高島靖男のインド日記
  <注1>ゴア

16世紀初めにはイスラーム王朝の重要都市であった。1510年2月ポルトガルのインド総督が1,000人のポルトガル兵を率いて来航し、この都市を降伏させた。

1530年、ポルトガル領インドの首府はコーチンからゴアに移され、アジアの全植民地を統治するポルトガルのインド総督あるいはインド副王が駐在した。17世紀初頭のゴアはモザンビークから長崎に広がるポルトガル海上帝国の首府として「東洋のローマ」と呼ばれる黄金時代を迎えた。

17世紀にアジアに進出したオランダがポルトガル船を拿捕したり、マラッカなどポルトガル植民地を奪取すると、ポルトガルの海上覇権は次第に衰えていった。その後、イギリスがインドに植民地帝国を建設した時も、ポルトガルはゴアなどの都市の領有を保持した。1961年インド国民軍がポルトガル領に武力侵攻し、インドにおけるポルトガルの植民地支配はようやく終結した。

1987年にパナジを首府とするゴア州が設置された。2001年現在の州の人口は135万人である。州内では英語やコンカニー語などが使用されているが、ポルトガル語を話す住民も30,000から50,000人程度存在する。

1986年には聖フランシスコ・ザビエルの墓を収容するボム・ジェズ・バシリカや聖フランシス修道院などポルトガル時代のキリスト教建築が「ゴアの聖堂と修道院」としてユネスコ世界遺産に登録された。

ポルトガル植民地時代の建物と文化が残っており、リゾート地として国内外の観光客を集めている。この地の音楽から生まれたゴアトランスはサイケデリックトランスとして世界に広まった。