高島克規のインド日記
12月16日(水) ムンバイの一日
  今回は私の日本語教師としての一日をご紹介したい。結構タフである。朝は6時に起きる。まずお湯を沸かす。歯を磨くためである。私のアパートには浄水器はあることはある。だがとても古くどこまで信用していいかわからないのである。その証拠に年がら年中下痢をしている。
浄水器 ヤカン
  お湯をヤカンと鍋の二つで沸かす。その間にシャワーに入る。インドに来てから夜シャワーを浴びてはいるが朝も浴びないと汗臭くてとても外に出られない。シャワーを出るころお湯が沸いている、と言う段取りである。お鍋には歯ブラシを入れておく。煮沸をするためだ。それからコップを三つ用意してヤカンからお湯を半分くらい注ぎ、浄水器から水をコップ一杯までうめる。それでやっと歯磨きの準備が出来る、ことになる。日本なら歯磨きにこんな手間も苦痛(というのは大げさだが毎日、毎回やるというのは苦痛である)もないのに、とぶつぶつ独り言をいいながら歯磨きを終える。
  今度は皿、スプーン、フォークを煮沸という作業に入る。同じように鍋に入れて煮沸する。食べることに関連するもの全てにこの作業をしなければ安心できない。相当インドの生活には慣れたが油断は禁物である。以前にご紹介したが4月にデリーに遊びに行った折、もう自分には水に対する免疫が出来ている、と過信していた。ところが夜中に胃に激痛が走った。その時の恐怖が頭から離れない。インドで生活・仕事をするということはこういうことなのだ、と改めて考えさせられた瞬間でもあった。それ以来、以前よりも慎重に煮沸作業をするようになった。逆に言えば毎日がとても苦痛であるということの裏返しである。つい最近ご紹介したメールの方の息子さんがどんな思いで生活しているか手にとるようにわかる。
  朝食はいつもパンと牛乳と野菜である。パンはトースターがあるので簡単であるが、牛乳はコップに入れなければならないので、牛乳用にコップを煮沸する必要がある。野菜であるが日本のように何でもある、と言うわけにはいかない。レタスはあることはあるが煮沸すると“へなへな”になってしまって食べられたものではない。そこでいきおいトマト、キュウリ、玉ねぎ(インドのものは非常に小粒である)のサラダということになる。まず野菜を鍋で煮沸する。それを切るナイフも別途煮沸しておかなければならない。えらい手間のかかる作業なのである。
トースター ミルク ヨーグルト
  運転手さんは毎朝7時20分に迎えにくる。
野菜売り場と野菜(写真をクリックするとスライドショウ)
シミちゃんは7時45分に学校に到着しなければならないのでこの時間帯に設定せざるを得ないのだ。上記のようなことをやっているとすぐに7時近くになってしまう。更に日本と3時間30分時差(インドの朝7時は日本の朝10時30分)があるため朝に家族、実家からメールが来ていることが多いのである。それにも返事をしなければならない。そんなことをしているうちにすぐ7時20分になってしまうのだ。
  食べ終わった食器、食べ残しはそのままに放置は絶対できない。日本以上に高温、多湿である。すぐ腐敗するのだ。ハエ、アリがあっと言う間に群がってくる。従って事前にポットにお湯をためておき煮沸してからでないと出かけられない。ゴミはゴミ袋に入れて入口のドアに出しておくと清掃人が片付けてくれる仕掛けになっている。時々、出していないとわざわざドアを叩いて出すのを忘れていないか確認してくれる。こういうところはえらく配慮が行き届いている。
  
自宅付近
7時45分にシミちゃんを学校に送り、8時前後に会社に到着する。会社の始業は8時30分である。もともとは9時30分であったがヒテーシュさんが日本から帰国してから8時30分に変更した。最初はえらく反発があったようである。9時30分の始業だと大体10時前後に皆出勤してくる。到着してお茶でも飲んでいるとお昼である。午前中は全く仕事をしない、なんてことになるのだ。
  ヒテーシュさん、アニタさん、私が大抵一番乗りのケースが多い。時々生徒が2,3人早く来て入口で待っていることがある。鍵を持っていないので入室できないのだ。8時過ぎに席に着くとすぐにしなければならないことがある。それは宿題のチェックである。私の授業数は1週間で12クラスである。               一日2クラスから3クラスある。  午前のクラスは10時30分から12時、午後のクラスは1時から2時30分と4時から5時30分のクラスである。
  各クラスともに毎回宿題を出している。
授業スケジュール(写真をクリックすると拡大)
例えば、月曜日のクラスは一日置いて水曜日に次の授業がある。そこで火曜日の夕刻までに宿題をメールさせている。が、実際には水曜日の朝に到着、というのが殆どである。そうすると8時に会社に来て10時30分までに間に宿題をチェックし、次の宿題を準備するという過密スケジュールになる。ところが一日に3クラスもある場合にはたった2時間30分の間に3クラス分の宿題のチェック、次回の準備をする、という神業に近いことをやらなければならない。
  12時になると隣の食堂でランチを注文する。ところがこの食堂、12時になってから準備し出す、まさにインド方式なのだ。待たされること20分、12時20分になってやっとランチにありつける。値段は25ルピー(以前は22ルピーだったので3ルピーと突然値上げした)である。
  毎日ほとんど内容が変わらないランチである。毎日同じで食欲はわかないが食べるしかない。
インドのランチ 日本のインド料理
  自分で弁当を用意する時間はない。時々近く(と言っても歩いて20分)のマクドナルドに行くがこれもビーフのないマックはとても旨いとは言えない。ランチを終えるころ、汚い話だがお腹の調子が悪くなる。1時の授業前にトイレに行っておかなければならない。
  1時から授業と言ってもインド人は1時5分、10分くらいに集まる。そんなこともあり、全員に授業の5分前に教室に来るように厳命した。最初はぶつぶつ言っていたがやっと時間どおりに始まるようになった。午後2時30分から4時までの間、これまた宿題のチェック、次の授業の準備に忙殺される。たまには生徒の相談にものってあげなければならない。
フォスタービール
  厳しいのは翻訳業務(日本語から英語)が同時に走っているときである。日本人の手書きの設計書(PDFで日本から送られてくる)を英語に翻訳しなければならない。そんな場合はインド人にはお手上げである。授業が終わるのを待ち構えたように生徒が私の席にやってくる。残念だが全部を見てあげることはできない。4時から授業が待っているのだ。
  5時30分授業が終わる。三日に一度の割で、そっと会社から抜け出し近くの酒屋にビールを買いに行く。顔見知りになっているので顔を出すと、フォスター(オーストラリアのビール)を3本持ってきてくれる。一本50ルピー(約100円)である。実はハイネッケンがいいのだが一本150ルピー(約300円)するのでフォスターにしている。
ハイネッケン
翻訳作業がある場合は8時ころまで翻訳の手伝いをする。ない場合は翌日の授業の準備をして7時前に会社を出ることになる。ヒテーシュさんが6時ころ「先生、今日は何時ころ帰れそうですか?」と聞いてくれる。  7時に会社を出ると、ラッシュのピークにぶつかることになる。約1時車に揺られ、8時過ぎにやっと自宅に到着である。さあまた煮沸作業の開始である。それに洗濯である。汗をかくので下着が何枚あっても足りないのだ。一日置きに洗濯しないと着るものがなくなってしまうのだ。帰宅しても息をつく間はあまりない。
  夕食だがメニューに本当に困ってしまう。炊飯器はあるがインドのお米を炊いてもちっとも美味しくない。野菜は前述のとおりだし、結局、週末に隣町カンディバリにあるノン・ベジタリアンの店から買った「ハム」とか「冷凍チキン」、「スパゲッティ」というメニューになる。月に2回ほど家内から日本の食品を送ってもらってはいるがパターンは似たり寄ったりで惰性で食事をしている、という感じである。食に期待が出来ない、という生活はわびしいものである。
炊飯器
  4月、インドでは真夏である。この時期は本当に暑く、会社に居てもクーラーがきかないほどであった。まさに食欲がない、という状況になった。帰宅するとシャワーは浴びるがまったく食事をする気力がわかず、ベッドに倒れるように寝てしまい、目が覚めると朝4時、5時とかいう日が続いた。食事をする意欲、食器を煮沸する気力がないのである。よく頑張ったと思うがやっと5月になって少し気温が落ちて食欲も戻り、元気を回復した。
  一日を客観的に書くのは初めてであるが、改めてインドの生活は厳しい!と言わざるをえない。それにしても日清食品をはじめ日系企業の駐在員の方々の苦労は並大抵ではないことが容易に想像される。今回は否定的なことばかり記述したが、これからのインドが日本人にとって魅力ある市場であることは間違いない。我こそはと思われる方、タフな肉体と不屈の精神の方には是非インドに来ていただきたい。お待ちしております!
目次に戻る