高島靖男のインド日記
3月8日(日) ムンバイの見どころ(その1)

<ムンバイの見どころ>
  まず、昔のムンバイと現在のムンバイの地図の比較をしてみたい。写真のごとく1670年当時のムンバイは7つの島で構成されていた。それが現在では埋め立て、埋め立てで一つの陸地となっている。
私の住んでいるBorivaliなどという地名は当時なかった模様である。現在もBandraという駅は存在するが当時は最北端の島であったように思われる。

昔のムンバイ

今のムンバイ

(写真をクリックすると拡大します)

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 今回は家内と出かけたムンバイの観光スポットをご紹介する。

(1) ドービー・ガート(Dhabi Ghat)

 アニタさんにこの場所を口頭で説明を受けた時は何のことかサッパリわからなかった。
 写真でおわかりのように巨大な洗濯場である。
 Mahalaxmi駅(前回ご紹介したHaji Ali霊廟に近い駅である)近くにムンバイ最大の野外洗濯場がある。ドービー・カースト、洗濯を職業にする人々が住む集落だ。

 ご存知の通りインドにはカースト制があり、ドービーというのもカーストの1つで、洗濯以外の仕事をすることが出来ない。
 そんな人々が集まって出来た場所である。ガートは「場」、つまり洗濯場である。石壁で仕切られた洗い場が何百と並ぶ景観は圧巻。
 トタン屋根で囲まれたスタジアムのようなこの場所。貧しいバラック小屋が連なる悲惨な雰囲気。
 洗濯屋カーストは人の汚れものを洗う仕事ということで下層カーストとされている。
 労働環境も悪く、悲壮感の漂う場所だが、ムンバイでは観光地としてポピュラーなスポットのようである。

野外洗濯場

 橋の上から写真を撮っていると、観光地なので写真集を売りつけに来た女性がいる。「200リピー」だという。確かにムンバイの観光スポットが綺麗に映っていて200ルピーなら安いが、自分で写真を映すのも楽しみなので断った。移動のため車に乗り込もうとした。「100ルピー」でいいと言う。5秒しか時間が経過しないのに半額である。車に乗った。更にその女性は車窓に来て「50ルピー」と言いだした。値段があって、ないのも同然ということか。


(2) チャトラパティ・シバージー・ターミナス(旧 ビクトリア・ターミナス駅)

 運転手さんが気をきかせて駅員に相談して、切符なしで構内に入り撮影させてもらった。ロンドンのビクトリア駅とっても似ている。

 旧名は「ヴィクトリア・ターミナス駅」( VictoriaTerminus)。名称が長いせいか、「CST」または「VT」と省略した呼び方のほうがムンバイ市民には通りが良い。インド中央鉄道の本拠地であり、インドで最も乗降客の多い駅である。歴史的な建築として、2004年にユネスコ世界遺産に登録された。
 インド伝統の様式を融合させたヴィクトリア・ゴシック建築の壮麗とした駅舎であり、今も現役の駅として使用されている。まるで宮殿を思わすような駅舎は植民地支配の象徴であり、大英帝国の権威を示している。1300万人を超す通勤客で、列車からは人があふれ駅構内は活気に満ちている。

中央駅概観(カーソルを近付けると中央駅構内)

寝ている犬も浮浪者もいないのが目を引いた。

 1888年に建造された駅舎はベネチアゴシック建築様式で、壮麗で豪奢な建築物である。特徴として、ヴィクトリア朝のゴシック・リヴァイヴァル建築とインドの伝統的建築の融合が見られる。

(3) チョーパティ海岸(Chowpatty Beachキロ

ココナッツ・デイやガネーシュ・チャトルティなどの祭りが行われる、市民に人気のあるビーチ。独立運動のときには大規模な政治集会が開かれた場所でもある。1920年完成の湾岸道路で、海岸線に沿って続く遊歩道がある。夜ともなるといっせいに街路灯がともり、弓形に湾を彩る。この光景からこの海岸線は「女王のネックレス」と呼ばれている。

 とにかく海にゴミが多い。日本でもよくある風景であるが汚さは比較にならない。それと物乞いの数の多さである。
 この辺りはきっと観光客が溢れるのであろう。駐車するところがない。仕方がないので家内と二人だけで海岸に行った。砂浜に座る間もなく、物乞いの子供たち、浮浪者達の群れが寄ってきた。我々は服装から外国人とわかり標的になる。
 もうウカウカ海岸にいることはできない。砂浜から遠い海岸通りの道路近くに戻って海を眺める、テなことになってしまった。
 汚い海なので泳いでいる人の姿は見られなかった。更に、売店などが全く見当たらない。

 日本の海の風情とはちょっと違ったところである。

チョーバティ海岸
 木の下にはスラムの人たちが生活しているらしい。我々の座っているところのすぐ隣にもそのような人がいて、眠りからさめたのか起き上がってきた。もうここも我々がいる場所ではなくなってしまった。
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