「夏季オリンピック<インドのメダル獲得数>」
大会名 |
金 |
銀 |
銅 |
合計 |
1964 東京 |
1 |
0 |
0 |
1 |
1968 メキシコシティ |
0 |
0 |
1 |
1 |
1972 ミュンヘン |
0 |
0 |
1 |
1 |
1976 モントリオール |
0 |
0 |
1 |
1 |
1980 モスクワ |
1 |
0 |
0 |
1 |
1984 ロサンジェルス |
0 |
0 |
0 |
0 |
1988 ソウル |
0 |
0 |
0 |
0 |
1992 バルセロナ |
0 |
0 |
0 |
0 |
1996 アトランタ |
0 |
0 |
1 |
1 |
2000 シドニー |
0 |
0 |
1 |
1 |
2004 アテネ |
0 |
1 |
0 |
1 |
「冬季オリンピック<インドのメダル獲得数>」
大会名 |
金 |
銀 |
銅 |
合計 |
1998 長野 |
0 |
0 |
0 |
0 |
2002 ソルトレイク |
0 |
0 |
0 |
0 |
2006 トリノ |
0 |
0 |
0 |
0 |
これは異常に少ない。BRICs<注1>での比較もしてみた。人口的にも経済的にもどう考えても少なすぎる。何故なのであろう。インド人はスポーツが苦手なのだろうか?
<注1>「アテネ・オリンピック<BRICsのメダル獲得数>」
国(人口:2009年推計) |
金 |
銀 |
銅 |
合計 |
ブラジル(1億9397万人) |
4 |
3 |
3 |
10 |
ロシア(1億4087万人) |
27 |
27 |
38 |
92 |
インド(11億9800万人) |
0 |
1 |
0 |
1 |
中国(13億5331万人) |
32 |
17 |
14 |
63 |
<参考>
日本(1億2715万人) |
16 |
9 |
12 |
37 |
機会があればインド人に聞いているが、大体答えは決まっている。「インド人は運動にあまり関心がないから・・・・」というものだ。それはちょっとおかしい。家の近所も、町を見まわしても空き地があれば子供も大人もクリケットに興じているではないか。
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クリケット新聞記事(写真をクリックすると拡大できます) |
インドの新聞もそうだ。スポーツ面はクリケットの記事で一杯だ。インド人がスポーツにあまり関心がない、というのはどう考えてもおかしい。インドのテレビでスポーツ番組を探すと、まずクリケットが出てくる。少なくとも新聞とテレビを見る限り人気があると思わざるを得ない。しかし我々外国人にはどのクラス(カースト制度、学齢で)の人に、どの程度の人気があるのかわからない。先日も朝、会社まで送迎してくれる運転手さんに「昨日のクリケット、スリランカに勝って最高だった」などと言われたがピンとこないのである。運転手さんの学歴はよく知らないが日本で言えば小学校卒業程度だと思う。
インドがオリンピックでメダルを取れない理由はあくまで個人的推測にしかすぎないが、カースト制度(ヒンズー教)にあるのでは?と思う。
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ダリットの生活(写真をクリックするとスライドショウ) |
最下層のダリット<注2>の中に非常に優秀なスポーツ選手がいたとする。その層には1.5億人はいるのだから、その可能性は十分にある。しかしインド社会全体がその選手に拍手をおくる、応援するとは思えない。何故なら彼らは「不可触(触ることのできない人々)」だからである。逆に上位階級の若者が四年に一度のオリンピックに、優位な地位以上にスポーツに熱中するだろうか。「ノー」である。
つまりインドにはスポーツ選手になるためのリスクを冒す、それを支援するグループ、それをしようとする意識が生まれにくい土壌がある。「国民一丸」というのが成り立ちえないのだ。日本だったら有名スポーツ選手にはオリンピック後に何かしらの職業が待っている。指導者の道もあれば、テレビ・タレント、スポーツ解説者ということもあり、道は開けている。だから若者もそのリスクに挑戦する。だがインドにはその道がないように思える。
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クリケットTV中継(写真をクリックするとスライドショウ) |
ヒテーシュさんにこの問題について聞いてみた。「インドの母親は、そもそも子供にスポーツをしろ」と言わない、との答えが返ってきた。親はスポーツなど何の役にも立たないと思っているし、実際にそうなのであろう。日本の子供たちに将来の夢を聞くと「サッカー選手」「大リーグの野球選手」と答えるケースが多いだろう。親も子供が何かのスポーツをすることには積極的だ。スポーツが重要な人格形成の要素になると思っているからだ。将来的にも「サッカー」や「プロ野球」が可能性のある職業とみていることに他ならない。クリケットのようにごく限られてスポーツ以外はインドではそのようなことはあり得ないのである。
では何故、クリケットが根付いたか?支配者であり、200年近くインドを支配したイギリスが、インド社会に根付かせたから、と考えるのが妥当なところだ。イギリス人が職業として育てたから、インド人もすんなりリスクを受け入れて入っていけた、と言える。
今、インドで有名なスポーツ選手がいる。女子テニスのサニア・ミルザ選手<注3>だ。
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どこでもクリケット |
ミルザはそのルックスと実力から、インドの国民的なアイドルとなり、そのファンはマスコミから“サニア・マニア”と呼ばれている。特記すべき点は彼女が、インド人口の約1割を占めるイスラム教徒の出身であるということである。ヒンズー教徒ではない。
インドは暑い。しかし、同じように暑いカリブ海の国々はどうなのだ。ボルツなんて選手が生まれているではないか。グラウンドがない、というのならアフリカのマラソン選手はどうなのか?インドのヒンズー社会は牢固で、変化を嫌う傾向を持っている。インドは日本人が思うような「皆が好き勝手なことが許される社会」ではない、のだ。結婚相手も多くの場合、親に決められる。宗教の締め付けが実に厳しい社会なのだ。インドはいつまでたっても私の中で不思議な国でありつづける。
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