「病臥雑感」の連載に際して
…インターネット版のはしがき…
.                               井出昭一
 ことしの1月は首都圏でも大雪が降るなど例年にない厳しい冬でしたが、私は常時28度という常春のような温室にいて寒さ知らずの冬を過ごしました。というのは、膵臓ガンの治療のため、昨年の11月から年末年始を挟んで今年の1月まで66日間という生れて初めての長期入院を経験したからです。病室にミニパソコンとiPadを持ち込み、インターネットやメールを使って退屈することのない入院生活を送ることができたことは幸いでした。
 年が明けると放射線治療や抗がん剤の副作用が現われ、食欲が徐々に不振となり体重も低下し続けましたので、点滴によって栄養補給をすることになりました。このため、主治医の勧めで実行してきた散策も点滴の架台を従者にしては不可能となり、病室内で「病臥雑感」の“執筆”に傾注せざるを得なくなった次第です。
 当初は、直ぐに種切れになって数回かぎりで終りかと思っていましたが、“熱心な読者”から激励のメールや次回を督促するメールなどをいただいたことが刺激となって結局12回続けることになりました。
 このたび、明和会分会のホームページ委員の方々から「病臥雑感」をホームページに掲載するよう、ありがたい打診がありましたので少しでも賑わいになればと思い快諾いたしました。
 病室で思い浮かんだことをただ単に書き綴ったものですから、思い違いや誤りもありますが、ご容赦いただきたくお願い申し上げます。
(2013.4.4)
皆様
 年賀状や励ましのメールなどいただきありがとうございます。
 入院中、時間がありますので”病臥雑感”として書きつづったものを勝手にお届けさせていただきます。
 ご興味あるところのみご覧いただければ幸いです。
平成25.1.3
病臥雑感 
“病室の一患人” 南山翠春
(井出昭一)
 清廉な政治家・井出一太郎先生は、三木内閣の官房長官のとしての激務の傍ら歌を詠み続けた歌人としても広く知られ、昭和53年(1978年)には戦後の政治家として初めて歌会始の召人も務められました。
 刊行された歌集は『政塵抄』(昭和33年1月)、『政餘集』(昭和41年4月)、『四半世紀』(昭和46年5月)、『修羅』(昭和52年5月)、『古稀前後』(昭和61年7月)、『明暗』(平成4年11月)、『明暗後』(平成10年4月、遺作、逝去後)など7冊にのぼりますが、その都度私にまで贈っていただきました。
 幸いにも私は長年にわたりその謦咳に接し、薫陶を受けたひとりですから、詠まれた背景を想像できる歌も数多く、いずれも温和な人柄が滲みでている歌ばかりです。秀歌は多数ありますが、なかでも下記の3首は特に私の心に残るものです。
還暦迎春
年迎え望みは高く身は低く心は広くあらなと思ふ
議員生活40年
四十年(よそとせ)の歩みは短からなくに酬いることの未だ足らざる
昭和53年歌会始  應制歌 お題「母」 
母まさば大内山に初春のけふの節會(せちえ)のよし告げ麻之乎(ましお)
 昨年11月、私は図らずも膵臓ガンのため突然入院する身となりましたが、“忙人”だった井出一太郎先生の秀歌を本歌として、病院での治療の合間に詠んだ“閑人“…現在は”患人“…の駄作です。
病臥雑詠     
古稀経ても望みは高く背は直に心は丸くあらなと思ふ
七十の齢は短かからなくに学ぶ事々未だ足らざる
母まさば不意の病で立冬に名医と出会いのよし告げましを
 ”和楽備の一閑人”昨年末から突然”病室の一患人”に変身しましたが、閑人であることに相違ありません。暇にまかせて”病臥雑感”を勝手にお送りしますが、時間のある方のみ御覧ください。仕事のある方は、そちらに精を出してください。
徒然なるままに 日暮らしパソコンに向かいて 心に移り行く
よしなしごとを 書きつづるは “病室の一患人”のこよなき愉しみなれ。
                 
(2013.1.3.新年の放射線治療再開日)

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