皆様
 年賀状や励ましのメールなどいただきありがとうございます。昨日に続いて”病臥雑感”(2)古稀の齢をお届けします。
 昨年3月、古稀を迎えた際に北原白秋の「落葉松」を基にして、戯れに創ったものを今回一部補足修正しました。
 白秋の歌碑は、軽井沢の星野温泉の近くの清流のほとりに建っています。その写真を挿入しようと探しましたが、自宅に置いてきた外付けハードディスクにあることが判り、残念ですが今回は掲載できませんでした。
病臥雑感(2)
「古稀の齢(よはひ)」…北原白秋「落葉松」の戯詩… 
“病室の一患人” 南山翠春
(井出昭一)
          
 ひむがしの都の戌亥(いぬい)の方、武州の國に和楽備(わらび)と云ふ大和の国随一の小さき里あり。そこに住める一閑人、東日本大震災ののち古稀を迎へしが覗き込む井戸無なき故、当世流行のパソコンとやらに向ひ、残り少ない僅かの知恵を絞り尽くして戯れに作りし詩が、この「古稀の齢」なり。
 本詩の「落葉松」は、北原白秋とか云ふ筑後の國柳川生れの優れし歌詠みが、みすずかる信濃の國、浅間嶺の麓、軽井澤に遊びし時作りし名詩なり。この詩は、かの長谷川等伯の描ける松林図と云ふ屏風にも似通ふところある詩なり。薄墨を重ね合わせた如き清らかな詩なり。静謐を感じさせる詩なり。
 信濃なる千曲の川のほとり佐久に生れし藁火の一閑人も若きより甚く好む詩なり。北原白秋の如き才無き故、和楽備の一閑人、北原白秋と対をなす四文字を連ねて「南山翠春」と戯れに自称せり。
 因みに、住友家十五代当主の住友吉左衛門友純(ともいと)の号は「翠春」に非ず「春翠」なり。春翠は、益田鈍翁、高橋箒庵などと親交のあった数寄者なり。

佐久の名刹“洞源山貞祥寺”から見る浅間嶺


長谷川等伯「松林図屏風」
  落葉松      北原白秋         古稀の齢     南山翠春
      一
からまつの林を過ぎて、            古稀の齢を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。          古稀をしみじみと省き。
からまつはさびしかりけり。          古稀は愉しかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。          年旧るは愉しかりけり。
     二
からまつの林を出でて、            古稀の齢を過ぎて、
からまつの林に入りぬ。             いま喜寿に向はむとする。
からまつの林に入りて、            古稀の齢を経た後も
また細く道はつづけり。            また愉楽の道は続けり。
     三
からまつの林の奥も              古稀の齢の後も 
わが通る道はありけり。            わが求む愉楽ありけり。
霧雨のかかる道なり。             パソコンに向ふ時なり。
山風のかよふ道なり。             美術館に通ふ時なり。
     四
からまつの林の道は、             古稀のへの道は、  
われのみか、ひともかよひぬ。         われのみか、ひとも通ひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。            いきいきと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。           幸ひの潜む道なり。
     五
からまつの林を過ぎて、            古稀の齢を過ぎるも、
ゆゑしらず歩みひそめつ。           ゆゑしらず愉しみ多く、
からまつはさびしかりけり、          ストレスとは離別するなり。
からまつとささやきにけり。          古稀とは愉しかりけり。
     六
からまつの林を出でて、            古稀の齢を過ぎて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。           また喜寿に近づかむとす。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。           傘寿米寿にも近づくなり。
からまつのまたそのうへに。          喜寿のまたその後に。
     七
からまつの林の雨は              古稀の齢のあとも
さびしけどいよよしづけし。          愉しみはいよよ増すなり。
かんこ鳥鳴けるのみなる。           パソコンに向かふときなり。
からまつの濡るるのみなる。           良き友と集ふときなり。
     八
世の中よ、あはれなりけり。          今の世も、あはれなりけり。
常なけどうれしかりけり。           常なけど愉しかりけり。
山川に山がはの音、              山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。          古稀には古稀の道。
以上
(2013.1.4.補作)
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