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平成25年2月21日(木)
 皆様、おはようございます。“病臥雑感”(10)をお届けします。
 “病臥雑感”について寄せられた感想の中に、これを書くために病室に何冊の本を持ち込んだのかとの問い合わせがありました。答えはゼロ冊です。病室内で使った文明の利器は、ミニパソコン、iPad、カシオの電子辞書EX-wordのみです。
 病室で書いている(正確には、キーボードをたたいている)途中、自宅にある本や資料で確認したかったことが度々ありましたが、雑然としているわが家でその所在が判るのは私だけですから家人に頼むわけにもいかずひたすら我慢してきました。
 しかし今回は、病室内の“臨時のPCコーナー”ではなく、参考図書、資料が“完備”した“本家のPCコーナー”に戻りましたので、黄ばんだ(黄色を通り越して褐色になった)参考書なども取り出して、インフルエンザ防止ならぬ埃よけのマスクをかけながら取りまとめた“「長恨歌」と「白楽天」の物語”を前編・後編の2回に分けて紹介します。
 今回、本文をまとめるために、何度も読み返しました。読み返しても読み返しても、虜になってしまうのが長恨歌です。そのため、運動不足になりました。後編は、運動不足解消後にお届けします。
病臥雑感(10)
「長恨歌」と「白楽天」の物語(前編)
“和楽備の一閑人” 南山翠春
(井出昭一)
1.“愛情の詩人”白楽天の最も美しい詩・・・「長恨歌」
 中国の唐時代は、李白、杜甫,韓愈など多数の詩人を輩出しましたが、その中で私は中唐の詩人、白楽天(白居易)が大好きです。白楽天といえば何よりも「長恨歌」(ちょうこんか)です。これは、玄宗皇帝(712~756年の45年間在位)と楊貴妃のロマンス・恋物語で、西暦805年、白楽天35歳の作といわれています。
 「漢皇 色を重んじて 傾国を思う、御宇 多年 求むれども得ず、……」で始まり、最後は有名な句「七月七日 長生殿、夜半人無く 私語の時、天に在りては 願わくは作らん比翼の鳥、地に在りては 願わくは為らん連理の枝と、天長地久 時有りて尽くるも、此の恨みは 綿綿として尽くる期無し。」で終る七言120句、840字の長編叙事詩です。
 この詩は「中国でもたぐいまれな甘美な詩で、白楽天の中でも最もうつくしい詩」といわれ、「詩人の心情のうつくしさが、この詩の中におしみなく、かたむけられ、かがやいている」(吉川幸次郎)といわれています。中国はもとより日本でも古くは清少納言、紫式部、近くでは芭蕉、蕪村もその愛読者だったようです。 
2.「長恨歌」との出会い
 私が初めて長恨歌を知ったのは高校時代でした。漢文の先生と世界史の先生が同時期に長恨歌を読むことを勧め、教科書には掲載されていなかったので、推薦したのが岩波新書の「新唐詩選」(吉川幸次郎、三好達治著)と「新唐詩選續篇」(吉川幸次郎、桑原武夫著)でした。二人の先生は偶然ですが京都大学出身で、漢文の先生は何と吉川幸次郎門下生だったのです。二人の先生が勧めるので名著に間違いないと思って早速購入しました。当時の岩波新書は1冊100円でした。吉川幸次郎の名解説付きの長恨歌が掲載されている「續篇」です。私の持っているのは昭和29年6月10日第2刷発行で、紙は茶色に変色しています。“韋編三絶”ほどではありませんが、経年変化で糊の接着力が弱まってバラバラになりそうです。読み返す都度感激した部分を赤鉛筆、ボールペン、サインペンなどで線を引いているので他人が見ると汚れて見えますが、私にとっては愛着が籠っている貴重な宝物です。





 愛着のある長恨歌はもうひとつあります。それは「中国詩人選集」の中の「白居易」(上・下、高木正一 注)です。これは吉川幸次郎・小川環樹編集・校閲の元に岩波書店から刊行されたもので、高校を卒業して東京に出てきた浪人中に渋谷の大盛堂書店で見つけて定価180円で購入したものです。
 上巻の跋を小川環樹が記し、「長恨歌」、「琵琶行」、「香鑪峰下、新たに山居を卜し・・・」が掲載されている下巻の跋は吉川幸次郎が記しています。


3.“翠春”仕様の長恨歌
 「長恨歌」の読み下しは、岩波新書の吉川幸次郎のものと「中国詩人選集」の白居易(下)の高木正一のものでは随所に微妙な相違がありますが、どちらかといえば私は高木正一のほうが、音読した際に歯切れが良いように思います。
 両者を読み比べて、語感の良い読み下し文を原文と対比して全文を掲載します。私のパソコンのワープロで可能な限り原文は旧字とし、読み下し文は読み易いように現行の漢字を使うようにしました。長文ですから、読みやすくするため、適宜、改行しました。また、私の好きな部分や語感の良い対句などは文字の色を変えました。
 以下、“翠春”仕様の長恨歌です。

  長恨歌   白居易(白楽天)
漢皇重色思傾國  漢皇 色を重んじて 傾国を思う
御宇多年求不得  御宇 多年 求むれど得ず
楊家有女初長成  楊家に女有り 初めて長成す
養在深閨人未識  養われて深閨に在り 人 未だ識らず
天生麗質難自棄  天生の麗質は 自ら棄て難く
一朝選在君王側  一朝 選ばれて在り 君主の側
迴眸一笑百媚生  眸を廻らして一たび笑えば 百媚生じ
六宮粉黛無顔色  六宮の粉黛 顔色無し
春寒賜浴華清池  春寒くして浴を賜う 華清の池
泉水滑洗凝脂  温泉 水滑らかにして 凝脂に洗ぐ
侍児扶起嬌無力  侍児扶け起こせば 嬌として力無く
始是新承恩澤時  始めて是れ 新たに恩沢を承けなん時
雲鬢花顔金歩揺  雲鬢 花顔 金歩揺
芙蓉帳暖度春宵  芙蓉の帳 暖かにして春宵を度る
春宵苦短日高起  春宵は短きを苦しみ 日高くして起く
從此君王不早朝  此れ従より 君王早朝せず
承歓侍宴無閑暇  歓を承え 宴に侍りて 閑暇無く
春從春遊夜専夜  春は春の遊びに従い 夜は夜を専らにす
後宮佳麗三千人  後宮の佳麗 三千人 
三千寵愛在一身  三千の寵愛 一身に在り         
金屋粧成嬌侍夜  金屋粧い成りて 嬌かに夜に侍り
玉樓宴罷醉和春  玉楼 宴罷んで 酔うて春に和す
姉妹弟兄皆列土  姉妹 弟兄 皆な土を列らね
可憐光彩生門戸  憐れむ可し 光彩 門戸に生ず
遂令天下父母心  遂いに天下の父母の心をして     
不重生男重生女  男を生むを重んぜずして 女を生むを重んぜしむ
驪宮高處入青雲  驪宮高き処 青雲に入り 
仙楽風飄處處聞  仙楽は風に飄りて処処に聞こゆ
緩歌慢舞凝糸竹  緩歌と慢舞は 糸竹を凝らし
盡日君王看不足  尽日 君王 看れども足かず
漁陽鼓動地來  漁陽の鼓 地を動もして来たり 
驚破霓裳羽衣曲  驚破す 霓裳羽衣の曲
九重城闕煙塵生  九重の城闕 煙塵生じ
千乘萬騎西南行  千乗 万騎 西南に行く
翠華揺揺行復止  翠華は揺揺として行きて復た止まり
西出都門百余里  西のかた都門を出でて百余里
六軍不發無奈何  六軍発せず 奈何ともする無く
宛転蛾眉馬前死  宛転たる蛾媚 馬前に死す
花鈿委地無人収  花鈿は地に委てられて 人の収むる無し
翠翹金雀玉掻頭  翠翹 金雀 玉掻頭
君王掩面救不得  君主は面を掩いて救い得ず
回看血涙相和流  回り看て 血涙相和りて流る
黄埃散漫風蕭索  黄埃 散漫 風 蕭索
雲桟紆登劍閣  雲桟 紆して剣閣に登る
蛾眉山下少人行  蛾媚山下 人行少に
旌旗無光日色薄  旌旗は 光り無く 日色薄し
蜀江水碧蜀山青  蜀江 水は碧に 蜀山は青く
聖主朝朝暮暮情  聖主 朝朝暮暮の情
行宮見月傷心色  行宮に月を見れば 傷心の色
夜雨聞鈴腸断声  夜雨に鈴を聞けば 腸断の声
天旋日轉迴龍馭  天を旋り 日転りて 竜馭を迴らし 
到此躊躇不能去  此に到り 躊躇して去ること能わず
馬嵬坡下泥土中  馬嵬坡の下 泥土の中 
不見玉顔空死處  玉顔を見ず 空しく 死せし処
君臣相顧盡霑衣  君臣相顧みて 尽く衣を霑し 
東望都門信馬歸  東のかた都門を望み 馬に信せて帰る
歸來池苑皆依舊  帰り来たれば 池苑 皆な舊に依る 
太液芙蓉未央柳  太液の芙蓉 未央の柳
芙蓉如面柳如眉  芙蓉は面の如く 柳は眉の如し
対此如何不涙垂  此れに対して 如何ぞ涙垂れざらん
春風桃李花開日  春風 桃李 花開く日
秋雨梧桐葉落時  秋雨 梧桐 葉落つる時
西宮南内多秋草  西宮 南内 秋草多く  
落葉満階紅不掃  落葉 階に満ちて 紅掃わず
梨園弟子白髪新  梨園の弟子 白髪新たに 
椒房阿監青娥老  椒房の阿監 青娥老いたり
夕殿螢飛思悄然  夕殿に蛍飛んで 思い悄然たり 
孤灯挑盡未成眠  孤灯挑げ盡くして 未だ眠りを成さず
遅遅鐘鼓初長夜  遅遅たる鐘鼓 初めて長き夜
耿耿星河欲曙天  耿耿たる星河 曙けんと欲する天
鴛鴦瓦冷霜華重  鴛鴦の瓦は冷かにして霜華重く
翡翠衾寒誰與共  翡翠の衾は寒くして誰と共にせん
悠悠生死別經年  悠悠たる生死 別れて年を経たり 
魂魄不曾來入夢  魂魄 曾て来たりて夢に入らず
道士鴻都客  臨の道士 鴻都の客 
能以精誠致魂魄  能く精誠を以て魂魄を致く
爲感君王展轉思  君王が展転の思いに感ずるが為に
遂教方士殷勤覓  遂に方士をして殷勤に覓めしむ
排空馭氣奔如電  空を排き 気を馭りて 奔ること電の如く
昇天入地求之遍  天に昇り 地に入りて 之を求むること遍し
上窮碧落下黄泉  上は碧落を窮め 下は黄泉
両處茫茫皆不見  両処 茫茫として皆見えず
忽聞海上有仙山  忽ち聞く 海上に仙山有り 
山在無縹緲間  山は虚無縹緲の間に在りと
樓閣玲瓏五雲起  楼閣は玲瓏として五雲起こり
其中綽約多仙子  其の中 綽約 仙子多し
中有一人字太眞  中に一人有り 字は太真
雪膚花貌參差是  雪膚 花貌 参差として是なり
金闕西廂叩玉  金闕の西廂に玉を叩き 
轉教小玉報雙成  転じて小玉をして双成に報ぜしむ
聞道漢家天子使  漢家の天子の使いなりと道うを聞き 
九華帳裏夢魂驚  九華帳裏 夢魂驚く
攬衣推枕起徘徊  衣を攬り 枕を推して 起ちて徘徊し
珠箔銀屏邐迤開  珠箔 銀屏 として開く
雲鬢半垂新睡覺  雲鬢半ば垂れて新たに睡より覚め
花冠不整下堂來  花冠整えず 堂を下りて来たる
風吹仙袂飄擧  風は仙袂を吹いて 飄として挙がり
猶似霓裳羽衣舞  猶お霓裳羽衣の舞に似たり
玉容寂寞涙闌干  玉容 寂寞 涙闌干
梨花一枝春帶雨  梨花一枝 春 雨を帯ぶ
含情凝睇謝君王  情を含み 睇を凝らして 君主に謝す
一別音容兩渺茫  一別 音容 両つながら渺茫
昭陽殿裏恩愛絶  昭陽殿裏 恩愛絶え
蓬萊宮中日月長  蓬莱宮中 日月長し
迴頭下望人寰處  頭を迴らして 下のかた人寰を望む処
不見長安見塵霧  長安を見ずして 塵霧を見る
惟將舊物表深情  惟だ旧物を将て 深情を表さんと 
鈿合金釵寄將去  鈿合 金釵 寄せ将て去らしむ
釵留一股合一扇  釵は一股を留め 合は一扇
釵擘黄金合分鈿  釵は黄金を擘き 合は鈿を分かつ 
但令心似金鈿堅  但だ心をして 金鈿の堅きに似しむれば
天上人間會相見  天上 人間 会ず相い見ん
臨別殷勤重寄詞  別れに臨んで 殷勤に重ねて詞を寄す
詞中有誓兩心知  詞の中に誓い有り 両心のみ知る
七月七日長生殿  七月七日 長生殿
夜半無人私語時  夜半人無く 私語の時
在天願作比翼鳥  天に在りては願わくは作らん 比翼の鳥
在地願爲連理枝  地に在りては願わくは為らん 連理の枝と 
天長地久有時盡  天長地久 時有りて尽くるも
此恨綿綿無盡期  此の恨みは 綿綿として尽くる期無し
                   (2013.2.21)

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