高島靖男のインド日記
月21日(土) クレージー・ホーリ:バングは危険!!
   新年が明けて新しいカレンダーを見た時に目に着いたのが3月11日(水曜日)の休みである。3月に入ってヒテーシュさんが「3月11日はホーリ(Holi)という国民の祝日で、水と色の祭りです」と説明してくれたが何のことかサッパリであった。
   祭りのある週の月曜日、電車で一人で帰った。駅を行く途中で小学生の子供たちが遊んでいた。その子供たちが私の方に一斉に走って来た。一人の生徒が何かからよけた。よけた瞬間、水が入ったビニールの袋が私目がけて飛んで来た。避ける余裕などない。ビシャ、と服に当たりビニールは破け、私の服はビショビショになってしまった。洗礼を受けたわけである。
  休みの当日が来た。数日前にアニタさんから「うちのアパートでホーリ(Holi)祭り<注>をやるので、先生も来ますか?」と誘われた。
  「はい、お願いします」と気楽に返事した。朝7時、近所は物凄い音楽、爆竹の音である。これでは寝てはいられない。
  起きることとした。9時になると、ヒテーシュさんから電話で「先生、そろそろ始まりますから来てください。服は汚れますから捨ててもいいようなもので来てください」と連絡があった。
 
<注>
春の到来を祝って熱狂的に行われるインド3大祭りの一つ。北インドを中心にインド中がエキサイトする、最も熱狂的と言われるヒンドゥー教の祭。互いに色水やグラールと呼ばれる色粉を投げ合い、冬の終わりを喜ぶ。前夜には悪魔ホーリーカーを滅ぼすためのかがり火が焚かれる。このお祭りの起源はヒンズーの神様が自分のお母さんに殺されそうになったところを返り討ちにしたところから始まったという、とても不気味なストーリー。
  ヒテーシュさんのアパートに到着した。ヒテーシュさんもアニタさんもシミちゃん(注 勤務先の社長ご家族)も見当たらない。熱狂していて誰が誰だかわからない。うしろから水鉄砲で水をかけられた。
  シミちゃんである。冷たい!!しばらくするとヒテーシュさんが現れた。顔に色が塗られている。「先生、まず腹ごしらえしてください」と言われてアパートの後部に設置された簡易ストールでインドスナックをいただいた。
  ヒテーシュさんのお母さんも、アニタさんのお母さんもいる。アニタさんが顔を出した。最初、誰だかわからなかった。七色仮面のようである。
  「先生、楽しい?今日は無礼講で、外国人も差別しないから気をつけて!」と言われた。沢山の人に紹介されて、「あなたもこれに参加すればインド人」とか言われてその気になってしまった。
  さあ、水かけ、色塗り合戦の開始である。音楽がこれまたラテン系の陽気きわまりない音楽!子どもも、大人も、外国人も老人もない。ただただ楽しむだけ!水かけの渦に入った。皆、待ってたとばかり、色は塗る、水はかけるで写真のような状況になってしまった。
  アニタさんがこの時とばかり写真を撮ってくれた。あまり水をかけられるので寒気がしてきた。するとすかさず、ヒテーシュさんが「先生、この飲み物を飲むと温まりますよ。少し、アルコールが入っています」と言われてすぐ飲んだ。全くアルコールの味がしない、液体ヨーグルトのようなものである。
  「何という飲み物ですか?」と聞いた。「Bhang(バング)といいます。もう一杯いかがですか」と言われたので、ついつい飲んでしまった。ヒテーシュさんも普段はアルコールは飲まないのに2杯飲んだ。アニタさんのお母さんが私の顔を覗きこむように「後で少し眠くなるかもしれませんよ」と意味深げな笑いを浮かべた。
  また水かけである。もう誰が誰だか正体不明である。私も誰かれかまわず色を塗り、水をかけた。狂乱の約2時間である。とうとうカメラが水をかけられて動かなくなった。
  その後の状況はカメラに収録されていない(残念)。インド人の楽しみ方を垣間見た気がする。
  丁度12時くらい。流石に皆疲れたのか、少しずつ人が減って自宅に帰っていった。

  実は私はこの日、生徒と午後食事をして遊ぶ約束をしていたのである。
  ヒテーシュさんのアパートに生徒の一人が迎えに来た。シュバシ君という。着ていた服はむちゃくちゃで外には歩けない状態である。ヒテーシュさんも生徒も「そのままで今日はOKですよ」とは言ってれたが、気持ち悪くて自宅で着替えることにした。もうこのシャツもズボンも着れない。
  着替えて生徒と駅に行った。不思議なことに駅では誰も、色を塗った人もいなければ、水でビショビショの人もいないのだ。
  電車に乗る人はマナーが良くてホーリ(Holi)は遊ばないのだろうか。
  駅前でシュバシ君と他の生徒たちが来るのをゴレガオン(Goregaon)駅の前で待っていた。
  ゴレガオン(Goregaon)にはユニカイハツの社員寮がある。
  目の前のスラムの子供たちはどこから手に入れたのか色のパウダーを持っていた。われわれの前にリキシャーが止まった。
  お客が下りようとしている。そこへスラムの子供たちが押し寄せた。お客は綺麗な服装である。料金を払うことも出来ず、スタコラ逃げ出した。子供たちが追いかける。どこまでも追いかけていく。もう見えなくなった。結末はどうであったろうか??
  シュバシ君は12月、1月と日本に出張していた。「先生、日本は皆、中産階級ですね!インドは今の子供たちのような階級とお金持ちの格差が大きいです。中間が少ない。日本ではタクシーの運転手でもスーツを着ていますね。いいですね」と独り言を言った。

  やっと他の生徒たちが来た。インドタイム(30分くらいの遅れは許容範囲)である。彼らと食事をすることになっていたのだが、2時にならないとどこも店が開かないというのである。店を開けて、水をかけられたり、色を塗られてはたまらないのであろう。2時までお店は閉店である。仕方がないので寮に戻り、時間をつぶすことにした。
  トランプゲームをやろうということになった。日本の七並べに似たルールである。ところがゲームを開始し、しばらくすると、急激な睡魔が襲ってきた。頭がクラッ、とするのだ。
  何回も生徒に「先生」と起こされる羽目になった。とうとう起きていられずベッドに寝かせてもらうことになった。
  「先生、今日は何か飲んだんですか」「バングを2杯飲んだよ」と答えると、皆、無言で頷いた。目がさめると夕方5時である。約3時間寝たことになる。

  翌日、ヒテーシュさんに「昨日のバング、強烈でした」と伝えた。すると「そうでしょう。私も昨日の午後、頭が痛くて、痛くて」とヒテーシュさんも苦笑。翌日の新聞である(写真参照)。
翌日の新聞
Cocktail of music, food and Bhang !!
これは危険である。皆さん、ご注意を!
  
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