皆様、こんばんは。
 病臥雑感(8)「病窓12景」をお届けします。
 昨年11月19日に入院してから2カ月経過し、ようやく23日に退院できることになりました。
 これ程の長期入院は初めての経験です。この一週間、抗がん剤と放射線治療の副作用で食欲不振となり、入院時に比べて体重が5キロ以上減りました。
 “これは大変”と栄養補給の点滴を日中10時間かけて投与しています。
 この間、用心棒(点滴の架台)付いてきますので外出はできなくなりました。
 しかし、明後日に退院との吉報がありましたので、その間、病院内で謹慎し、治療の合間は”病臥雑感”の”執筆”に集中するつもりです。
「病臥雑感」を書き続けて良かったと思います。
 単なる思い付きで書きつづったにもかかわらず、多数の皆様から感想が寄せられ、それを拝読するのが毎朝の楽しみとなっているからです。さらに写真も、前に紹介した白秋の「落葉松」の雪の中の詩碑をはじめ、高峰高原の句碑、諏訪湖の氷結風景、安孫子の雪景色、厳島神社の正月風景など送っていただきましたので、病室に居ながらにして各地の様子を知ることができました。
 今回は、そうした皆様への返礼も兼ねて、病院内で撮った写真を送らせていただきます。
 今までも数名の方から、文字化けして読めないとか、文中の写真が見えないなどのトラブルがありましたので(理由はわかりません)、写真は文章とは別に添付してお送りします。
 お忙しい方は、写真のみご覧ください。

病臥雑感(8)
「病窓12景」
“病室の一患人” 南山翠春
(井出昭一)
 病院内には写真撮影のポイントが数か所あります。
 自分の病室、入院後親しくなった“膵がん同病会(?)”の病室、高層階のエレベーターホールなど・・・。
 日の出は6時ごろから、夕日は4時過ぎが撮影時間です。
 天候や雲の様子によって、刻々と変化しますので、余裕を持って撮影現場に臨まないとシャッターチャンスを逃してしまいます。
 以下、“病窓12景”の撮影日(月/日)とコメントです。(蛇足もありますが)
01.夜明け前(1/18) 
 入院後、“膵がん同病会(?)”で親しくなった“先輩”ふたりのベッドが窓側にある“窓際族”でしたので、早朝にその病室に招かれて撮影しました。幻想的な風景で、看護婦さんからも好評です。
02.夜明け寸前(1/18)

 前の写真を撮った後、30分もしない間に、高層階からの眺めです。同じ日でも、
わずかな差で雰囲気が変わるので驚きます。
03.年始挨拶(11/29)

 入院した最初の消化器内科の病室は、東南に面しスカイツリーが眺望できました。
 そこで撮った写真に自作の歌を添えて、年賀状に代えてメールによる新年の挨拶とさせていただきました。
 ひむがしの空赤々と照り初めて新しき年今明けんとす      翠春
 この歌の種を明かせば、下記の古今の秀歌から、好みのことばを集め、ただ並び変えただけのパッチワークです。

 ひむがしの野に陽炎の立つ見えて返り見すれば月かたぶきぬ     柿本人麻呂
 赤々と一本道通りたり たまきはる我が命なりけり         斎藤茂吉
 ヒヤシンス薄紫に咲きにけり はじめて心 ふるひそめし日     北原白秋
 いちはつの花咲出でて我が目には今年ばかりの春行かんとす     正岡子規
 新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重け吉事         大伴家持
04.日の出1(1/06)

05.日の出2(1/20)

06.日の出3(1/21)

 以上の3枚は、日の出の写真ですが、雲の状況により刻々と変化します。
 それだけに風情の異なる写真を何枚も撮ることができました。
 太陽が顔を出し始めてから完全に登るまでに1分もかかりませんので、緊張する瞬間です。
 ひむがしの都の空に聳え立つ塔に横たふひとひらの雲
 この歌は、私の好きな佐々木信綱の秀歌
 行く秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲
に、ヒントを得て作ったものです。
 数年前、シルクロードを踏破した親しい友人と薬師寺を訪ねて際に、信綱の歌と全く同じ光景に接し、感激したことを思い出しました。
 とにかく語感の良い歌です。31文字の中に「の」の字が6回も使われていて効果的に響くのではないかと勝手に想像しています。
 実際には、スカイツリーに横たわる雲に朝日が射して金色に輝き、素晴らしい光景でしたが、私のデジカメでは残念ながらそこまでは写りませんでした。
07.雪の翌朝(1/19)

 東京に数年ぶりの大雪の日の写真も撮りましたが、モノトーンの世界でしたので、晴天の翌日撮った写真です。
08.東京の空(1/20)

09.東京にもこんな空が(1/18)

10.ふんわりと(1/18)

 3枚とも私の病室からガラス越しに撮ったものです。
 都心でもこんなに素晴らしい空があるのですから、“一閑人”も井戸ばかり覗いてばかりいないで、時々、青々とした空をも上げなければいけないと反省しています。
 そこで”一患人“、空を眺めているいうちに、高村光太郎の詩を思い起こしました。
  あどけない話    高村光太郎

 智恵子は東京に空が無いといふ、
 ほんとの空が見たいといふ。
 私は驚いて空を見る。
 桜若葉の間に在るのは、
 切つても切れない
 むかしなじみのきれいな空だ。
 どんよりけむる地平のぼかしは
 うすもも色の朝のしめりだ。
 智恵子は遠くを見ながら言ふ。
 阿多多羅山の山の上に
 毎日出てゐる青い空が
 智恵子のほんとの空だといふ。
 あどけない空の話である。
            (「智恵子抄」大正12年3月)
これに、ヒントを得て、“病室の一患人”が創った詩です。
  たわいない話    南山翠春
    …高村光太郎「あどけない話」に寄せて

 「智恵子は東京に空が無いといふ、
 ほんとの空が見たいといふ。」
 私は改めて病窓から空を見てみる。
 青一面の空に
 真綿のよう真っ白な雲がふんわりと
 浮かんでいる。
 なかなかきれいな空だ。
 しかし、私は思った。
 見慣れてしまったこの東京の青い空は
 ほんとの空ではないと・・・
 冠雪を抱く浅間嶺の向こうに
 どこまでも底なしのように続く碧い空が
 ほんとの空だと思う。
 たわいない空の話である。

・・・陰の声・・・「南山翠春は、入院して膵臓ガンの治療を真面目に
受けているのでしょうか?」
 翠春、答えて曰く「翠春の心は、枯葉のごとく定めなく飛び交っていますが、井出昭一は入院患者の優等生を目指して、医師団、看護師の指示に忠実に従って治療を受けています。
 今日もこれから放射線治療で、いよいよ明日が最終日です。」
11.夕映えの富士(1/18)

12.渡津海の…(1/20)

 “膵がん同病会(?)”の朋友が撮影スポットを教えてくれました。
 場所は高層階のエレベーターホールで誰でも自由に行けるところです。
 富士山もその日の雲の状況によりさまざまに変化します。
 期待していても曇っていて見えないこともありました。
 2枚の写真は執念深く撮影スポットに通い、そこで日は落ちるのを忍耐強く待って撮影した”労作”です。
 写真のコメントをするつもりが、つい脱線してしまいました。
                            
(2013.1.21午後3:00)

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