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 皆様、こんにちは。
 1月23日に予定通り退院し、ようやく “病室の一患人”から“和楽備の一閑人” に戻ることができました。
 清浄無垢で常夏のような病室から、インフルエンザのビールスが飛び交う厳寒の下界に降りてきましたので、抵抗力が回復するまでは自重して現在は自宅で静養中です。
 今回の“病臥雑感”は、退院前後の状況を報告します。
 なお「南山翠春」について、何者かと辞書を引かれた方、誤解されている方もおられますので再度説明させていただきます。これは詩人の「北原白秋」の各文字に対することばをただ単に並べたに過ぎません。
 “北”に対することばが“南”、”原“に対することばが”山”、“白”に対することばは通常“黒”とか“紅”ですが、ここはちょっと趣向を変えて“翠”とし、“秋”に対しては“春”としただけです。
 したがって雅号とかペンネームのようなものではなく、単なる遊びで敢えていうならば“戯号”とでもいうものでしょうか。あまり考え過ぎないでください。


病臥雑感(9)
「退院前・退院当日・退院後」
     “和楽備の一閑人” 南山翠春
     (井出昭一)
1.退院前の状況・・・病院周辺散策を楽しむ
 昨年11月19日に入院して以来、私としては66日間という長期の入院生活で、膵臓ガンの治療のため、抗がん剤の投与と放射線の照射を受けました。治療による副作用として、白血球(とくに好中球)や血小板の減少はみられましたが、これは自覚症状のない副作用でした。一方、自覚できる副作用として、食欲不振、吐き気、下痢、口内炎、発疹などが現われるといわれています。私の場合は、退院する2週間前ごろから徐々に食欲不振となり、その結果、体重も減ってきたので、点滴による栄養補給を受けました。この点滴は日中10時間を要すため、気分転換のために楽しみにしていた外出はできなくなったことは残念です。 
 外出するには事前に主治医の許可が必要で、治療の予定と体調を考えてできる限り実行しました。許可をいただいても天候が悪ければ中止することに決めていましたが、幸いにも入院の前半で6回の外出時は、いずれも快晴無風の快適な日和に恵まれ、デジカメを携行して見どころの多い病院周辺の博物館(東大総合研究博物館、小石川分館、森鴎外記念館、井上円了記念博物館)、美術館(東洋文庫ミュージアム)、建物(東大本郷キャンパス、東洋大学キャンパス、旧東京医学校本館、小石川植物園本館)、庭園(小石川植物園、六義園、占春園、旧安田楠雄邸庭園)、寺院(吉祥寺、南谷寺<目赤不動>、養源院)、神社(根津神社、白山神社)、画廊(ギャラリー五辻)散策を楽しみ、大好きな日本蕎麦の食べ歩きもして気分転換をすることができました。
 車の往来のない安全な病院生活からの“病人の初外出”ということで、妻も同行したときにハプニングがありました。あるお寺の門が美しいのでそれを撮影しようとして道路を横断しました。私としては左右を確認したはずでしたが、猛スピードで近づいてきた車が妻の眼には危険だと思ったのでしょう。それがきっかけとなって、外出には“厳しい監視人”の同行が必須条件となってしまいました。 
 点滴でも抗がん剤の点滴は慎重に対応しなければなりませんが、栄養剤の点滴は時間がかかるとはいえ気楽ですから、架台を曳きながら病院内を移動しました。前回の写真のうち、日の出の写真は早朝で点滴を受ける前の時間帯ですから自由な身で撮影できましたが、夕焼けの富士の写真は午後の4時半前後ですから、点滴の架台を従者にして病院の高層階のエレベーターホールから撮影したものです。
2.退院当日の状況・・・最悪の体調
 放射線治療の28回目が1月22日に終了し、翌23日に退院できますと主治医から云われた時は、やっと点滴の架台から解放されるかと正直のところホットしました。22日の夕刻に最後の放射線治療が終了し、点滴もはずされたので、明日の退院を楽しみにしながら眠りにつきました。 
 ところが、日付が23日となった午前0時30分頃から疼痛が始まり、これまで数回の疼痛はこの鎮痛薬で鎮静化しましたが、今回ばかりは痛みが治まらず、4時間後にさらに服用したにもかかわらず痛みが断続的に続きました。起床時間の6時になったのを待ちかねて洗面しようとしたところ、今度は入院後初めて吐き気が現わたのです。最後の朝食は一口も食べられず、入院生活66日間のうち何と体調は最悪で、これでは退院できないのではないかと思うほど深刻でした。
 幸いなことに、主治医の朝の回診の際に症状を伝えたところ、早速強い鎮痛薬を追加処方していただき助かりました。入院時に持ち込んだパソコンなど諸々の所帯道具を整理していくうちに痛みも消えて、妻と娘が迎えにきた昼ごろには平静に戻っていました。以上のようなハプニングがありましたが、めでたく1月23日に住み慣れた病院を後にすることになりました。?
3.退院後・・・急速に回復
 私は妻が用意した2枚の毛布を後部座席に敷き、厚手の防寒用の帽子をかぶりマスクをして、首にはマフラーをぐるぐる巻いて、ダウンコートで身を包み、枯れ木のぬいぐるみのような感じで自宅に帰ってきました。

 北の方 自宅を望んで 妻の運転に信(まか)せて帰る
 帰り来たれば 室内外 皆 舊(きゅう)に依る

  長恨歌(一部分)    白楽天

 東 都門を望み 馬に信せて帰る
 帰り来たれば 池苑 皆 舊に依る
(注) 玄宗皇帝が戻った長安の宮殿には楊貴妃の姿はなく寂しい思いを募らせていたのとは対照的に、私の場合は妻と娘が温かく迎えてくれたことが大きな違いです。「長恨歌」については、関心を示されている方もおられますので別途、稿を改めて取り上げる予定です。
 退院してまず感じたことは“寒い”と云うことでした。この冬は例年に比べて平均気温が低く数年ぶりの大雪の日もありましたが、入院先の病院は四六時中の気温が28度と、まるで温室のようなところでしたので“下界”の寒さを痩せた骨の髄まで感じたわけです。自宅では暖房の温度を高めに設定して暖をとりましたが、幸いにも寒さには数日で慣れました。
 それよりも自宅に帰って何よりも嬉しかったことは、食欲が急速に戻ってきたことです。加えて夜の眠りも深くなりました。昼寝をしても夜も良く眠れると云うことは、自宅がいかに気遣いしないところだと云う証しかもしれません。
 退院直後は胃の機能が縮小していたためか、一度に多量の食事が摂れませんでしたが、料理を趣味としていて、私の好みの料理を努めて数多く作る妻と娘には感謝しています。“食べれば体重が増える“、”食べなければ減る“ということを実感した入院生活でした。躊躇していた箸が進むにつれて”痩せキス”の体重は徐々に増えてきています。 
 病院で処方された薬を忠実に服用すると並行して、わが家で以前から使っていた光線治療器(黒田光線株式会社の“ニッコーライト”)で光線を毎日所定ポイントに当て続けたところ、痛みは急速に減ってきていることは何よりもありがたいことです。入院中は検査と治療が最優先で、それ以外の時間はパソコンと向かい合い、疲れたらベッドで真向法体操という、暖房完備の中で三食昼寝付きの一見単調な生活でした。 
 しかし、ミニパソコンとiPadの“両刀使い”(肝胆膵外科チーフ医の評)で“病臥雑感”に取り組んだため、退屈な時間は全くありませんでした。ところが、退院後は世間の“雑事”が予想外に多く、パソコンに向かう時間が極端に少なくなっています。 
 現在、私が最も警戒しているのは、抗がん剤の副作用で白血球(とくに好中球)が減少し、抵抗力が低下しているかもしれないということです。そのため、人ごみでインフルエンザや肺炎に罹ることを恐れて外出を自重しています。 自宅内で運動不足を解消するために、考え付いた名案は家の内外の清掃・整頓です。無風で温暖な日には、窓ガラスの清掃、これは膝の適度の屈伸運動になります。 とくに、2階の場合は階段の上り下りが脚力回復のための良い運動です。風が吹いたり、曇っている時は室内の整頓に努めています。この結果、体力が徐々に回復する一方、家の内外がきれいになるので、家人からも好評でまさに一石二鳥です。?

4.“病臥雑感”の行方
 入院中、ふとした思い付きから書き始めた”病臥雑感”は図らずも回を重ねることになりました。毎回、寄せられる励ましのお手紙やメールや読後感などが私の入院生活の大きな支えとなって、病気に対して落ち込むことなく前向きで対応できましたことを改めて感謝申し上げる次第です。
 退院を機に”病臥雑感”を終了しようかとも考えましたが、退院とはいっても私の場合は膵臓ガンが全快したのではなく、放射線治療が一段落して経過観察中の身ですからまだ“病臥”には違いありません。また、テーマや材料の“在庫“も充分ありますので続けることにしました。ただ、俗世間の雑事が多くなっていますので、今までほど頻繁には書けないかと思いますが、“病臥雑感”の“執筆”に努力するつもりです。
 ご意見・ご要望などお寄せいただければ大歓迎です。よろしくお願い申し上げます。                         

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