高島靖男のインド日記
1月25日(日) インドのトイレ
 インドのトイレには普通、トイレット・ペーパーがない。高級ホテルなどでは日本と同じように紙が設置してあるのだが、ほとんどのトイレにはない。その代わり必ず便器のすぐ近くに蛇口または水の入ったバケツと手桶がある。

 私の場合は赴任前にアニタさんが自宅用にトイレット・ペーパーを買ってくれていたので何も不自由を感じずにムンバイ到着後二日ばかり暮らした。翌週月曜日から勤務になったのだが緊張していたせいかトイレのことなぞ全く忘れていた。ところが月曜日の朝から思い知らされることになった。

朝7時30分に自宅をヒテーシュさんの車で出発、8時ちょっと過ぎたころに会社に到着。
勤務する会社が入っているビル
トイレに行きたくなった。ユニカイハツ社の中にトイレが一つある(自宅も会社も洋式である)。ビル共通のトイレはなく各会社の中にトイレが内設されているようだ(後日、ビルを上から下まで点検したがどこにも共通のトイレはなかった)。
会社のトイレ
日本と違うところはトイレに入る扉にロックがついている。従って、小便のときでもロックすることになる。入ると洗面器が設置され横に小便器がある。そしてその奥に大便用の洋式便器が設置されている。大便用の便器の部屋には扉がついていているが開け放たれている。用をたすときに閉めるようになっているが、そこにはロックはついていない。妙な具合だ。

 問題はそこからである。用をたしてからトイレット・ペーパーがないことに気がついたのである。「しまった!」と気がついたが後の祭りである。しょうがないのでハンカチーフで代用することとした。更に困ったことが起こった。用をたしたあと水を流そうとしたがどうにも流れないのである。日本の洋式便器と同じようにレバーがついているので下に引いたが水はチョロチョロとしか流れない。部屋をあちこち探すがスイッチなどない。便器の上には「ここでは紙を流さないでくれ」と掲示してあるではないか。ということはここでは用はたしてはしてはいけない!ということか?でもそんな事を言っている場合ではない。

 やはり先ほどのレバーしかない。もう一度勢いよく下に引いてみた。全くダメである。そこでダメもと、とレバーを下から上に引き上げた。おお、水が流れるではないか。水が流れたことでこんなに嬉しかったことは近年にない。でも不思議である。自宅トイレのレバーは下に引くと水がちゃんと流れるのである。翌日からは自宅のトイレット・ペーパーのロールをカバンに入れて事務所に持ち込んでいる。この話はヒテーシュさん初め誰にもまだしていない。

 多くの人はご存知かもしれないが、インドでは用をたした後に紙を使わず、手と水を使って洗浄する。この手水洗浄法に慣れるまでには、日本人にとっては多くの「時間」と「忍耐力」と「邪念を捨てる精神力」を要する。

 どのようにするかと言えば、まず右手に水の入った手桶を持ち、後ろ手で尾てい骨あたりからチョロチョロとうまく水量をコントロールしながら水を流していき、左手を下から構え、水が流れてきたところをパチャパチャっとする。逆手は禁じ手である。彼の人が右利きであろうと左利きであろうと必ず左手を使わなければならない<注>。

<注>インドでは浄と不浄の観念がカースト制度に直結しているため、浄性が極めて社会的な性質を持つ。左右の手も厳格に浄と不浄の観念によって違いがある。排便後、左手を使って水で洗う習慣のあるインドでは、左は不浄の手とされ食事に使われることはない。人に何かを手渡しするときや、握手するときは右手を必ず使う。 子どもの頭を日本式に左手で“よしよし”などと、してはいけないのである。必ず右手でしなければならない。

 インドでも田舎に行くと、トイレと言う名の「溝」が掘ってあるだけというところや、地域一帯にトイレという物が存在せず、皆が皆、野原で用を足しているところもたくさんある。野原レベルまでいくと逆に地球の物すべてが自分のトイレのようにも思われ、なんだか贅沢な気にさえなってくる。
野外トイレ
日記の2回目の一部を再掲すると、まさにその世界である。(写真ご参照)

 アニタさん(この会社の専務である)が、鉄道を見せてあげる、と言って敷地内のはずれに連れて行ってくれた。なるほど鉄道線路が見える。線路に沿って人、人が歩いている。突然、草むらから人が出てきた。どうもトイレの代わりにしたらしい。と思っているとあちこちの草むらから人が出てくる。だからこんなに臭いのか、と改めてわかった。

 最近では洋式トイレの隣には「小さなシャワー」が設置されていることがよくある。手元のレバーを握る強さで水量を調節し、自分でそのホースを持って尻に噴射する。さながら手動ウォシュレットである。手動なだけに「痒いところに手が届く」のでこれはなかなか具合が良い。私の自宅もヒテーシュさんの会社もトイレはそのようになっている。

 トイレット・ペーパーは高価なものである。ワン・ロール30ルピー(約75円)である。鉄道2等の一区間料金が4ルピー(約10円)であることからも如何に高価なものかおわかりいただけるかと思う。そしてどこでも売っているというわけではない。大きなスパーマーケットに行けば勿論売っているが、それ以外ということになると薬局に売っている。(写真ご参照)

薬局
 ある日、近くの薬局にトイレット・ペーパーを買いに行った。可愛い女性の店員に「トイレット・ペーパーをください」と言ったが最初意味がわからなかったようである。店主が出てきて注文を聞き直したほどである。ほどなくしてその女性は奥からトーレット・ペーパーを持ってきたが、ワン・ロールなのである。こちらは日本の感覚で4とか6つのトイレット・ペーパーがパッケージになっていると思っていたのでビックリ。指で四を見せた。やっと4つのトイレット・ペーパーが手に入った。成程、インド人にはトイレット・ペーパーは異質なものなんだな、と改めて感じ入った次第である。

 では逆にインド人が日本に行くとどうなるか? やはりそれはそれで彼らにとっては衝撃的な経験なのである。ユニカイハツ社は高田馬場に社員寮を持っている。私は赴任前に何回か日本語の授業をするために訪問した。「日本のトイレはどう?」と、彼らに聞いたことがある。なんせ人生始まって以来「紙で拭く」という作業をしたことがないのだから、いくら念入りに拭き取ったところで汚れが落ちていないような気がするし、また紙のような異物が触れたことのないデリケートな尻はすぐに擦り切れてヒリヒリすると言う。

 彼らもまた「時間」と「忍耐力」と「邪念を捨てる精神力」をもってトイレの問題に挑んでいるのだ。「郷に入っては郷に従え」とはいうが、毎日の事でありながら人には相談しにくい。トイレの問題は当事者にとっては実にシリ(尻)アス(Ass:注)な問題である。

<注>英語のAssは「尻」の意味。Kiss my ass、と英語で言われたら最高に侮辱されたことになる。

 赴任してから1か月半ほどしてユニカイハツ社へ日本の取引先企業の担当者が来社することになった。来週月曜日からそのお客が来るという金曜日の夕方トイレに行った。驚いたことにトイレにトイレット・ペーパーが設置されているのである。アニタさんがお客用にトイレット・ペーパーを置いたようだ。ということは私は日本人ではなくインド人と同じ、と考えていたのであろうか?お客さんに敢えて聞かなかったがトイレの水は上手く流せたのであろうか??
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