレクション展」(1994.1.22〜4.3)、「西美をうたう…短歌と美術が出会うとき…」2000.7.25〜10.29)のようにいつまでも脳裏に残るような展覧会が数多く開かれてきました。近年開かれた中で楽しくユニークな“展覧会”は、平成16年(2004年)6月29日から9月5日まで開かれた「建築探検・ぐるぐるめぐるル・コルビュジエの美術館」です。 美術館には展示してある絵画や彫刻などの美術品を見に行くのが通常の姿ですが、この企画は“美術館に美術館”を見に行くというもので、ル・コルビュジエの設計した国立西洋美術館の建築を解説付きで見せるというものでした。 常設展示室に建築探検のために16のチェックポイントが設定されていました。そのチェックポイントとは、(1)トップライト、(2)床照明、(3)ランプ(斜路)、(4)中3階、(5)回遊空間、(6)バルコニー、(7)天井の高さ、(8)旧館長室トイレ、(9)屋上庭園、(10)独立柱、(11)雨樋、(12)照明ギャラリー、(13)律動ルーバー、(14)ピロティ、(15)柱と柱の間隔、(16)石畳・外壁です。 これを一巡するとル・コルビュジエの意図した建築の「しかけ」のほとんどが判るというわけです。探検のための16項目を分かりやすく解説したパネルや丁寧なパンフレットも用意されていて、なかなかすばらしい企画でした。 というのはル・コルビュジエ建築の特徴である「近代建築の5原則」(1)ピロティ(柱)、(2)屋上庭園、(3)自由な平面、(4)横長の大きな窓(水平連続窓)、(5)自由なファサード(正面)の5項目が国立西洋美術館の建物に反映されているということを実際に検分することができたからです。
5.“ウェル.com 美術館”を目指して 国立西洋美術館では、「FUN DAY 2007」として、今年の5月12日と13日の2日間、終日無料開放して、子供も大人も楽しめるプログラムを用意するというイベントを実施しました。 その中には、ボランティア・スタッフと一緒に常設展の作品4〜5点を約40分かけて見学するハイライト・ツアーのほか、一般来館者向けの建築ツアーとして西洋美術館の本館のなかで気づかないで通り過ぎてしまっているル・コルビュジエの様々な工夫を館のスタッフが解説するという企画もありました。私は都合が悪く残念ながら参加できませんでしたが、今後このような企画があれば是非参加したいと思っています。 また、国立西洋美術館では、敷居が高いと批判されている美術館を気楽に活用してもらうため “ウェル.com美術館ユビキタス・ネットワーク” というプロジェクトを推進しています。その内容は、IDによる収蔵品の管理や、NHKの映像アーカイブの視聴、オンデマンド印刷、携帯端末と連携した美術館サービスの提供、3DCGによる“3次元デジタルアーカイブ”などITを一体化したものです。同館に収蔵されている約5000点の作品すべてを約3年程度かけてデータ化していく予定だということですから、完成の暁には収蔵品に関するいろいろなデータを容易に検索でき、作品の解説などを効率的に見ることができそうです。 ちなみに“ウェル.com”の名称は“ウェルカム”であり、もっと気軽に美術館に足を運んでほしい、という願いが込められているそうです。 毎月第2と第4土曜日は、常設展示を無料で参観できますが、このことはあまり知られていません。なお国立西洋美術館には、先ほどの逞しい男性とか美女のほか、マネ、モネ、ピサロ、シスレーなど印象派の絵も数多く揃っていますので、常設展示とはいえ充分楽しめます。
美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。 1.国立西洋美術館の設計者ル・コルビュジエに関する展覧会を2件紹介します。 20世紀最大の建築家ル・コルビュジエは多くの絵画や彫刻を生み出した画家の一人でもありました。この展覧会ではル・コルビュジエの人間としての魅力を通して建築、絵画、家具までの多彩な業績を約300点の作品で紹介しています。 ?A「ル ・コルビュジエ:アンビルト…未完の建築…」
2.「日展100年」…一目でわかる!日本美術この100年… 3.「古染付展」 石洞美術館は平成18年(2006年)4月開館した新しい美術館で、千住金属工業株式会社本社ビル内にあります。京成線の「千住大橋」駅のホームからも見える銅板葺きの三角屋根を持った煉瓦タイルの六角形の目立つ建物です。古染付は中国明時代末期の景徳鎮で焼かれた磁器です。その特徴は染付の色が鈍い青色で、「虫喰い」と呼ばれる釉が剥げた部分が散見されることです。茶人はその粗雑さの中にも風雅の味わいを見出し愛好されたものです。日本で有数の古染付コレクションといわれる収蔵品の中から約百点が展示されています。 (了) |
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・・・My Museum Walk・・・『わたしの美術館散策』(9) 井出 昭一 ブリヂストン美術館 …都心で東西の近代名画に会えるスポット…
〒104-0031 東京都中央区京橋1-10-1 東京駅の近くにありながら意外に知られていないのがブリヂストン美術館です。都心に出て、時間の空いたときにフラリと立ち寄れる東西の近代名画を常時展示している美術館です。 1.東京駅から最も近い美術館 昭和50年以降、日本全国各地に美術館が続々と開館しました。このうち西洋の近代絵画を展示する美術館としては、昭和53年に会館の広島のひろしま美術館、昭和62年の愛知県の小牧市にメナード美術館、平成14年の箱根の仙石原にポーラ美術館が挙げられます。(注) これら美術館の所在地をみますと、東京から離れた地方都市に多く、東京にあるのは国立西洋美術館とブリヂストン美術館のみです。 ブリヂストン美術館の開館に際し、創立者の石橋正二郎(1889−1976)は「ニューヨークのモダンアートミュージアム(ニューヨークニューヨーク近代美術館)はロックフェラーセンターにあって最も便利で、一寸飛び込んで観られるように造られて居り、吾々の今迄の観念では、美術館というと大きな公園の中に建てられた立派な大理石造りの宮殿式のものを考えますが、交通の最も便利な都心にある此のブリヂストンビルの中に(美術館を)開設することは、理想的であると考え、決意した次第であります。」と語っています。その言葉どおり、東京の中心・東京駅から徒歩でわずか5分、そんな至近距離のところで西洋絵画の名品にいつでも会えるということは本当に幸せなことです。
(注)参考までに各美術館の概要は下記の通りです。 ?A国立西洋美術館http://www.nmwa.go.jp/index-j.html ?Bひろしま美術館http://www.hiroshima-museum.jp/ ?Cメナード美術館http://www.menard.co.jp/museum/home/index.htm ?Dポーラ美術館http://www.polamuseum.or.jp/index.php
2.石橋コレクションのひとつの柱…青木繁・坂本繁二郎・藤島武二… ブリヂストン美術館は、石橋正二郎が注力して収集した東西近代絵画を中核としています。コレクションの契機となったのは、石橋正二郎の小学生時代の恩師・坂本繁二郎の勧めで、同郷の久留米の天才画家・青木繁の作品を集めたのが始まりだといわれています。師である坂本繁二郎の絵は当然所蔵していますが、藤島武二とも親交を深め、画家本人から多数の絵を直接譲り受けています。したがって、青木繁の「海の幸」「わだつみのいろこの宮」(ともに重文)、坂本繁二郎の「帽子を持てる女」「放牧三馬」、藤島武二の「黒扇」「天平の面影」など3人の巨匠の代表的作品はすべて石橋コレクションに収まっています。 コレクションのもうひとつの柱は西洋近代絵画です。石橋正二郎は終戦の昭和20年から収集を始め、昭和27年の開館までに50〜60点を購入されました。そのほとんどは、戦前のコレクターの林忠正、松方幸次郎、黒木三次、福島繁太郎、細川護立、和田久左衛門の所蔵品で、フランス印象派と現代絵画を主軸としています。 セザンヌの「サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」「帽子をかぶった自画像」、モネの「黄昏・ヴェネツィア」「睡蓮」、マティスの「両腕をあげたオダリスク」など、教科書にも掲載されている名品も数多く美術館の顔ともなって広く知られています。 絵画ばかりではなくロダン、ブールデル、マイヨール、マリーニなどの彫刻もコレクションに加わりその幅がいっそう拡大充実しています。 現在、ブリヂストン美術館には、印象派、ポスト印象派、マティス、ピカソらの20世紀美術など約1600点の作品が収蔵されています。これらは「絵画」「水彩・素描」「版画」「彫刻」「陶磁器」に分類され、作家名によって検索できるという便利な仕組みになっています。 3.ブリヂストン美術館と姉妹館・石橋美術館 ところで、ブリヂストン美術館の名前は創立者でコレクターの姓「石橋」を英語風に 「Bridgestone 」といい換えたもので、間違え易いですが「ブリジストン美術館」ではありません。 石橋正二郎は18歳から地下足袋から事業を起こし、タイヤ製造の大企業に発展させ、昭和27年(1952年)にブリヂストンタイヤ株式会社創立二十周年を記念し、京橋の本社ビルの2階全部400坪を「ブリヂストンギャラリー」として美術館を開館しました。 また、昭和31年(1965年)4月には久留米市に石橋文化センターを寄贈し、その中心施設としてブリヂストン美術館の姉妹館でもある石橋美術館を開館しています。 石橋美術館には石橋コレクションのうち日本の近代洋画が展示されています。青木繁、坂本繁二郎、藤島武二のほか、久留米出身の古賀春江、九州出身の黒田清輝(鹿児島)の「鉄砲百合」、岡田三郎助(佐賀)の「水浴の前」「婦人像」、久米桂一郎(佐賀)、和田英作(鹿児島)なども多数収められています。 さらに、浅井忠、梅原龍三郎、安井曾太郎、小出楢重、岸田劉生なども所蔵されていますので、近代日本の洋画を研究するに際して“ほんもの”に接するには、どうしても京橋のブリヂストン美術館と久留米の石橋美術館の両館を訪れなければなりません。 4.多彩なイベントを継続して開催 ブリヂストン美術館は、所蔵の内外の絵画、彫刻等を展示公開するばかりではなく、外国から名品を借りて展覧会を開いたり、文化講演会、映画会、音楽会など多彩なイベントを先駆けて催すなど、美術の普及活動に注力してきました。 開館以来、半世紀以上継続しているのが土曜日開催の講演会です。美術を中心に芸術・文化のさまざまなテーマを年間数シリーズに分けて開催しています。学芸員によるギャラリートークも毎週水曜日と金曜日に行なわれています。これは予約の必要はありませんので、気楽に参加できます。さらに、ファミリープログラムとして、小学生を対象に親子で美術を楽しむイベントもあります。美術館スタッフと展示室でゲームやクイズを通して作品を楽しんだり、家族で絵画や彫刻の魅力に触れることができるものです。館内のホールでは、コンサートをはじめ、美術作家のDVDの上映など、多彩なイベントを開催していることもこの美術館の特色となっています。 因みに、昭和44年(1969年)、竹橋に東京国立近代美術館の建物を寄付したのも石橋正二郎ですから、戦後の日本で東西の名画の普及に努めた功績は図り知れないものがあります。
美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。 1.「青山二郎の世界」展
2.「ル・コルビュジエ展」…建築とアート、その創造の軌跡… 今年の1月に開館した国立新美術館に続いて、サントリー美術館が3月末にオープンし、これら2館に森美術館を加えた3館は、三角形を描く「六本木アート・トライアングル」として売り出し中です。 3.「金刀比羅宮 書院の美」…応挙・若冲・岸岱… 4.「中国・青磁のきらめき」…水色から青・緑色の世界… (了) |
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・・・My Museum Walk・・・『わたしの美術館散策』(8) 井出 昭一 箱根美術館 …併せて見たい強羅公園内の白雲洞茶苑…
〒250-0408 神奈川県足柄下郡箱根町強羅1300
1.MOA美術館より早くに開館 この美術館は、縄文時代から江戸時代までの日本の古陶磁を展示しています。とくに中世古窯の力強く重厚な作品、たとえば常滑・瀬戸・越前・信楽・丹波・備前・渥美・珠洲といった代表的な窯の特色を表した作品がまとまって常設展示されているという点で、小規模ながら他に例をみない陶磁器専門のユニークな美術館です。 箱根美術館に行くには、JRの新幹線か東海道線または小田急小田原線で小田原までゆき、箱根登山鉄道に乗り換えて終点の強羅で下車し、さらにケーブルカーで2駅目の「公園上(こうえんかみ)」駅で降りると、目の前が箱根美術館です。 2.四季折々の変化を楽しめる苔庭 入口を入ってすぐ右側には青磁色の鮮やかな屋根をいただく建物が別館です。ここには美術館の創立者・岡田茂吉に関する資料、書、写真などが展示されています。橋を渡って「萩の道」を進むと、右側に「萩の家(はぎのや)」があり、書を愉しんだ岡田茂吉が揮毫の場所として使った部屋をそのまま残されています。 私が訪れた5月は、萩はまだ伸びていませんでしたが、秋になると道の両側から紅白の萩が垂れ下がって本館まで誘導してくれます。掃き清められた道を進むと竹林の先の本館に至ります。緑の苔に覆われている庭園は隅々まで手入れが行き届いていて、文字通り塵ひとつ落ちてません。 新緑のころは、澄み切った青空に淡い若葉が映えて、苔庭はまるでふんわりとした厚手のカーペットを敷き詰めた感じです。晩秋には紅葉が真っ赤に色づいて、ここは四季折々の変化を楽しめる“庭園”美術館でもあります。 苔庭の道を進むとその先には茶室「富士見亭」があります。この中には入れませんが、隣の茶室「真和亭」では、大きく開けた窓から苔庭を眺めながら抹茶をいただくことができます。 岡田茂吉は「光琳堂」という小間物商を営んでいたそうですが、その名前をつけたミュージアムショップには、館蔵品の光琳、仁清のデザインを使ったさまざまなグッズも売られていて楽しめるところです。
3.縄文から江戸時代までの日本陶磁器を常設展示 陶磁の展示室は本館に5室あって、1階の2室と2階1室は“中世やきもの”の常設展示場です。そこには、縄文火焔形土器深鉢(縄文時代中期)、弥生朱彩土器壷(弥生時代)、須恵器台付双角壺、重文の埴輪「天冠をつけた男子」をはじめ、常滑の大甕、瀬戸の広口壺、丹波の壺、越前の甕、信楽壺、備前緋襷壺、渥美の壺、珠洲の壺など約150点が整然と並べられています。 常滑、瀬戸、丹波、越前、信楽、備前は“六古窯”とことばで呼ばれ馴染んできましたが、その後、渥美、珠洲などの古窯の存在が明らかになったため、以前ほど使われなくなりました。しかし、平安、鎌倉時代以降現在まで延々とやきものを作り続けている窯場として、日本人であれば誰でも親しめるやきものの産地です。これらの窯の特徴を現した作品が一堂に会しているわけですから、日本陶磁の愛好家にとって勉強になるところです。 余談ですが、“六古窯”を覚えるのには、「とせえしたび(都政下火)」と頭文字を並べればよいと聞きましたが、確かに覚え易くて便利です。 本館の2階に上がると、大きな窓が設けられていて、正面には大文字山の「大」の字が眺望でき、ソファ−に座ると、窓枠を額縁にした大きな風景画を満喫できます。
4.強羅公園 白雲洞茶苑 箱根美術館には、茶室「山月庵」や「観山亭」がありますが、残念ながら公開されていません。そこで私が箱根美術館を見学した時に必ず訪れるのが、強羅公園内の“白雲洞茶苑”です。 箱根美術館を出て右に少し進んだところの西門から強羅公園に入ります。公園はフランス式整型庭園で、バラをはじめブーゲンビレア、熱帯植物などさまざまな花を楽しめるところです。ケーブルカーの「公園上(こうえんかみ)」駅と「公園下(こうえんしも)」駅の間の急斜面を活用して造られていますので、正門から急斜面を登ってゆくよりも、西門から下ってくるほうが楽です。この洋風庭園の一角に純和風の白雲洞茶苑があります。田舎家の茶席「白雲洞」をはじめ、「対字斎」、「不染庵」の三席があります。 「白雲洞」は、明治以降の最大数寄者といわれた益田鈍翁(孝)によって大正初期に造られ、その後、原三溪(富太郎)、松永耳庵(安左エ門)へと近代三大数寄者に継承されたという由緒ある茶席です。耳庵の筆になる「白雲洞茶苑の主人となるの記」が掛けられています。 三溪の時代に造られたのが「対字斎」で、床には鈍翁揮毫の「対字斎」の軸が掛けられていて、広縁の正面からは何者にも邪魔されることなく明神岳の大文字を望むことができます。また白雲洞の左奥には、二畳台目の「不染庵」がありますが、これは数々の茶席を残した仰木魯堂の作です。 長方形の石炉が据えられている寄付があったり、「白鹿湯(はくろうとう)」と呼ばれる岩風呂までが設けられていることは例のない独特の構成の茶室です。三溪の書いた白鹿湯の板額も掲げられていますので、鈍翁、耳庵と三人の書跡と対面しながら、偉大な数寄者に思いを馳せることができるところです。 耳庵が記しているとおり、この「白雲洞」は「春ハ桜、夏ハ涼風、秋ハ時雨ニ散る紅葉」を愉しめるところです。
美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。 1.「じっと見る…印象派から現代まで…」 モネ、ルノワールら印象派の画家をはじめ、ローランサン、藤田嗣治、モディリアーニなどのエコール・ド・パリの画家から、ピカソ、ポロックらの20世紀美術まで、ブリヂストン美術館の所蔵作品を中心に約150点が展示されていて、近代絵画の東西の名作を“じっと見る”ことができます。
2.「日本の幟旗(のぼりばた)」 逆L字型の竿に文字や絵を描いた細長い布を結びつけて掲げる幟旗(のぼりばた)は、日本の独特の文化です。この幟旗に焦点を当て、日本で唯一の北村コレクションを公開するという珍しい展覧会です。毎月第3水・土曜日には、西館(旧柳宗悦邸)も公開されます。 3.「モーリス・ユトリロ展…モンマルトルの詩情… 三鷹市美術ギャラリーは、市の文化ネットワークの一環として、三鷹駅南口のCORAL5階に平成5年10月に開館しました。午後8時まで開館しています。1883年パリに生まれまたモーリス・ユトリロの「白の時代」を中心に、後期の作品まで含めてその全貌をご紹介しています。 4.「茶道具…付属品とともにたのしむ…」 茶道具そのものほか仕覆・箱・添状などいわゆる付属品にも注目して展示する展覧会で
「日本におけるイタリア 2007・春」として、いま全国でイタリアの魅力を紹介するいくつかのイベントが開かれていまが、これはその一環として、駒場の東京大学構内にある博物館で開かれているものです。イタリアの都市の中心部にある「広場(ピアッツア)」に着目し、過去から現在までイタリア文化のエッセンスを紹介しています。 |
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・・・My Museum Walk ・・・『わたしの美術館散策』(7)
井出 昭一 MOA美術館 …美術品・建物・環境の三拍子そろって海も見える美術館… 〒413-8511 静岡県熱海市桃山町26-2 去る4月8日、会社時代の同期会が熱海で開かれたので、その翌日、久しぶりに訪ねたMOA美術館を取り上げます。 1.熱海美術館を改称してMOA美術館が誕生 MOA(エムオーエー)美術館は、ユニークな美術館です。 世界救世教の教祖・岡田茂吉(1882−1955)は、収集した陶磁器を公開するため、昭和27年(1952年)、箱根町強羅に箱根美術館を開館したのに続き、昭和32年(1957年)には、熱海市にその姉妹館として熱海美術館を開館しました。昭和57年(1982年)、創立者の生誕100年を記念して熱海美術館をMOA美術館と改称して本格的美術館がスタートしました。MOAとは、Mokichi Okada Association の頭文字です。 美術館に行くには、新幹線または東海道線の熱海で下車し、駅前からタクシーに乗れば5分で、駅前ロータリーの4番乗場から「MOA美術館」行きのバス(160円)に乗っても8分程度で桃山(270m)山頂の美術館に着きます。 なお、箱根美術館の方も健在で、縄文時代から江戸時代までの日本古陶磁を展示しています。中世古窯(常滑・瀬戸・越前・信楽・丹波・備前)の力強く重厚な作品が、まとまって常設展示されているという点で、こちらも他に例をみないユニークな美術館です。 2.各分野の優品がそろうコレクション MOA美術館には、国宝3点、重要文化財65点を含む約3500点の美術品が収蔵されています。その内容は、東洋美術を中心に絵画、書跡、工芸など各分野にわたり、モネなどの西洋画、マイヨール、ブールデル、ヘンリー・ムアなどの近代彫刻も含まれています。 美術館を代表する第1の名品は、尾形光琳の国宝「紅白梅図屏風」です。光琳の作品としては、根津美術館の国宝「燕子花図」と共に琳派の頂点として双璧をなすものです。この絵は、光琳が金箔の地に紅梅白梅と光琳独特の波の模様を描いたものとされてきましたが、金箔そのものまでも描いたことが科学的調査で解明され大きな話題を呼んでいます。 2番目は、仁清の国宝の茶壷です。稀代の轆轤の名手といわれた野々村仁清は色の鮮やかな茶壷の名品数多く残し、そのうち10点以上が重要文化財に指定されていますが、国宝はこの「色絵藤花文茶壷」1点のみです。この美術館の看板美術品として展示室2に常時展示されているのはありがたいことです。 3点目の国宝は手鑑(てかがみ)「翰墨城(かんぼくじょう)」です。 手鑑とは代表的な古筆切を1冊の帖に貼り込んだもので、古来鑑定の基準とされてきたものです。「翰墨城」は近代における最大の数寄者といわれた益田鈍翁(孝)旧蔵の名品で、井上世外(馨)旧蔵の「もしほ草」(京都国立博物館蔵)と「見ぬ世の友」(出光美術館蔵)とともに「三大手鑑 」として評価の高いものです。 いずれも各分野で頂点に位するものであり、かつ判り易い名品ばかりですから、MOA美術館といえば国宝のこの3点がまず頭に浮かぶほどです。 重文指定の所蔵品のなかでは、絵画の「平兼盛像…佐竹本三十六歌仙切」、書跡の「継色紙 伝小野道風」、工芸の「樵夫蒔絵硯箱 伝本阿弥光悦作」など広く知られています。どの分野をみても、評価の高い保存状況の良好な優品を数多く収蔵していることが、MOA美術館の特色でもあります。
3.入館者を温かく迎える建物 MOA美術館は、6年半の長い工期と当時250億円という巨額な総工費をかけたため、完成時には話題が集中した美術館です。設計したのは柳沢孝彦で、竹中工務店の東京本店設計部長のときに手がけた作品で代表作でもあります。柳沢孝彦が設計した建物としては、大規模な建物では東京都現代美術館、新国立劇場、小型のものでは真鶴町立中川一政美術館が知られています。この美術館は「美術館の主体はあくまで美術品と鑑賞する人で、建築がそれを威圧してはならない」という理念のもとに設計されたといわれ、外壁はベージュ色のインド砂岩で、暖かく柔らかな感じで入館者を迎えてくれます。 入口でチケット(一般大人1600円、割引券 1400円、65歳以上は1200円)を購入して入館しますが、高台にある美術館本館に到達するまでの通路はトンネル式になっていて、トンネルの両サイドには上り下り各1基合計14基の長いエスカレーターが、中央には階段が設けられています。 エスカレーターを3回乗り継いで円形ホールに到着します。そこは 直系約20m、高さ約10mにのぼるドーム型の多目的広場で、光と音の演出の舞台ともなる種々の設備が備えられています。壁はイタリア産(一部ポルトガル産)の大理石で、床はイタリア、ポルトガル、インド、イラン、キューバ、ギリシアの6か国から集めた色と模様の異なる10種類の大理石が織り成すモザイクは驚くばかりです。 さらにエスカレーターに乗って「ムア広場」へ着くと、ヘンリー・ムアの「王と王妃」が迎え、幅広い階段を上がって壁面に嵌め込まれているブールデルの大きなレリーフの踊り場を経て、ようやくメインロビーに辿り着きます。 メインロビーの巨大なガラスを通して相模灘が一望できます。明るい雰囲気の作りで、初島、大島をはじめ遠く房総半島まで見渡せて、ここは訪れる人に開放感と安らぎを与える空間でもあります。 4.美術品が引き立つ展示室 入口に入ってから展示室まで、これほど長い経路の美術館はほかにありませんが、いつも清掃が行き届いていて感じの良い美術館です。展示室は飾りを押さえた直線的で簡素な造りで統一されて、展示品が主役として引き立つように配慮されています。 玄関ロビーを左に曲がれば、美術館内としては珍しい能楽堂が造られています。マイヨールの健康美溢れる彫刻「春」の置かれている先には「黄金の茶室」があります。目映いばかりの茶室は、豊臣秀吉が天正14年(1586年)、京都御所に組立式の黄金の座敷を運び、自ら茶を点じて正親町天皇に献じたという記録に基づいて、数寄屋建築・茶室の権威堀口捨巳の監修をうけて忠実に復元されたものです。壁、天井、柱などはすべて金張り、畳と障子は赤く、置かれている台子、皆具(釜、風炉、水指、杓立、飾火箸、建水)も金色で目も眩むほどです。 ロビーに続く本館2階には4室の展示室があって、館蔵品が展示されます。展示室2には、野々村仁清の国宝「色絵藤花文茶壷」が常時展示され、展示室3では尾形光琳国宝「紅白梅図屏風」が毎年梅の咲く2月に公開されます。 階段を下りた1階には6室の展示室があり、ここでは企画展が開かれます。私が美術館を訪れた4月9日は、「漆芸界の巨匠・人間国宝 松田権六の世界」の最終日でした。竹橋の東京国立近代美術館工芸館と異なる雰囲気の中で再度、近代漆芸の最高作品に巡りあうことができました。 (注)現在は、「小野光太郎コレクション ユトリロの世界…白の時代…」が開かれています(4/14〜6/4)。
5.安らぎの場所…「茶苑」… MOA美術館は大きな美術館ですから一巡すると疲れます。疲れたときに安らぎの場所「茶苑」があることも特色のひとつです。 本館1階の展示を見終わって、外に出ると竹林が広がっていて疲れが癒されます。掃き清められた道を進むと、「光琳屋敷」と「一白庵」のある茶苑に至ります。 「光琳屋敷」は、尾形光琳が自ら書いた図面、大工の仕様帖、茶室起し図などに基づいて、堀口捨己の監修によって昭和60年美術館開館3周年を記念する事業として復元されたものです。 また「一白庵」は、創立者岡田茂吉の生誕100年を記念して、百の字を「一」と「白」に分けて命名されました。30席の立礼席、書院造りの大広間、7畳の広間、三畳台目の小間で構成される数寄屋造りで、設計は茶道全般に通じている“現代の数寄者”江守奈比古が手がけたものです。この立礼席では、きれいに整備された庭園の風情を眺めながら、MOA自然農法によって作られた抹茶と和菓子を味わうことができます。 このようにMOA美術館は、美術品、建物、環境の三拍子が完璧にそろった美術館です。梅の花がほころぶ頃から始まり、新緑がさわやかな春、海の青さが増す盛夏、紅葉鮮やかな秋と四季を通じて楽しめるところです。
美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。
1.「ブルーノ・タウト展」…アルプス建築から桂離宮へ… 桂離宮を再発見したドイツの建築家ブルノー・タウトの建築思想・理念をはじめ、建築・工芸に関する170点の資料などが公開されています。 日本で唯一現存するブルノー・タウト設計の建物「旧日向別邸」(重文)が熱海にあることをこの展覧会で知り4月8日に早速訪ねてみました。さほど大きな建物ではありませんが、日本人ではとても思いつかないような趣向が随所に見られ参考になりました。 この展覧会は、入場料の1000円(一般)を支払えば、会期中何度でも使えるというパスポート制チケットを導入した珍しい方式のですから、会期中に再度訪ねてみようとかと思っています。 2.「岡部嶺男展…青磁を極める…」 会 期:2007.3.6〜5.20 陶芸家・加藤唐九郎の長男として瀬戸に生まれ、幼少の頃から陶磁器に親しんで、織部、志野、黄瀬戸、灰釉、鉄釉など地元の陶芸技法を極めた上に、「嶺男青磁」といわれる格調高い独特の作品を生み出しました。その独創性に富んだ初期から晩年までの作品約170点が一堂に展示される大規模な回顧展です。
3.「山種コレクション名品展」…開館40周年記念展… 会期:前期 2007.4.21〜6.3 近代日本画のコレクションで有名な山種美術館が早くも40周年を迎えて開催する記念展です。4点の重要文化財をはじめ多彩な日本画のコレクションが前期、後期の2期に分けて一挙に公開されます。開館した頃は、茅場町の山種証券ビルの中にありましたが、分厚いカーッペトが敷き詰められていて靴音の響きがないので、その静かな雰囲気が気に入って何回も通った美術館です。懐かしい日本画の名作の数々に再会できるのを楽しみにしています。
4.「琳派…四季の“きょうえん”…」 会 期:2007.4.3〜6.10 畠山記念館は荏原製作所を創業した畠山一清(即翁)が収集した茶道具コレクションがその中核となっています。同館が所蔵する尾形光琳、俵屋宗達など琳派の絵画、陶器、漆工品など約60点が展示されます。開館当時、豊かな髭を蓄えた畠山翁が2階の茶室の近くに座って見守っていた姿が思い出されます。 (了) |
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・・・My Museum Walk ・・・『わたしの美術館散策』(6) 井出 昭一 世田谷美術館 …光と緑に囲まれた“健康な建物”… 〒157-0075 東京都世田谷区砧公園1-2
東京の区立美術館のなかで私の好きな世田谷美術館を紹介します。砧公園の一角にあって樹木や芝生の緑に囲まれて、清潔感のある近代感覚の美術館です。 1.詩情溢れる遊歩道…「用賀プロムナード」 世田谷美術館に手軽に行くには、東急新玉川線の「用賀」駅前の1番乗場からバスで「美術館」行きに乗ってその終点です。ただ「美術館」とだけしか表示されていませんが、ここでの美術館とは、世田谷美術館のことです。お勧めのルートは、このバスではなく駅から歩いてゆくことです。 用賀駅から美術館に至る道は「用賀プロムナード」として整備されていて、趣向を楽しみながら美術館まで15〜20分間かけて自然に辿りつくことができます。この「用賀プロムナード」とは、建築家のグループ「象設計集団」によって設計された1.6kmの遊歩道で、昭和61年(1986年)に完成しました。歩道の脇にせせらぎや噴水があり、ところどころにはベンチまでも備えられていて、休憩しながら樹木を楽しむこともできます。舗装に使われている瓦には小倉百人一首の歌が焼き込まれていてユニークな散歩道です。都市計画学会の計画設計賞を受賞したというので、完成直後に訪れたのもつい最近のような気がします。 「用賀プロムナード」が終わって、車の通りの激しい環状8号線を横断すると砧公園に入り、その一角に美術館があります。ここはもう車の騒音もなく、緑に囲まれた閑静なスポットです。
2.世田谷区にゆかりある芸術家に焦点 世田谷美術館は“区立”ということから、世田谷区にゆかりの作家の作品を多数収蔵し、それらを中心に展示してきている美術館です。区内で生まれたり、住居を構えていた芸術家は数多くに達しています。これまでに開催された展覧会を振り返ってみても、洋画では向井潤吉、脇田和、小磯良平、須田寿、牛島憲之、日本画では吉田善彦、高山辰雄、稗田一穂、彫刻では澤田政廣、船越保武、淀井敏夫などそうそうたる顔ぶれです。 最近開かれた「富本憲吉展」(2007.1.4〜3.11)は、富本憲吉の全貌を余すところなく紹介した展覧会で、これまでに何回か開かれたどの富本憲吉展と比べても最も充実した内容でした。展覧会巡りを長年続けた結果、図録が増え過ぎて、最近では購入を差し控えていたのですが、この「富本憲吉展」の図録は、一見しただけに魅入ってしまい購入しました。300ページに達して部厚い重量級の豪華版ですが、帰宅の電車のなかで、夢中になって見ているうちに乗り過ごしてしまったほどでした。 富本憲吉は昭和30年に「色絵磁器」で、第1回重要無形文化財保持者に認定され、陶芸家としての頂点にたったひとりです。東京美術学校の図案科在学中には明治生命館設計で有名な岡田信一郎にも師事し、明治40年11月に提出した卒業制作の「音楽家住宅設計図案」も展示されていて、建築にも詳しいことが分かりました。 柳宗悦の民藝運動にも共鳴して、富本憲吉の陶芸創作は「模様より模様を造る可からず」を基本としていたといわれています。40歳台の油の乗った時期に上祖師谷の地に自らが設計した自宅に住んで、世田谷を熟知していた富本憲吉が、もし世田谷美術館を設計したらどんな創造的な建物になっていたのだろうかと思いを巡らすのも楽しいことでした。
3.内井昭蔵設計の傑作…「世田谷美術館」 ところで、この「世田谷美術館」の設計者は内井昭蔵(1933〜2002)です。昭和61年(1986年)3月30日に開館しました。当時、公園の中の区立美術館ということで話題を呼んでいたので早速訪れてみました。わが家からは離れているのにもかかわらず、それ以後もなぜか何度も足を向けてしまう美術館のひとつです。 周囲の樹木と調和を図って建物の高さを抑えているので違和感がなく、エントランスホールや廊下は明るく開放的で、美術館に有りがちな特有の暗さは全くありません。大きなガラスを通して日差しを満喫する渡り廊下、直線と曲線が楽しく交錯して、とにかく明るく軽快感のある美術館です。設計者の内井昭蔵は敬虔な東方正教会(ギリシャ正教)のクリスチャンだったそうで、設計の根底には何か影響するものがあったのではないかと思われます。残した作品としては、明治学院大学本館(1993年2月竣工)と多摩霊園納骨堂(1993年3月竣工)などがあげられますが、この世田谷美術館は代表作であり傑作に違いありません。「健康な建築」をめざした内井本人が自らそれを具現したのが、この世田谷美術館です。 内井昭蔵がその企画に参加した「日本の美術館建築展」(1987.2.21〜3.22)が20年前に、世田谷美術館で開催されました。この展覧会を見学したことが契機となって、以後、鑑賞の対象が展示品ばかりでなく、美術館の建物自体にも眼を向けるようになりました。
4.魅力的な魯山人コレクションと屋外彫刻群 世田谷美術館を気に入っているひとつの理由は、北大路魯山人コレクションです。魯山人と親交があって、その芸術活動を支援した世田谷区在住の塩田岩治氏(1895〜1983)が収集し、氏の没後、夫人が寄贈した陶磁、書画、漆器など魯山人の作品約157点を収蔵しています。このコレクションが定例的にまとまって展示されるのが楽しみです。 また、館内の芝生に13点の彫刻が自然と溶け合って配置されているのも美術館の魅力です。まず、淀井敏夫の「海の鳥と少年」が入館者を出迎えて、入り口には本郷新の「わだつみの声」、さらにレストランへの回廊付近に菊池一雄の「ながれA」が展示されています。レストランの南側の芝にある船越保武の「杏」は、“船越彫刻”の特色である端正で清楚な雰囲気をもつ少女の立像で、この美術館を象徴する彫刻ではないかと思います。緑の中に点在するこれらの彫刻を見渡せる明るいレストラン「ル・ダルジャン」は人気があり、常連らしき人も見受けられます。 美術を鑑賞するための器である“健康な建物”もさることながら、その器を取り囲む環境、さらには建物へ辿るプロムナードも詩情が溢れていて、いつ訪れても心が安らぐ美術館が世田谷美術館です。 ―― 芸術は自然と一体になって人間を健康に導く ―― エントランスホールに美術館の理念を示すことばが掲げられています。
美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。 1.世田谷美術館の展覧会予定 日差しも柔らかくなってきました。晴れた日に砧公園に行けば、世田谷美術館が暖かく迎えてくれます。 (1)「世田谷時代 1946-1954の岡本太郎」 会期:2007.3.24〜5.27 青山のアトリエでの岡本太郎の活動は、これまでもたびたび紹介されてきました。それに先立つ世田谷・上野毛時代(1946−1954)に焦点を絞るこの展示で、知れざる岡本太郎の実像が浮かび上がりそうです。 なお、川崎市・岡本太郎美術館で「青山時代の岡本太郎 1954-1970」を同時に開催します(4/21〜7/1)。
(2)「青山二郎の眼」展 会 期:2007.6.9〜8.19 小林秀雄や白洲正子の骨董の師匠で“稀代の目利き”との定評のある青山二郎の世界を覗くことができそうです。
2.「レオナルド・ダ・ヴィンチ…天才の実像…」 会 期:2007.3.20〜6.17(9:30〜17:00、金曜日は20:00まで) フィレンツェのウフィツィ美術館の秘宝として名高いレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」が本館1階特別5室で公開されています。この部屋は昭和49年(1974年)にモナリザが公開されたところです。第2会場の平成館2階の特別展示室では、映像や模型を使って、ダ・ヴィンチの科学や芸術の広範な活動を詳しく紹介しています。 初日の20日の午後行きましたが、待ち時間はゼロでした。これから気候が良くなるので混雑は必至です。早めにご覧ください。
3.「パリへ…洋画家たち百年の夢…」(東京藝術大学創立120周年企画) …黒田清輝、藤島武二、藤田嗣治から現代まで… 会 期:2007.4.19〜6.10 東京芸術大学創立120周年を記念し、東京美術学校とその後身である東京芸術大学の卒業生と教員による名作約100点を通して、日本の「洋画」というジャンルの歩みを振り返り、黒田清輝、和田英作、浅井忠、藤島武二、梅原龍三郎、安井曾太郎、藤田嗣治など、明治から平成まで、パリへ渡った洋画家たち百年の足跡を辿るものです。
4.「モネ大回顧展」(国立新美術館開館記念) 会 期:2007.4.7〜7.2(10:00〜18:00、金曜日は20:00まで) 日本で最も人気の高い印象派の画家はクロード・モネです。国立新美術館の開館を記念して、オルセー美術館のモネの秀作をはじめ、アメリカのメトロポリタン美術館、ボストン美術館など、国内外の100点近いモネの作品が一堂に会するという世界的にも稀にみる大規模なモネ展です。モネの影響を受けた現代作家たちの作品も約20点展示されるので、質・量ともに最大級のモネ展になりそうです。 以上 |
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・・・My Museum Walk ・・・『わたしの美術館散策』(5) 井出 昭一 国立新美術館 …六本木に出現した大きなガラスの波… 〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2
去る1月21日、東京・六本木に国内最大級の国立新美術館がオープンしました。今最も注目を浴びているその美術館を紹介します。 1.外観も中身もユニークな美術館 国立新美術館は、外観のガラスが大きな波のうねりのような曲線を描いていて極めて斬新かつ巨大な美術館です。ここに行くには、東京メトロ千代田線の乃木坂駅が一番便利です。6番出口が美術館に直結していて雨が降っていても濡れずに行けます。日比谷線と大江戸線の六本木駅からも行けますが歩いて5〜6分かかります。中に入ると高さが21mもあるという広くて明るいエントランスロビーの大空間に驚かされます。威圧感がなく、のびのびしていて晴れやかな感じになるところです。 この美術館の特徴は、所蔵品を持たない初の国立美術館ということで、館自らが企画する展覧会のほか、新聞社などが主催する企画展、美術団体の公募展だけで運営されます。最大の公募展の「日展」は長年開催し続けてきた上野の東京都美術館を離れて、ことしの秋からこの国立新美術館で開かれることになっています。 また売り物は、14000?uという国内最大級の展示スペースです。柱が1本もない2000?uの巨大な企画展示室が2室と1000?uの展示室10室を備えていて、10を超える展覧会を同時に開催することができます。展示室は単純な長方形で、仕切りが自由にできるため導線が明解で、東京都美術館、国立西洋美術館と比べて天井が高いので圧迫感を感じさせません。 さらに、美術に関する情報・資料を収集し、それらを公開・提供して、さまざまな教育普及活動を展開するというアートセンターの機能も備えています。3階には美術に関する専門図書館のアートライブラリーがあります。ここには国内外の展覧会のカタログ3万冊以上が集められていて一般に公開されています。カタログは開架式なので、竹林の見える明るい静かな部屋で閲覧できることはありがたいことです。しかも所蔵資料の閲覧は無料です。必要なときにはライブラリー内に設置されているコイン式のコピー機でコピーもできます。ただし、モノクロ1枚30円、カラーは100円とこちらは有料です。 4番目の特徴として挙げられているのはレストランとカフェです。館内には、3階にレストラン「ブラッスリー ポールボキューズ ミュゼ」、2階にカフェ「サロン・ド・テ・ロンド」、1階にはカフェ「カフェ コキーユ」、そして地下1階にはカフェ「カフェテリア カレ」と各階に設けられています。なかでも「ポールボキューズ ミュゼ」は人気上々で、フランス最高の料理人の味を日本で味わえるということで長い行列が続いています。列のほとんどを占める女性は、待つのは当然とばかりに楽しくおしゃべりをしながら1時間以上も待ち続けています。
2.黒川紀章の会心の建物 “建築界の元勲”といわれた辰野金吾の夢は、東京で中心となる3つの建物すなわち中央銀行(日本銀行)、中央停車場(東京駅)、国会議事堂を設計することであったといわれています。このうち国会議事堂の設計は実現しませんでしたが、こうした公共の大建築を設計することは建築家にとって栄誉のことのようです。 これまで開館している国立美術館4館の設計者は、国立西洋美術館(東京・上野公園、1959年)がル・コルビュジエ、東京国立近代美術館(東京・竹橋、1969年)が谷口吉郎、京都国立近代美術館(京都・岡崎公園、1986年)が槙文彦、国立国際美術館(大阪・中之島、2004年、開館は1977年)はシーザー・ペリというように、いずれも国内外の名建築家が名を連ねています。 埼玉県立近代美術館(1982年)、名古屋市立美術館(1987年)、福井市美術館(1996年)など公立の美術館いくつも手がけた黒川紀章にとって、この美術館の設計は初めての“国立もの”で、規模も巨大であることから、かなり力の入った会心作でないかと思います。 波のように大きくうねった外観もユニークですが、目に見えない部分にも免震構造、省エネ・省資源対策、バリアフリー、公募展の作品搬出入などにもキメ細かい対応が施され、最新のテクノロジーが駆使されていて、「世界で初めての21世紀型美術館」だと黒川紀章は語っています。
3.次々に開催される開館記念展 (1)「20世紀美術探検…アーティストたちの三つの冒険物語…」 国立新美術館の開館記念展として開催されている展覧会ですからさぞかし面白いのかと思って見に行きました。 1000?uの展示室4室と2000?uの展示室の合計6000?uにおよぶ巨大なスペースを使って600点もの現代アートが並ぶというキャッチフレーズでしたが、見終わった感想は?…と問われれば、「判らなかった」のひとことです。 まず、展覧会のテーマの「三つの冒険」とは何か……考え続けても判りませんでした。さらに、次々に現われることばが理解できないものばかりでした。「キュビズム」は、立体派でその作家はピカソ、ブラックだという序の口は何とかクリアーしましたが、以下「レディ・メイド」(マルセル・デュシャン)、「アクション・ペインティング」(ジャクソン・ポロック)、「ミニマル・アート」(ダン・フレイビン)、「ポプ・アート」(アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンシュタイン)、「コンセプチュヤル・アート」ジョセフ・コスース)、「インスタレーション」(コーネリア・パーカー)となると、お手上げです。 「現代のアートは多様で複雑。すぐにはなかなか理解できない作品もたくさんあります」と、ガイドブックに書かれていますが、なるほどその通りで、私のような古い人間は現代の「楽しいアートの世界」を満喫できないまま終わってしまいそうです。 (2)「黒川紀章展…機械の時代から生命の時代へ…」 (会期:2007.1.21〜3.19 観覧料:無料) 黒川紀章の設計した主要建築の回顧と最新の内外プロジェクトとを模型を使って判りやすく紹介しています。小さい建築模型があまりにも精巧に造られているので芸術作品として見とれてしまいました。黒川紀章が建築や都市のあり方について世の中に提示し続けてきた4つのキーワード「共生の思想」「メタボリズム」「花数寄」「道の文化」をテーマにしたイベントや展示も期間を決めて展開されています。 東京都知事選に出馬表明してさらに脚光を浴びている黒川紀章は、建築家であると同時に鋭敏な感覚で常に時代と社会の変化を予見して先端を切り拓き続ける思想家であるとも評されています。 (3)「異邦人たちのパリ1900-2005」(ポンピドー・センター所蔵作品展) (会期:2007.2.7〜5.7 観覧料: 一般1500円) フランスが誇る近代現代美術の殿堂 ポンピドー・センターの5万点にのぼる所蔵作品のなかから、19世紀末から今日までフランスで活躍してきたフランス人以外の芸術家たち、ピカソ(スペイン)、シャガール(ロシア)、モディリアーニ(イタリア)、藤田嗣治(日本)などの画家、ブランクーシ(ルーマニア)、ジャコメッティ(スイス)などの彫刻家、パリの情景や風俗を写し出したブラッサイ(ハンガリー)やウイリアム・クライン(アメリカ)など写真家の作品約200点を紹介しています。
(4)「モネ大回顧展」(予定) (会期:2007.4.7〜7.2 観覧料:一般 1500円、前売1200円) 日本人に人気のあるのが印象派で、その中で筆頭に位置するのが、クロード・モネです。日本で印象派の展覧会を開けば当たりはずれがないといわれていますが、現在、上野の東京都美術館で開催中の「オルセー美術館展」(1/27〜4/8)も、会期初めのウィークディにもかかわらず入るまで30分以上も待たされるほどの人気でした。このモネ展には、オルセー美術館を初めアメリカのボストン美術館、メトロポリタン美術館などからモネの名作100点が集められるとのことですから、相当の混雑が予想されます。国立新美術館の現代的な壁面にどのようにモネの秀作が飾られるのか今から楽しみにしています。
4.いくつかの課題 「国立新美術館」というネーニングは、開館間もない現在では良いのですが、20年30年の後でも「新美術館」呼ぶのは、完成後40年以上経過しているのに、いまだに「東海道新幹線」と呼んでいることと同様に違和感を抱くことになりそうです。英語名のTHE NATIONALART CENTER, TOKYOを日本語にした「東京国立美術館」の方が単純明快だったように思えます。 また、案内チラシの裏面にある地図の文字が小さくて、特に地下鉄の出口の表示などはほとんど読めないほど小さい文字です。元気で時間にゆとりある高齢者を惹きつけるためにもわかり易い表示にして欲しいものです。 六本木エリアではこの「国立新美術館」と「森美術館」(六本木ヒルズ森タワー53階)と、今春3月30日にオープンが予定されている「サントリー美術館」(東京ミッドタウンタワー3・4階)の近代的な3館で、“アート・トライアングル”が形成されるといわれています。確かにビッグサイズですが、近くのもうひとつの“アート・トライアングル”大倉集古館、泉屋博古館分館、菊池寛実記念・智美術館のほうも小規模でも親しめる美術館ばかりですから、巨大なガラスの城を魅力あるものにしてゆくためにも、入館者の立場に立ったソフト面での対応が求められそうです。
美術館、博物館など開催場所のURLを表記しましたので、詳細はそれぞれのホームページをご覧ください。 1.「文京・まち再発見2…近代建築 街角の造形デザイン…」 会 期:2007.2.10〜3.18 展示スペースは決して広いとはいえませんが、文京区という土地柄を建物という見地から捉えていて、建物に関心ある人にとってはなかなか興味深い展覧会です。3月4日(日)、3月6日(火)午後2時から学芸員による展示解説も行われます。
2.「没後80年…森谷延雄展」 会 期:2007.1.23〜3.25 大正時代に彗星のごとく現れ、33歳という若さで突然その生涯を閉じた森谷延雄の没後80年を記念する展覧会です。森谷延雄は夢あふれる家具や室内装飾を発表した西洋家具デザイナーの草分け的存在で、現在でも清新さを失わない洗練されたデザイン世界を、家具・レプリカ・資料などで紹介します。
会 期:2007.2.20〜4.22 志野や織部は、かたち・色彩・文様、そして肌合いなど、すべての点で中国や朝鮮のやきもとは異なる魅力的な造形を創造しました。とくに志野の茶碗や水指などの茶道具、向付や鉢などの斬新なデザインの織部の懐石道具は、日本のうつわを根本的に変えて日本を代表する陶器となっています。今回は、出光コレクションの志野と織部を一堂に会するとともに、国宝1件(志野茶碗 銘 卯花墻)、重要文化財(鼠志野茶碗 銘山端、鼠志野茶碗 銘 峯紅葉、鼠志野鶺鴒文鉢)3件をはじめ黄瀬戸宝珠香合など館外の名品も展示しています。茶碗はそれぞれ独立した展示ケースで低い位置に置かれていましたので、茶碗の見込みに彫られた模様も初めて確認できて、展示の良さを実感した展覧会でした。 4.「大名から侯爵へ…鍋島家の華」 会 期:2007.1.6〜3.11 大名家から侯爵家へと受け継がれてきた鍋島家の伝来品のうち染織品を中心に、武家・公家・華族の伝統的服飾の特質を辿る展覧会です。国立能楽堂においても同時期に『鍋島家伝来能装束』を開催中です。 |
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・・・My Museum Walk ・・・『わたしの美術館散策』(4) 井出 昭一 東京国立近代美術館 工芸館 …赤レンガ造りの近代工芸の殿堂… 〒102-0091 東京都千代田区北の丸公園1-1 赤レンガ造りの旧近衛師団司令部庁舎 東京国立近代美術館の工芸館へは、東京メトロの東西線竹橋駅から行きます。竹橋駅の1b出口を出ると、竹橋の向こう側に東京国立近代美術館の本館の白い建物見えます。今回ここで紹介するのは、この本館ではなく分館の工芸館です。本館とその隣の国立公文書館の前を通り過ぎ、千鳥ヶ淵に向かって緩やかな紀伊国坂を5分ほど上がって行くと、北の丸公園の林の先に突然、明治時代に戻ったような古めかしい赤レンガの建物が現れます。これが東京国立近代美術館工芸館です。<写真−1> 2階建てレンガ造りの工芸館は 、正面中央の玄関の上部に八角形の小さな塔屋を乗せて、両翼部には張出しがある簡素なゴシック様式の建物で、陸軍技師・田村鎮<やすし>(1878-1942)の設計により、旧近衛師団司令部庁舎として明治43年(1910年)3月に建築されたも 庁舎から美術館に変身 終戦で旧陸軍が解体されたことに伴い、この庁舎は昭和38年まで皇宮警察の施設として使われていましたが、老朽化が進んだため取り壊される話が出てきました。しかし、文化庁・日本建築学会などからの保存要請もあって、昭和41年の閣議で建物の存続が了承され、東京国立近代美術館の分室としての活用が決まりました。 昭和47年10月には重要文化財に指定され、約7億円の経費を投入して保存整備のために大規模な補修工事が進められました。その結果、外観としては屋根を桟瓦葺きがスレート葺きに変更されたほかは竣工当時の状況に復元されました<写真−3>。内部の躯体は煉瓦壁の内側をコンクリートで補強して耐震・防音・断熱工事が行われ、重文指定の玄関中央部や木造階段付近以外は、原型は留めないほど手を加えられたとされています。 工事を終えた工芸館は、絵画を掲げる壁面が少ないことから、近代美術の中の工芸およびデザイン作品を展示紹介するのが最も望ましいとのことになり、東京国立近代美術館の分館として昭和52年(1977年)11月15日に工芸館が誕生しました。 美術館の建物は“大きな美術品” 美術館巡りは、展示されている美術品を見るのが主たる目的ですが、工芸館のように、その器である建物を“大きな美術品”として拝見するのも楽しみの一つです。 はドイツ人のエンデとベックマンです。前回紹介した慶應義塾旧図書館<写真−5>は1912年(明治45年)の竣工で、設計は曾根・中條建築事務所です。最も大きく馴染みのものは辰野金吾が設計した東京駅<写真−6>ですが、竣工は1914年(大正3年)で、大正期のものです。 表面が均質のタイルと違って、これらの建物の外壁に使われているレンガは、重厚な感じで深い味わいがあります。ここで使われた赤レンガは、渋沢栄一が設立した日本煉瓦製造株式会社の深谷の工場で生産されたものですが、レンガの需要減少の波には勝てず、この工場は昨年6月閉鎖されてしまいました。 静かで落ち着いた展示室
充実した個人の回顧展を連続して開催 |
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