高島靖男のインド日記
12月28日(日) 宗教について
 11・26テロ事件の真相はだれにもわからない。パキスタン政府はムンバイ・テロ事件の主犯を拘束したと発表した。イスラム教過激派とされている。インド政府は身柄の引き渡しを求めているがパキスタン政府は応じる様子はない。ムンバイ事件で日本人が殺害されていなければ、日本人にとって新聞の片隅の出来事であったに違いない。ヒンドゥー教、イスラム教、シーク教などがどのようなものか?など一般の日本人には関心の低いものである。

 2001年に行われた国勢調査(10年に1回実施)によれば、宗教別にみたインドの人口比は以下のようになる。
  ・ヒンドゥー教徒 80.5%(82.4%)
  ・イスラム教徒 13.4%(11.7%)
  ・キリスト教徒 2.3%
  ・シーク教徒 1.9%
  ・仏教徒 0.8%
  ・ジャイナ教徒 0.8%
  ・その他 0.6%
            <注>(  )内は1991年の数値。

 
ヒンドゥー教のお寺 シバ神(ヒンドゥー教で
一番有名な神)
上記でもわかるようにヒンドゥー教徒は微減、イスラム教徒は微増している。微増と言うが1%増加すると、人口11億の国では1000万人以上のイスラム教徒が増えることを意味している。これは大変な数字である。東京都の人口が増えると同じである。

 1947年にインドはヒンドゥー教国家(王朝型民主主義)として、パキスタンはイスラム教国家(軍政優越型民主主義)としてそれぞれは英国から独立した。更に1991年、第三次インド・パキスタン戦争後に東パキスタンからバングラディシュ(ヒンドゥー教国家)が独立している。もとは一つの国であったものが宗教の違いを理由に三つの国になった。

 更にはインド独立の父ガンジーは「イスラム教徒に対して融和的」ということでヒンドゥー過激派青年に暗殺され(1948年)、その後も歴代の首相が宗教上・政治上の軋轢により暗殺されている(1984年シーク教徒によるインディラ・ガンディ首相の暗殺、1991年「タミル・イスラム解放の虎」過激派組織によるラジブ・ガンディ首相の暗殺)。

 そもそもヒンドゥー教、イスラム教とは何なのであろうか?これはインドへ来る以前も、来てからも大きな疑問である。イスラム原理主義とは言うが、ヒンドゥー原理主義とは言わない。仏教発祥の国といいながら信者はたったの0.8%。逆にキリスト教徒 が2.3%もいるのである。

  以下に各宗教の教義などを自分なりにまとめてみた
  (理解が誤っている点があれば、ご容赦ください)。
宗教名
(開祖)
(発生時期)
教義等概要
ヒンドゥー教
(特になし)
(紀元前5〜4世紀)

・多神教であり、また地域や所属する集団によって非常に多様な信仰形態
 をとる。それゆえヒンドゥー教の範囲は非常に曖昧。
・カーストを肯定
・4世紀より国教として定められた
・インド憲法25条では、(ヒンドゥー教から分派したと考えられる)シーク教、
 ジャイナ教、仏教を信仰する人も広義のヒンドゥーとして扱われている。

イスラム教
(ムハンマド)
(紀元7世紀)

・唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフ)を信仰
・偶像崇拝を排除
・カーストを否定
・信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる
・インドのイスラム教徒は外来人ではなく、もとからインドにいた人たち。

キリスト教
(イエス・キリスト)
(紀元0年)

・アダムとイヴの堕罪以降、子孫である全ての人間は生まれながらにして
 罪に陥っている存在であるが、(神にして)人であるイエス・キリストの死は
 これを贖い、イエスをキリストと信じるものは罪の赦しを得て永遠の生命に
 入る、という信仰がキリスト教の根幹をなしている。

シーク教
(ナーナク)
(16世紀)

・輪廻転生を肯定
・唯一神を標榜
・儀式、偶像崇拝、苦行、ヨーガ(ハタ・ヨーガの意味)、カースト、
 出家を否定し、世俗の職業に就いてそれに真摯に励むことを重んじる
仏教
(釈迦)
(紀元前5世紀)
・仏教は神を信じる宗教ではなく、神の扱いは、人間などと同じ生命の一種
 という位置づけ
・因果論を原則として、人々に善行を積むことを勧める。
・個々の生に対しては業の積み重ねによる果報である次の生、すなわち
 輪廻転生を論じ、世間の生き方を脱して悟りを開かない限り、
 あらゆる生命は無限にこの輪廻を続けると言う。

ジャイナ教
(マハーヴィーラ)
(紀元前6世紀〜5世紀)

・言語による真理表現の可能性を深く模索した。
・不殺生の誓戒を厳守するなどその徹底した苦行・禁欲主義をもって
 知られる。
・僧(バラモン)の供犠や祭祀を批判し、あわせてヴェーダの権威を
 否定して、 合理主義的な立場から独自の教理・学説をうち立てた。
・一方的判断を避けて「相対的に考察」することを教えた(「相対主義」)。


 こうやって比較してみると、どの宗教も立派なものでどうして対立が起きてしまうのか不思議?と思わざるを得ない。ヒンドゥー教、イスラム教の大きな違いは、多神教であるか一神教であるか。そしてカーストを肯定するか否定するか?に集約されてしまうように思えるのである。
  ムガール帝国(イスラム国)が1526年に成立しインドを支配したが、決して強制的(「剣かコーラン(法典)か」のような武力行使)にイスラム教への改宗などはしていない<注1>
 ヒンドゥー教とイスラム教の平和的共存が許され、インド=イスラム文化が開花した。むしろ、対立の元凶は、英国がインド支配を強力に推進した18世紀後半、利権(カースト制度)を維持するために地方支配勢力が英国と手を結んだことにある。英国はヒンドゥー教でもイスラム教でもどうでもよかったと思われるが、統治するに都合のよいヒンドゥー教(カースト制度)を優先したのである。

<注1>
1453年オスマン帝国(メフメ2世)はコンスタンティノーブルを陥落しイスタンブールと改称し多くのキリスト教会をモスクに変えたが、一部はキリスト教徒とユダヤ教徒用に残し、税を払えば信仰を認めた。無理にイスラム教徒に改宗させていない。

 また、先に記述のように1947年にパキスタンは独立直前のインド議会でムスリム連盟(パキスタンの独立国家を標榜)と会議派(統一国家を標榜)の対立によって「軍政優越型民主主義」国家として独立した。何故、軍部抜きの民主主義国家が成立しなかったのであろうか。それは、独立時における国家理念の曖昧さ、と言える。ムスリム連盟は独立時に明確な国家構想を示していない。それはイスラム国家の内容を明示すると内部分裂や対立が起こることが容易に予想されたからである。また、途上国においては、軍部は最もよく組織されているだけでなく、軍部官僚は相対的に知的レベルの高い人間集団であることがあげられる。

 上記のとおり、ヒンドゥー教徒、イスラム教徒は、貴族や士族も含め、政治的な利害関係が絡まない限り、普段は共存してきたのである。ヒンドゥー教は多神教であり、イスラム教は一神教であるから教義的に相容れない、だから常に対立するのだという説を言う人がいるが、これは本当にそうであろうか。歴史の実態をキチンと押さえた議論が必要である。宗教対立には実は政治的・経済的な世俗の利害対立が絡み合うことが圧倒的に多いのである。歴史的に見るとイスラム教は異教徒に寛容である。

 政治的に言えば現在のパキスタン政府(イスラム国家)は安定性を欠き国民の不満が充満していることは間違いない<注2>

<注2>
昨年12月27日にブット元首相が暗殺され、夫のザルダリ氏が率いるパキスタン人民党が今年9月に9年ぶりの文民政権を誕生させた。結果としてムシャラク大統領は辞任に追い込まれたが、1ヶ月後の世論調査では支持率は19%と低迷、政権交代を望む世論は大きい。

 
ディワイリ時、家の入り口の飾り(特別に作る)
経済的には、ムンバイ市ではイスラム教徒数は増え続けているが職がない、あるいはイスラム教徒ということでヒンドゥー教徒に職場から締め出しを食っていて今にも爆発しそうであった(このことは12月中旬に放送されたNHK「クローズアップ現代」が特集している)。このように複雑に絡み合った原因がテロにまで発展したのかもしれない。

 一般庶民が事件後、パキスタンを目の敵にしているかと言えばそのようなことはない。「パキスタンにも様々な考えの人がいる。テロの支援グループを摘発するのは必要だが、パキスタン政府とにらみ合うのは好ましくない」。これが正直な気持ちではないだろうか。

 最後にアニタさんから聞いた話を紹介する。「先生、イスラム教は一夫多妻制度なのですが、何故だか知っていますか」と聞かれたことがある。「う〜ん、わからないですね」と答えると、「沢山、子供を産んで兵士にするためです」と、回答してくれた。アニタさんほど教養のある人でもそのように思っているのか、と唖然としたが、大半のヒンドゥー教徒はそのように思っているのかもしれない。

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