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 前回、“病臥雑感”の白秋の「落葉松」の詩碑に、朝もやの立ちこめる写真を添付したところ、何名かの方から高い評価をいただきました。外付けハードディスクから探し出した甲斐がありました。
 今回は、一転して漢詩の世界です。高校時代、漢文の先生の感化を受けて以来、私は今でも漢詩が好きです。好きといっても広い範囲ではなく、陶淵明、李白、白楽天、杜甫といったところです。
 この中で陶淵明の「飲酒」「帰園田居(園田の居に帰る)」は大好きです。また「帰去来の辞」や「桃花源記」も時々思い出しては読むことがあります。
 病室では“飲酒”はできませんので題名を“禁酒”とすることも考えましたが、あまりにも詩情を乱しますので、かつて飲酒のとき老妻の酒肴を懐かしみながら創ってみました。
(2013.1.11)
病臥雑感(4)
陶淵明の名詩「飲酒」に替はる迷詩
“病室の一患人” 南山翠春
(井出昭一)
 今は昔、中国の東晋時代に陶淵明といふ高名な詩詠みあり。その生涯あまりにも清潔なるゆえ、徳を讃へ“靖節先生”と諡(おくりな)されり。
草庵に五本の柳を植えたことから、別の名を“五柳先生”といふ。「淵明の詩には、篇篇酒あり」との如く、生涯に創りし詩百三十篇の半数は酒を詠む詩なり。
 その中に「飲酒」といふ二十首連なる古来の名詩あり。“病室の一患人”、信州の高校2年のとき、熱血漢で知られた漢文の師(京都大の吉川幸次郎先生の門下生)から初めてこれを学びし以来、甚く好む詩なり。五柳先生ほどの才なきゆえ、新たな詩を創ること能わず。「飲酒(其の五)」を元詩として、病室にて小閑を得て戯れに創りし迷詩なり。
 余、入院して歓少なく、兼ねてこの頃、夜はなはだ長し。その間、数句を題して自ら娯しむ。独りパソコンに向かひて、以って歓笑をなすのみ。
        飲酒          南山翠春
小庵を結びて 街中に在り
それ故 車馬の音 喧しき
君に問ふ なんぞ能くしかると
パソコン iPadが伴侶なればなり
空晴れれば 麗しき館を巡り
雨降れば 惑はず パソコンを愉しむ
愛孫 来たれば 嬉々としてiPadで共に戯れ
愛孫 去れば またパソコンに向かふ
家人 我に求めれば 家中 掃き清め
塵埃捨ては 我自ら定めし仕事なり
日夕に 飛鳥相共に帰るを眺め
老妻の酒肴で 夕べとして飲まざるはなし
朋友から得がたき銘酒を拝領し
親しき埴師の盃に独り酌めば
いささか生気 復た甦る
この中に シニアの至福在り
弁ぜんと欲するも 酔い既に廻り
言 思い浮かばず。
陶淵明(陶潛)の詠める元詩は下記の通りなり。
     飲酒(其の五)     陶潛 
盧を結びて 人境に在り
而も 車馬の喧(かしま)しき無し
君に問ふ 何ぞ能く爾(しか)ると
心遠ければ 地自ら偏なり
菊を采る 東籬(とうり)の下
悠然として 南山を見る
山気 日夕に佳く
飛鳥 相い與(とも)に還る
此の中に 眞意有り
辯ぜんと欲して 已に言を忘る
[注]“南山翠春”の号は、陶淵明の詩中の“南山”に非ず、我が敬愛する“北原白秋”の四文字の対をなす語をただ単純に並べたのみ。
 因みに、数寄者として高名な住友家十五代当主の住友吉左衛門友純(ともいと)の雅号は「翠春」に非ず「春翠」なり。       
以上(2013.1.11補作)

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