高島靖男のインド日記
5月4日(月)デリー・アグラへの旅(3)
   次にジャマー・マスジットJamma Masjid<注1>へ向かった。ラール・キラーから歩いていけない距離ではない。入口で運転手さんに「45分後にここで」と言うと、「20分」と言うのだ。それほどの見どころではないのかもしれない。車を駐車する余地のない場所である。
  車を降りると、遥か彼方丘の上にジャマー・マスジットの正面入口が見える。階段を登っていくようである。参道には土産物、行商の人々が店を連ねている。日本の寅さんみたいな人もいて、バナナのたたき売りもやっている。
ジャマー・マスジットのスライドショウ
<注1>
  シャー・ジャハーン帝が、都の中核をなすマスジット(イスラム教礼拝所)として14年の歳月をかけて1658年に完成させた。インド最大規模を誇り、その中庭に2万5000人収容可能。赤砂岩と白大理石のコントラストが美しく、丘の上に建てられているため遠方から見ると一層荘厳に見える。今日でも金曜(ジャマー)には集団礼拝の場となる。

ジャマー・マスジットの中庭
  石段を登ると入口だ。ここでも靴を脱がなくてはならない。靴を脱いで中に入ろうとすると、靴番をしている男が「200ルピー」と言う。ここは入場料無料の筈だが?「カメラ、カメラ」と言って、立て看板を指差した。どうもカメラ持ち込み料として200ルピーかかるらしい。どこも世知辛い世の中である。すると「あなた日本人、わたし大阪にいた」と言って慣れ慣れしく話しかけてくるインド人がいる。怪しいのでほっといて中に入っていくと、ついて来て写真を撮ってあげる、と言って親切に寺を背景に写真を撮ってくれた。ずっと付いてくる。頼みもしないのに日本語で説明をしてくれるのだが、日本語がめちゃくちゃなので何を言っているのかサッパリである。私に説明している、というより周りのインド人に外国語で説明している、というのを見せている、そんな雰囲気である。


  中の様子は写真ご参照であるが、たしかに素晴らしい。一度訪ねる価値のある場所である。私はイスラム教徒ではないがしばらくそこで黙想したくなる雰囲気の場所である。外に出ようとした、例のインド人が「ガイドをしたから、50ルピー」だと言い出した。予想どおりである。取り合わずサッサと靴を返してもらって出てきた。油断も隙もあったものではない。

  次に向かったのはコノノート・プレイス(Connaught Place)である。(ラール・キラーの南西の位置にある)。
  スペルからも御わかりのように英国人が作った近代的な町である。ロンドンのピカデリー・サーカスと同じように円形の道路が二重、三重に作られ、放射線状に道が縦断、横断している。実は今回の旅の大きな目的は、このコノノート・プレイスにあるリキ・ラーム(Rikhi Ram)という楽器店に行くことでもあった。



←デリー地図(地図をクリックすると拡大できます)
  私の趣味は音楽である。三度の飯よりも音楽、楽器が好きである。しかもビートルズが大好きである。この楽器店はビートルズがインドを訪れた時、訪問しシタールを購入した店である。ビートルズがこのインド訪問以降、大きく音楽の幅を広げ、変革していったのは知る人ぞ知る、有名な話である。
コノノート・プレイス(地図をクリックすると拡大) Rikhi Ram(楽器シタールの陳列)
  運転手さんに店の住所を見せて探してもらうことにした。なかなか見つからない。運転手さんは車から降りてあっちこっち聞いて回ってくれた。やっと場所がわかったようである。運転手さんの後からついて行った。本当に小さな店である。入口にリキ・ラーム(Rikhi Ram)と表示されているのを見た時、感激してしまった。こんな小さな、片隅の店にビートルズが来た、とは。
  中に入った。中もこじんまりしたものである。写真を撮りたかったので「実は自分は音楽ファンで、ビートルズがここに来たこと知り訪ねてきた。写真を撮ってもいいか?」と尋ねた。
  店主らしき人はニコニコと「どうぞ」と言ってくれた。彼はもくもくとシタールを制作している。沢山、著名人が訪れていることがわかった。ラビ・シャンカール<注2>の写真がある。
ラビ・シャンカールの写真
  そしてあのレッド・ツェペリン(Led Zeppelin)のジミー・ペイジ<注3>の写真もあるではないか。こんな小さな店に世界の超スーパースター達がぞくぞくと訪れたということである。一番高価そうなシタールを指差しながら「このシタールはいくらですか?」と聞いた。「そうですね、コンサート用のものだと、3万から4万ルピー、というところでしょうか」と店主は答えた。「え?6万円から8万円?そんなに安いの?」声には出さなかったが、心の中で叫んでしまった。少なくともその10倍くらいの値段と思っていたからだ。丁寧にお礼を言って店を出た。感激の一瞬であった。
ジミー・ペイジの写真 店主、店の看板

<注2>
  ラビ・シャンカール(1920~) インド、ウッタルプラデーシュ州バラナシ(ベナレス)の生まれ。かつてはコルトレーンやビートルズの音楽に影響を与え 最近ではノラ・ジョーンズの父親としても知られている。 インド古典音楽を今に伝える巨匠ラビ・シャンカールの血を分けた美形の二人の娘のひとりは、父親の音楽を受け継ぐようにシタールの名手として育ち(アシュヌカ・シャンカール)、さらにもうひとり(ノラ・ジョーンズ)は父親に反発するかのようにジャズの世界に進み人気を得た。

<注3>
  ジェームス・パトリック・"ジミー"・ペイジ OBE(Jimmy Page, 本名James Patrick Page OBE 1944年1月9日 - )は、イギリスのロックギタリスト、作曲家、プロデューサー。エリック・クラプトン、ジェフ・ベックとともに3大ギタリストと呼ばれる。 当時の音楽ジャーナリズムからは「1970年代のパガニーニ」と形容され、世界で最も成功したロックバンドの一つであるレッド・ツェッペリンのギタリスト兼リーダー。レコード、ステージなど全般のプロデュースも担当した。イングランドロンドン出身。身長180cm。 ローリング・ストーン誌の2003年8月号のカバーストーリー「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」に於いて第9位。

  日も暮れかけてきた。最後にこの日、向ったのはフマユーン廟<注4>である。今回の旅で一番、綺麗と思ったのが、このフマユーン廟である。入場料は外国人250ルピー、インド人25ルピーである。更にビデオを持ちこむと25ルピー別途チャージされる。どこまでも、金、金の世界である。
庭園のなかに廟を置く型式をとるこの建物は、フマユーンの妃がペルシア人に設計を依頼した典型的なイラン・イスラーム建築だ。中央のドームから左右対称の同廟は、入口のアーチから見たとき、その安定感がいっそう際立つ。また赤っぽい砂岩に白大理石をはめ込んだ壁はお互いの色をよりいっそう引き立てて素晴らしいの一言である。そして周囲のヤジの木が何とも言えない異国情緒を醸し出している。

  建物内部の中央に進むと、白大理石の墓が置かれているが、これはイミテーションで、このちょうどこの真下に遺体が安置されている、そうだ。というのも、白大理石の墓を見ていると、またまた怪しげなインド人が登場。親切に解説してくれたのでわかったのである。あまりにも親切なので怪しいと思っていると、案の上、廟を出ようとすると「お恵みを」と始まった。取り合わず、ホウホウのていで外に出てきた。私が小綺麗にしているのが原因であろう。明日はスラムドッグに変身しよう。

フマユーン廟のスライドショウ
<注4>
  フマーユーン廟(英語:Humayun's Tomb)は、インド・デリーにある、ムガル皇帝フマーユーン(همايون)の廟。その建築スタイルはタージ・マハルにも影響を与えた。フマーユーン廟は、フマーユーンの死後の1562年、ペルシア出身の王妃ハミーダ・バーヌー・ベーガムが建築を指示し、伝えられるところによれば、サイイド・ムハンマド・イブン・ミラーク・ギヤートゥッディーンと父ミラーク・ギヤートゥッディーン二人の建築家によって8年の歳月を経て完成された。1993年世界遺産に登録される。

(次回に続く)
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