高島靖男のインド日記
6月13日(土) ゴアへの旅(2)
   5月26日(火)の朝である。7時30分から朝食である。完全なヨーロッパ、アメリカンスタイルのビュッフェである。インドに居るという感覚から外れてしまう。いかに外国人が多いかという証左であろう。インド食は全くない。私もかなりインドには慣れてきたがインド食を美味しいと思ったことは一度もない。ただ果物は別である。マンゴ、スイカなど豊富でとても美味しい。友人夫妻もそれは同感であったようである。
  朝食が終わった(午前9時)のでツアーの予約に行った。実は昨晩予約したかったが午後6時で事務所が閉まってしまったため予約が出来なかった。受付の表示だと前日までに予約しないとツアーは出来ないらしい。ダメもとで聞いてみることとした。「ええ、そうなんですよ。前日でないとガイドが見つからないんです」と受付の男性は答えた。「でも何人かに当たってみますので部屋で待機していただけませんか」と言われ部屋で待つこととした。ほどなくして電話があった。「10時に玄関に来ていただけますか?お寺・教会巡りとスパイス農園見学です。昼食はついていて、二人で5000ルピーです」と言うことあった。
   午前10時、友人夫妻と四人玄関で待っていると、ワゴン車が来た。どうも我々4人のためのツアーとなったようである。他の人がいない方が気楽でいい。運転手はアルフレッド(Alfredo)さんだ。たどたどしい英語である。これでは意思疎通に問題がある。ほどなく車を走らせると車が止まって黒人の男性を乗せた。「こんにちはRavi(ラビ)です。今日のガイドです。どうぞよろしく」と、
えらく愛想のいい男性が乗りこんできた。とても英語が綺麗で“りゅうちょう”である。「いつもなら9時にツアーはスタートするのですが10時を過ぎてしまいましたから帰りは6時ころになると思いますがいいですか?」と聞かれ、特に反対する理由もないので「OK」と答えた。

  「ゴアは人口150万人のインドで一番小さな州です。公用語はコンカニ語ですが英語、ポルトガル語を話す人も多く1987年にポルトガルから独立しました」と説明があった。「今日は有名なお寺二つと有名な教会を二つご案内し、お昼にはスパイス農園にお連れします。まず教会に行こうと思いますが途中お土産物屋さんにご案内します。ゴアは鉱石が豊富でムンバイを始め、世界のバイヤーがここで宝石を安く買って地元で高く売っています。是非見てください。州が認可しているお店ですから安心です」というので早速案内してもらった。

  朝早いからか?我々だけしかお客はいなかった。最初は象の置き物など見ていたが宝石の部屋に案内され席に着いた。とにかくセールスが上手い。主人は30歳前後ではないかと思うが誘導が上手く席に着いてしまった。特に女性の宝石好きの感覚を刺激するのが上手である。結局、家内も友人の奥さんも宝石つきの金指輪を買わされてしまったのである。「政府の保証つきですからどこへ行っても大丈夫です。ムンバイならこれの2、3割は高いですよ。東京なら2,3倍はするはずです」てなことを言われてその気になってしまったのである。

  家内の金指輪は銀色であったので元の金に戻す作業をしてもらうこととなった。これが先方の作戦であった。いつまでたっても作業が終わらない。「待っている間にスカーフでも見てください」と2階へ案内された。「見るだけ!」これが彼らのセールス・トークである。指輪のときも最初は「見るだけ!」であった。結局、見るだけ=買ってください、なのである。実はゴアに来る前、タージ・ホテルでスカーフは買ってしまったのである。これについては後日、日記でご紹介したい。

   次から次へとスカーフを持ってくる。カシミアである。試着させる。「とてもお似合いですよ」。女性の心理をくすぐり実に上手い。「でもいいわ」と夫人達が言うと、今度は「絨毯」はいかがですか。と店員に絨毯を持って来させた。これもタージ・ホテルで見せられたのでよくわかっていた。「マジック・カーペット」という台詞から始まり、「向きが変わると模様が違って見える。滝の流れのようですね」。最後には絨毯を折り曲げて「日本にはこのようにコンパクトに折りたためば持って帰るのは簡単。もし郵送ということであれば送料は店が負担する」。これを立て板に水のような勢いで説明する。我々はその店で「絨毯」の説明を聞くのが5回目だったので台詞も完全に覚えてしまっていた。あきれると同時に「絨毯」に「セールス・トーク・マニュアル」があるのを知った次第である。

   やっとのことで店を出たがもう11時30分くらいになってしまった。「お寺・教会を見るツアー」でなく「買い物ツアー」になってしまった。最初に向かったのは聖フランシスコ・ザビエルの墓を収容するボム・ジェズ教会<注1>である。

ボム・ジェズ教会(写真をクリックするとスライドショウ) ボム・ジェズ教会の中庭

  途中、ラビさんが「左の綺麗な建物を見てください」というので見るととても立派なビルである。「あれはゴア州議会のビルです。でも別名は“アリババと七人の盗賊”と言うのです。ご想像のとおり汚職の巣なんです」と説明があった。成程、政治の世界はどこも一緒なんだな、と妙に納得した次第である。
  ボム・ジェズ教会へ到着した。この一帯がオールド・ゴアと呼ばれているところで世界遺産に登録されている。 教会に入る前にラビさんが説明してくれた。「ポルトガルで生まれたザビエルは成人とローマに行った。そこで僧侶になり、その後ゴアにやってきて布教活動<注2>をした。海外に行き病気になって死んだが、「死んだらゴアに埋めて欲しい」という彼の願いで石灰石の棺の中に入れられ10か月かかってゴアに戻ったそうです。人々はまだザビエルが生きている、と思ったほど完全な形でゴアに戻った」と言い伝えられています。「ミイラになったザビエルは熱狂的な信者の女性に足をかじられたため、10年に一度しかお目にかかれません」との説明があった。
ザビエルの衣装 ザビエルの棺
   世界遺産なのに入場料はとらないのである。デリーでお金を払うことに慣れてしまっていたのでちょっと面喰ってしまった。大聖堂の中にある金色の祭壇は迫力があり、イエズス会の創始者であるイグナティウス・ロヨラの像が飾られている。大理石でできた3層式のザビエルの墓は10年もかけて作られ、1698年に完成した。教会の隣には告白の会堂があり、近代的なアート・ギャラリーも併設されている。フランシスコ・ザビエルの棺があるが、本物は正面右側にある銀の棺との説明あった。この棺がどのようなものなのか?ちょっと不明。棺を発掘調査した際の、フランシスコ・ザビエルがミイラ化した写真がある。
ミイラ化したザビエルの写真

<注2>
  「ザビエルは1549年8月から'51年11月まで日本で布教、'52年単身で中国へ向ったが、上陸目前にして没した」(平凡社 大百科事典)

  ザビエルの顔を拝もうと世界中からキリスト教の信者たちが訪れる。リアルでちょっと怖い。中の様子は写真をご覧いただきたいが、この教会が日本のキリスト教布教の原点である、と思うと考え深いものがあった。

(次回に続く)
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