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皆様、こんにちは。
 前回、“病臥雑感”の送り状に、白秋の「落葉松」の詩碑が、軽井沢にあることを書いたところ、メールを詠まれた粋な方(東京在住)が現地を訪れて、雪の中の詩碑の写真を送っていただきました。
 私は何度か訪ねていますが、いずれも夏ばかりですから、冬の写真は貴重です。
 また、最近特に薄らいできた記憶を頼りに、病室に持ち込んだ外付けハードディスクを再度見直したところ、2011年8月に訪ねたときの写真が見つかりました。
 その時の写真を3枚(清流、詩碑全体、白秋自筆)添付します。
 私のパソコンのアドレスが未整備だったため、今回から初めて送らせていただく方もおります。ご興味ない方は、そのまま削除して結構です。
(2013.1.8)
 病臥雑感(3)
北原白秋「落葉松」の詩碑に寄せて
       “病室の一患人” 南山翠春
   (井出昭一)
          
 北原白秋の名作「落葉松」は、大正10年8月、軽井沢町にある星野温泉において催された自由教育夏季講習会に山本鼎、北原白秋、島崎藤村、鈴木三重吉らとともに講師として訪れた白秋が、この時の印象をもとに作ったといわれています。
 私は長い間、この詩が詠まれたのは“秋だ”とばかり思い込んでいました。詩の全編に流れる雰囲気は、青々としたというより、淡々とした秋の風情が漂っているからです。
 白秋が初恋の日に、まるで女性が恥じらうようにして詠んだ

ヒヤシンス薄紫に咲きにけりはじめて心顫(ふる)ひそめし日

というこの歌と「落葉松」の詩がとても同じ人が詠んだとは思えません。「落葉松」は水墨画のような枯淡の境地を表わしており、淡々としたトーンが貫かれています。
 ところで、「落葉松」詩碑は、軽井沢の星野温泉の入口の清流のほとりに建てられています。真夏の早朝訪れると清流から霧が立ち上り、深呼吸をすると生気がよみがえるような気分になります。詩碑には落葉松の詩の全文が活字体で、下記の最後の第8節が白秋の自筆により刻まれています。



「世の中よ、あはれなりけり。
 常なれどうれしかりけり。
 山川に山がはの音、
 からまつにからまつのかぜ。」


なお、この詩が納められている「水墨集」(大正10年)に、白秋は次の序文を記しています。

 『落葉松の幽かなる、その風のこまかにさひしく物あはれなる、たた心より心へと傳ふへし。また知らむ その風はそのささやきは、また我か心の心のささやきなるを、讀者よ これらは聲に出して歌ふへききはのものにあらす、たた韻を韻とし、匂を匂とせよ。』
 とはいうものの、白秋のこの詩はリズム感が良いため声を出して読むのに最適な詩です。他にも島崎藤村の「千曲川旅情の歌」、佐藤春夫の「望郷五月歌」などをはじめ、漢詩でも白楽天の「長恨歌」や[琵琶行]など“和楽備の一閑人”が声を出して読みたい詩が数多くあります。「音読は脳を活性化させる」と云われていますので、自宅では家人の顰蹙を買いながら強行できますが、病室ではままならず黙読を強いられています。
 そのため、ストレスがたまり、ひねり出したのが次の3首です。
信濃路の思ひ出 3首        南山翠春

落葉松の林の風はあはれなり わが心への清きささやき

さらさらと かそけき音を靡かせて 通り過ぎゆく落葉松の風

落葉松の風はささやく 密やかに また細やかに わが細き身に
蛇足:
 因みに、「翠春」とはどのような歌人かと辞書まで引いた方がおられたようですが、無駄なことはなさらないで下さい。 種を明かせば“和楽備の一閑人”が敬愛するこの「落葉松」の大詩人“北原白秋”の一字ごとに対になることばを単に並べただけのことです。“白”の反対は”紅“か“黒”ですが、ここだけはちょっと洒落て“翠”としました。口の悪い親友は“すい”と云うのなら“酔”とか”膵”の方がピッタリではないのかなどと進言されましたが、“翠”で押し通すことにしました。                                                                              (2013,1.8)

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